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3438 sun3965 CUB     95/10/17 01:49 「C62ニセコ」乗り鉄編             167

 10/10、シロクニの運転日。そして我々の帰る日。

 天気は晴れ。羊蹄山もばっちり。北四線踏切(羊蹄山バックの直線の、超有名お
立ち台)の大変な人出が見えるようです。

 私達3人のうち、一人は「撮り鉄」で、私ともう一人は、今日は「SLニセコ号」
に乗ることに。暗いうちから出掛けて行った同志諸君を見送った後、のんびりと支
度をして、ペアレントさんに挨拶をして、駅までを歩きます。関係無いけどもう使
わないという「ケロリン洗面器」を、ひとつ頂いてしまいました(笑)。

 「乗り鉄」を決め込んだものの、結局カメラだなんだとごろごろ持ち歩いて重い
思いをしているのは、根が「撮り鉄」の性か?(笑) 小樽行きの列車の中から各
「お立ち台」をチェックしては、おおすげーすげーと盛り上がっていた2人。



 小樽で1時間もしないうちに、いよいよ「C62ニセコ号」が入線。懐かしい旧
客に乗り込み、まずはボックス・シートへ荷物を置き、早速シロクニを見に行きま
す。家族連れやなんだでホームは大変な賑わいでした。そんな雑踏の中で、ただじ
っと、内なる力を黒い車体に秘めつつ自らの出番を待つシロクニ。周囲の賑わいが、
その寡黙さをかえって引き立たせているようでした。

 10:04、「C62ニセコ号」9262列車、定刻発車。そう慌てなさんな、
とでも言うかのように、列車はゆっくりと加速していき、その息遣いが前方から聞
こえて来ると(マイクを通して車内に流すのはイタダケない)、我々が「彼」に身
を任せているという実感がわいて来ます。

 ここでしばし汽車旅気分。

 沿線に展開する「撮り鉄」軍団を見つけては「すげーすげー」と、一昨日の自ら
を棚に上げて盛り上がっていたのですが、中には誰もいないところで一人で撮って
いる人も。収穫が終わって積み上げられた藁をあしらっているらしく、「絵」的に
もかなり良い感じなんですけど、やっぱり小数派みたいですね、そういうのって。
アンチ編成写真に私も一票。

 そしていよいよ例の「テンロク」。今日ここで撮るんだという人がいて、どの辺
りのポジションかも知ってはいたのですが、「すげーすげー」(2〜300人はい
たと思う)の中に埋もれて確認出来ず。次の「テンサン」も、「200.3kmポ
スト」も「200kmポスト」も、どこもかしこも「すげーすげー」。



 ところで3号車は「スハシ44」とかいう謎の形式の客車(要するにスハフ44
の一部にカウンター・バーみたいなのを造ったわけですね)なんですけれど、そこ
ではオレンジ・カードが売られていました。「車掌」の腕章などもあって、しかし
なんだか大きな台紙に張り付いているので、

「これ台紙付なんですか?」

と尋ねると、いやいやそれは売り物ではなくて、我々から無償で差し上げるものな
のです、オレンジカードをいくら分(忘れた)お買い求めになりますと、これを差
し上げます云々と。質問に対する答えにはなってませんが、事情は飲み込めました。

 つまり売るものはオレンジカードのみ、あとは全て「抱き合わせ」みたいなもん
です。運行表のコピーだって前は単体で売ってたのに、今回はオレカとの「抱き合
わせ」。これが欲しかったらオレカ買いなさい、と足元を見られているようで、ち
ょっと、ね。

 でまあ82系「北斗」がオイシイ絵柄だったので、「スーパー北斗」との2枚組
を求めると、「それだけで良いの? おまけ付かないですよ」という反応。あまり
露骨なので真っ直ぐ目を見て「いらない」と言ってやりました。おほほのほ。

 いや、JR北海道さんの、ことにこのシロクニに関しての台所事情はお察しいた
しますが、それにしてもあまりガツガツやられたんでは、こっちとしてもしらけて
しまうのですよ。



 さて列車は倶知安隋道へ突入。と、引っ掛かってしまったのか閉められないでい
る窓が! たちまち車内は霞んで「雀荘状態」(笑)。

 駄目だと思いました。

 「こうして蒸気機関車は消えていったのでした」という説得力がありますよこれ
は。我々は半ば「アトラクション」のようなつもりで乗りに来ているわけですが、
かつてはこれが日常で、他に選択の余地が無かったんですから。特に夏は大変だっ
たでしょう。

 隋道を抜けるや、あちこちで窓が開かれ、乗客達は皆「ぷはーっ」かなんか言っ
ています。「アトラクション」ならではの楽しみではありますか。



 倶知安を過ぎ、羊蹄山を見ながら、終着ニセコ。

 秋晴れの日差しの下、乗客達はホームに出て、シロクニに群がります。そんな賑
わいを知ってか知らずか、そのたくましい身体で静かに呼吸を整えているシロクニ。
「へっ、ちょろいもんさ」とすましているようにも見えます。

 やがて客車を切り離したシロクニは、ターン・テーブルへ向かって行き、水と石
炭の補給。我々も食事にしましょうか。駅の脇にはちょっとした芝生があって、家
族連れがシートを敷いてお弁当にしています。蒸機を見なら食事、良いですねぇ。

 ところで復路の乗車券を求めると、今時の硬券。嬉しいので倶知安までのも1枚
所望してしまいました。鋏じゃなくてスタンプなのが、なんとも残念。

 我々がもたもたしているうちに、シロクニは機回しをしてさっさと客車に連結。
また人が群がって来て、記念撮影の嵐。車掌さんは制服と帽子を貸してくれて、さ
らにシャッターまで押してくれるというサービスぶり。いやいや、大変です。私も
同行の友人とぱちり。なかなか人が退かないので、逆サイド(そこ入っていいの?)
から編成写真を狙っている「同志諸君」は不満そうでしたが、まあそういうものと
諦めてねん。

 挙動不審者発見。ランボードのボルトのピッチを測ってはメモを取っています。
あれまと思って「模型を作ってらっしゃるのですか?」と尋ねると、なんでもモデ
ラーさんだそうで、この人、「RM MODELS」創刊号の表紙を飾った「2つ
目キューロク」の作者だそうです! 「扶桑模型よろしくね」とのこと(笑)。



 発車の時間になったので、いそいそと車内へ。

 指定の座席へ行くと、親子連れ(子供二人にお母さん、そしてそのまたお母さん)
が座っていました。実は我々は指定で4席取っていたのですが、結局2人しか乗ら
ないからと、払い戻し¥0を承知でキャンセルしたんです。その席が有効に使われ
たようで、なにより。聞けば倶知安までの乗車とかで、倶知安の金毘羅祭り(北海
道の最後のお祭りだそうで、これが終わると冬支度に入るそうです)に行くのだと
か。そういえば昨夜の夜店、そうでしたか。

 子供達は疲れたか、眠りこけてしまいました。お母さんは「折角SLに乗せてあ
げてるのに」と苦笑い。そのまたお母さんは「こんなのが良いんですかねえ。嫌っ
て程乗ってるから、今更(笑)」。そんなもんだろうなあ。



 倶知安でこの人達は降りていき、また別の人が乗って来ました。けれどもこの人
「乗り鉄」な人で、まあカテゴリー的には「同志」ではあるんでしょうけれど、い
つまでもいつまでも、ビデオ回しててもお構いなしに「鉄」話をべたべたと続ける
ものだから、どっちらけ。高原へ寛ぎに来たつもりがタレント・ショップに囲まれ
て閉口する、アレみたいなもんです。「お前何乗っても同じなんだろ!」と言って
やりたかったけれど、虚しいだけなのでデッキへ退散。やっぱ、「シチュエーショ
ン」を大切にしたいのですよ。

 そうそう、羊蹄山はクッキリというわけで、「北四線踏切」は物凄い人出、車内
にどよめきが起こります。軽く4〜500人はいたんじゃないですかね。いやそれ
以上ですよあれは! その中に知り合いもいた筈なのですが・・・・・・・・・。

 並行する道路には「追っかけ」らしき姿もちらりほらり。伝説の渋滞「シロクニ・
ジェーン」(笑)もどこかで起こっているかもしれません。蘭島〜塩谷間の「金五
郎山」下の道路と立体交差する直線ノ撮影ポイントに至っては、築堤の斜面がまる
で「鈴鹿8耐グランドスタンド」状態(笑)。ここでも最大級のどよめきが車内で
起こっていました。塩谷の長時間停車を利用して先回りするのでしょう、撮るなり
猛ダッシュでクルマに駆けて行く様が、なんだか凄かったです。(゚o゚;

 列車は塩谷着。この無人駅のホームは、乗客や「撮り鉄追っかけ組」でごった返
し、20分あまりの停車時間もあっという間に過ぎてしまいました。そして最後の
オタモイ峠へ挑むべく、シロクニはダッシュを開始。例の塩谷隋道を抜け、サミッ
トを越えたところで左手に海! 終着・小樽はもうすぐ、こころなしか足取りも軽
やかに、坂を下るシロクニ。



 やがて小樽着。車掌さんにお礼を言って降り立ったホームは、意外と静かで、な
んとも言えない余韻が漂っています。「蒸機の時代」には、こんな風景が毎日毎日、
当り前のように繰り返されたのでしょう。しかし私達の世代にとって、それは一種
の「憧れの風景」でもあるわけで、そこにたたずんで「風景」の中にいることを実
感するだけで、気分が満たされるのでした。

 しかしそれはいつまでも許されず、誘導員が来てシロクニは切り離され、小樽築
港へ引き上げて行ってしまいました。私達も、最後の暇乞いをすべく、タクシーに
乗って築港へ。



                       CUB