***** 2000年4月13日 ***** (独り言) 鉄道員・・・・・イタリア映画で良いのがあったけど、浅田次郎の短編 では読み方が違う。 ようやく文庫本が出た。どうもあの手放しの評判を聞いてたら、少し気 恥ずかしくてハードカバーは買う気がしなかった。そのうち文庫が出るだ ろうから・・・・・天邪鬼。結局映画も観そびれた。広末涼子の舞台挨拶 見たさに公開前夜に並んでる行列を、たまたま見かけたりはしたが。 で、文庫を読んで、己の食わず嫌いを悔やんだ。僅か数十ページの短編 なのだが・・・・・うう、ダメだ。(-_-)(T-T) 電車の中で読んでいたの は少々マズかった。最後の数行が、なかなか読めなかった。堪えるあまり に喉が痛んだ。丁度杉花粉の季節だったのは、そんな私にとって幸運だっ たかもしれない。 浅田氏には失礼だが、要はこれ、短編の怪談話である。まあ、「世にも 奇妙な物語」みたいなものだ。出てくる用語も変だし、描かれている鉄道 はどうも勝手が違う。「金矢」の字を使っているのも、なにもJRグルー プで北海道だけというわけではない。そんなこんなで違和感バリバリなの である。 そして私は、お涙頂戴が大嫌いである。 けれど・・・・・きっとこれは、読み手に、古き良き鉄道マンの心意気 を思い起こさせるトリガーなのだ。鉄道の営み、鉄道マンの生き様、それ らへの想いを呼び覚ますトリガーなのだ。感動は小説そのものからでなく、 読み手の内側にあるものから沸き起こる・・・・・この短編は、鉄道への 想いの、昇華を手助けするものではないのか。浅田氏はきっと、そこを心 得ていたのだと思う。 そして私も、こんなに鉄道が好きな己自身に、向き合った・・・。 そういえば、かの「レールガイ」誌の休刊直前頃の号で、心象鉄道云々 という、やや思いつめたような連載があったが、その中にやや過激な、こ んな一文があったと思う。 ”鉄道に感動したことの無い男は、 一生童貞でいるようなものだ” ・・・・・これの見方は色々あるかもしれないけれど、私なりに、思うと ころはある。 つい先だって、「ラピタ」誌での島秀雄についての連載が単行本化され、 一昨日にはNHKで青函トンネルの物語が放映され、近頃ちょっと、「男 のロマン」とやらが己の中で盛り上がっていたのは、否定しない。そもそ も、日々そういうものを追い求めて鉄道に目を向けているような気も、す るし。 DPEの上がりを受け取りに、地元のヨドバシカメラへ寄った。ちょっ と気になってビデオソフトの売場へ行くと、いきなし「鉄道員」のLDが 目に飛び込む。 こりゃだめだ・・・・・即決。 出来過ぎである。そうか、文庫が出てビデオが出て・・・・・今は丁度、 ビジネス的にそういう時期だったわけだな、つまり。 私に遅れて来た「鉄道員」、そこにどことなくノスタルジーを感じてし まうのは、現代の鉄道の有り様に、よるものなのか。いずれノスタルジー を通り越して、時代劇のようになってしまうのかも、しれないな。 (end)