***** 3504 sun3965 CUB 96/03/19 21:24 ダイ改前夜のああしみじみ 121 でま、これより出掛けてまいります、と言ってからもう4日経ってますが、その ダイ改前夜のお話など。 #その前に訂正。3501番アーティクルにて、「武相高校」をこともあろうに #「武装〜」と書いてしまいました。失礼いたしました・・・・・・・・。 まずは川崎へ行って、「東海4号」を。今月に入ってからヘッドマークを着けて いた「東海」、この日のそれはスペシャル仕様で1〜3号が80系準急時代のもの を模した丸いもの、そして4号はホントの「さよなら」バージョンなのです。 東海道線ホームへ降りると、いやいや人がいますいます。隣の京浜東北線ホーム にも、編成狙いの三脚が・・・・・・・・カブらないかな? まもなく列車が到着。一斉にフラッシュの嵐です。こんな時に奇麗な編成写真な ど求めるのは難儀なので、マークと顔を中心に数コマ切りました。押し合いへし合 いで大変かとも思ったけど、まあ途中駅ですからたかが知れています。東京は凄い んだろうな・・・・・・・その東京へ行くのか、撮ってそのまま列車に乗り込む人 も結構いて、デッキがすし詰め状態のまま、急行「東海4号」、川崎発。それを見 送り、しばしそこにたたずむ私、なのでありました。ああ、「急行列車」が消える ・・・・・・・・。 ところで川崎のホームなんかで撮ったのはえっれー久し振りです。たしか前回は 最終「あまぎ」だったんじゃないかな(ぉぃぉぃいつの話だ)・・・・・・・・・ 183系の「あまぎ」でしたよ。 クルマでお次は鶴見線。雨のせいもあって、大川にはそんなに人はいなかったで す。武蔵白石はそれなりにいたのですが、「さよなら」が後日催されるということ が知られているためか、思ったほどの盛り上がりでは無し。 ホームで蹴躓いたので足元を見ると、あ、屋根の支柱が焼き切られた跡ですねこ れは。そういや道理で濡れるわけです。それで仮設の照明も用意されていると・・・ ・・・・・・。レールの剥がされている旧3番には、もう重機が入ってスタンバっ ています。 例の「Mc12」の面々もいました。やー雨で参ったねとか言いながら、このお 祭り状態をスナップ。専ら2番線ホーム(鶴見方面)の屋根の下で、駄弁ってまし た。うーん、根性無いぞ。まあいいけど。 いよいよ大川行き終電。その直前に来た本線の電車からも人がどっと降りて来て、 ちょっとしたパニックです。どうやら小さな車体に押し込んで、皆が見送る中、発 車。間もなく帰って来て、最後の運行を終えました。まあ「いつもの終電」ですか ら、味気ないといえばその通りだったのですが、これが最後なのです。弁天橋への 回送まで少しの間止まっているのですが、その間もフラッシュの嵐。退けだの入る なだの言い出す輩もいてちょいと困りものでしたが、大した混乱もなく、定時にな るとぱしぱしっとパンタをスパークさせて、クモハ12は去って行きました。そう、 いつものように、淡々と。ツリカケ音が耳に残ります。 さらば、クモハ12。 しばらく余韻に浸っていたのですが、間もなく大川支線のホームは閉鎖され、取 り壊し作業が始まりました。重機がレール上を走り(さすが鉄道用!)、お馴染み のホームを、端からががががががががっと切り崩して行きます・・・・・・・・・ それと共にクモハ12の思い出も削られて行くようで、見ていて辛いものもあった のですが、これは仕方の無いこと。 再びクルマで川崎へ。今度は165系の普通列車・静岡発東京行366Mに乗っ て品川へ行き、最終大垣夜行375Mを見納めよう、ということになったのです。 そうそう聞いた話では、東京駅での「東海4号」は大変な騒ぎだったようです。 品川に降り立つと、臨時ホームは思ったほど混んでいない様子。そんなもんです かね。ところで、やはりというか、この大垣夜行の乗り納め&特急「伊那路」初乗 りを企てるグループがいました。いえ私の知り合いなんですけど、最後尾にいたの ですが心当たりのある方います? 若干1名学ラン&下駄履きってのがいたんです けど・・・・・・・・。(^^; んで私らもこれに乗って帰ることにしました。私は 川崎まで、なんですけどね。 いよいよ375M、入線。グリーン車に帯のある、さっきまで「東海」やってた 編成です。カメラ持った人達が走りまわります。入線から発車まで30分近くある ので、慌てることはありません。 窓には、思い思いに手製のサボやらを貼付ける人がいて、雨降る中車内はとて も温かそう。この列車で育った、というか、この列車と共に過ごして来た人達の想 いが詰まった「大垣夜行」最後の夜・・・・・・・・。私も思い起こせば10余年 前、余命いくばくもない飯田線の旧国を見に行くのに乗ったのが、「大垣夜行」と の出会いでした。当時の列車番号は345M、私の周辺ではいまだにそう呼んでし まうことがあります。いつの間にか無くなってしまいましたが、静岡では駅弁が買 えたんですよね、あれが楽しみでした。 そして時刻は23時52分、375M、発車。扉が閉まるとホームから拍手が起 こりました。それに応えるように車内でも拍手が起こり、あちらとこちらと見知ら ぬもの同士で手を振り合う中、列車はホームを滑り出します。私にとってはこれが 最後の「大垣夜行」・・・・・・・ちょっといんちき臭いですけどね。近頃は名古 屋や豊橋で降りてしまうことが大半なので、最後に全線乗ったのはいつでしたっけ? 大垣に着いてダッシュで跨線橋を渡ったのも遠い昔のようです。上りなら昨年の夏 が最後だったでしょうか。 いつものように停車駅の案内放送。この列車が明日より「ムーンライトながら」 になることと、長い間「大垣夜行」に親しんで来た利用客へのお礼が最後に付け加 えられました。「次は川崎に止まります」。間もなく多摩川を渡ると列車は減速、 私はデッキへ。ドアが開くと窓越しに例のグループと挨拶、記念に1枚撮って、彼 らと、最後の大垣夜行375Mを見送りました。たかが品川まで行って来ただけな のに、この列車だと遠くから帰って来て、まさに「降り立った」という感覚になる から、不思議です。私にとってはいつもそんな列車だったから、かな。 翌朝、早く目が覚めたので、多摩川へ行ってみました。上りの大垣夜行には間に 合わなかったのですが、その返しの325Mを見てみようかと。ところが113系 がやって来まして、これは運用が変ったのでしょうか? その足で武蔵白石へ。かつてホームがあった所には、小さな土の山が残るだけで した。信号配線の作業をしている人達がいて、他には私だけ。よく晴れた、静かな 朝。そこへ鶴見方から103系の3連がやって来て、ホームの無くなったカーブを 難無く曲がって行きます。新たな日常の、その最初の瞬間を見た気がしました。そ うそう大川のホーム、いつの間にか仮設っぽく延長されていましたよ。 また多摩川へ戻り、特急「東海1号」を撮影。373系のステンレスの側面が朝 日にギラリと光ります。川崎に止まらないのはなんとなく納得いかないけれど、ま、 いっか。 CUB