***** 1996年5月28日 *****
[T] Re: Shaon Free (Re: 質問です。)



 こんにちは、深町です。


 謝恩きっぷの話に、思わず私も。(^^

 当時フリーの学生(笑)していた私は、東京駅で買いました。友人と
相談して、折角だからどどーんと東京駅で買おう、と。発売24時間前
に行くと、既に行列が・・・・・・・・・しかしそれはその日発売の、
国鉄最後のオレンジカードの列で、そっちとこっちとで別れて並び、我々
は謝恩きっぷの列のほぼ最前列を陣取ることに成功。御座敷いて、夜は
シャッターが閉まって閉じこめられたりしつつ、翌日購入したきっぷの
番号は「0004」! いやいや、甲斐がありました(大馬鹿者)。

 2/29の夜に再び東京駅に集合。皆旅程はバラバラだったけど、大
垣夜行(まだ345Mでしたっけ?)で出発するのは一緒だったので、
早くから並んで乗り込みました。続行便も無く、列車は寿司詰め。お約
束の静岡の駅弁は、窓から買いに行きました(笑)。そうそう、「青春
18きっぷ」との合わせ技なんです。

 霧で遅れたりしつつ、名古屋で2人ほど下車。私ともう1人は、その
まま西へ西へと乗り継ぎ、とうとう鳥栖まで。もうこの頃には2人の間
に会話もなく(笑)。んでここ3/31をむかえ「謝恩きっぷ」が有効
になったところで「阿蘇」だかの夜行急行で西鹿児島へ。連れは熊本で
上りに乗り換えて行きました。確かJR6社のエリアを全て周るんだと
かでした(笑)。

 西鹿児島から今度は「有明」で博多、「ひかり」で東京、国電で上野
に行きまた友人と再会して「やまびこ」で盛岡、そして「はつかり」で
着いた青森は、もうJRのそれでした。「はつかり」車内で挨拶の放送
が入り、それが終わると、車内で拍手が湧いたのを覚えています。

 ここからはまた青春18きっぷのお出ましとなり、そのまま連絡船に
乗って、低気圧の接近とかで揺られてうーうー言いながら北海道の土を
踏み、キハ22に乗って森へ行って「いかめし」食べて・・・・・・・・
それで帰って参りました。なんとも馬鹿馬鹿しい旅(?)でしたが、良
い思い出です。



 ところで前に大垣で375Mを待っていて気付いたのですが、あのホ
ームの大阪寄りのところに、国鉄とJRとが併記された碑(?)が立っ
ているんですよね。「1997年4月1日開封」みたいなことが書いて
あり、どうやらこれはタイム・カプセルのようです。当時の日本人には、
その奢りさえも伴っていた繁栄がやがてはじけ、後に「バブル」と呼ば
れたなんてこと、知る由も無かったわけですよね・・・・・。 

 10年、かあ・・・・・・・・。



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       その男、深町忠利(ふかまちただとし)  ”CUB”
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