***** 1996年11月25日 ***** [T:4734] Re: "Design" of Rail こんにちは、深町です。 ええと「デザイン」についてのお話なのですが、私難しい話はよく判らない ので、まあ単純に思ってることなどを。 デザイン、ようは「思想の具現化」であると私思うです。その目的があって 具体的な形を創り出す、と。いわゆる芸術作品とはちょっと違って、何かしら に活用されることが前提であると。そういえば「sign」という単語とただ ならぬ関係でもあるようですね。たとえばアフォーダンス、なんてものもまさ にそんなとこでしょうし。 我々は、アウトプットされたものを通して、デザイナー(設計者)と対話を 持つことになります。デザイナーがどこまで目的意識を持っているか、あるい は見かけ倒しのごまかしをしてないか・・・・・・不思議なもので、そういう のってにじみ出るもののようです。道具やルールやその他システム的なものな どなど、デザインされたものは、その筋の専門家ではなく、実際にそれに接し 利用したりする人のためにあるわけで。ということは、公共物のデザインには それを共有する(利用する)人達、もっと言うと社会の美意識が表れる、てこ とでもあるわけですか。 鉄道の「デザイン」といえば、車両や駅の目に見える部分、というのがまず 思い浮かびますが、それだけでなくたとえば乗車方法、切符の発券方法、ある いは切符の効力そのもの、などなどあらゆる部分が「デザイン」されているわ けですよね。プリペイド・カードやストアードフェア・カードというのもまさ に鉄道利用のシステムを新たに「デザイン」したわけで。 さてちょっと話題の209系はじめ「走ルンです」シリーズ。その耐用年数 10年という思想、鉄道車両を「耐久消費財」として捉えた、そのこと自体が 新たな「デザイン」であるように思えます。短いスパンで考えれば、細かな流 行り廃りにも乗っかって行ける・・・・・・そこに普遍的な目的意識を伴った 思想が流れ続けていれば、それでも良いのかなと思います。 ***** 深町 忠利 ふかまちただとし