***** 1996年11月28日 ******
[T:4854] EF58`s Story ( Re: Why JR use EF58 for OMESHI (simply question))



 こんにちは、深町です。


(略:何故ロクイチは御召専用機?、を受けて)


 EF57の予備的な機関車として戦後すぐに登場したEF58は、その初期には
トラブルの多い貧弱な機関車であったと聞きます。しかしその後SG(暖房用蒸気
発生装置、要するに重油ボイラー・・・・・・今や註釈が必要でしょうね)を搭載
するためにボディを載せ換え、我々のよく知る流線形になってからは、着々と優等
列車牽引機としての地位を築いていきました。あの「つばめ」をはじめ、ブルート
レイン他の特急列車の先頭に立っていました。それはもう、大きな実績になってい
ます。

 それが、60号、61号が御召牽引機として製作された背景になっていると思い
ます。他に製造されている旅客用機関車も無かったでしょうし。その優雅なスタイ
ルも無視できないと、個人的に私は思います。

 さて170+2両との考え方、ですが、この2両が別格の存在であることからす
れば、確かにそういうとらえ方が出来ますか。

 ここでちょいと知ったかぶりぶりをさせて頂きますと、EF58のラスト・ナン
バーは175号機です。数が合いませんね。EF58には欠番があったのです。

#この辺、信じ難いかもしれませんが10余年前の一部の鉄ちゃんの間では、半ば
#常識だったんですよ。(^^;;;; そらでこれ書いてる私も、きっとその一人です。



 最初にデッキ付きのスタイルで21号機が落成したのが‘46年。その後、合計
31両が1次型として製造されました。そして32〜34号も落成間近になった頃、
当時日本を統治していたGHQの経済政策(いわゆるドッジ・ライン)に基き、貨
物輸送を優先させよという指導があり、これら3両の機関車はギア比などの変更を
受けて貨物機関車として生まれることになりました。

 形式はEF18。EF58に因んで「8」を残したと伝えられます。現にEF18
は32〜34という変則的な番号を与えられており、そしていつ戻っても良いよう
に、EF58の32〜34号はそのまま空けておかれたのでした。しかしEF18
はその後、特急牽引機の夢を見ながらそれになれないままに、生涯を終えることに
なります・・・・・・・。

 その頃、SGを搭載していないEF58は不便(冬は別に暖房車の連結が必要)
だという話になり、EF58にSG搭載の改造を施すことになりました。しかし大
きなボイラーはそのままの車体には収まらず、仕方ないので31両のボディを新調
することになりました。奇遇にも戦時設計で保守等の問題のあったEF13も同じ
く31両で、EF58のお下がりをEF13に転用したのは有名な話です。

 その頃製造途中であった35、36号は、ボディそのものを途中から造り直して
落成することになりました。これがあの側面7つ窓の経緯です。

 EF58は仲間を増やし続け、モデル・チェンジを繰り返しながらとうとう175
号機まで達してしまいました。後にEF60や後継の本命と目されたEF61が登
場しましたが、その地位はなかなか揺らぐものではありませんでした。

 EF58のモデル・チェンジの中でも、いわゆる3次形と呼ばれる、正面の窓の
大きいグループが、最も美しいとされています。60、61号はこのグループに属
しています。ことに61号機はそのプロポーションを今日までよく残しており、最
高のEF58たる威厳を保ち続けています・・・。


(略)


 私は、ぎりぎり全盛期の20系ブルトレに乗った世代なんですけど、世代に
よって出会えるものが違うのは、致し方の無いことです。チョコレート色のツ
リカケ電車や、EF65−500のブルトレ、10系気動車などの中で育った
私ですが、しかし一方で現役時代の国鉄蒸機を知らないし、「つばめ」の展望
車の風も知りません。これはどうしようもない「永遠の憧れ」です。

 でも、いつの時代にも魅力的な鉄道があり、憧れる鉄道があります。今我々
は横軽をEF63に押されて越えることが体験できるし、0系の新幹線に乗る
ことも出来ます。今でしか感じられないものがあります。これは自分に与えら
れた限りある時間の中で、幸運にも得ることの出来るものです。ハサミで改札
を受けるのも、やがて貴重な体験になるでしょう。

#うー、語ってる・・・・・・。



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     深町 忠利  ふかまちただとし