***** 1997年4月2日 ***** [T:7093] Shima oyako & "Shinkansen" ( Re: RE: [J]good bye JR 1067mm gauge ) こんにちは、深町です。 (略:島父子の物語のTV番組・・・) 「知ってるつもり!?」でしたね。島父子のお話。 父はいくじろうさん、とかおっしゃいましたっけ? 全然違う名前でし たらスミマセン・・・・・・・・とにかくこの父上、関西鉄道で鳴らした アイデアマンだったそうです。それが買われてライバルであった鉄道省 (でしたよねこの頃は)に入り、さらに腕をふるうことになります。 当時画期的といわれた9600型蒸機なども、父上がかかわったのでは なかったでしたっけ・・・・・・。 9600と前後するかもしれませんが、そのうち機関車の出力に限界が 見え始め、「広軌化論」(軌間が広ければ車両がより安定し、大きなボイ ラーが載せるスペースが得られ高出力が期待出来る)が持ち上がり、父上 は広軌化を上層部に説くのですが、結局採算面などで却下されました。 大正の名機と謳われたC51が登場したのは、その頃でしたか。 その後父上は南満州鉄道(当時)に移り、大陸で高速列車を実現するこ とになりました。ドイツの01にも匹敵する動輪直径2mの巨大蒸機 「パシナ」による最高120km/hの高速列車、「あじあ」です。 しかし本土で実現したいという気持ちは変わらなかったようで、後の東 海道新幹線の母体となった「弾丸列車計画」として再びチャンスが訪れた ものの、戦争の激化でこれも凍結・・・・・・・・ああ、こちらは息子の 秀雄氏でしたっけ? 記憶が定かでなく・・・・・・・・。 島秀雄氏は、早くから蒸機の限界を見極めていたそうで、名機D51も、 「もうこれが蒸機の限界ですよ」というメッセージが込められていた、と 聞きます。つまり最高の蒸機を造ることで、次に進むべき道を提示したと。 しかし当時は軍部の「電化すると妨害に遭いやすい」なる主張が足枷とな って、それも思うようにいかなかった・・・・・・・。 また、秀雄氏は動力分散方式の推進者でもあり、長距離列車といえば客 車列車が当然という時代に少しずつ、少しずつ、「湘南型」80系電車に はじまり、新性能電車101系(新表記で書きます)の誕生の後は、 「こだま型」151系電車、「東海型」153系・・・・・・・と着々と 電車を長距離列車の主役に押し上げていきます。101系試作車では空気 ばね台車、151系電車では1等車にも電動車を採用と乗り心地への試行 が見られ、これは来るべき次世代高速鉄道への足がかりだったようです。 これほど電車化が徹底している国は、他にそうは無いのでは? 一方で、かの有名な銀座ヤマハホールでの高速鉄道に関する論文発表会 (これはどちらかというと社会への啓蒙だったようで)などで世論を刺激、 当時東海道本線の輸送力飽和による並行新線建設を広軌(標準軌)高速鉄 道の方へと誘導していったようです。 そして「夢の超特急」東海道新幹線が実現されたと。当時営業速度 200km/h以上なんてのは常軌を逸していると言われ、万里の長城な どを引き合いに「世界の3馬鹿工事」と悪口さえされたそうですが、しか し新幹線は、確かに鉄道技術のそれまでの積み重ねの延長上にあったとい います。後にそれは驚きとともに迎えられ、開業するや「シンカンセン」 が国際語になったのは、ご承知のとおり。 うう、熱くなりましたが・・・・・・うろ覚えなのでいい加減なところ ありましたらスミマセン。 (略) 1964年に極東で誕生したそれは、他の何物とも違う鉄道でした。そ の国の在来線とはまるで違う、欧米の鉄道とも車体規格が違う、他に互換 の鉄道の無い、孤立無援の鉄道。 東海道の輸送力を確保する、という大命題があったため、車体断面を大 きく、5列席を設けています(最近はよそで6列もあるらしいけど?)。 他の鉄道との互換を捨ててまで、そうする必要があったのでしょう。これ は単なる高速鉄道ではない、東海道新幹線の特殊性と言えそうです。 開業当初「ひかり」「こだま」とも1時間ヘッドだったものも、今や通 勤電車並の過密ダイヤ。さらに「第二東海道新幹線」(或は中央新幹線) の必要が叫ばれる具合ですから、これは大変なものです(異常ともいう!?)。 さすがに昭和30年代の先人達は、ここまでは予想もしていなかったでし ょうが、しかしあの時あの英断が無ければ、今頃どうなっていたでしょう ・・・・・・逆に人があまり行き来しなくていいような社会になっていた かもしれませんが。 全くの私見ですが、東海道新幹線はあくまでも「東海道新幹線」であり、 東海道の輸送力確保というコンセプトの元に設計されていることから、他 へのそのままの転用には、かなり無駄があるのではないでしょうか? 飯田線に209系10連を投入するようなものじゃないかなと。 全国的な鉄道網整備を考える時、どうしても高速鉄道たる新幹線が軸に なるわけですが、しかし新幹線は在来線と互換性が無いことから、在来線 との連携がしにくい・・・・・・するとやはり「新幹線じゃなきゃいやだ」 という話になってくる。 この辺、新幹線最大の欠点かも知れません。ヨーロッパの高速鉄道は、 在来線と密な関係でいられますから。 しかしいくらなんでも列島改造論的に「東海道輸送対応」フル規格新幹 線で整備しようなんて考えた日にゃ、そこかしこで需要に対して持て余し てしまうわけで、故により現実的に改軌だけして乗入れを実現する「ミニ 新幹線方式」や、とりあえす「新幹線」の夢だけ見ててもらってより現実 的な整備をする「スーパー特急方式」が採られたりするわけですよね。 軌間可変台車を履いた無敵車両でも登場してもらわない限り、中途半端 な妥協や過剰投資が繰り返されるんじゃないでしょうかねえ。どうします? すんげー長くなりましたが、この辺で。(--; ***** 深町 忠利 ふかまちただとし 註:父は安次郎、でした。m(_ _)m