***** 1997年5月19日 ***** [T:9104] Photo Exhibition about EF58 & JR's EL こんにちは、深町です。 昨日、相鉄ギャラリーの写真展を観てまいりました。 それらしき方にお目にかかれなくて、ちと残念。(-o-) まあ、お客も多かった ですしね〜・・・・・・・。 もう一人一緒にいたんですけど、入口の御召の写真見るなり「あ、俺らの近く じゃん」「おお、返しのこれもそうだよぉ」といきなし盛り上がり(笑)。 その後も続く懐かしのシーン等々を見ながら、話は尽きることなく・・・・・・ それが「マニア」だからと言われればそれまでなんですけど、通じるもののある ってのは、嬉しいですね。どんどん話の出てくる写真って、なんか良いもので。 「いっしょに見ていたシーン」という、一種の親近感がありました。 そしてその中に時々「はっ」とするような写真もあって・・・・・・飯田線は 水窪の桜吹雪のEF58なんて、私はここで飲みたいと思いましたよ。(^^ RMの紹介記事などにもありますが、いわゆる「シチサン写真」(側面:顔= 7:3程度のオーソドックスな構図)ってやつなんですけど、変に奇をてらった りせず、非常にある意味真面目にな印象です。無論それを支えるテクニックなり バイタリティなりが確かに存在しているわけですが、見るうちに、じわじわとそ の深さが感じられました。 私なんかは、こういうオーソドックスな列車写真をあまり撮らないのですが、 それというのも、別にお高く止まるつもりなんかじゃなくて、自分には満足のい くものが撮れないから、もっと巧い人にお任せしちゃおう、という気分があった りするからなのです。それで妙な方向へ逃げ込んでしまう・・・・・。 下手の横好き、とか言いますわね。(^^;;;; んで御召とかでその辺痛感するんですわ。(--;;; 横軽じゃあもう時間が無いから、これが落ち着いたら、改めて鍛練しましょう かね。横軽の遅い列車ばっか撮ってたし、リハビリも必要なんですよ・・・・・。 さてトークショーもあったわけですが、いやいやこの人達、スゴイですわ。ど んな話だったかあまり覚えていないんですけど、とにかくその行動力がスゴイ。 印象深かったのが、「バルブに始まりバルブに終わる」という言葉。つまりイ ベント列車を、夜明け前から眠りに就くまで追い続けるのだそうです。そこまで やって初めて見えてくるものが、あるんだろうなあと思った次第。 あと、皆さん意外と機材構成がシンプルみたいだな、ということ。写真な話に なってしまいますが、普通の135サイズですと85mmを中心に50mm、 135mmといったところを好んで使うそうです。お約束の「サンニッパ」は、 登場しませんでした・・・・・・。 私なんかみたいな「カメラマニア」では、無いんですね。自分のカメラの名前 も即答できない風で・・・・・・・ある意味、被写体に向かう気持ちが「カメラ マニア」よりピュアなのかも、しれません。お金は行動力に注ぎ込む・・・・・・ 私がマニアックなレンズだのに手ぇ出している間に、確実に印画を残しているわ けです・・・。 スペシャル・ゲストで東京機関区の機関士だったという年配の方が、トークシ ョーの前に司会の廣田尚敬氏と、その後も色々なお話をしてくれました。 それを知る者にとって、東京機関区は孤高の存在です・・・。 この方はたしか大正15年生まれで、20代にして特急機関士になったのだそ うです。「青大将」の時代もかかっている筈です。特急列車といえば、誰もが道 を開ける別格の存在。ある意味俗っぽくなってしまった現在のバーゲン品とは、 明らかに違うものだったと聞きます。そしてその機関士というのも別格で、いわ ば戦闘機のエースパイロット。特急だけの運用に就き、その腕前を競うように走 っていたそうです。 時分厳守が至上なわけですが、特急同士ですれ違う場所というのは、そうそう ずれるものでもなかったそうです。また、東海道線が全線電化されていなかった 頃、蒸機から引き継いで連結する際も腕の見せ所で、衝撃無く連結が出来た時は、 非常に気分が良かったと話してました。 「英雄」がまだシステムに埋もれていなかった時代の、お話。 私的なアルバムも拝見しました。機関区の何気ないスナップや、形式写真、そ して最後の「はと」乗務の時の記念写真・・・・・・これは絶対に後世に伝える べきだと、私は確信しましたですよ。「生」の鉄道が、そこに閉じ込められてい るのですから。 20代にして特急機関士ですから、御召の牽引はと訊ねたんですけど、眼鏡を していたのでそれは果たせなかった、とのことでした。厳しかったんですね。 しかし驚いたのが、あの茶色塗装のEH10−15の高速試験で、ハンドルを 握っていたというお話。昭和20年代でしたか、当時狭軌世界最高速度を樹立し た、あの試験です。終始一人の機関士があたったのかは不明ながら、居合せた人 達の間で「ををを」と感嘆の声がもれてました・・・・・・。 話題の主がどっか行っちゃいましたが、この写真展、まだしばらく開かれてい ます。身に覚えのある方も無い方も、行ってみて下さいませ。 そうそう一般募集の「私の電機のこの1枚」というコーナーがあって、その中 に廣田氏の写真が・・・・・!? しかも暖房車数両にEF15?とEF55、 そして怪しげな貨車と・・・・・・・というなんとも胡散臭い編成です。 こ、これは・・・。 まさか、まさか、EF63の試験での、あの死重!? しかしこの風景、横軽のそれではないらしい・・・・・うーむ。 廣田氏に訊ねてしまいましたよ。 するとこれ、東北本線の電化の際の、試験列車なのだとか・・・・・・もしや この車両達、各所の試験で行脚していたんでしょうか!? ***** 深町 忠利 ふかまちただとし