***** 1997年11月12日 *****
[T:13752] Memory of 20ser.PC ( Re: 20 PC Series Sayonara Go )



 こんにちは、深町です。


 20系、ですか・・・。

 とうとうさよならですか。考えてみれば、随分長いこと頑張ってたんですね。

 さて私の乗った20系は、まだまだ九州ブルトレでバリバリ走っていた頃の、
それを覚えているです。両親が九州人なんで、縁があった次第。物心付くか否か
という時期に乗った20系の記憶は、妙に鮮明に残っています。

 なんといっても、ドアが手動なものだから、各車のデッキに人が立って乗客を
迎え入れていた光景! あれには幼心にブルトレの「格」を感じたものでした。
私が客車列車贔屓なのに、この辺の「刷り込み」が大きい気がします。

 当時、帯は勿論3本。それがクリーム1号の頃か、白色になってからなのかま
では覚えてませんが、その辺は資料でもひっくり返すとして・・・・・・食堂車
もあったし、今からすればお世辞にも快適とは言い難いであろうこの客車も、か
つては「動くホテル」と言われてたし、私もそう思っていました。「よそ行き」
な感覚がありました。

 あと、忘れてはならないのが、渥美清主演の喜劇列車シリーズの「喜劇急行列
車」。主人公はブルトレの車掌で、物語の中で「さくら」や「はやぶさ」に乗務
しています。そういや娘の名前が「さくら」で(そういやこの映画は寅さんより
古い)、何故こんな変な名前を付けたんだと言う娘に「”さくら”は1列車なん
です! 1番の列車なんです!」と説教たれてたりしてましたっけ。ドタバタあ
りホロリありの喜劇です。

 で、幼い時分にこれテレビで放映されてるの観て、鉄道員の誇りをぼんやり感
じていた気がします。

 このビデオ、欲しい・・・。



 さて‘70年代の後半あたりに「ブルトレ・ブーム」というものがありました。
私も、父親のカメラ借りてホーム走ってましたよぉ(笑)。今から思えば、あれ
が今日の私の「鉄」っぷりの原点でした。(^^;;;;;

 九州特急は既に14系や24系(25形100番台だったな・・・)になって
いましたが、上野口の列車は、たとえば「あけぼの」や「新星」「天の川」あた
りが、まだ20系でしたね。パンタを撤去したカニ22も、見たような気がしま
すが、記憶が定かでなく・・・・・・いずれも酷く汚れてて、哀れに思ったもの
です。

 でまた東京口に目を戻すと、「銀河」と臨時「あさかぜ51/52号」が20
系。ことに「銀河」は宮原(?)のEF58が受け持ちで、往年の勇姿(ゴハチ
はブルトレ色じゃないけど)を思わせました。九州特急の牽引機がPFに移った
頃にあって、そのPFよりもスピード感があったんですよね、ゴハチは。実質最
後の(EF61もあるにはあるのですが)「急客機」でした。



 その後、他へ関心が行ったり、鉄道自体から離れてしまったりもしてましたが、
20系客車は、私にとってずっと「憧れの客車」でありました。帯が2本になっ
てから実のところ「憧れ」も薄れてしまったのですが、「まだいるんだ」とどこ
かで気にはなっていました。

 あの深い屋根、優雅な丸み、大分古いけれどもその古さが「大らかさ」に通じ
る、不思議な魅力を持つ20系。青色も渋い青15号で、「ニューブルトレ」と
呼ばれる14系以降の客車とは大分趣が違います。「ニューブルトレ」さえ、く
たびれの目立つ昨今、とうとう引退するのですね。次世代ブルトレは電車になる
そうで、「客車の時代」がまたひとつ、遠退くようです。

 ところで、ドイツの客車にそっくりなのがいます(かつていた?)よね。あち
らの方が古そうな気がするのですが・・・・・・。(^^;;;



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     深町 忠利  ふかまちただとし