***** 1998年6月3日 0:27:26 ***** [T:19445] Re: tetubun no koi furuhonnya こんにちは、深町です。 (略:レールガイ、知ってる人います?) はい、ここに。(^^; フラグ立ってしまいました。 自慢じゃありますが、全巻持っております。(^^;;;; あれは私が中ぼーの頃でありました。近所の古書店でなにげなく手に取って しまった薄手の雑誌、それが「鉄道グラフ雑誌・レールガイ」の、ED75特 集号でありました。 具体的に最初どこへ惹かれたのか定かではないのですが、¥100とかそん な具合で単価が安かったこともあり、やがてこれを集めはじめました。そのう ち写真に惹かれたような、そんな具合だったと思います。 そこに掲載されている作品の、いわゆる「クウォリティー」としては、昨今 の鉄道雑誌で見るそれの方が、遥かに高度ですし、プロと見紛う程の高価な重 装備機材も、「レールガイ」の頃には登場しません。 けれども、その粗削りなというか、ゴリゴリとした感触を伴う作品群には、 惹かれるものがあるんですよね。機材より気迫で撮っているようなその「熱さ」 は、昨今の雑誌の「上質さ」と引き換えになっているのではないか、と思って しまうほどで・・・・・。 物凄く、硬派な写真なんです。 私はそこに「鉄道写真」の奥行きを見ました。その世界への憧れを新たにし たことは、はっきり覚えています。「レールガイ」は、私にとって、現在へ至 る、大事な岐路を作った雑誌と言えます。 投稿者の名前を見ると、今も時々お見掛けする方、その後プロカメラマンに なった方、鉄道雑誌の編集に携わっている方、色々な方がいらっしゃいますね。 「鉄道グラフ雑誌・レールガイ」は、創刊号が‘76年12月号。その後発 行元が変わったり、縦書きから横書きに変わったり、月刊から季刊になるなど して、‘83年春号(通巻63号)を最後に、休刊になってしまいました。 そしておよそ1年・・・。 高校生の私は、書店で、ある雑誌を見かけました。「レイル・マガジン」創 刊号、‘84年2月号・・・・・・そのグラビアを開いて直感的に私は「レー ルガイだ!」と思いました。すかざず購入。 奥付けを見ると、果たして、あの「レールガイ」の編集に携わった方がちら ほら、「レイル・マガジン」のそれにも見受けられるではないですか。ここに 「レールガイ」の直系の雑誌の復活を見た次第。嬉しかったです。 最近の「レイル・マガジン」は大分変わってしまいましたが、創刊当初とい うのは、もう少し大人向けな雰囲気があったというか、他のどれでもない、 RMはRM、という空気がありました。写真作品を重視する姿勢も、この頃は RMが一歩先んじていたように思います。コンテストこそ未だに催していませ んが、毎月がコンテストのような、そんな気さえしたものです。 「レールガイ」〜「レイル・マガジン」・・・・・・私はこの2誌に、ある 意味育てられたんですねぇ。いやいや提灯記事じゃなくって。 そしてあの、碓氷峠の連載「峠の四季帳」が始まります・・・・・まだまだ、 北陸新幹線の気配を感じつつも、のんびりした日常の日々があった頃。すっか り「鉄」から離れてた私を、碓氷へ誘(いざな)った連載でした。 でで、「レールガイ」、月刊の他に、三枝信一郎写真集「ED16」と南正 時写真集「我が心の蒸気機関車」、そして「知られざるナローたち」という臨 時増刊号があります。「ED16」以外は通巻に数えられていないのですが、 私「知られざる〜」だけ持ってませんで・・・・・・。「ED16」といえば、 最近のRMでの青梅線撮影ガイドの後ろにも、同じ三枝氏の作品が掲載されて いますね。 長くなってきましたが、かつて、そういうゴリゴリとした硬派の鉄道写真雑 誌が、あったんですね。「レールガイ」と同時代のものとしては「マイレイル」 というのもあって、表紙には「メインカメラマン・廣田尚敬」とあったりして ・・・・・・さらに溯ればキネマ旬報の「蒸気機関車」という、伝説となって いる雑誌も。たしか「スワローエンジェル」という言葉は、ここから出て来た 言葉ではなかったでしょうか? 記憶違いでしたらスミマセン・・・。 ***** 深町 忠利 > ふかまちただとし E-Mail > cub@t3.rim.or.jp URL > http://www.t3.rim.or.jp/~cub/