***** 1999年9月14日 *****
[T:31648] Tappi Mail 1999/9/11



 こんにちは、深町です。


 ホントはモバイルにするところなのですが、現地でノリノリで書く暇がありません
でした。(^^;;;;;; とゆわけで今回は机上メール。(^^;;

 週末、青森へ行きました。三沢の基地で航空祭というのがあって、その見物がメイ
ン(正確にはブルーインパルスJr.という原チャリチームが一番のお目当て(笑))
なのですけど、前泊した方が楽そうなので青森泊、んじゃあ前日は・・・・・という
わけで、レンタカー借りて津軽半島へ。しかしまあ、あまり意識しなかったのですが、
速達便の「やまびこ」と「はつかり」を乗り継いで5時間。700kmを裕に超え、
考えてみると大阪よりもここは遠かったんですね・・・。(^^;;;;

#ウィークエンドフリーきっぷだと2日間乗り放題で¥16K。この時点で既に元を
#取ってしまいました・・・。

 生憎の雨模様、慣れない土地を慣れないクルマで、びびりながらどうにか市内を抜
け、北へ向う道を辿って行くと、じきに津軽線と併走・・・・・と、ED79重連の
貨物列車に抜かれる・・・・・ううう、かっちょええ。しかしこっちは運転中、撮る
わけにもいかず横目でチラチラ見るだけ。(--;;;;

 んで道の駅で小休止。ここ、JR東日本・津軽線の「津軽二股」駅がすぐ後ろにあ
るのですね。なーんも無い無人駅・・・・・の背後に築堤、その上にはもう一つ駅が。
こちらはJR北海道・海峡線の「津軽今別」・・・・・うーむ、ややこしいぞ。近い
どころか「隣のホーム」である両者、通路で繋がってて、1分で乗換可能って感じ。
これがナニユエ別々の駅なのでしょう? やはり中小国で別れた路線である以上、別
線であることを貫こうということなのでしょうか? 別会社だし。

 10年以上前に開業しているのに、今更の疑問。(^^;;;;;;;



 でまた雨の中を走って、青函トンネルの入口へ来ました。公園があって、お立ち台
らしきスペースがあって、誰が撮っても同じになりそうなアングルの(笑)トンネル
が見えます。時の首相、中曽根康弘クンの筆になるという「青函隧道」の文字が、ポー
タル上方に見えます。うーむ十河信二総裁の筆になる「新碓氷トンネル」を見た時は
鳥肌が立ったものだけど、こっちはどうもイマイチ燃えないな・・・。(ぉ

#きっと鉄道との関わり方が違うからだ。

 噴水が、列車の通過を知らせてくれます(どういう仕掛なんだろ)。案内看板によ
ると貨物列車が出て来る時刻のようです。ゴーっという音がかすかに聞こえ出し、気
圧の変動の為か構内に霧が発生したらしく、それがすーっと流れ出てきます。ゴーっ
という音は徐々にクレッシェンドして、来るか、来るか、と思うもまだまだといった
具合でじらしてくれます。マスコンに手をかけ、二条のレールの先に光る出口を見つ
める運転士の姿が、ちょっと浮かんだり・・・・・。

 と。

 背後からもゴーっという音が。へ? 反射かと思うも、反射するような物が無く、
こっちもトンネル・・・・・案内看板にも、この時間の下り列車は出てない・・・・・
けれども確かに音は聞こえる、うむむむ、なんだ? なんだ?

 来たっ! なんか知らないけどドラえもん満載の(笑)「海峡」の編成が。しかー
も牽引はED76−500(かな?)! をををなんか嬉しいぞ。v(^^;;

 これが飛び込んで行くや否や、今度は上り貨物が飛び出してきます。ED79重連。
本州へようこそ! この目の前の穴の向こうが北海道だなんて、俄に納得出来ないの
ですが、多分きっと、向こうは北海道なんだと思います(笑)。入って行った列車が
消えて無くなるわけでも無いでしょうし・・・。(ぉぃ

 うーん、なんかね、ライヴは違いますわ。また来ようっと・・・・・ここで一日、
物流の動脈を眺めながら過ごしてもみたいけど、BBQやっても良いですかね?(ぉ



 さらにクルマを走らせて、やって来ました竜飛崎。

 青函トンネル記念館。駐車場でクルマを降りて、周囲を見回せば、風力発電の風車
が立ち並ぶ丘の下には作業用トンネルを塞いだ跡なんかがあって、今なお生々しさが、
戦いの気配が残っています。ここが「現場」だったのですね・・・。

 記念館では、青函トンネルにまつわる歴史や、用いられた工法などが説かれていま
す。世紀の大事業とされる割には、全体的に展示はちょっと控え目な印象。いやしか
し、語るべきことはそれで十分なのかも、しれません。ここにトンネルがあり、人や
物が行き来をする、それだけのこと。鉄道とはなんぞやと問われれば、それは輸送シ
ステムに他ならないわけで、その途上に障害物があれば、それを越えたり避けたりす
るために、橋がをかけ、トンネルを、掘る・・・・・ただそれだけのこと。

 むしろメインは、ケーブルカーで地底へ降りての「体験坑道」の見学コースですか。
隣接の斜坑を行くケーブルカーに乗って作業坑まで降りるのですが、ケーブルカーに
乗り込むと、正面には風門があり、見回せばこの駅(?)全体が外界から閉ざされ機
密室のようになってます。坑内との気圧差があるのでしょうか? 風門がゆっくり開
くと、長〜い直線が現れます。うーん、映画「バトルランナー」のような気分。(^^;;;;

 ゆっくり、ゆっくり、ケーブルカーは降りて行きます。高尾山のそれが、最大斜度
30°だったと思うのですけど、それよりは若干浅め? しかしまっすぐ、ケーブル
カーは降りて行き、やがて作業坑へ到着。ここはもう、観光用に展示物が並べられて
いたりするのですけど、トロッコの線路が残っていたりと、ムードは万点。しかもこ
こは本当の「現場」、どんどん先へ伸びるトンネルが闇の中へ消えていたりなんかし
て、ちょっと緊張します。このコースでは竜飛海底駅へは出させてもらえないのです
けど、列車に乗って竜飛海底駅から地上へ出る見学コースはあるので、きっとあのへ
んの門の向こうあたり、そうなんだろうな・・・。

 今度は下から来るしかないな。(^^;;;;;;

 「男のロマン」という言葉、あまりにもよく聞く言葉なのでなんだか安っぽささえ
出てきてしまうのですけど、ただトンネルを掘るということにさえ、それを感じてし
まうのは何故なのか・・・? これは鉄道に携わる人達、乗務員から地上の職員、保
線の人達、無名の彼らが役目を全うすることで鉄道が機能する、それだけのことへの
不思議な感動と、同じ性質のものではないのか・・・・・?

 なーんかね、丁度その頃、このMLでは青函トンネルについてイロイロ言われてい
たようなのですけど、どっかの雑誌あたりの受け売りを振り翳して、この事業を語る
ことは、ここで働いた人達への冒涜じゃなかろうかと、私は思ったですよ。少なくと
も、この事業に誇りを持って携わった人達のことは、知っておくべきだろうと。

 他人のこしらえた資料とやらを、安全で快適な部屋で見ただけで、知った気になる
ことの浅はかさ、傲慢さ、愚かしさ。私達は気付くべきなんじゃないかなぁ。そんな
事を考えながら、海面下140mの地底から、はるか遠くネットワーク上での、トー
シロ連中の喧喧諤諤に、思いを馳せるのでありました・・・・・。



 ははーん感化されたナ、と笑う向きもあるでしょうねい。まあそれでも、縁が無かっ
たということで構わんのですけど、「見えていない」部分を知ろうとしないままに論
ずるのだとしたら、やはりそれは知ったかぶりでしかないんじゃなかろかと、思うの
ですわ。作業坑跡の見学くらいで「知った気になる」程私もお馬鹿さんじゃないつも
りですが、あの場に立たないと感じることが出来ないこともある、とだけは申し上げ
ておきましょう・・・・・。青函トンネルについて、私はこれまでさほど関心があっ
たわけではありません。今回も、近くまで来たから寄ってみたような具合です。けれ
ども、今回のビジターなりの経験から、青函トンネルについてもっと知りたいと思う
ようになりました。

 とりあえず、健さんの映画「海峡」は必須として。(ぉ

 別の話になりますが、過日、四宮さんでしたか、「鉄道員物語」なる本のご紹介が
ありましたけれど([T:30141] jnr book)、ぢつわ私も今読んでる途中だったりしま
して、(^^;;; 最初は冒頭の碓氷峠の話がお目当てみたいな部分もあったのですけど、
読み進むうち、これは大変な記録であると鳥肌が立ちました。

 勿論、それを綴ったジャーナリストや現場の人達の、それぞれの立場での話なので、
それら全てを鵜呑みにするわけにはいきませんが、国鉄の解体、分割民営化前夜の、
あまり知らされていなかったような姿が、ここにあります。「国鉄は腐敗して駄目に
なったから、分割民営化して再生した」といった「定説」に対して、大いに意味を持
つ本であるように、思いました・・・。受け入れるか否かは別にして、とりあえず、
価値ある1冊、と私は思いました。

 そんなこんなで、近頃偉そうなコト言えなくなってる私で・・・。



 青函トンネル論(?)についてイロイロありましたけど、これに限らず採算性につ
いて問うのなら、簡単な話、儲かるのなら民間がとっくに進出してます(笑)。逆に、
例えばJR東日本が時前で新幹線を延伸させたがらないのは、儲かる見込みが薄いか
らでは? 並行在来線を切るのは、儲からないから。東海道新幹線の開業で、それま
で天下の大街道だった東海道本線は、ローカル輸送主体になりました。つまりローカ
ル線。北陸新幹線長野開業で、信越本線はローカル線として切られることになりまし
た。こちらはリアルタイムで当MLにも書いてましたっけ。そして今度は、東北本線
が、切られようとしています。

 鉄道を民営化するということは、そういうことなのですね。社会資本として存続さ
せたいなら、公営にするのがスジではないかという考え方があります。民間じゃ手に
追えないから、公営でやるの。例えば消防や、自衛隊なんかは、民営じゃ成り立って
ないですよね、少なくともこの国では。特に後者は難しいでしょう(笑)。公共サー
ビス、インフラの多くが、公営であるのに、公共交通が民間の営利企業で、しかも不
採算部門(路線)を勝手に廃止なんかさせてもらえないとしたら、そりゃ酷じゃない
かなぁと・・・・・まあこのへんは機会をあらためまして。



 さて竜飛崎の先の方へ回りますと、青函トンネル工事の殉職者の名を刻んだ、碑が
ありました。名前の数は、約30ほど。異常出水などの試練があったと聞きますが、
これだけの事業としては、失礼ながらもっと多いと思っていました・・・・・しかし
これは戦後に行われた工事、丹那トンネルや関門トンネルのように、人海戦術的な施
工で犠牲を強いたわけでは無く、施工期間中も着々とあったであろう、安全管理の発
達と、工法の進歩の、これは賜物でしょうか。

#素人目に、貫通への最後の発破で、ちゃんとずれずに繋がっていたのはオドロキ・・・。(^^;;;;

 岬から望む、北海道は、生憎の天候に霞んで見えず。しかし地下を行く道は確かに
向こうへ通じ、今日も多くの列車が、人が、物が、そこを行き交っているのですね。
ごくごく普通のこととして。



#翌日の航空祭、米軍のF−18が「ぼん!」と音を立てて正面を通過していたので
#すが、識者によれば超音速で飛んでたらしい、とのこと。おいおい。(^^;;;;;



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     深町 忠利 > ふかまちただとし with T
        E-Mail > cub@t3.rim.or.jp
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