***** 2001年1月14日 *****
(独り言)



 清里で、「20世紀の蒸気機関車」なる写真展があった。あの廣田尚敬氏
と、O.ウインストン・リンク氏の作品である。昨年秋に中古カメラ店でチラ
シを貰って、行ってみたいとは思っていたのだが、もたもたするうちに最終
日を迎えてしまった。

 18きっぷで、軽井沢回りも考えたのだが、どうも時間的にキツイ感じだっ
たので、やはり小淵沢から清里入りすることにする。中央線で行ってもつま
らないので、御殿場線、身延線と乗り鉄を企てる。考えてみればこの2線初
乗車でわないか・・・(汗)。同じ所には何度も通う一方であまり手を広げ
たりしないので、結構「乗らず鉄」なのである・・・。

 現地到着の頃合から逆算して、上り「MLながら」の返しの373系列車
で発つことにする。夜明け間近に国府津で313系にバトンタッチ。東海車
リレーか。313系は専ら新快速の転換クロスだから、並仕様の313系に
乗ることは珍しいカモ。

 箱根越えに入る。今はただのローカル線だが、かつて勾配と格闘した歴史
がそこにはあるわけで、車窓を眺めつつ、ここが複線だった時代を想う。や
がて左前方に富士山、その頂のほんの先が赤く染まる。夜明けだ。見る見る
うちに首から肩へ染まっていき、そしてオレンジ色に輝き出す。今日は雪が
あるのでひときわ輝かしい。沿線の家々を見ながら、こんな風景とともにあ
る生活とは、どんな心地だろうか、などと考えてみる。御殿場へ着く頃には、
富士山は金色の衣をさっさと片付けて、しれっとしていた。

 日曜だというのに学生がどんどん増えて来た。はて? そして彼らが降り
たと思ったら、もう沼津着。東海道へ乗り継いで、富士。

 身延線の列車はまた313系だったが、たったの2両。しかもどうも団体
のハイキング客らしく、車内はごった返す。車窓どころではない。それでも
富士山を目で追ってみたり。そのうちこの列車の終点、身延着。乗り継ぎが
面倒と思ったが、列番が変わってそのまま甲府行になる由。団体客はここで
降りてしまい、ぽつんと取り残される。

 この辺りから白いものが舞い始める。この辺りでということは、清里の天
候が不安である。しかし甲府盆地が近付くにつれ、晴れてきた。車内も再び
人が増えだし、文化的分水嶺(?)を越えたことを物語る。



 甲府から小淵沢、そして清里へ。そういえば降りるのは初めてである。最
高地点通過の記念切符を所望・・・・・あ、今日は通らないんだった。

 事前に地図で調べたら、まあ、歩けない距離でも無さげなので、会場の清
里フォトアートミュージアムまで歩いてみることにする。晴れてはいるもの
の雪が積もっていて、少し童心に帰りつつ歩く。道中、牧場の馬などを見る。
道草を食ってばかりもいられないが、歩くというのは、こういうオマケを拾
うことでもある。

 「八ヶ岳少年自然の家」といったか。途中通りかかったのだが、その施設、
そういえばその昔林間学校で来たかもしれない。そうそう、ここの時だった
か、帰る日の朝、大平首相急逝のニュースに接した記憶がある・・・・・ま
あ、そんな歳なわけだが。

 キャンプ場だのペンションだのの間を進むと、やがて道の正面に富士山が
見えだす。ををを、ここからも見えていたか。カメラでパチパチ。



 そうこうしつつ、下り坂ながら1時間10分ほどで、会場到着。

 まずリンク氏の作品に接する。作家には明るくないので彼の作品もよく知
らないのだが、チラシに載っていたそれを見た時、直感的に「映画のセット
みたいだなー」と思った。果たしてライティングなどから徹底的に作り上げ
るスタイル、とのこと。フラッシュ焚きまくり、それも大容量で、1つや2
つではなく、なんで夜中に川遊びしているんだとか不思議な部分もありつつ(笑)、
全体的にこう、「計算」がある。

 たとえば音楽演奏の録音には、ライヴ録音とスタジオ録音とあったりする。
リアリズムと、ロマンティシズム・・・・・と呼んで良いものか判りかねる
が、リンク氏のは徹底的にスタジオ録音の側である。とにかく緻密。働く人
の肖像も、絵的に物凄くキマっている。けれども嫌味な感じはない・・・・・
そこが大家たる所以か。半端者の、とかく「どうだ!」という押し付けがま
しさに疲れてる目には、癒しでさえある。

 廣田氏はもう、廣田ワールドでもって、「そこにあるもの」から次々とイ
メージを拾い集めて来て、眼前に示される。「参りました」と頭下げてから
拝んでしまう(笑)。私も蒸機は梅小路なんぞでちびちびやっているけれど、
既にあらゆる道のその先で、既に廣田氏の地雷が埋まっているような気がす
る。あー、何を頑張ってもこの人の掌から出られないのかなー、と観念して
しまう。

 まあ、道楽だ。自分は自分、正直に被写体に自分を写していくしかないな。



 図録を求める。廣田氏のサイン入りという。しかしこれ、「Nao−」と
見たことも無い略式だった。最初の方の分しかちゃんと書いてくれなかった、
とここの人が言う。まあでも、10や20じゃないようだし、随分な数を頼
んだのではなかろうか。そんな、サインを売りにすることも無いと思うのだ
が・・・・・個人的な都合としては、以前別の機会に宛名入りで頂いたこと
があったけれど。

 帰りは登り坂になるが、また歩いてみた。美術館を出て程無く、いきなし
背後に犬の吠える声、走る足音、え、と思い振り帰ると、こっちへ真っ直ぐ
走って来る!・・・・・一脚も無いし(ぉ、これまでかと身構えると、こっ
ちの顔を見るなり、みるみる大人しくなる犬。そして引き返して行く・・・
・・・ご主人と間違えたか? やれやれ。

 往路とルートを変えて国道に出る。歩道も雪かきしてあるのかと期待して
のことだったが、そんなことはなく、交通量が多い分だけ歩き難いだけであっ
た。今度は牧場も無いので、一心に歩く。役場のトラックが凍結防止剤を撒
いて行く。白い粉が舞い上がる。なんか吸い込んでしまったが、大丈夫か?
あとで唇舐めたらしょっぱかったのだが、塩だけなのかどうかは判らず・・・。
結局1時間で駅に到着。へろへろ。タクシー代も浮いたが、ちょっとしたハ
イキングを堪能した。

 清里駅からも富士山が見えた。夕暮れに今まさに赤く染まる富士・・・・・
うーん、今日は富士山の日でもあった。

 小海線の列車にはスキー客が沢山乗っていた。最後尾の顔に雪が付いてて、
この感じ良いなあと思ってたら、ガキが内側からガンガン窓叩いて落とてし
まった。(--#


(終)