***** 2001年7月1日 *****
(独り言)



 南武線の矢野口付近高架化工事関連で、今朝の登戸〜稲城長沼間がバス
代行になった。そこで休出がてら(ぉ、その代行バスに乗ってみることに
する。定期券で乗れるところで、こういうイベント(笑)というのも、そ
うそうあるものではない。南武線への愛着もあり、鉄ゴコロもソソルとい
うものである。

 最初、登戸→稲城長沼とバスに乗ってそのまま先へ進もうと考えていた
のだが、しかしやはりここは、工事のある矢野口付近を見て行こうと、思
い直した。再開一番列車を見るのも悪くない・・・。

 もう少し早く家を出るつもりだったのだが、電車に乗って、登戸に着い
た時には、もう7時を回っていた。ホームへ滑り込む際に、隣の敷地にバ
スが犇いているのが目に止まった。代行バスである。京王バスを調達した
らしい。電車は2番、3番で降り返している。次に1番へ入ってくるのは、
立川方面の1番列車ということなのだろう。ホームや跨線橋、改札口に係
員が立っていて、バス乗り換えの案内の声を上げている。何時に無く、活
気というか、緊張感というか、そんな空気の登戸駅にあって、こちらも釣
られて、なんとなくわくわくしてくる。



 今からなら電車を待った方が早く着きますよ、と係員がお客に告げてい
るのが聞こえたが、ならば急がねば、と、バス利用者用といくつかの自動
改札機が開放にされて区切られている改札口を抜けて、臨時のバス乗り場
へ向かう。向こうからぞろぞろ人がやってくるが、こっちから行く者はも
う殆ど無い。終バスも出たのではと不安になりながらも、途中越える跨線
橋から全容をパチリ。階段を降りると「どこへですか!?」と係の人。ど
れも一駅ごとに寄って行くのかと思えば、直行する「急行」というのもあ
るらしい。直行では困るな、と矢野口へ行きたいと告げると、その「急行」
も矢野口には寄るといい、出かかったバスを止めてくれた。乗り込むと、
私の他に乗客は1名・・・。

 途中駅へ行くらしいバスの後ろについて走る。すれ違うバスには立って
いる人が目に付く。曲がり角には必ず係員が立っていて、バスを誘導する。
バスの手配から、人の手配から、行政の許可なんかも要るのかもしれない
し、告知は徹底しなくてはならないし、段取りも大変であったろうと思う。
国鉄時代からすると、こういった工事の流儀が違ってきているような気も
するけれど、運休を出すにしても、考え抜かれた対応に接するに、こちら
としても気分が良いし、いわば「非常時」である今のこの時の各所での取
り組みに、妙な戦慄を覚えたりも、する。

 少し走って多摩川の土手の道へ。クルマを運転して・・・昔は原チャリ
で・・・よく通る道、こんな風に他人の運転で、しかもやや高い視点で多
摩川を眺めるのは、なかなか新鮮。日曜の朝とあって通勤ラッシュにも巻
き込まれず、バスは多摩川原橋の角を鶴川街道へ曲がり、直に南武線の踏
切を渡り、そして矢野口駅前のバス停に着いた。2人の乗客はここで降り
てしまい、バスは空気だけ運んで稲城長沼へ向かった。



 矢ノ口踏切、で良かったか。かつて空き地だった場所には新しい線路が
あり・・・・・この空き地に昔「健太郎丸」と書かれたバスが朽ちていて、
「矢野口の健太郎丸」と言えば南武線フリークはニヤリとしたものだった
が、たしか矢野口だったよな・・・・・新しい上り線と、旧上り線にはホー
ムがあるのでその分間が開いて、踏切は一気に複々線のようは幅になって
しまった。以前からだろうけどその場に立ったのは久しぶりだから、その
目で見れば随分な変わり様である。一番列車はまだ来ていないらしい。ど
うやらギリギリ間に合ったようだ。

 工事に当たった人達が、列車の通過を見守るべく、踏切の傍らで待つ。
今日の仕事の仕上げである。連動系が誤動作でもすれば踏切事故を誘発し
兼ねないわけで、既に新しい遮断機もあるのに、まだ警報機も鳴らないう
ちから、ロープを使って通行を塞き止めた。7:30をとうに回って、も
うすぐ上り列車が来る筈、しかし確認しながらの走行でか、やや遅れてい
るようである。

 「○○踏切、鳴動しました」「△△踏切どうですか」「今、鳴動始まり
ました」・・・・・無線の声が刻々と、新しい道の開かれる様を伝える。
やがて我が矢ノ口踏切も警報機が鳴りだし「矢ノ口鳴動」。緊張が走る。
先に来る筈の上り列車はなかなか姿を見せず、そうこうするうち、後から
来る筈の下り列車が通ってしまった。こちらはクリア。

#たしかにメイドウ、って言ってたと思うけど、書くとすれば「鳴動」な
#のか? 一般の漢熟語とは語源が違うのだろうけど。

 ようやくにして、新しいホームに上り列車の姿。お、来た来た。しばら
くの間があって、それは、そろりそろりと動き出した。徐行である。見え
てきた運転室にはいくつもヘルメットが見えて、ビデオカメラが据えられ
ている。まさに緊張の「一番列車」。ゴト、ゴト・・・・・稲田堤に着く
のはいつのことやら・・・・・ともあれ、道筋は、付けられた。



 さすがに、1本通しただけでOKということにはならないようで、次々
と来る列車でチェックを続けている。警報機も遮断機もまだ仕事を任せて
はもらえず、ダイヤと無線の情報をもとに、ロープで通行を止める。列車
と、道路を通行する人達の安全がかかっているのだから、その責任は重い
わけで、気の抜けない仕事ではある。

 その傍らで、役目が終わった人なのだろうか、腹減った、弁当はどうなっ
てる、と電話でどこかと話している。既に高い日差しがじりじりと、堪え
てるんじゃないかな・・・。



 新旧合流地点まで見てみるか、と上り方へ踏切を辿って行った。どの踏
切も人が張りついていて、無線で動作の確認をし合っている。何れここが
高架になって、風景も変わる。電車の姿は頭上へ消え、その振動と音とで
気配を発し、下にはコンクリートの無数の柱と、日陰が残る。鉄道の存在
が「線」から駅だけの「点」に変わるような気も、する・・・・・地上に
ありながら、地下鉄と同じような気がしてくる。棲み分けることは、乖離
することでもあるのか。

 合流地点(切替え地点)を認めて、今度は下り方を見に行ってみる。途
中、梨畑越しに電車が見えた。これも近い将来、消え行く風景である。高
架化がもたらす変化というのは、なんだかチョコレート色の電車の時代と
今との差より、大きくなりそうな、そんな気がする。

 下り方は稲城長沼まで続いているようなので、ほどほどにして矢野口駅
へ戻った。開通からおよそ1時間、この頃には作業員も撤収作業をしてい
て、踏切の新しい停止線はちゃんと引いたか、などと細かい確認をしてい
た様子。上り電車も、もう臆することなく通過して行く。新しい道は、た
しかに機能し始めたようであった。旧上り線は早速剥がされて、高架化工
事も本格化するのだろう。通勤で乗っていると、どうも車窓を見なくなっ
てしまうのだけど、ま、時々見てみようかな、などと。



(終)