***** 2001年12月28日 *****
(独り言)



 恒例の関西行き。25日夜、仕事納めの後家に帰って、支度して、「銀河」
に乗るべく家を出て、しばらく歩いたところで戸締り火の元が気になり、引
き返すともう間に合わないから大丈夫だよなと言い聞かせながら歩くもます
ます不安が募り、万一の際にはシャレにならん、ええい7千いくら捨ててや
らぁ、と意を決し家に引き返したら、これがちゃんとなってた・・・(沈)。

 今後は指差確認を励行すべし。

 出鼻挫かれると何もやる気がなくなってしまう我が侭な性分・・・・・行
きさえすれば良いこともあるだろう、と自分に言い聞かせ、翌朝の新幹線に
乗ることにする。それまで、まだ残っている宛名書きでもすれば良い・・・。
旅程も、現地でのメニューをちょいと入替えればなんとかなる。

 しかし「銀河」が近々廃止にでもなったら、此度の一件は、ますます悔や
まれることになるやも知れづ・・・。



 気を取り直して翌朝東京駅へ。新幹線の特急券購入は券売機で、溜まった
オレカを消費。まるまる現金を使う気にはなれづ。「のぞみ」に乗るほどで
はないな、というわけで一番早い「ひかり111号」。新横浜を出ると名古
屋、京都、新大阪の順に停車・・・・・うーん、ほぼ「正しいひかり号」で
あった。車両は300系、ちょい乗り以外では初めてかも知れぬ。駅弁を調
達して・・・なんか竹行李のようなのを思わず所望。もう荷物が増えた。(--;

 寝てないので新横浜出た辺りから朦朧。富士山を見損ねる。何故か浜名湖
というか弁天島辺りにさしかかると「道中にいる」という実感が湧いてくる
のだけど、夢の合間にこの辺の車窓は見たような気も。広島行の列車なので
乗り過ごさぬかと気が気で無く、どうも寝ながらにして疲れたような気も。

 新大阪着。起きていた自分にほっとする。ホームへ降り立ち、今乗ってた
300系をぱちり。隣のホームに0系がいて、懐かしさにこれまたぱちり。
空きがあるうちにと思い、あとで戻ってくるのも面倒だったが早速ロッカー
に荷物を詰め込み、G1(小さいレンジファインダー機)1台で軽装になっ
たところで、市内をぶらぶら。恵比須町で阪堺貸切を目撃。テーブルなんぞ
運び込んでてなかなか。ナルホドこれは・・・。



 夜、友人と飲み食いして、解散したあと独り新大阪へ荷物を取りに。今回
宿は塚本駅のそばに確保。緩行線に乗ればたったの2駅、よゆーのよっちゃ
んである。さて次に来るのはと時刻表や所要時間の看板を見ていると、気に
なる一言・・・、

      時間帯により塚本には停車しません。

・・・どおゆうことであろう? 時間帯というのはどおゆう時間帯なのであ
ろう? 次の列車に乗って大丈夫なのであろうか? 探せど答えらしきもの
も無し。これは不安である。塚本駅についてこちらは何も知らぬ。ひょっと
したら終電が早いのかも、などと不安が膨らむ。しかし都会の只中である、
夜が早いのも変だよな、まあ最悪尼崎からタクシーだな、と腹をくくれば怖
いことも無いのであるが、で結局塚本には停まるの?、停まらないの?、と
いう最も基本的な部分が、依然謎。もどかしい。

 とりあえず乗って、大阪駅に着いても謎が解けず。尼崎での乗換えの案内
ばかり聞かされても・・・・・で、塚本着。やっと答えが得られた。恐らく
「時間帯により」とはラッシュアワーか何かのことだったのだろうが、言葉
足らずな一言のお陰で、ちょいとストレンジャ〜な気分を堪能。けっ。



 1日置いて12/28、そういや阪急の迎春HM、近頃よく見る画風のイ
ラスト。スカパラのベストアルバムのジャケットが確かコレ。どこぞの予備
校の広告も確かコレ。嫌いな方ではない。

 梅小路の最終日なのである。このまま帰るつもりだったので、京都駅で新
幹線の指定を取って、大方の荷物を預けて、G1メインの軽装で・・・三脚
も・・・梅小路へ。梅小路公園では木下サーカスが公演中。テントの前を通
りかかると、2ストのエンジン音がぶいぶいと。鉄球の中をバイクでぐるぐ
る回る、アレであろうか。

 いつも冬は底冷えに凍えながら過ごした気がするのだけど、どうも温かい
方のよう。人出もこの時期にしては多いように思う。結構バリな撮り鉄もい
くらか見受けられ、はて5年目の最終日通いで、こんな日はあったっけかな
と、ちょいと思う。

 動いているのはシロクニ2号機、こいつの生録などしてみたり。こういう
場所だからそれなりに環境音も入るもので、それはそれでリアリズム。そう
こうするうちに「スチーム号」の最後の運転が終わり、単機でターンテーブ
ル、灰落としといつものメニュー。大体ここまで終わると人気(ひとけ)が
無くなるものだと思っていたのだけど、子供連れなど結構粘っている人達が。
これも陽気のせいか。

 そろそろ暗くなったところで三脚を使って撮り始める。毎冬毎冬、そうそ
う新しい視点があるでなし、むしろ庫の中など色々なアイテムが増えて「現
役の時代の残り香」どころではなくなってしまったのだけど、まあ、成果物
を求めるというより「過ごしに来ている」感じなので・・・。

 閉館を告げる放送が入り、もう一踏ん張りして三脚を畳む。例によってス
ミマセンを繰り返しながらの退出。5年連続最後の客・・・・・と思う。切
りの良いところで、もうそういうのは止めようかと思う。何か違う。日没狙
いであるなら、12月中旬頃の方が都合が良い。



 帰りの新幹線は700系の「ひかり」。700系は初めて。そんな縁で、
夕食は700系をあしらった駅弁にしてみたり。新横浜で降りようと思って
いたので、寝不足ながら気が気でなく今度もあまりよく眠れづ・・・。300
系との差というのも、正直ってよく判らづ。300系を酷評する向きをよく
見た気がするが、率直なところ、言うほどのモンかなーと。

 列車は新横浜に滑り込む。ホームから振り返れば、JR西日本の3000
番台。そしてその1番編成。ほほう。

 今回出だしでしくじって、行けば良いこともあるだろうと出発したのだけ
ど、まあそんなに劇的なコトには巡り会えずとも、色々しみじみな行程では
あったか。年内一杯、ヒコーキ方面はまだ残っているけど、鉄的には多分こ
れでおしまい。思えば今年はあんまし鉄してなかった。元来好きではあるか
ら、細々とでも続くのだとは思うけれど。


(終)