***** 2002年12月14日 ***** (独り言) いつまでそれを続けられるんだろ・・・・・大垣夜行である。痩せ我慢で 突っ張っている部分大アリなのだけれども、一度「銀河」を利用してしまっ てから、どうも揺らぎがち。毎度々々1ヶ月も前から「ながら」の指定を押 さえるのも億劫なので、臨時にすることが多いのだが、その臨時の運転日も どうやら減少の一途のようで。これもご時世であろうか・・・・・「ながら」 の座席に不満をたれる向きがあるくらいなのだから。 で、最後に乗ったのは・・・・・昨年夏の臨時、113系のアレであった。 最後を飾ったとしても、これは面白い経験ではあったカナ。松本夜行の115 系共々、ドア横の非ボックス席がなにげに足を伸ばせてぐーなんだが。 1年ぶりの関西訪問。前回は「銀河」に乗りそびれて翌朝の新幹線という トホホな展開だったか・・・・・今更ながら口惜しい。朝一で伊丹直行の必 要も無くなった今、まずはご無沙汰な犬山橋の訪問というメニュー。これま た遡れば前回は昨年の夏、113系のアレの時以来らしい。 早朝の岐阜着。夜行明けで身体が重いのは今回たまたま・・・と思いたい 年頃。高山線のDCに乗換えて、程なくして発車・・・・・と、東海道線の つもりで乗ってしまったらしいおじさんが1人慌ててキョロキョロ、こちら とてなす術無し・・・。 鵜沼着。連絡通路から名鉄の側へやってくると、どうも様子がおかしい。 はて、地下通路はこんなに長かったっけか、広かったっけか・・・・・看板 があって疑問はすぐに氷解、ホーム増設の工事と。春には終わるらしい。うー む、そんな需要があるような駅だったとは、気付かなんだ。途中止まりのス ジをこっちまで延ばすのかな。 本題の犬山橋。 橋の前後の道路はすっかり整備されて、最初からそうなっていたようにさ え見えそうな(やや誇張)風情。肝心な線路は複線に戻っており・・・・・ いやあれから随分経つから、戻っていないと何やってんだという話になるの だけど・・・・・通過する電車も、最早躊躇する素振りさえ無く、すいーっ と橋へ入って行く・・・・・そろりそろりと入り、ゆーらゆーら揺れながら クルマとバトルを繰り広げていた光景を、ここから思い出すのは難しい・・・。 そういえば「北アルプス」ももういない。 ぱちぱち撮りながら犬山遊園側へ渡り、踏切から端を覗き込む。ふむ・・・・・ この上下線の間隔、僅かに広げているように見え。4本のレールはそれぞれ、 鉄橋の桁方向の太い鉄骨の真上に載っていたように思うのだけれど、今見る それは、僅かに外側へオフセットされている。上下線ともそれぞれ、15〜 20cm程であろうか。クルマがいなくなった分、外側に余裕が出来たわけ で、構造的に許される限り上下線を離しておきたいということで、こうなっ たのであろう。あのスイスイ走り抜ける光景も、その結果であろう。 犬山橋の生まれ変わる様を、ようやく見届けた心地。これで本当に区切り になってしまいそうで、ちと寂しい気もしてみたり。 お次はヒコーキと、犬山遊園から各務原飛行場へ。犬山遊園でふとモノレー ルを見上げると、をををスノープラウが。モノレールにスノープラウ、くぅぅ、 タマラン。 乗る電車が来ようかという頃、逆サイからパノラマカーが橋を渡って来た。 ああ、もう見に来ることも無いかも知れぬ・・・ぱちり。味気なく橋を渡る 電車、先頭でビデオなんぞ回してたのも(照)、今は昔。電車はやがて各務 原飛行場に。そういえばもう1本、新岐阜へパノラマカーが行ってたハズ、 そろそろ戻ってこのへん通るのでは・・・とちょっと待ってみると、をを、 来た来た。ぱちり。これもいつまで走ってるんだろ・・・。 ヒコーキを見た後、新那加へ出て、JRの那加へ歩く。土曜日とあって学 校が終ったところなのか、下校中の高校生と思しき女の子らが、堂々と線路 を歩いて来て、ホームへ上がってきた。今のご時世、いまだ大らかなと言う べきか、なんと言うべきか・・・。 岐阜から乗り継いで、米原。入って来た新快速には「ルミナリエ」のHM。 あー、ミレナリオが東京だっけか、ややこしい(苦笑)。どこぞの大手イベ ント屋があちこちで仕掛けているらしいけれど、神戸はともかくこう蔓延し てくるともう、アレであるな。「地球に厳しい都市宣言」みたいだし。(ぉ 京都着。梅小路直行。5年間最終日最後の客の座を守ってきた私であるが (馬鹿)、いい加減アホ臭くなったのでタイトル返上。ちうかそれよか、よ くよく考えてみると日没が早いのは12月末ではなく、上旬なのである。暗 くなった風情を狙うのであれば、その時期に来るべきなのであった。 そのようなわけで、夕暮れ迫るの梅小路へ。梅小路公園に差し掛かった頃、 汽笛。「スチーム号」の今日最後の発車らしい。あれが帰って来て、カマを ターンテーブルに載せるまでには入っていたい。 入館。穏やかな陽気ではあったが、結構お客が入っている。そうか、これ まで仕事納めに正月の支度にと世間が忙しい最中に来ていたから、ガラガラ だった道理(笑)。ナルホド、フツーに来ると、こういうわけか。 やがて「スチーム号」も終って、C61も灰落としだの済ませて休んで、 夕暮れまでのゆっくりとした時間が残る。入るのが遅かったから、休憩室は もう店じまい。大抵ここらでお客が引いていくものなのだけれど、これがな かなか引かぬ。うーむこれまでは独占状態だったから、調子が狂いそう。 C55には30周年のHM・・・そうそうB20、自走出来るように整備 したというB20、これまで庫の外で雨曝しになっていたのが、今日は整備 する方の庫に収まっており。日の入ったところが見てみたいけれど、それは また、いつかの機会に。傍らでC57が、バラバラになって一年の垢落し。 ふむ・・・・・最終日より少しばかり日没が早いとはいえ、お節介にもや たらと天気がよく・・・ついでに暑いくらいの陽気で・・・、これがなかな か暮れぬ。あと30分を切る頃、残りの時間配分を考えながら、とりあえず 夕陽に輝くC59やC53などを、ぱちり。 閉館間際、いよいよ本番(笑)・・・・・しかしどうも、思ったほどの感 触が得られづ・・・・・こんな晴れていなければ、もっと良かったろうに・・・ ・・・いつものように、三脚抱えてすみませんを繰り返しながら、退散。 今日は欲張りなんである。新大阪で0系バルブ(笑)。1時間に1本しか ないのを、2本ばかり粘る・・・・・んが、迂闊であった。この季節、雪落 しの足場があった。逆サイから狙うと見事にこれがかかる。うーむ。まあこ れも、折を見てまたに・・・・・んな悠長なことは言ってられなさそうだけ れど。 さてとお次は、大阪でブルトレなど。忙しい(笑)。いや、妙に虫が知ら せたというか・・・・・見回せば誰だって、先行きを危ぶむところであろう がともかく、撮れる時に撮っておかねばなるまいと。10年20年経ってか ら、ツクヅクそう思うことが、このところ少なくなかったり。 ちょっとだけ八百富なんぞ覗いたりしつつ、なんか買い物してたりしつつ、 「日本海3号」おば。11番に上がると485系の「雷鳥」が。ボンネット じゃないのは意外と撮ってない気も、と早速バルブ。さて隣の10番にそろ そろ「日本海3号」が入線してくる頃・・・・・と、京都寄りの先っぽを見 やれば、何やら人の群れ。時々独特のトーン(ぉ の笑い声なんぞが聞こえ ・・・・・まさか、今日は何か来るんであろーか?? にしては三脚乱立と いう風でもなし。はてさて・・・・・で、「日本海3号」は? いや「雷鳥」 がまた、時間になっても出て行かず・・・・・なんか行く手でトラブルがあっ たらしい。うーむ「日本海3号」は調べていなかったが近頃のブルトレって 短いし、顔が出ないようでは困るナ・・・・・って停止位置は同じか・・・・・ などとやってるうちに、「日本海3号」到着。顔は出た・・・ちうか10番 ホームの先まで来た。うーむ顔に光が回らづ・・・・・我ながら注文が多い ナ(苦笑)。とりあえず「雷鳥」からめたりしつつ撮って、「雷鳥」出たと ころで撮って、カメラ載せ換えたりなんだで結構忙しく。 お次は「なは」。急げ急げ。新快速のホームから撮るのがまた小っ恥ずか しいが、構ってられぬ。思えばここでバルブなんぞかますのも、EF58の 荷物列車を追いかけて以来・・・・・夜行明けもきつくなる道理か(溜息)。 いざ列車が入って来ると、ううガーダーにかかるのはともかく、停止位置目 標がこれまた思いっきりカマの顔にかかり・・・・・かくなる上は、広角で 寄るしか無い。うーむたまにはフツーに中望遠級でと思ったのに。短い間に これまたカメラを載せ換え載せ換え。ふう。あ、「彗星/あかつき」って、 ロクロクが牽いてたのか・・・。東京発着ばかりかと思ってた。 友人と合流、いつものお好み焼屋で飲んで食べて、阪急の終電で今宵の宿 の蛍池。もう落ちそうな脳に刺激を与え続け、どうにか転がり込み。ぐぅ・・・。 (終)