***** 2003年3月23日 *****
(独り言)


 青春18きっぷを買ってみたものの、一昨日の秩父鉄道訪問の他に、さて
どうしたもんかと色々思案していたのだが、かつてはお決まりパターンがあっ
て、一頃は犬山橋なども絡んできつつ、碓氷峠に梅小路、そして飯田線とい
う組み合わせで、大体5回分を消化していたのである。

 飯田線、か。

 思えば18きっぷデビューが、この飯田線。大垣夜行345Mに初めて乗っ
た。帰りは松本夜行。旧国のいた最後の春だから・・・・・ああ、今となっ
てはすんげー前(汗)。

 旧国もそして貨物列車もいなくなった飯田線だけれど、ただただ揺られな
がら、或いは気楽に撮りながらまったりと過ごすには、結構良いところだっ
たりする。そうだな、飯田線か。

 品川臨時ホームに立った。「ながら」の指定が急に取れるハズも無く、臨
時の9375Mに乗る。急行形電車のこちらの方が、ある意味風情があるの
だけれど、それより運転日限定とはいえ、飛び乗れる気楽さが残っているの
が、有難い。

 しかし夜行明けの辛いこの頃、いつまで続けられるのか・・・・・意地と
いうか、行に近い(苦笑)。

 今回も、入線30分前というナメ腐った時分にホームへやってきたのだっ
たが、ご時世であろうか、余裕で座れてしまえる。大垣夜行椅子取りゲーム
全勝のこの私、連勝ストップならそのまま川崎で降りてしまえ、というこれ
は余裕なのかやる気無さなのか・・・。



 車内がやたらと暑苦しいのに閉口しながら、豊橋着。臨時の方は今や、あ
まり時間潰しもせずに先を急ぐスジになっているようで、大垣の先へ進む向
きには有利な話になっているのだけれど、一方ここいらへんで降りようとす
る者には、この早さはちと、間が持たぬ・・・・・そんなに変わってない気
もしつつ。

 飯田線も始発に乗って急ぐこともないので、豊鉄市内線の始発くらい見て
からにしようか、などと。フラフラと駅前に出てみると・・・・・むむむ、
噴水が無い! そういや改築されてから、外へ出るのは初めてだったかな・・・
・・・すっかり様変わり。市内線も駅前まで着けているし。あの噴水から自
転車が飛び出してきたのも、今は昔(謎)。

 久しぶりに降りた駅はいつのまにか建て替えられて・・・。

 市内線もまだ早いので豊鉄渥美線の方へ。事務室に人の気配がするようだっ
たが、ホームは真っ暗。ふとホームの広告の「タヒボ」という文字が目に飛
び込む。ををを。タヒボ・ベビーダなんてのあったよな。

 そうこうするうちに夜も明けて、市内線の始発が来る頃。駅前通りをやっ
てくる向うに朝焼け・・・という目論見で駅前に陣取る。まだ早いかな、と
もう1本待って、やって来たのは元都電7000形。お懐かしや。たしか黄
色のまま走っていた頃も、なかったか。



 2、3本撮ったところで、朝食を買い込んで駅へ戻る。名鉄の窓口で、パ
ノラマカーと北アルプスのパンフ付切符に触雷。あうぅ・・・。飯田線ホー
ムへ。これがまたギリギリまで入って来ない・・・・・乗務員の勤務上の
「乗務時間」の関係かもしれないけれど、どうもギリギリ入線が気になる昨
今。ようやく来たところで、1ボックス占拠、靴を脱いで足を伸ばす。うー
ん、こんなの久しぶりカモ。朝食をぱくつきながら、天竜川を渡り、まだま
だ住宅の多い平野を走る列車に身を任せる。豊川を過ぎ新城を過ぎ、いつし
か人家も疎らになってきて、そろそろトンネルが続くようになる。そういや
トロッコ列車で訪ねた時のこと・・・・・トンネルでひんやりとした風に変
わる心地好さを思い出し。ふぅーむ、沿線でBBQやろうかとかなんとか、
色々言った気がするけれど、未だ実現せづ。そろそろまたRSBC(レール
サイドバーベキューサークル=鉄道食材交歓会)(ぉ の活動などしたいト
コロ。長瀞でもいいかな。

 いつしかうつらうつらしているうちに、三河槙原。ここは165系の「伊
那路」をふらりと撮りに来て以来か。遡ると飯田線で初めて三脚を立てた場
所、だったかもしれない。貨物列車がタブレットを放り込むのを撮っていたっ
け・・・・・有人駅だったのも遠い昔。

 やがてトンネルが続く。先頭車に乗っていたので、ありがちネタでトンネ
ルを出る瞬間など撮ったりしつつ、そろそろ中部天竜。変わらぬ風景に、し
みじみ。

 佐久間レールパーク。久しぶりにここに寄るのも、今回の楽しみのひとつ
だったのだけれど、まだ時間が早いので隣の佐久間まで往復。久しぶりに鉄
橋を渡ってみようかと。鉄橋に差し掛かるところで、丁度電車が来たのでぱ
ちり。ぶーんと不気味な音を立てる送電設備を横目に渡り切って、程なくし
て佐久間。そういや昨年、記録的猛暑で話題になったのは、この辺りではな
かったか・・・・・うー。図書館とくっついた駅舎は相変わらずで、しばし
うろうろして、来た道を戻る。まあ、ただそんだけのことで。



 レールパークはもう開館している頃。いつの間にか来ていた(忘れていた
だけかも知れない気も)0系の頭が見える。他にED62だのキハ11だの、
金網越しにぱちり。中では引きが取れないので・・・さてと中へ。

 撮影用の櫓があって俯瞰気味に見渡せる。文字通りお立ち台(笑)。

 そういえばクモハ52が急電仕様にお色直しをしてから、初めて来たので
はなかったか(いやこれも忘れてるだけかな)・・・・・つるん、と結構状
態は良いように見えるも、やはりどうも、折角飯田線にいるのだから、飯田
線の語り部のままで、良かったような・・・・・急電仕様は吹田工場にいる
のだし。引きが取れないところを超広角でぱちり。犇くように並べられた車
両は、ヘタすると先頭車の顔もよく見えづ。何も形式写真を撮らせろという
了見ではないのだけれど、佇まいをよく知るには、それなりの間合いという
ものが、ある。ここだけの話ではないのだけれど、展示というより「保管」
に近い感じ・・・・・当たり前の話相応の敷地が必要になる道理で、一方的
に多くを望むべきではないのだが、やはりちと残念では、ある。JR東日本
で大宮に博物館構想があるそうだけれど、そのへん、さてどうなるか。

 クモハ12に入れたので、中でしみじみ。鶴見線を去って久しいけれど、
座席に腰掛けて、ああ、こんなだったなぁ・・・・・木の床に日が差し込む。
しかし夏に来たら、情緒に浸る場合じゃないなきっと・・・。行楽シーズン
本番で子供が走り回ったりするようになるとまた、以下同文か。

 他も色々と見て回っていると、床下に潜り込んで台車に手を突っ込んで何
か喋ってる男の子。そばに立っているのは母親か。これまで色々な車両で同
じようにしているのを何度か見ていて、危なくないかねぇ、母親も止めない
のかねぇ、と思っていたのだったが、その子の様子に気がついて、ハッとし
た。どうやら目が見えないらしかった。彼はその全身を使って、車両の姿を、
台車の構造を、いや鉄道の姿を、知ろうとしていたのである。彼の脳内に描
かれているであろうその姿を知る術も無いが、ともするとお気楽に対象を遠
目に見て解った気になったりしてやしまいか・・・そんな自問。少しばかり
胸が痛む。



 展示室の2階では、プラレールの催し。近頃あちこちでやってるようだけ
れど、そのひとつであるらしい。なにげに佐久間ダムだのが置いてあって、
これが手馴れた感じで可愛らしい。規模こそ大きな物ながら他はフツーのプ
ラレールで、程々に退散。記念品があるわけでもなく。

 1階もぐるりと見て、お土産コーナーを物色するも、ここだけのオリジナ
ルは特に見当たらづ・・・・・と、タブレット。以前「佐久間レールパーク」
と名の入ったプラスチックのレプリカを求めたことはあって、その後真鍮の
レプリカも登場したように聞いていたのだけれど(最初はたまたま見なかっ
ただけカモ)、今日はそれがある。ふーむどうしたもんか。あるのはヨンカ
クとマル、プラはヨンカクなので同じなのもなぁ、かといってマルというの
もなんかつまらないし、サンカクが切れているのが残念・・・・・で、結局
ヨンカク。なんか「60」とか刻印が入ってたり。ふむ? そういや真鍮の
方には、「佐久間〜」の名が入っていないのだな。刻んであったらステキな
のに。

 そろそろ先へと進む時分である。駅のそばの商店へ、ビールと摘みを調達
に。旦那さんが出かけたらしくお婆さんが1人で切り盛りしているようで、
食事に来た家族連れの注文を聞きながら、それは時間がかかる、それは材料
が切れてる、出来れば同じものにしてくれないか、などとやってる(笑)。
と今度はこちらを見て、これから奥で料理作るから早く決めてくれと(汗)。
あーはいはい。

 駅へ戻って、さっき目を付けていたオレカなど求めようとすると、これま
た家族連れが窓口で何かやってる。「伊那路」が来るまで時間があるのでど
こかへ往復したいらしく、その乗車変更を求めてなにやらややこしいことを。
父親は鉄か(笑)。なーんかどうも聞いてる感じでは、みみっちいような気
もしたのだけれど、それよかこちらの乗る列車の時刻が迫っている。焦れな
がら待つこと10分程、ようやく納得したらしく順番が巡ってきて、オレカ
所望。クモハ52急電色らや、思い出の伊那路号やら。



 12:30発、中部天竜始発の岡谷行。岡谷までおよそ4時間半、乗りっ
放しである。3時間以上乗ると、乗った気がする・・・という持論を繰り返
すまでも無く、今日の目玉は、これからの4時間半なのである。昼間にこれ
だけずっと乗っていられる列車というのも、実の所結構稀有ではないのか、
このご時世にあっては。

 先頭車のボックスを陣取るも、前には幕が張られ。お馴染み即席荷物電車。
かぶりつきが出来なくなったのは残念だけれど、まあボックスでまったりと
してれば良いか。発車とともに、早速ぷしゅっ、と開ける。さっきの店で買っ
たパンをよく見ると、賞味期限切れてやがった。

 程なくして城西。かぶりつきが出来ないので、のたうつ「渡らずの鉄橋」
が側面窓から見えたところをぱちり。手前に缶ビール(笑)。水窪あたりま
では確かに覚えていたのだが、ほろほろ気分にうつらうつらと始まってしま
い、小和田あたりの記憶が無い。「小和田発ラブストーリー」てな横断幕、
まだあったんだろか・・・? 伊那小沢は起きてた。TVのニュースで駅の
桜が咲いてるとか聞いていたのでカメラを持ってドアに立つも、まだまだの
ようで断念。列車は渓谷を進み、なんか見覚えのある橋を渡ったと思ったら、
天竜峡着。昔あの橋で旧国を撮っていたのである。

 ここで暫く停車。「伊那路」との交換を撮ったりしつつ、外の空気を吸う。
119系の写真が上紙に印刷された駅弁「信州伊那路弁当」を、いわばジャ
ケ買い(笑)。今度はこれをぱくつきながら、車窓は盆地の風景へと変わっ
た飯田線を進む。食ってばっかだな。そういや今日は、高遠饅頭は買えそう
にないな・・・。

 うつらうつらとまどろんでは、車窓を見て時計を見て、はて今はどこだろ
うと考えつつ、再びまどろみの中へ戻って行く・・・・・これ、これなので
ある。ずっと降りることばかり気にしていたのでは、味わえない時間。段々
と座席に馴染んできて、ここに住んでいるかのような、このボックスシート
が自分の部屋のような、そんな錯覚を覚えるまでになって来ると、いよいよ
本物である。見ようによっては移動体引き篭もりのように、捉えられなくも
無い、か・・・??

 田切。ここも馴染みのある場所。あの大きなΩカーブを過ぎながら、その
間にも幾度かうつらうつらと。もう弛緩しまくり。ああ、命の洗濯・・・。



 そのうち乗客が増えだして、車内に生活臭が漂い始める。ボックスの占拠
もおしまいである。試合でもあったのかジャージ姿の学生が乗り込んできて、
車内は賑やか。そこに首都圏とは少し違うのんびりしたものを感じつつも、
なんだか日々の日常へ戻るためのリハビリを受けているような、気も。いよ
いよ終点が近い。伊那松島通過。止まっている車両はすっかり変わって久し
いけれど、イベントというもので来たことが無い。なーんか訪れてしまいた
いような。

 そうこうするうちに、辰野。もう少し走って、岡谷。ここで119系とも
お別れとなる。あー、終わっちゃったか。そろそろ日も暮れかけて、暗くなっ
てからあとは、帰宅というやたら現実的な命題を、こなすだけ・・・・・い
つもながらこの締め括りが、ちと寂しい。

(終)