***** 2003年8月23日 ***** (独り言) とうとう、大垣夜行の臨時も、指定席になってしまった。かつての345M、 375Mの風情を残すこの列車、思い立つままに飛び乗れたのが良かったの だが、これも世の流れというものか。結局、この春に飯田線へ行くのに乗っ たのが、最後だった。 代わりに登場するは「ムーンライトながら91号」。183/189系を 起用するらしい。とりあえず指定を押さえてしまったのだが、はてさて、こ れでどこへ行こうか・・・・・てな本末転倒。時刻表を繰って、YSな日々 的な方面で行こうかと。しかしたーだ行ったのでもつまらない。 8/22。品川臨時ホームに、国鉄特急色の列車が入ってきた。思えば国 鉄特急形がこうして、大垣までとはいえ営業運転で東海道を走るというのは、 そうそうあることではなかったのではないか。ブルトレなどはともかく。発 車までわずかな時間になってから入線するものだから、ワタワタとバルブ撮 影。今宵夢の中へ誘う先頭1号車は、クハ189−513。そうか189系 に乗るのか・・・。HMは「快速」になっていた。 8/23。大垣着。乗り継ぐ列車は反対ホームに止まっていて、見ればこ れが113系大目玉。国鉄特急色に大目玉の並び。並びは基本である(笑)。 しばしウハウハ。 これで米原までやって来て、北陸線ホームへ。今日は但馬空港のある豊岡 まで行くつもりなのだが、福知山線〜山陰線と行くのも野暮なので、敦賀へ 出て小浜線、若狭湾沿いにまったりと乗り鉄モードで回り込もうかという算 段。豊岡からのバスの便の都合もあり、カツカツに組んだ旅程はちょっと、 綱渡り。 北陸線に乗るのは、えらく久しぶりであった。考えてみるとJRになって 初めてではないのか。なんたって、米原からEF70の牽く旧客の列車で、 富山まで揺られて行ったのである。特急に乗ればちゃんと・・・いや当り前 に食堂車も営業していた。特急列車に威厳があった時代だった。 そのようなわけで敦賀へ向う。長浜駅の傍に、博物館らしきが見えた。敦 賀でED70 1が静態保存されているのを見た記憶があるのだが、それが今、 こちらに来ているのだっけか。新疋田を過ぎ、いよいよループと思ったがよ く考えたらこちらは下り勾配で真っ直ぐなんだったな・・・・・で、敦賀着。 乗換え2分なのでイソイソと小浜線ホームへ行くと、なんと列車がいない。 北陸線が遅れたのかとも思ったが、いやいやそんなことはない。駅員氏に尋 ねれば、到着する列車が遅れているという。まあ単線みたいだし、多少はそ ういうこともあるのかなとよゆーかましてたのも最初のうちで、そろそろカ ツカツの旅程が、怪しくなってきた。青春18きっぷベースなので、特急な んぞに乗れば、乗車券から買わねばならぬ。 待てど暮らせど・・・・・信号機故障がどうだとか放送が入った。しかし 列車はこちらへ向っているようなので、直ったんだろうなと理解した。よう やくにして、列車が到着。しかし今度は出ない。さらにしばらくして、代行 バスの案内が入った・・・。 終了。 バスなんぞに乗っては、恐らく今日は豊岡へ行き着くことさえ、ままなら ない。旅程はこうして、崩壊した。早く言えの一言である。そして、生涯一 度きりかも知れぬ小浜線との縁が、切れた・・・カモ。 文句をタレたところではじまらない。今回大阪で1泊の予定なのだったが、 豊岡以外はそう詰まった行程も組んでいなかったので、多少端折って前後を 入れ替えることにした。豊岡へは、明日福知山線から行けば良い・・・・・ 鉄の端くれ、それくらいの展開は考えられる。 来た道を戻るべくホームへ上がると、福井方面からの折り返しらしき、 419系が止まっていた。クハネ581オリジナルのクハはHMもクリーム に塗り潰され、聊かヨレヨレの風情。なにげにタメ歳の身としては、なんだ か鏡を見るようでドキリとする。反対側は先頭車化改造の切妻。当時あーあー こんなにしちゃってと嘆いたものだが、今こうしてみるとなんだか、ソソる(爆)。 何事も、小僧の頃ちっとも解らなかったことが、歳とともに解って来たりす ることもある。 そんな419系を眺めながら、駅弁買ってベンチで朝食。あー、これはこ れで良かったかな、ふと思う。 今度こそループを通って、長浜から新快速乗って、とりあえずは大阪へ出 て、ミーハー丸出しで道頓堀、虎仕様のグリコのネオン見て、また引き返し て梅小路。 ボランティアの人々の手によって、B20が動態保存化されたとは聞いて いた。果たしてそこにいたB20、かつて庫にも入れてもらえず継子扱いの ようだった頃のしょんぼりした姿はそこに無く、綺麗に磨き込まれて、肌 (塗装)にも張りがあって色艶が良い。まさにシャキン!、としている。こ うして手が入ると、こんなにも活き活きとしてくるものなのか、そう再認識 させられるには十分過ぎる。今日は有火状態にないようだったが、いずれま た、体温の戻った時に、会ってみたい。 にしても、さすが京都、暑い・・・いや熱い。へろへろ・・・。 へろへろになりきったところで、梅小路を後にし、新大阪へ。0系をバル ブしようと思って。冬場は雪落としの足場が出来るので、それが無い季節に は極力撮っておきたいと思ったのである。早速1本目、いきなし「ウエスト」 ではないオリジナル塗り分けの、青白。こいつは幸先が良い。発車するとこ ろも流してぱちり。お次はウエスト色。手応え的にはまあまあか。新塗装の も見てみたかったが、汗でベタベタの身体をどうにかしたい方が先に立ち、 宿へと向う。 8/24。さて豊岡である・・・はふ。大阪0602の福知山行きに乗っ て出発。117系というのがちょっと嬉しい。北伊丹から先はこれまで乗っ たことが無かったが、結構山深いことに驚く。福知山まではいわゆる近郊路 線かと思っていたので・・・。 福知山で乗り継ぐ電車を見て、仰け反る。で、出たぁぁ・・・。 115系の先頭化改造車。切妻とかいうレベルではないなこりわ。しかし なんだか懐かしいと・・・・・ああ、全金クモハ73!(爆) そうかそう なのか。うーん、前パン載せたい衝動・・・。 その後豊岡で見たのは、これも先頭化改造なのであろう、キハ41という キハ47系統の顔の、しかし真っ平らな切妻。両運なので1両にして、オリ ジナルと切妻と拝める(笑)。帰りに見たのは113系か115系か、これ もフツーのクハをそのまま真っ平らにしたような切妻・・・。 ペーパークラフト?? それぞれに、オリジナルの顔の面影を残しているのが、ミソ。見ようによっ ては、戦時設計かと(笑)。 ともあれ但馬空港へ行って来て、帰りは山陰線から京都を目指す。あとは 鈍行乗り継いで帰るだけ・・・・・保津峡に差し掛かると、旧線が見えた。 嵯峨野観光鉄道か。これから怒涛の鈍行乗り継ぎが控えているのだが、1本 遅らせる余裕はあったので、嵯峨嵐山で下車。丁度トロッコ列車が到着する ところで、一瞬併走。嵯峨野観光の駅へ行って、土産物物色。あー、チョロQ があるんだ・・・うー。ここのトロッコ列車、前から乗ってみたいのだけれ ど、結構人気で指定席もすぐ埋まるらしい。京都観光とからめられる立地も 良いのだろうけど、JR旧線活用の、ひとつのモデルだよな今更ながら。と もあれ、あらためて遊びに訪れたい。 京都でなにげに楽しみなうどんを食し、米原まで新快速。なんだか身体が スニッカーズを欲していたのだが、どこのキオスクにも無い。ようやく、暑 くて溶けるからとの回答を得る。ふーむ、東京じゃ冷やして売ってるぞ。そ ういう気の付き方は関西の方が長けているんじゃないかと思ってたけど、こ ればかりは東京が先行してたようね。見習ってねん(笑)。豊橋、浜松、静 岡・・・・・と乗り継ぎ。今時半ば「行」に近い世界だが、まあ、毎度なが ら意地である。 沼津の乗換時間が5分程短くなっていることに気付く。うー、コンビニ行 くにもギリギリになってしもた。イソイソと歩くと、ソレと思しき人が後を 追ってきた(笑)。先を越されてはレジ待ちで重大な差となる可能性がある ・・・・・こういったギリギリの状況では、僅かな油断が命取りとなる。帰 れなくなるのである・・・。沼津からは1本、2400川崎着。ふう。 (終)