***** 2003年9月15日 ***** (独り言) 別件で鹿児島まで来た。宿は西鹿児島駅のすぐ傍。西鹿児島というと、 かつて一度だけ、訪れたことがあった。国鉄最後の日。前日まで青春18 きっぷでひたすら西へ西へと進み、たしか鳥栖まで逃げて、日付が変わっ たところで「国鉄謝恩きっぷ」に繋いだ。たしか「かいもん」だったと思 うがそこで夜行急行に乗り込み、朝この地に着いたのである。 そして30分くらい後に「スーパー有明」で返した・・・・・それっき りの滞在であった。その日はひたすら列島縦断をし、青森に着く手前の臨 時に増発された583系「はつかり」車内で、国鉄の終焉とJR発足を、 迎えた。そのまま夜行の連絡船に乗り込んで、函館へ向かった。 あれから、16年と半・・・。 つまり、鹿児島には30分しかいたことが無かったのである(爆)。か つての西鹿児島駅舎は既に跡形も無く、その傍らで頭上に新幹線ホームを 頂いた真っ赤な新駅舎が、いちびりたおしていた。新幹線「つばめ」のパ ンフなど貰ったりしつつ。 さて、ここまで来たからには・・・と思案の末、南を目指すことにした。 半年前には宗谷岬に立った。先月は富士山頂に立った。今年は端っこ尽く しである。 早起きが続く中、昨夜も最終「つばめ」をバルブなんぞしていての今朝、 少々きつかったがどうにか這い出し、まだ暗い中0507発の指宿枕崎線 に乗り込む。黄色いキハ200、ちょっとJR東海の213系電車似であ ろうか? 調べれば判ることだが、年代的に国鉄〜JRの過渡期っぽい。 でまその転換クロスに腰掛けて、やがて車窓が浮かび上がるのを待つ。 ぼぉ、と海が見え出す。列車は蒼い情景の中を進む。 やがて指宿着。ここで乗り換えるのに少々間があったので、改札へ・・・ ・・・ホームを降りたところで、砂風呂に入るマネキンのディスプレイ。 余程心地良いのかうっとりと半眼の女性。その子供なのか女の子が覗き込 んでいる。「今助けが来るから、お母さんしっかりして!」と言ってるよ うに見えなくもなかったが(笑)、あーなんか、このディスプレイの醸し 出す緩ぅ〜い空気が、たまらない。 改札を出て、まずはオレカのチェック。JR九州自慢の特急電車のがあ るばかりで、指宿モノは無い、とのこと。はん?? 観光地にあってそりゃ 無かんべよ。ウチの方じゃやってないんですよねー、とのこと・・・・・ ちうか、以前博多でも長崎でも思ったことなのだが、JR九州ってもしや、 あんましオレカでどうこうやる気無い? 自販機も無い無人駅が多い地区 では難しいところだろうけど、これは以前から気になってたトコロ。 次の列車に乗り継いで、いよいよ開聞岳が見えてきた。焼酎呑みたくなっ てきたぞ(笑)。その昔中学校の時分か、教材の地図帳の巻頭で、地形の 見方の例だったかであまりにも整ったコニーデ・・・・・と思ったら厳密 には「トロコニーデ」だそうだが・・・・・に、こんな富士山より整った 山があるもんなんだな、と妙に印象に残っていた開聞岳。西鹿児島に30 分いただけだから、実物を目にするのは勿論、初めてである。どうも甘食 に見えてしょうがないんだが。 そしてつひに、西大山着。 「日本最南端の駅」 ・・・と、これまで印刷媒体などでしか見たことなかった柱が、目の前に ある。けれどもアレだな。ゆいレールが開業した今、聊か微妙な・・・・・。 頭に「JR」って入ってるから、JRでは、という断りになるという解釈 も成り立たないではない。つまり「当社比」ってことだけど(笑)。 ともかく、開聞岳をバックに、この柱と一緒に記撮。やっぱ焼酎が・・・。 やがて上り列車がやって来た。そういえば、さっき一緒に降りた鉄らし き人、どこかへ行ってしまったけれどどうしたろう・・・次の下りで先へ 進むのかな。それはともかく、短くもしみじみな滞在であった。 五位野に立ち寄る。錦江湾公園という山に、H−IIロケット(何故か白 い原寸大模型)が聳え立っている。なかなかイカしたロケーションである。 そのロケットを背景に、やって来る列車をぱちり。なんだかあのロケット が、最果ての地のそのまた先への「連絡船」のように見えて来て、少々ソ ソるものあり(馬鹿)。 そしてまた西鹿児島へ戻る。「西鹿児島」という名も、近く「鹿児島中 央」に変わると聞く。その是非はともかくとして、そういえば「新山口」 もだけれど、「梅田」と「大阪」のような微妙なニュアンスの違いを覚え るような。新幹線を迎える新駅舎、そしてその名は未だ「西鹿児島」・・・ ・・・考えてみれば、後々特別な一時期として振り返るのかもしれない 「今」、バスターミナルへ向かう前に今一度、駅舎をぱちり。 (終)