***** 2003年10月13日 *****
(独り言)


 昨日はどうにか、少しパラパラ来ることこそあれ傘を引っ張り出すまで
のこともなく済んだが、今日はちょっと辛そうな雲行き。やれやれと起き
出して、とりあえず新大阪駅へ。

 いやまた、0系を待ってみようかと。思いっきり雨が降りだし、露出的
に少々辛い。そのうち雷がゴロゴロ言い出す始末。どうすっかなー・・・・・
その間にも何本か「こだま」を狙う。ありがちで水溜りをからめてみたり
するも、どうも調子が乗らづ。なんつーか、頭固くなってるよな・・・。

 ついでに700系の「AMBITIOUS JAPAN!」をパノラマ
で狙ってみたり。このフレーズ、巧いなと思うのである。かの「プロジェ
クトX」の誕生には、しょぼくれた世相に対して、我武者羅な熱さを思い
出せ的な狙いがあったのだろうけど、恐らくそれと同じような狙いなのカ
ナと愚考してみたり。実際、昭和の後半以降、この国の営みを支え、或い
は引っ張りながら、時代を見続けてきた「東海道新幹線」。そんな存在に
「ニッポン人よ頑張れ」と励まされているわけで、これはちと沁みる。そ
れが0系から数えて4代目(500系は別格であろう)の、21世紀生ま
れの700系というあたり、なんだか「あの頃のことは親父から聞いてた
ぜ」と言ってるようで、人の連綿たる営みを映すようでも、あり。



 交通科学博物館訪問。20世紀最後の開館日以来、今世紀初めてではか
なかろうか。8月に来るつもりだったのだが、旅程が狂って諦めた。さて
弁天町で降りると、屋外展示車両の所に屋根が出来ていた。コンディショ
ンの維持にも効きそうだが、そういえば門司港に出来た博物館も、こんな
仕立てでは無かったか。梅小路は扇形庫ごと展示品か(笑)。で、それが
ただの「雨よけ」ではなく、昔の京都駅ホームを模しているのが洒落てい
る。なるほど現在の京都駅でも軒下の飾りは残っていて、つい昨日も眺め
ていたばかりなのは偶然の話。

 少々無理矢理仕立てたような狭い「ホーム」に、タイル張りの洗面台が。
蒸機に旧客に、こりゃ渋い演出だと思えば、実際に厚狭駅で使われていた
ものだという。そういえば横川駅にもタイル張りの洗面台というか水飲み
場というか、あったよな。横軽廃止の直前に、無くなっちゃったように思
う・・・。ともあれ、素人目にとかく車両に偏りがちなこの分野において、
こういう脇役を見逃さない「目」というものを、時々考えさせられる。

 ナシ20でちょっと早めのランチ。交通博物館の「こだま食堂」は、入
ると結局フツーの部屋だったりしてたのだが、こちらはホンモノの食堂車、
そういう意味では動態保存(笑)。グランドひかりで食べて以来の、「海
老フライランチ」を注文。けれど手がかかるのかこれがなかなか出て来づ。
後から来るお客は注文がサンドイッチだとかなので随分追い越され。ウェ
イトレス嬢が申し訳なさそうにしていたが、まあ致し方ない・・・・・ち
うかそのサンドイッチが、昔懐かしお子様ランチ様の0系のお皿という秀
逸。遠い記憶が蘇る・・・・・欲しい。どこかで見付けよ(笑)。

 ようやく登場。やけに皿が大きいようだが(苦笑)。スープにスプーン
が無いので持って来てもらうと、どう見てもコーヒーなんぞに使うソレ。
あのね・・・結局器をむんずと掴んで食べるというか、飲む。なんだか歯
応えのあるものが欲しい気分になったので、海老を殻ごとバリボリたいら
げる。しかしまあ、懐かしい想いとともに、ご馳走様。やっぱり動態保存、
なのだなこれ。

 屋内展示の間をぶらぶら流し、もう1つの屋外展示を流し、食後をしみ
じみと過ごす。しかしこう見ていると、梅小路の強力さもあってどうも、
「西高東低」と言っては失礼カモしれぬが、万世橋が手狭に思えてくる。
一方で大宮への移転話も聞かれたりする。もしも叶うならここはひとつ、
思いっきし張り合って欲しいもので。民営化後は博物館でありつつ自社の
PRの場を兼ねているのは周知の通りだけれど、ならばここは「見せ所」
である。西が京都駅のホームなら、東は汐留貨物駅でどうであろう。低く
広いホームに、いくつものホームを跨る連続屋根、あれは良かった・・・
・・・或いはもっと、欧州の駅のようにどーんとドームで覆ってしまう!
これはステキでわないかと妄想に遊ぶ・・・・・外野で言うだけならホレ、
タダだから。無論タダでは造れないことくらい、承知しているケド・・・。

 ともあれ、要するに、関西に嫉妬しているのである。

 東京から大宮というと丁度、大阪から梅小路へ行くくらいの感覚ではな
かろうか。そう考えると、そう遠い気もしない、カモ。いつの日か訪れて
みたいものと、妄想を膨らませるのであった。



 梅田へ戻り旭屋など覗き(笑)、明るいうちに鈍行でえっちらおっちら
乗り継いで帰ろうと思っていたのだが、昨夜の手応えがどうもイマイチな
気がしたので、ヨドバシでフィルム補充、雨も上がったしで今日も結局午
後梅小路。新幹線で帰る腹を決める。不器用だから・・・。

 「スチーム号」、そしてそれを切り離して仕事を終えるまでの風景をス
ナップ。昨日、これまで見過ごしてたアングルを見つけ、今日もそこから。
何度来ても、何らか新しいものがあるもので。マンネリのようでいて、実
は飽きない。

 そしていよいよまた、バルブ大会の準備、昨日と同じ場所から始めるこ
とにする。夕焼けは望みようも無かったが、良い光線のところでターンテー
ブルを弄繰り回されることも無く、今日はまずまずのスタート。そして逆
サイの綺麗な並びを狙って、あとはひたすら扇形庫の方ばかり、撮ってた
り。勘が鈍っているので不安に駆られて段階露光、富士フィルムに貢ぎま
くり。

 今日はステージの催しも無く、遠慮なくバルバーに徹する。しかしこの
催し、最初はどんな経緯だったか知らないのだけれど、段々頻度が上がっ
てきているように思われる。普段1700で閉めるところを3時間の延長、
恐らく専門の業者さんを呼んでの照明その他のセッティング、色々と手間
や面倒もあるかと思う。しかしその都度の手応え、そして志がこうやって、
次へ次へとつないで来たのであろう。最初を踏み出した人達、そして育て
た人達を、三脚をたたみながら密かに称え、感謝するのであった。



 我ながらセコい話がこの後続く。取っておいたところで無駄になりそう
なので今日は既に「鉄道の日きっぷ」の2回目を使っていて、京都からそ
のまま新幹線に乗るのはなんだか癪なので、東へどこまで逃げられるか調
べた。もう30分も早ければ名古屋まで逃げられそうだったが、そんなに
慌しいんじゃ何しに来たのか分からない。でま、米原までなら逃げられそ
うであった。実際に浮く金額がどれほどのものなのかというのは、この際
問題ではない。これは内なる闘争なのである(爆)。

 新快速で米原に着い・・・いや、これがのろのろと、ホームの手前で一
旦止まったりして、こちらの心中を見透かした嫌がらせのようなマネをす
る。乗り換え時間は7分。跨線橋を歩けばすぐ乗換改札・・・・・なのだ
が、ここでオレカを使いたい私にとっては、1分も遅れられてはかーなー
り、大きい。

 ドアが開き、跨線橋へ駆け上がる。乗換改札の前で横へ折れ、新幹線を
跨いで出口へ急ぐ。一旦改札の外へ出、特急券と乗車券、買えるだけの区
間を券売機で買い、直接の入口が見当たらなかったのまた来た道を戻り、
新幹線を跨いで乗換改札へ。既に残り1分程。非常にマズイ。ハァヘェい
いながら乗換改札口へ辿り付くと、大勢の人々がそこを走り抜けていると
ころだった。あんだあんだ?? どうやら北陸線の特急が延着したようだっ
た。そういえば昼間、強風で遅れているようだったけれど、結果的にこれ
が私にとって、神風であった。「ひかり288号」は、ただでさえカツカ
ツのダイヤのところを接続待ちしていて、その2号車へ駆け込む。

 結構立っている人がデッキにいたが、私は客室内へ進み、中央付近に立っ
た。降りる人がデッキへ向おうとする流れの後ろについて行けば、座れる
のである。デッキで立っていては、降りる人の流れに逆らうことになり、
チャンスを逃す。長年の経験である。ふふん・・・と内心得意になってい
たのも束の間、足元荷物だらけのところへ、車販氏がワゴンを押して現れ
た(汗)。

 そんな危機を乗り越え名古屋でどうにか座れ、自分の顔の陰の中に車窓
を眺める。考えてみると、明るいうちに東海道新幹線に乗ったの、最後は
いつだったろう・・・・・もしや、一昨年の暮れに「銀河」乗りそびれた
時? 「大動脈」を実感しながら外を眺めることを、またしてみたい。

 この「ひかり」は静岡県がらみの利用者向けであるらしく、浜松、静岡
と止まって、小田原や新横浜には止まらない。ちうことはつまり、本日品
川初利用・・・。心当たりのある風景が見え、新横浜通過。川崎市へさし
かかろうかというところで、カッカカッカカッカカッカ・・・あの懐かし
いジョイント音が始まる。なぜこの辺りだけロングレール化しないのかは、
分からない。分からないけれどこれを聞くと、帰って来たな、という気に
なる。思えば鈍行乗り継ぎとの合わせ技で、小田原や新横浜で降りること
が大半だったから、こうして意識して聞くのも、久しぶり。

 品川着。これといって特別な感慨があるでもなかったが、突然ぽん、と
日常へ返されるような、妙な気分。さて、家へ帰ろう。あー、連休も終わっ
ちまった・・・・・とぼとぼとホームを歩いていると、言い残すように
「AMBITIOUS JAPAN!」の一言を見せて、列車は終着駅へ
向った。



(終)