***** 2003年12月14日 ***** (独り言) 鹿児島か。クソッ、ここはまだ鹿児島だ。(ぉ いやいや、別件・・・YS−11との戯れのために訪れていた鹿児島で、 目覚めたのであった。これから鶴見へ飛ばねばならぬ。ふう。 超割にバーゲンフェアに、そして超割の特権「九遊きっぷ」で「つばめ」 乗り納めのオマケまで付けて、我ながら鉄壁の旅程を組み悦に入ったのも束 の間・・・ちうかその予約を全て済ませて1ヶ月後、鶴見駅でのイベントと 「さよなら101系」ツアーの告知とを知る。そしてそれが、鹿児島行きと 思いっきしバッティングしていること、も・・・・・あ゛うぅぅぅ。 おいおい、待てよ・・・。 悩んだ。大いに悩んだ。ここまで付き合ってきた101系である。どちら かと言えばイベントの類には冷ややかな私といえども、こればかりは、行っ ておきたい。さて困った。オレカの発売も押さえておきたいところだったが、 その発売日が、3日間の旅程のド真中という厳しさ。そら、そこだけ一旦帰っ て来ることも不可能ではない。ないのだが、そんなピンポン・ダッシュのよ うな真似のために、旅程は崩壊である。何の為の鹿児島行きぞ。第一、2往 復もすれば旅費も殆ど2倍・・・いや超割だのが無い分さらに嵩む。膨大な 出費である。ならばこの際、鹿児島を諦めるか・・・・・しかし日脚や何や でこの時期は逃がしたくなかった。これまで数々の「一期一会」を逃がした 辛酸の記憶が、行っておけと囁くのである。うー。 さて、困った・・・・・結局、旅程は最終日を切り上げて舞い戻ることに し、オレカは通販で勝負に出つつ、当日買いに出る人に、ついででお願いす ることにした。最悪1枚も手に入らないコトになるやもしれぬ。他人任せと なる部分については、そういう選択をしたこと自体が自己責任。逃がしても 恨み言はナシ、それくらいの分別はあるさね・・・・・なるようになるさ、 そう思えば気分は軽い。 早速復路の便のキャンセルと、早い便の予約を。月夜のバルブ撮影をした かったので、前日のうちに帰るというオプションは無かった。色々と欲張り なのである。で、多少出費が嵩んだが、多分これが最良の策なのだと思う。 鶴見の会場の滞在時間をこれくらいに見て、鹿児島でも朝少しは動いておき たいし・・・・・ついでにスカイマーク初乗りしたれ、というわけで羽田 1130着の便に決定。お次は荷物の問題・・・・・でかいリュック(ラム ダ・カメラザックIV)に、三脚と脚立、これでは現場で身動き出来なくな るのは必至。こいつをどうにかせんと・・・。 昨日、オレカ確保の報。くぅぅ。感謝。感謝。遠く鹿児島の空の下より、 頭を垂れる私。懸案が1つクリア。ほっ。あとは鶴見へと乗り込むばかり。 ツアー参加案内はちゃーんと、リュックに忍ばせて来た。羽田へ着いたらア レとコレを分けて・・・・・とシミュレーション。天候も問題無し。最大の 懸案は最早、飛行機と京急の突発的なトラブルくらいとなった。近頃鉄道も アテにならんが・・・。 決戦である。 朝に空港でちょろちょろ写真を撮ったりしてから、スカイマーク機に乗り 込み、富士山クッキリな景色を堪能しつつ、完全なる勝利(笑)を確信する 私。やがて羽田着・・・・・ウィークデーはぐうたらしつつプライベートに おいてはやる時にはやる私は(をゐ)、出発前にちゃーんと、ロッカーの場 所をチェックしておいたのである。到着口の近く、地下、出発口の近く・・・ ・・・優先順位まで考え、最悪の場合も想定して宅配カウンターの場所も確 認しておいた。万全である。 んが、着いてみればこれが、最初の場所からしてガラガラ。拍子抜けしつ つ荷物を仕分け、置いて行く分を押し込む。おっと、ツアー参加案内を忘れ ずに。 肩からメインのカメラ、コートのポケットは交換レンズやらサブのカメラ やらでパンパンに膨らみ、小さなショルダーバッグにはツアー参加案内やら 生録セットやら、チョークバッグに望遠レンズを突っ込み、結局片手に脚立 と・・・・・と、一見軽装なようでいて異様な着膨れ(苦笑)。京急の電車 に乗り込み、鶴見を目指す。流れる車窓を眺めながら、当初の予測よりも早 い到着というオマケ付の完全なる勝利に独り、ほくそ笑むのであった。クク ク・・・・・はふ。あー急に眠気が。 会場着。味わいのある鶴見線ホームに佇む、101系。いつぞやの弁天橋 のイベント以来の光景であろうか。何故に鶴見線でとも思うところだけれど、 乗務は鶴見線営業所担当のようだし、電車も弁天橋に1泊する運用だから、 実のところ鶴見線とは結構、縁が深い。弁天橋区が中原に統合されてからも、 久しい・・・・・それに南武線と違って、スジにゆとりもあるし。この小回 りの利く小ぢんまり具合が、結構良い。・・・さて会場、もっとごった返し ているかと思えば、随分とゆったりした感じ。今日は上野〜尾久で蒸機が運 転されているというから、そちらへ吸われている公算大、か。それがこちら へ流れて来るまでの間、このまったり感を楽しむとしよう。 早速フツーに斜めの写真。と、幕が「矢向」に変わった。をををいいねい いね。ぱちぱち。ただ、写真的に特に組み立てがあるでもなし、意気込んで 来た割にはなーんか落ち着いてしまったというか、やや手持ち無沙汰に。HM が違う反対側に回ると、また幕が「矢向」に変わった。ククク、完全なる勝 利である・・・。時折鶴見線の黄色い103系がやって来て、それをからめ て撮ってみたり。まあ、こんなもんかな・・・。一応持ってきた脚立、そう 混んではなかったけれど折角なので使ってみる。絵的にはもうちょっと、群 がる感じが欲しかったカナ・・・。 そのうち、知った顔がぽつぽつ現れ、プチOFF会。お願いしていたオレ カを早速受け取る・・・・・くぅぅ。感謝感謝。鹿児島空港で求めた「かる かん」の箱を開けて、猫まっしぐらとかしょうも無いコトのたまいつつ振る 舞う。車内をよくよく見回すと、中吊り広告が入れ替わっており。最後の定 期運用から抜けた後も、休車でもない以上そういう作業は行われるらしい。 ナルホド。もう1両では、天井へ続くカーブのあたりの広告スペースに、 101系の写真が並べられてADトレイン状態。手作りではなさそうな綺麗 な仕上げの紙で、なんと20種類以上ある。オレカの図柄の元と思しきカッ ト、古い写真に、なにげに凝ってる写真・・・・・あー、横浜支社、やっぱ スキモノがいるのねん(笑)、と感心。職場で「鉄狩り」があるとも噂され たJR発足しばらくの頃の記憶に照らして、随分と空気変わってるよなと。 と。「これより自動放送を流しますので録音なさるお客様は・・・」と放 送が入り。するとわらわらと、マイクやらデジカメやら録音機能付の小物を 翳した同志諸君が天井のスピーカ下へ群がる。引いて見ると絵面的になんか すごい(笑)。ちうか、主催者側もニーズをよく心得ている(笑)。なにげ に生録機材を持ち込んでいる私ではあったが、前に録った添乗録音で入って いるし、誰か同人CDで出すだろ(ぉ と思いっきし傍観モード。順々に流 される自動放送。終電の尻手到着まで流れるに至っては、わざわざソレ録り に乗りに行った身としては少々面白くない(笑)。 しかしこの・・・前も後も生録部隊に阻まれ、車外へ出られないんだが(爆)。 上野〜尾久の蒸機組が到着したのか急にホームが賑やかになったような気 が。やっと「らしく」なったわい、とそんな賑わいを撮ったりしつつ、そろ そろ集合時間なので、駅の外の集合場所へ。受付を済ませ、「びゅう」のバッ ジと、参加記念品を受け取る。さて気になる記念品は・・・・・おっ、思っ てたより(失礼)良い感じのイラストじゃないの。オレカの台紙と同じ。ベ タベタには違いないにしても、7:3構図の線画程のベタ度でなかったのが ぐー。キーホルダーも同じく。 しばし待機。鶴見って殆ど来ないのだけれど、しかしここ、なーんか見覚 えがある場所と思えば、昔を知る人曰く、昭和駅のあの、「55.5.5」 切符を売り出した時に部品即売会コーナーになってたと。おーおーおーおー! そうだそうだ! 切符は買えなかったがそこで「南」と入った国鉄のヘルメッ トを、求めたのである。宝物である。あー、懐かひぃ・・・・・って四半世 紀近く前かよ(汗)。 んなこともありつつ、いよいよ移動。・・・・・あ、「びゅう」バッジが 無い! いきなし落としたらしい。あーにやってんだ・・・とほほ。ともか くぞろぞろと付いて行って、鶴見線ホームへ。参加案内の番号順に、車内へ と案内される。中は自由席で、皆好き好きに陣取る。噛り付きの人も少なく ないので空席もちらほら。そんなもんだわなあ。昨年の大井工場の催しでも、 そうだった。 さて生録はどうしようかなと、少々悩んでいたのだが、結局、片道マイク を握ってというのはやめて、ショルダーバッグごと網棚に上げてお気楽で流 すことにする。こうすれば往復とも写真も撮れる。ええと、お喋りが弾んで いる辺りは避けてっと・・・・・他所での貸切だったが以前、乱入酔っ払い 共の馬鹿騒ぎしか聞こえなかった苦い経験がある(苦笑)。(ぉ ホームで放送が。101系の歴史を簡単に紹介し、営業列車として最後の 発車であることを告げる。「蛍の光」が流れ、そこへ発車メロディーがかぶ さった。「蛍の光」の音量が上がる。ブレーキのエアの抜ける音。発車。列 車はホームを滑り出す。ぷあぁぁぁぁぁぁぁん・・・後ろへ向けて、汽笛長 声・・・・・お気楽で来ていたつもりが、不覚にも胸が詰まり。ホームを離 れる刹那、その放列を前に「なんか凄過ぎ・・・」と呆れる乗客も(笑)。 対照的に空いた車内は至って、まったり。 俯瞰ポイントとなりそうな周囲のマンションに目を向けると、おお、いる いる。あれは住人かもしれない・・・・・ややっ、あっちは乱入か? せめ て菓子折持参でちゃんと入れてもらいなさい。国道通過。をを、いるいるい るいる。 その間に車掌氏の放送。101系の・・・・・そういえば「いちまるいち」 と呼んでおり。「ひゃく」と言いかけて言い直してたりしてたから、何かし らの拘りで統一したのかもしれない・・・・・で、大川支線への乗り入れは 大変珍しいと。「私の記憶でも無い筈です」と。ををを、そういえば、つい 8年弱前まで、20m級車は入れないのだった。クモハ12が去った頃、黄 色い101系も既にいなかったろう。イベントでもこちらへ入ったという記 憶が無い。なるほど、そうだったか・・・。そして今月一杯で、廃車という。 即解体とは限らないながら、もう、塒での年越しは無い。 冬の長い影を引きながら列車は、身をくねらせいよいよ、大川支線へと入 る。4回しか起こらぬその最後の1回に、今居合わせている・・・ををを。 並行する道をパトカーが走る。たまたまの併走なのか、併走ビデオ撮影をさ せぬためなのか・・・・・そこまで対応してたとしたら、凄い。 そして運河を渡る。大川支線のハイライト。もしやと西側の橋を見やると、 ををををこれまた、逆光に黒い影の塊が、橋の中央でモコモコ盛り上がって いる!(笑) ・・・そおかあ。あそこから撮るのが「今日」の最高の写真 かもしれない・・・・・西日映えまくりじゃん。鹿児島なんぞ行ってる場合 じゃなかったかな・・・・・ちと弱気に。間もなく大川着。 折り返しまでの、缶詰状態でちょっと持て余す時間。クモハ12の頃の記 憶に遊びつつ外を見やると、セカセカ動き回る鉄軍団の中に知った顔が、見 覚えのあるクルマが。自分も外から撮っておきたい気分も無くは無かったが、 今日はこれだけで、妙に満たされ・・・・・鹿児島でそこそこ手応えがあっ たからカモ、しれないけれど。 ぽれれれれれれれ・・・・・独特のベルを鳴らし、そして電車は、来た道 を戻り始めた。道すがら方々でカメラを構える人達。それを見守るJRの人。 国鉄新性能電車の始祖の引退とはいえ、小ぢんまりした路線の小ぢんまりし た列車、その小ぢんまりさ故か、あまり殺伐とした雰囲気にもならず、定期 運用の最終日に続いて「きれいな終わり方」が出来たのではないかと、密か に喜ぶ。老兵は静かに、退場するのである。 鶴見に着いて、しばし名残を惜しみつつ、記撮など。ホームの突き当たり から正面、モロに逆光食らってたのが大川へ往復する間に程よく陰ってくれ たので、それなどぱちり。 さて、101系もいつまでもここにいるワケはなく、中原電車区へ帰る道 で見送ろうと思った。光線的に南武線で迎えるのは難しいと思われ、西日の 国道辺りで撮るのも、ちと魅力的であった。また定期運用の205系とすれ 違いそうな川崎新町なら、閉塞の都合上絶対に止まることが判っていたのだ が、ここは敢えてギリギリを狙って、「ゴハチフィーバー」の頃からのホー ムグラウンド、八丁畷で迎えることにする。おおよその通過時刻は事情通か ら聞いていたけれど、予め海上保安庁のページで調べたところによれば、日 没のしばらく後になりそう。アンダー狙いで顔に赤みも差せばめっけものか。 露出は苦しいがこちらにはIS(手ブレ補正)レンズがある・・・そもそも 開放が暗いのが難点なんだが。ISO400で正面がちに狙えば、かなり厳 しいがなんとかなるかもしれない。失敗のリスクはあるが、自分なりの見送 り方に、ちと拘ってみたい。 鶴見駅を出る際、「びゅう」バッジを失くしているので事情を話して・・・ ・・・と思っていたら、記念品の袋を一瞥するなりどうぞと通された。ナル ホド。京急の駅から、八丁畷へ。 浜川崎線ホームへ上がると、ソレと思しきはさすがに誰もおらづ。やがて やって来た尻手行の電車は、鉄軍団満載(笑)。鶴見線で撮った後、武蔵中 原で迎える算段かもしれない。アイツこんな所で撮るのかぁ?、と半ば気の 毒そうな視線を受けつつ、いやいや、大丈夫、なんとか撮れるさと自らに言 い聞かせる。 日は暮れて、露出がどんどん下がる。アンダー狙いにしても、1/30秒 とかそんなオーダー、ISサマサマで手ブレはどうにかなったとしても、正 面狙いで動きが無いとはいえ、電車自身が左右に揺れるブレがある・・・・・ まあここは、ノリで突っ走るしかないな・・・。やがて、浜川崎行の電車が 出て行く。101系はこの先の川崎新町でコレと交換するハズである・・・・・ と、遠くにソレと思しきライトが見え。 ぷあぁぁぁぁぁん・・・・・川崎新町からタイフォンが聞こえた。ホーム に鉄軍団でもいたのか。蒼く沈み行こうとする情景の中をライトと、薄ぼん やりと食パン顔が見える。 来た。 焦るな、慌てるな・・・・・十分引き付けて・・・かしゃかしゃかしゃ! 正面窓から見える、顔顔顔顔・・・(笑)。どの顔も、最後のクルージング を楽しんでいるようだった。整理などににあたった人達の添乗なのだろうけ ど、そんな「特権」を有する人々が、ちと羨ましい。早朝や深夜や休日にも、 電車を動かしてきた人々ならば、それくらいの特権は許されるとも、思う。 すかさず、夕焼けグラデーションをバックにシルエットで走り去る様を撮 ろうと、もう1台のカメラに持ち替えて振り返る。かしゃかしゃかしゃ! うーん、どうか。 電車はホームを過ぎ、堤根の煙突へ向かってカーブして行き、そして塀の 向こうへ、消えた。微かに、ガーダー橋を響かせ東海道線を渡る音が聞こえ る。さらば、101系。さらば、浜川崎線・・・・・あの電車が、長年過ご してきた浜川崎線へ踏み入れることは、もう無いであろう・・・・・恐らく、 廃車回送の日を残して。 しみじみとした余韻に浸りつつ、戻ってきた尻手行に乗り、帰宅。武蔵中 原までは追わなかった。電車区へ引き上げるまでには間に合わないだろうし。 クルマで他の用事を済ませがてら羽田でロッカーの荷物を回収、その帰り に、あらためて中原電車区を覗いてみる。思えば長い一日であった・・・・・ 既にHMは取り外されて、101系は庫の中で209系と並んで、眠ってい た。幕は「浜川崎」と、また小ネタをかましながら・・・・・またスキモノ 社員の仕業に違いなかったが、己の運命を知る電車が精一杯おどけているよ うに見えなくもなく、そう思うとちょっと、切なかった。 (終)