***** 2006年12月25日 *****
[T:44642] moro-moro 2006


 こんにちは、深町です。ゴブのサタでございます。


 横浜港の氷川丸とマリンタワーが閉館するという話をすっかり忘れていて、
先日慌てて見納めに出かけました。氷川丸というと私の頭の中では未だに緑
色だったりするのですがそれはさておき、中でエンジンの説明をしてくれる
おじさんのお話を聞いていると、マンだのズルツァーだのという銘柄が飛び
出して来て、頭の中でDF50がガラガラ走りだしていた私は、マイバッハ
なんてのはどうなんですか、カミンズは、としょうもないコトを訊いてしま
い・・・・・知らないってさ。((^^;

 さて。

 今年も押し迫ってまいりました。私自身悠長にメールなんぞ打ってる場合
じゃない気もするのですが、写真の整理などしていると、色々思い出すもの
で、今年の総括という程ではないながら、以下ダラダラと。



 お正月は、京急大師線の干支HM付の電車など撮ったり、交通博物館の新
春ナントカって催しを観に行ったり・・・今年で最後でしたし。

 1/9に横川を訪ねました。ホントは前日のつもりだったのが寝坊して仕
切り直したのですが、これも巡り合わせなのか、長らく旧4番線に留置され
ていた「あさま」の電車が、丁度現場解体されているところでした。その日
のぶらぶら予定を全てすっ飛ばして、この「あさま」を見送ることにしまし
た。

 そもそも、あの「あさま」について、恐らくもう殆どその経緯は忘れられ
ているかもしれません。多分、訪れる人の大半は「記念に置いてる」くらい
に受け止めていたのではないでしょうか。実際、横川の「ヌシ」然たる存在
感はありましたし。

 横軽の廃止は1997年のことでしたが、1年くらい経ったある日、1本
の「あさま」がここへやってきました。当時建設中の「碓氷峠文化むら」で
展示される車両達が続々到着している頃でもあったので、この「あさま」も
その仲間だろうかと思っていたら、年も明けた1999の年、2の月、これ
が丸ごと、さらにロクサンも2両付いて、丸山変電所の前に据えられるとい
う「事件」が起こります。在りし日のシーンがまさに、そこに再現されたわ
けです。

 いやあホント、大事件でした。

 4月には「文化むら」もオープンし、遊歩道「アプトの道」はまだ整備さ
れていませんでしたが、丸山に出現したこの「風景」は、なかなかの威容で
ありました。その瞬間の風景が、保存される・・・・・その筈だったのです
が、あろうことか車体がバーナーで焼き切られ部品を強奪されるという事件
が発生、刑事事件としてはその後解決を見ますが、世の悪意が関係者の想い
を挫く結果となり、「あさま」はその後、横川へ降りることになります。

 半年の間の、ことでした。思えば、丸山を見た最後の「あさま」でもあり
ましたが、その後長らく横川で行く当ても無く過ごした後、この日、仲間達
の元へ発つことに、なったのでした。2両のロクサンと、2両の189系電
車は残されて、ロクサンは動態化、189系も、活用が検討されているよう
で。



 翌週は世田谷のボロ市覗き方々、かつての玉電塗装を施されペコちゃんそっ
くりになっていた世田谷線の電車を、ぱちり。

 春のダイヤ改正では「出雲」が廃止なのでした。六郷で上りを迎え撃つと、
丁度日出直後の赤い光に照らされるので、ちまちま撮ってみたり。

 東京駅の丸の内駅舎が戦前の姿に改装されるという話もありましたっけか。
駅前は高層ビルが増えて西日が綺麗に当たることもなくなってしまいました
が、見納めにとパノラマで撮ってみたりしてました。「OAZO」にかつて
の国鉄本社の面影を重ねてみたりしつつ。

 いつ始まるんだ、いつ始まるんだ、となかなか始まらない工事。春頃に慌
ててたのは何だったんだろと思っていたら、なんでもアメリカさんが、工事
は随意契約でなく入札にしろ、と捩じ込んできたので遅れている由。自分で
壊しておいてよく言ったモンです。(ぉ その後どうなったかはよく知りま
せんが、先週見たところでは、まだ表立っては始まってない様子。駅前で何
か掘ってるんですが、いつもどこか掘ってるので(笑)関係あるのかは不明。



 5/14、交通博物館、閉館。長い間お世話になりました。

 先週末に様子を見に行くと、屋外展示が塀で囲まれて以来、外見は特に変
わっていないようで。今度の鉄道博物館が出来るまでの間、文献の閲覧だと
か出来ないんだろうか、と思っていたら、その後ちゃーんと対応するという
アナウンス。出入りしている人を見かけるのは、その関係でしょうか。来年
はいよいよ、大物の引越し大作戦が始まります。ちょっと見てみたい・・・。

 6/17、突如高松に現れた私。因みに前に訪れた時には、まだDF50
が現役で走ってまして・・・・・というわけで高松駅を見た時、浦島太郎も
かくや、といった心境でありました。ヘンな箱持ってなくて良かったです。

 高松空港からバスに乗る時に、ことでんのICカードの、イルカってのを
買ってみました。「蘇我入鹿」と言う時のイントネーションかなーと思いつ
つバスの運転手さんにオーダーしますと、これが一発で通じませんで。2、
3やり取りの後、「ああ、イルカカードね」と言われました。あっ、そう呼
ぶの? と思ってたら、電車では「イルカ」って言ってんじゃんか・・・。

 「電車もバスもスィ〜ッとピッ!」・・・・・スィ〜ッ・・・・・ピッ・・・
・・・そんな名前のお友達、いませんでした?

 最初に仏生山の車庫を覗いてウハウハ。いやはや、冷房化の前に引退間近
という旧型電車が大注目のさ中にあって、元京急の電車達に会いたかったと
いうコトしか頭に無いトンでもない奴なのでしたが(元京王もたまりません)
・・・・・で特に、元京急600形、なんともお久しく。あの湘南顔ではな
いことは譲渡当時から承知しておりましたが、僅かにテールランプに、その
面影が・・・・・変わり果てても、たしかに君だ(涙)。是非に乗りたかっ
たですが、動いているところには巡り会えづ。しかしまあここ、他に700
形や1000形や、色こそ違ってますが、かつての神奈川新町あたりを覗い
ているようで、しみじみ。

 昨年まで「お大師さん」へいざなっていた元京急700形が、ここではしゅ
らしゅしゅしゅと「こんぴらさん」へと、連れてってくれる・・・・・巡り
合わせの妙というものかもしれませんが、そういや四国と言えば弘法大師と
も縁深く・・・。ときに、あの真っ黄っ黄の編成、1枚1枚のドアに入って
る「(金)」(←マル金)マークがなんとも。あの中に1つ「(ビ)」って
混ぜ込んでみたい衝動に駆られる、バチ当たりな私(分る人だけでいいです)。

 一番会いたかったのは、元京急230形。これもまた京急大師線からこち
らへコンバート、700形の大先輩になりますか。旧型電車が消え行く中、
これだけは当面残るような話のようでしたが・・・・・前に会ったのは何せ
DF50が走ってた頃。たしか琴平ででしたか・・・・・今橋の車庫を覗い
てみますと、をを、いましたいました。しかしよりによって検査入場らしく
庫の中、写真に撮るとすぐ、終業時刻なのかシャッターが降りてしまいまし
た。ほんの一瞬の、再開・・・・・うー。



 8/19。やー、津軽海峡を歩いてしまいました。JR北海道のウォーキ
ング企画。認識不足で誘われた後から知ったような具合なのですが、歩かせ
てもらえる作業坑が、新幹線対応の工事でまた使われる関係上、どうやらこ
の年で最後らしいと。

 吉岡海底駅から竜飛海底駅、そしてその上の記念館までの道程は、青函ト
ンネル全体の正味半分弱の距離ですが、それでも23km。ずっとトンネル
と想像するだけで息苦しくなってくるんですが、歩いてみるとまあ、意外と
平気。列車が通ると気圧の変動で霧が出たりするのが、なかなかオツで。

 実は出発早々身体にある種の異変が起こりまして・・・・・朝は全然だっ
たのになんで今頃・・・・・然るべき設備のある地点まで何kmも、脇目も
振らずにひたすら進軍(汗)・・・・・あんな飛ばしてるとバテるぞぉ、な
どと聞こえたりしつつ、どうにか辿り着いて、海の底のそのまた下でという
貴重な体験をいたしました。v(^^;; こんな話でスミマセン。m(_ _)m

 個人的に目玉はというと、貫通点もさることながら、国土地理院の最低水
準点、−256.ナンボm・・・・・そのちょっと前に、3775.ナンボm
を押さえたんで、これで一夏上下同時制覇(馬鹿)。ブイですブイ。

 翌8/20、南部縦貫の跡形も無い野辺地を覗いて、十和田観光鉄道訪問。
元東急3450系、もういないのかと思ってたら車庫に残ってるのですね、
1両だけ。懐かしの再会でありました。主力の元東急7000系もたまりま
せんが、そういや譲渡車巡りというのもいつの間にか、「しましまコルゲー
ト車を訪ねる旅」のように、なってるのですね。そのうち本当に、地方私鉄
の「味」になっちゃうんじゃないですか?、しましまコルゲート。



 9/30、成り行き上、国鉄バスとゆうものに乗りました。現在のJRバ
ス関東が国鉄時代に購入したバスのことなのですが、考えてみると鉄道車両
よりライフサイクルの短そうなバス、何かと「国鉄メイク」が持て囃される
昨今にあって、国鉄時代のバスというとこれが、ぱっと見るなり結構古いで
すよ実際。

 来春で民営化20年か(汗)。

 JRバス関東、近頃は「客を選ぶ」濃いぃツアーをシリーズで企画してい
るようで、西鉄バスの工場見学だとか、岩手方面へキハ52をからめて(し
かも鉄道利用では無理な時間帯に着けるというのが売り!(笑))とか、色々
と繰り出してきてるうちの、今回もそのひとつ。

 ツアコンの人をはじめ周りの濃いぃ会話に、日本語というのは判別できる
のですがちんぷんかんぷんで、外国に来たような心細さ(笑)を覚えつつ、
上信越道の横川SAで、いよいよその国鉄バスにご対面。ここで乗換え。

 1台だけ、正面にあの動輪のマークが付いてます・・・・・くぅぅ。綺麗
に並べて乗る前に撮影会というのは鉄と通じる作法(笑)、方向幕を回して
みるというのも、ヘンなのを選んで出しては一同ガハハというのも、まあ同
じ。(^^;; その中で最も一番人気だったのが「列車代行」。運転手さんの話
では、昔結構、自然災害などでそういうのがあったそうで。

 考えてみると丁度9年前のこの日、このすぐ近くで横軽が最後の日を迎え
ていたのでした。その傍らの横川SAで見る「列車代行」、そしてこれから、
国鉄バスで碓氷越え・・・・・色々混ぜこぜに因縁じみるにもやや無理あり
ますが、ツアー自体はなかなか面白い体験ではありました。



 でまた碓氷に話を戻しますと、7月の頭にはまた地元のホタルまつりに合
わせて「シェルパくん」が夜間走行。生憎の空模様の中ざんげ岩からバルブ
撮影すべく強行登攀するも、蛭に吸われまくり(悪寒)。まだ跡が残ってま
す・・・。

 そういえば横川駅は今年、無人化してしまいました・・・・・正確には窓
口業務が無くなってしまい、なんと自動改札機がある。みどりの窓口の代わ
りには「カエル君」というのが登場。マイクを介して係員と話す感覚は借金
する感じに近そうですが(利用したこと無いです)、操作案内のおねいさん
が立っていて、彼女がマルス叩いた方が話が早いんじゃなかろうかと思いつ
つちょっと訊いてみると、「文化むら」の割引入場券などは買えない由。む
う。

 あれは8月も終わり頃でしたか、旧信越線を走る「シェルパくん」の区間
を、軽井沢まで延伸するという話が、どーんと出ました。詳しいところはよ
く知りませんが、ナントカ特区の指定を申請した由。その後、その必要なし
に延伸可という判断があったようで、9月に入ると今度は、もう少し踏み込
んだ案が、報道されました。いわく、なんちゃってロクサンなDLを新造、
解体せずにキープしておいた189系電車を、これで押し上げる・・・・・
すげぇ。

 横軽廃止の頃、あの碓氷橋(勿論新線の)にロクサンと、「あさま」を繋
いで置いておけないものか、「あさま」は2両もあればトンネルに隠れるだ
ろうから、絵的には十分、などと言っていたものでしたが、そんなコトが具
現化しそうなお話ですこれわ。

 その前に、鉄道の日のイベントとして、現有の車両でデモ走行するとゆー
話が・・・・・思えばヨ8000にお客を乗せて丸山まで入る、という催し
をしたのも鉄道の日のそれでした。その後に「シェルパくん」が誕生します。
今回も、そんな流れなのか?・・・・・私の周辺でも色めき立ちました。お
馴染みの俯瞰ポイントの枝の伸び具合なんぞ心配して(馬鹿)。

 しかしこれは、実現には至りませんでした。色々と事情があったようです
が・・・・・来年横軽は、廃止から10周年を迎えます。10年後の復活劇
というシナリオも立ち消えになってしまったようですが、先のことはまだま
だ、分りません。今の横川の様子だって、1997年当時には想像してなかっ
たのですし。



 長々と書き散らかしましたが、意外と動いてたんだなぁ・・・・・結局半
分は「碓氷メール」になってますが・・・・・来年はまたナニをやってます
やら。皆様よいお年を。(_ _)



  *****