***** 2007年10月14日 ***** (独り言) あれから、およそ1年半。 遠い先のように思われていた日が、とうとうやってきた。 鉄道博物館開館。 まだ暗い中家を出る。上野で東北線0510発の初電に乗って、大宮着。 記念スイカを求めようというわけなのだが、昨日偵察したところによると、 昨夜の2200から案内をすると貼紙があった。徹夜組も織り込み済みとい うわけで、ナルホド手馴れたもので。 上野で乗り換える時点でソレと思しき人々の殺気(笑)を感じていたのだ が、大宮でドアが開くなり、子供がドッ、と全開で駆け出す・・・・・付い て行けねえ。まあでも、この時間ではせいぜい、この電車1本分の人数しか 差が付かないハズなので、ボーダーラインでもなければ結果に影響は無い。 よゆーかまして歩いて追う。 コンコースの特設スペースには徹夜組も含んでいそうな塊が。なんだ大し たことねーじゃんと思えば最後尾は西口階段を降りた先であるらしく、降り るとまた別の塊があった。ここかと思えばまだまだあちら、てな具合でさら に進むことになり、少々焦ったが大宮支社の傍まで来てようやく、「ここが 最後尾です」といったプラカードが見えた。大宮駅での発売数は10000 枚の由。1人3枚まで。どう見ても3000人以上もいそうにはなく、圏内 であるのは確実。やれやれ。 しかし、塊・・・即ち行列をプールしている場所は、どこもロープでつづ ら折式に仕切り、ガードマンを配置して誘導してて、もう万全。ここらへん はやっぱり、場数踏んでますな。最後尾の塊も間もなく溢れそうで、ガード マン氏の話によれば、ここが最後の砦らしい。電車が着く度に、後から後か ら人が来る。そろそろ溢れそうだよ・・・・・どうするのかと見守っている と、大宮支社の敷地の中に新たに場所を作り、そちらへ案内を始めた。門に はロックがかかり、素人衆がオイソレと出入り出来るような場所ではないの だが、とにかくJRの敷地から行列をはみ出させない、という一線を守ろう としているようだった。 暫くすると徹夜組のゴザを片付けたのか座ってる人に立ってもらったのか、 列が前へつめられていき、また暫くすると整理券みたいなものが配られた。 これは前から希望枚数毎に順々に配っていき、これが受け取れないと残念で した、ということ(キャンセル待ち?)らしい。買えるかどうかのボーダー ラインが判らない不安というものを考えると、この紙切れ1枚なり3枚なり は、心強い。 発売は0800からだったが、0730頃にはもう、今から並んでも買え ない旨、アナウンスされていた。それでも続々と人は来る・・・・・ああ、 気の毒に。そしていよいよ、発売開始。列はどんどん進み、「特設ブース」 と呼ばれた売り場にはスーパーのレジよろしくフォーク並びで机がいくつも 並んで、サクサク捌かれ0830にはもう、記念スイカを手にしていた。聊 か呆気なく思える程の、手際の良さ。 戦利品を早速バッグにしまおうとしていると・・・・・「¥10Kでいい よ」と声がした。駄目の一言を返したが、鉄でそのような申し出を受けると は、初めてですな。 ニューシャトルの駅へ向かう。こちらでも記念硬券が出ており、これを所 望。ついでにスイカで乗るつもりにも関わらず手売りの往復切符も。これに 記念で改札スタンプを捺してもらう。記念でニューシャトルのチョロQまで 出ていたが、これは昨日の偵察の折にゲットしたので。 鉄道博物館駅着。往復切符の復路の改札スタンプを捺してもらおうと窓口 でお願いすると、「スタンプが間に合わなくて無い」由。しかしよくよく聞 いてみれば、「鉄道博物館」のが間に合わなかったのであって、今捺せるの は「大成」しかない、ということらしく・・・・・って、そっちの方がレア じゃん!!(嬉) さて、入口はどこだ・・・・・本来なら駅から直結である鉄道博物館なの だが、今日は北の端の駐車場から回るらしかった。行列をプールするのだな。 線路の方に向いた列が何本も出来ているのをぐるりと回り込み、一番左の列 の最後尾に付く。0900ちょい前の現着。忘れてたが今日に限って1000 開館なのだった。プレス特権やら偉いさんの挨拶やらやってんだなきっと。 列はどんどん、左へ左へと新しいのが出来ていく。交通博物館の最終日では、 行列が万世橋交差点を折れて昌平橋へ至っても、開けばすんなり入れた。今 度のはずっと広いのだから、まあ余裕だろう多分。 スーツの兄ちゃんが前で拡声器で何か言ってるのだが、よく聞こえない。 ああいうものは喋ってる途中で向き変えちゃ駄目なんだよ。3回繰り返すつ もりで動かずに喋りなさい・・・・・辛うじて聞き取れたのは、一脚、三脚、 それに脚立の使用は禁止という話。一脚を入れるとは通ですな。大概、三脚 禁止というと「これ一脚だもーん」とヌカす輩が現れるものなのだが、先手 を打ったか(笑)。 ロクイチのステッカーを配る人あり。「鉄道文化を考える市民の会」・・・ ・・・ん? 大宮工場のイベントなどの折に、博物館誘致の署名運動をして いた人達か? そういえば顔に見覚えがあるような・・・・・そういう活動 があったこと、ちゃんと刻んでおきますとも。 いよいよ1000。偉いさんの話が長引いているのか、なかなか動き出さ ない。暫く後にようやく、一番右の列が動いたのが頭越しに見えた。空いた スペースに、そのすぐ左隣の列が移動する、するとその空いたスペースにそ のまたすぐ左隣の列が・・・・・といった連鎖が、誰の統制も無いままに始 まった。ロープも無ければ係員の姿も無い。案の定、グズグズに崩れ一塊の 群集となって、それが右へ右へ押し寄せる結果となった。最早列も何もありゃ しない。 イヤな予感はしてたのである。誘導のロープすら無いのだ。鉛筆を並べて 置いて、1本ずつ摘んで動かすことを考えればいい。もしこの鉛筆が線香の 灰のようにグズグズに崩れて混ざったら・・・・・動く前には説明し、動く 時には切れ目毎に順々にというのが鉄則のハズだが、一切それが無いから、 こうなるのも自明と言えた。正直者が馬鹿を見る・・・・・そういった不安 や不信は、人を行動に駆り立て、時に利己的にする。現場の仕切りへの信頼 が失われた瞬間だった。 黄色い服やスーツ姿の人は右往左往するばかりで何か呼びかけるでもなく、 案内するでもなく、何人かで寄り集まって「どうしよう」なんてやってる。 全然こっち向いてないのである。唐突に列に分けようとし始めるも、「安全 確保のため〜」という大儀も空々しく響くようで、「次の組」から切り離さ れる境界のあたりではもう、ぶーぶー。 外から入って最後尾に向かう動線が、これから入場するそれと重なってい て、その交通整理をしていないのも気になったが、案の定「次の組」が動い た際に今来た人がそれに付いて行ってしまったりして、これがまた火に油を 注いだ。群集から次々と罵声が飛ぶ。相手の落ち度に付け込んで、強気なの である。或いは子供をダシに弱者面の強気モードなのである。 個々の品性についてはさておき、単に待たされていることへの苛立ちでは なかろう。もしそうであれば、浦安ネズミ園やどっかのラーメン店など、連 日阿鼻叫喚のハズだからである。大勢来れば待たされるのは当たり前。しか し蔑ろにされたと思えば憤りもする・・・・・まあ、そんなところだろう。 今やこの場の秩序は、いつの間にか増えてた埼玉県警の方々によって保たれ ていた(やや誇張)。 いやしかし、記念スイカの方が万全だっただけに、これはまた意外で。大 宮駅は客に向き合うようにして、先手々々を打っていたが、こちらはどこを 向いていたのだろう・・・・・こんなんで今日一日、乗り切れるんだろか。 ようやく「次の組」になって、建物に向かって移動。塀越しに黒塗りのク ルマが見えた。そこに屯ってた黒スーツの兄ちゃんが塀の上から顔出して、 写真撮るなと言ってきた。どんな偉いさんが来てるんだろ。 今日はスイカでピッとは入れないようで、全員現金払いの貸しカード。貸 しカードが何枚あるのか知らないが、この枚数で入場を制限するんだろか。 手売りの人が来たので¥1K札を取り出すと、列が進み始め自販機で買えと 言われた・・・・・そこでまた並ぶ。ふう。 1100、ようやく入場。くたびれたけれどここいらへんも後々、思い出 のうちで。 まずはともあれ、ミュージアムショップへ。フツーなら帰りに寄れば事足 りる所だが、今日のような日は、マトモに機能しているうちに押さえておく のが、賢明というものである。お、記念限定プラレールがもう置いてある。 でそのお目当てはというと、記念メダル。あの日付と名前刻めるヤツ。誇 張無しに、今日はこの為だけに来たと言って良い。とはいえあるのかどうか 確証は無く、交通博物館にあったのだから、という根拠の乏しい楽観がぼん やりとあるだけだったが・・・・・交通博物館では最終日を待たずに品切れ となってしまい、手許に残ったのはその1週間程前の日付のものだった。そ れはそれでリアリズム的に満足しているのだけれど、鉄道博物館では是非と も、初日の日付でゲットしたい。 メダルはすぐに見付かった。お馴染みの自販機ではなく、ケース入りのち と余所行きな仕立て。そのせいかお値段も少々張る。絵柄は2種類、ここの 建物のものと、やえもんこと1号機関車のもの。あとハードカバーの図録と、 ダイキャストモデルのキハ41307を・・・・・あ、あのワンマイル製な んだこれ。西鉄の200形を買ったことがあるわ。 さてこれをレジに・・・・・メダルの打刻機が見当たらないので、訊いて みた。え、無いの?? スペースが無いから? プリクラ機じゃあるまいし。 音がするから? 図書館じゃあるまいし第一最近はちゃんと打ってるのか不 安になる位静かな打刻機があるんですがぁ・・・・・どうも後付け的なハナ シしか出て来ないのだったが、このハレの日にその日付を刻めないとわ・・・ ・・・要望があれば置くようにしますって? ええ強く要望しときますヨ。 とりあえず最大の山は越したので、早速見て回ることにする・・・・・と はいえすぐに無くなるものでもなし、日を改めて訪ねるつもりではいるので、 軽く挨拶代わりのつもりで。駅弁売ってたが記念弁当らしきものは無いよう で・・・・・それとも売り切れたか。 エスカレータを上がって、進んでいく。 わあ、来たよ、来たよ・・・。 大きな空間に、モーターショーのように並ぶ車両達。既に雑誌や他のメディ アを通じて、その様子は知っていたハズなのだが、まずはその空気に、呑ま れた。すげぇ・・・・・いやはや、言葉が見付からん。 シゴナナ、ボンネット特急、寝台特急(敢えてブルトレと呼ばない)、ゴ ハチ・・・・・どれもこれもが、懐かしい。それは現役時代の記憶であり、 或いはあの交通博物館の思い出であり・・・・・様々な想いが絡み合い、そ れが一つの大きな塊となって、溢れ出そうになった。うぅぅ。 子供がバタバタ駆けると結構響く振動に耐えながら、まずは、ぱちり。 車両達を見下ろしながら、吹き抜けの反対側へ向けて歩く。交通博物館で はパノラマモード付の一眼レフで撮っていたものだが、今日は本式の、首振 りパノラマカメラで、じぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ。やあ、パノラマ冥利 に尽きますなあ。 中央のターンテーブルを過ぎた頃。「あいづ」の485系は、上野と思し きホームに据えられた格好になっている。そのホームの一部だけが作られた 一角・・・・・そういやたしかまだ、地上ホームの14/15番線あたりだっ たかその隣だったか、ホームのかつての根元あたりに、取り残されたような 屋根があったのを思い起こしたが・・・・・車両は自由に出入り出来るよう で、「あいづ」の座席では「乗客」が寛いでいた。ホームの向こうには455 系、こちらも「乗客」で座席が埋まっている。間の通路となっているホーム では、人が往来しており・・・・・。 ハッ。 まるで、かつての上野駅の光景でわないか。北を目指し次々と発車してい く列車。長躯を前に佇む列車の中では、乗客達が思い思いに過ごしている・・・ ・・・在来線が最も元気だった、あの頃・・・・・ホームの軒下に下がる乗 車位置の札も、生々しい。 そこまで計算されていたのだろうか・・・・・これらの展示物は今日、た だのモノから「風景」へとなった。陳腐な常套句を用いれば「命を吹き込ま れた」的なヤツかもだが、あー、あそこで冷凍みかん食いてぇ・・・。 奥まで突き当たって下へ降り、団子鼻の0系と再会。あの、交通博物館に いて、ずっと、自分の成長と老い(汗)を見守られていたような存在。新し い場所では少し余所余所しく感じないでもなかったが、ここでまた、大勢の 人達の人生の記憶の断片に、刻まれていくのだろうか。 ターンテーブルのC57 135との再会。ホッとする思いがした。交通 博物館ではタイトな環境だったから、こうして引いたり寄ったりして眺めら れるのはまた、新鮮で。ん? テンダーには石炭の山がいつの間に。ターン テーブルを覗き込むと、東急車輛の銘板。ほお。 と。 ターンテーブル上の往来が止められ、これから回しますとのアナウンスが。 おっ、タイムリーでしたな。でわでわ見物させていただきましょうかと、ター ンテーブル外周の柵に張り付く。 菜っ葉服姿の学芸員の方が・・・・・あ、交通博物館で最後の模型運転を された方だ。あの日、別れを惜しむ来館者に「模型の車両達も、一緒に大宮 へ行って待ってますから」と応えた言葉が記憶に残る。そういえば、先週今 週とタモリ倶楽部にも出てらして(笑)。 さて学芸員氏が定刻まで前説。7分だかかけてゆっくり回るらしい。ブン ブン回す(笑)梅小路とは対照的。回りながら汽笛も鳴らすという。空気で の吹鳴は交通博物館で実績がある。 いよいよ定刻。学芸員氏の合図で、汽笛が・・・・・てっきり菜っ葉服の 学芸員氏が乗り込んで鳴らすものと思っていたら、コンパニオン(?)のお ねいさんがキャブから顔出して、一声。なんかすげー、ミスマッチな(笑) ・・・・・そうかモーターショーだったんだっけ、これは。 あ、おねいさんも菜っ葉服だったら評判になると思います。(ぉ 気になる汽笛の音は、調整の具合か気圧の具合か蒸気と空気の違いか気の せいか、脳内に刻まれたそれより僅かに低く、張りが無いというか、屋内で 遠慮気味というか。あの煤と油にまみれた梅小路のそれからすれば、無味無 臭的な感は否めないが、でも今周りを取り囲んでいる人々の空気は、彼の地 と変わらないものがあるように思われた。一日の中で、こういう素朴な節目 が設けられてるのは、いいな。 大船で別れたナハネフ22、大井で別れたクモハ101、大宮で別れた EF58「パック」との再会。パックは個人的に、定期仕業のあった青の頃 が良いのだが・・・・・はさておき、この先の長い長い時間を得た彼らに、 乾杯、てな心地。 で、ED40ですがな。これも長らく大宮工場にいたカマだったが・・・・・ そういえばその隣にいたD51 187、昨日偵察した時には、トンネルの カットモデルのような屋根がかけられて、まだその作業中だった。こちらも 大事にしてもらえてる。 で、ED40ですがな。例のアプト機構は払い下げ時に撤去され、大宮工 場で保存されていた当時は、ピニオンギアの輪っか・・・・・ナントカロー タリークラブみたいな・・・・・が吊り下げられて、僅かにその面影を辿れ るかな位だったのだが、今度は堂々、これが復元され・・・・・原設計通り の機能するものなのかは不明だが・・・・・しかも下から覗き込めるとゆー。 早速潜り込んで、アクリルのラックレールとの噛み合い見て、ウハウハ。 で、もひとつED40ですがな。あのでっかい模型。このカマが現役の頃、 大宮工場で技能者養成の一環として、機構もそのままに製作されたという・・・ ・・・この機械としての生々しさには以前より惹かれるものがあるのだった が、これもちゃーんと、ある。嬉し。 ぶらぶら歩く。北の離れ(?)では「なかよし号」とも再会。「こーんな に並んでるんですぅー」とテレ朝のカメラ連れてやって来るネーチャンとす れ違ったりしつつ、フロア構成もまだよく分からず、最初から全部回るつも りもなく大分消耗もしてきたので、ホドホドで退散することにする。もっと 渋〜い展示はまたの楽しみに。目玉であるハズの模型運転も、もう今日はパ ス・・・。 貸しカードを返すと、記念カードみたいなもの(紙製)と換えてくれた。 スイカで入るとどうなのかな・・・・・入口の近くのD51の頭部をあらた めて眺める。入る時はそれどころじゃなかったから・・・・・いや、お久し ぶりです。かつてと同じように、腕木式信号機が寄り添ってる。 表はまだ入場待ちなのか物欲しそうに(笑)中を窺う人が見えたが、へろ へろで行列のある方を見に行く気にはならなかった。いや、それよか入って 来る人を全然見ないような?? しかし正直、あんなに車内に入り放題とは意外だった。中で飲み食いして いるし、営業列車でさえ行儀の悪いのがいるのだから、汚れや傷みは必至で は・・・・・現に例えば碓氷峠鉄道文化むらでは、そういった悩みがあって 制限するようになったと聞く。初日からして信号炎管焚かれるわ車内のトイ レが使われる(!)わで、大変だったのである。悪意の仕業など論外だが、 そうでなくても、床材や座席は傷むだろうし、大宮工場がすぐ近くとはいえ、 今後このまま続けられるのか、気になるところではある。やるからには考え てあるんだろうけど。 広々とした空間には圧倒され、よくぞこれだけと唸らされたが、ここまで どーんと来るとまた一方で、あの交通博物館の古臭くタイトな空間というの が、どこか家庭的というか学術肌的な落ち着きというか、捨て難いような気 もしてくるから勝手なモンである。あれもこれも一度に視野に入ると気持ち が散漫になる気もするし・・・・・ま、これは無いもの強請りなんですが。 無いもの強請りついでに「こだま食堂」に代わるものが無かったのも、ちと 残念・・・・・ん、「日本食堂」って看板が気になったが。 今度またゆっくり、観て回ろう。特別展が変わる前には来なくちゃな・・・ ・・・そういや正月の立川真司ライブ、あるかな。 ニューシャトルで大宮へ戻り、JRの方へ歩いていくと、今日はもう入場 出来ない旨のポスターが貼り出されていた。「11:30より」って、早ぇぇ! 道理で出る時入口が閑散としていたわけで・・・・・今朝の体たらくを見た 後では、試合放棄かなと穿ってみたりもしつつ。(ぉ 東京まで戻ったところで、ていぱーく(逓信総合博物館)へ寄った。収ま らんのである。何がって記念メダルの打刻のことが。手近なところで、てい ぱーくを思い出した。場所を変えてというのも、半分インチキのような引っ かかるものが無いではないのだが、その足で当日のうちであれば、まあ、許 容範囲内でしょお。というわけで晴れて、がっちゃんがっちゃん!・・・・・ 他でも誰か、これくらいはやってんじゃないかな。折角なので郵政カブ見て ウハウハ。 懸案も片付き、どうしても今日、寄っておきたいところがあった。 交通博物館。 万世橋の袂から眺める、変わらぬ風景。「交通博物館」と掲げられた文字 もそのままだった。中では明かりが灯っている。建物の中庭というか駐車場 だったあたりには、重機を乗せたトラックと何台ものワンボックス車が犇い ているのが気になったが、建物の外見は、車両搬出のために別館の一部を取 り壊して以来の、そのままの姿を留めていた。0系が踏みしめていたレール も、玄関に掲げられた閉館の挨拶も。 今日、行ってきましたよ。 暮れ行く空の下、ひっそり立つ建物を見上げる。この中はもう、空っぽな のか・・・。 (終) (補:2008.6.15) 文中の「学芸員氏」とは岸由一郎さんでした。交通博物館、鉄道博物館と通 じて働いていらした方でしたが、2008年6月14日の岩手・宮城内陸地 震に遭われ、亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。