***** 2008年9月20日 *****
(独り言)


 16:30「さくら」、16:45「はやぶさ」、17:00「みずほ」、
18:00「富士」、18:20「出雲1号」、18:25「あさかぜ1号」
・・・・・かつて夕暮に次々と西へ向かった東海道筋のブルートレイン達も、
前世紀の末から櫛の歯が欠けるように姿を消して行き、とうとう、最後の灯
が消えようとしている。

 1列車「はやぶさ・富士」。

 「その日」にはまだ少し早いが、騒がしくなる前にと今日、「はやぶさ」
で熊本へ発つ。ぴらーっと。この先、長い時間を列車で過ごすような体験は
益々貴重になるであろうし、そういう「汽車旅」への惜別の念とともに、自
分なりの別れの旅、というか・・・・・ま、すっかりおっさんかました元
「ブルトレ少年」の、センチメンタル・ジャーニー、みたいなものだ要する
に(苦笑)。まだ16だから。(ぉ

 前に「はやぶさ」に乗ったのは・・・・・あ、2年前台風の迫る中博多〜
鳥栖間だけ乗ったんだったが・・・・・思いっきり昭和の時代。牽引機がPF
になったばかりで、まあ、そういう頃のことなのだが、指定券には「ハヤブサ」
と半角カナの印字、みどりの窓口では指定券がまだ7日前からの発売だった
頃で、キャンセル待ちのような時は「1週間に10日来い」と言われたもの
である(嘘)。

 ジリリリリリリリリリ・・・・・寝台特急はやぶさ号、熊本、西鹿児島行、
発車いたします。神田、中央、南、乗車終了! はやぶさ号発車いたします、
はやぶさ号発車いたします、お見送りのお客様は白線より下がっ・・・・・
あの日、西日の差し込んでいた13番線は、今の23番線の辺りなんだろう
か。今は当時8番だった10番線からの発車である。

 あの日、生録をした。サンヨーおしゃれなテレコ初代U4・・・・・まあ、
そういう頃のことなのだが、今も残るカセットテープ(ソニーAHF)には、
東京〜横浜間のノンストップ録音などが収められている。食堂車からのお知
らせなんてのが入っていたりするのも懐かしいが、指摘されるまですっかり
忘れていたことに、当時はまだロングレール化されておらず、小気味好いジョ
イント音が続いていたりする。思えばこれが殆ど、生録デビューのようなも
のだった。

 やるか、また。東京〜横浜ノンストップ録音を。当初碓氷峠以来の馴染み
のMDでの生録を考えていたのだが、この際だし、この際だから、いやいや
いずれはそのつもりだったろ・・・・・と気付いてみれば、ソニーPCM−
D50を手にしていた。どうせ明日も生きてるか分からんのである・・・・・
って最近そればっかな気が(汗)。まずわ早めに東京駅へ行って、入線に備
えねば。

 適当な場所を見つけて、そのD50を取り出す。買った日に早速鶴見川で
1列車を録ってみたりした程度で少々心許ないが、筋の良いデザインで操作
に迷うことはない。リニア云々以前に内蔵マイクによって格段に改善した
S/Nでもって、レベルは抑え目で安全運転・・・・・と。



 ときに、今日に至るまでスリリングな1週間であった。

 「急に進路を変えました」・・・・・先週末、お天気キャスターがそう告
げた。台湾で暴れていた、シンラコウこと台風13号、そのままこちらへは
シランカオ(失敬)で大陸へ突撃して果てるかと思いきや、くるりとこちら
へ向かいだしたのだ。

 おいおい・・・。

 1週間後の「はやぶさ」乗車への影響は?・・・・・大体これくらいの速
さで来るとして・・・・・逸れるか? やり過ごせるか?・・・・・そんな
こちらを見透かしてかこのシンラコウ、東シナ海でのらりくらりと、接近の
タイミングを計ってるよう。22時ちょい前の三芳SA上り線かよ、コノヤ
ロ。

 思えば5年前、YS目当てで鹿児島へ乗り込もうという時に迫っていたヤ
ツがいて、ヤキモキさせられたがギリギリ近くになって、みるみる逸れて行っ
たのだった。

 4年前は欠航の出る数便前に進路を直前横断して福岡へ乗り込んだことが
あった。折しも日比谷公園で予定されていた、鉄道の日イベントもその日は
中止になったと聞くが、そういえばその朝羽田でパスネット加盟各社の記念
ピンバッジをゲットしたっけか。

 一昨年は出先の福岡で直撃を喰らった。西鉄は昼頃には早々に運転を止め、
JRも夕方頃には止まって博多駅では難民(?)が座り込んでいた。その夜
台風がモロに通過。翌朝まだ欠航便が残っていた中、最後のYS搭乗を果た
す・・・・・そういやコイツも13号だったかな。

 なんだかんだで、これも晴れ男のなせる業、と勝手に思っていたりするの
だが、で、今回はどうなのさ。

 微妙である。早くからあやふやな予報に一喜一憂しても意味が無いので、
9/20が72時間予報圏内に入るあたりからチェックし始めたが、9/20
でドンピシャリな雰囲気・・・・・あっちゃー。近頃のJRの、口実を見付
けてはブルトレなんかとっとと運休にしちまう・・・・・ように見える・・・・・
ところからすると、9/20の夕方には、台風は通り過ぎててくれなくては
いけないし、経路上に大雨の影響が残っててもいけない。行く手がオールク
リアでなければならんのである。その意味ではヒコーキより厳しい・・・・・
なのに、なのに。

 実況と予報をカチカチとチェックしまくっているうちに、9/19発の東
海道筋の夜行は全て、運休になった。ということは少なくとも、これが立ち
往生して辿り着けず翌日巻き添え運休、というパターンの懼れは無くなった
わけだが・・・・・台湾で一暴れしてヘロヘロになってたハズのシンラコウ、
その後また暴風域が復活。南西諸島をかすめて屋久島にモロ体当たりしたよ
うだったが、まだまだしぶとい。陸地を突っかけて衰弱しながら来るかと期
待していたら海上へ逸れて、消えそうで消えない暴風警戒域をズルズル東へ
東へと広げながら、こちらへ向かって来る。熱低化、温低化の話はどこ行っ
た・・・・・あとは、とにかく早く抜けてくれることを、祈るしかない。

 次はいつ頃に予定を組もうかと、一時は半ば諦めかけていたが、やはりそ
こは、晴れ男であった。関東を抜ける予想が、9/20の夕方から午後、昼、
そして朝と早まって行く。経験則的に、こういうコースでは大体そんな傾向
があるような気がするが、ともかく抜けてくれればそれで良い。昨夜は派手
に雨も降ったようだったが、目覚めてみると果たして、穏やかな朝。もう日
が差していたりしてる。列車の運行情報をすかさずチェック、それらしき記
述は出て来ていない。おーし!

 ようやく本気で荷造りする気になって、エッサホイサ詰め込む。今回は軽
めに・・・・・といっても比較的、だったりしつつ。



 17:21。しゅードッドッドッドッドッドッ、ぶわーん・・・・・ココッ
ココッ・・・・・ココッココッ・・・・・「はやぶさ・富士」が10番へ滑
り込み、静かに止まった。くぅぅぅぅぅ、旅立ちの序曲の始まりだ。

 生録を止め、回送を牽いてきたロクロクを見に行く。既に列車から切り離
されて、機回し体勢。HMのある側を客車越しに、ぱちり。記念すべき今日
のカマは、EF66 53。

 EF66というと、いつぞやロビーカーを増結した際に、牽引定数の関係
でEF65では賄えなくなったのでといった経緯であったと記憶するが、N
ゲージで繋いでみては悦に入っていた組み合わせが現実のものとなった当時
の歓びはさておき、ついでにEF60もEF65Pも身を削っていたかのよ
うに言われてたのが、新製でもなくそれ以前フレートライナーで走りまくっ
てたロクロクがよくもまあこんなに長いこと、という素朴な疑問もさておき、
ふと思うに、今やロビーカー増結以前よりも短くなってしまったこの列車、
最後にまた懐かしのPFで、というのはどんなもんでしょうな。あ、調子に
乗ってレインボーガマなんかは駄目よ。出来ればいっそ、ピートップ! 元
ブルトレ少年のおっさん共は悶え死ぬんじゃなかろうか。

 機回しで9番を通過するロクロクをぱちり。そして列車への連結を、生録。
そこでようやくドア扱いされたので、本日の寝床、オハネ15 2005
「ソロ」の13番個室へ荷物を放り込み、鍵かけてまずは、駅弁の買い出し
へ。食堂車が無い以上、何か買っておくしかないのだが、ここは駅弁じゃな
きゃ駄目なのだ。

 あれは前に食べたしなあ、これも食べたしなあ・・・・・と、そんな中で
ジャケ買いしたのが「全国縦断弁当」なるもの。よくよく見ると鉄子の旅の
アレらしかったが、しかしイラストが小和田駅ってのもまた。そういやあの
少々気恥ずかしい横断幕って、まだあるのかしらん。リアルにあそこで降り
るカップルを目撃したことがあるが(笑)。

 でコンビニで飲み物と、おやつも調達と。明朝まで車販無し、長時間停車
も無し、半分寝て過ごすとはいえ長丁場なのである・・・・・これらを手早
く個室に放り込んで、D50を据えて生録開始。そしてあらためてホームで、
記撮やら何やらと。忙しいのである。



 18:03、1列車「はやぶさ・富士」発車。今時の発車メロディーと、
案内放送。ぷしゅっ、ばたっ、とドアが閉まり、1列車車掌です運転士さん
お願いします、ハイ運転士ですどうぞ、1列車発車ぁ、ハイ1列車発車ぁ、
的なやり取りのありそうな間があって、発車の汽笛も無いまま唐突に、ズシ
ン、と衝撃が来た。その後は殆ど無音のように、すーっ、とホームが後ろへ
下がって行く。旅立ちである。

 ゴトゴトとポイントを通過・・・・・この先に待っているものへの期待に
ときめく瞬間・・・・・身をくねらせながら、都会の忙しない雑踏の中で遠
くを見据えるようにして、悠々と加速していく。やがて車内放送。この一夜
の間に過ぎる駅、明日この列車を迎える駅が告げられていく・・・・・序曲
はひとつのクライマックスを迎える。

 さて・・・・・レコーディングスタジオと化した(苦笑)個室には、横浜
を出るまで立ち入らないことにしていたが、まずは最後尾へ行って、脱ぎ去
るように流れる都会の光を撮ろうかと・・・・・9両も後なのでこれが遠い。
あ、検札が回って来たら?・・・・・切符は持ち歩いているので良いのだが、
個室の方で「コンコン、車掌です、コンコン、いらっしゃいませんか?、コ
ンコン、開けますよ?」なんてのが録音されてたりして・・・・・いやいや、
車内放送を担当していたのは「はやぶさ」の方の車掌さんのようで、昔と違っ
て「富士」と「はやぶさ」と1人ずつしか乗務していないようだから、「は
やぶさ」側は回り始めるのが遅いハズ。しかも3輌目だから、放送が終わっ
てからでは、横浜まで回って来れないのではなかろうか?・・・・・こうい
う時だけ頭が回る。

 並走する京浜東北線を追い越しにかかった。いつの間にやら随分増えてる
E233系。彼我の間に、同じ時間を共有していながら、しかし違う流れの
中にあるというか、パラレルワールドというか、奇妙な隔たりを覚える。そ
れは移動の目的が違うことによる気分的なモノなのだろうけれども、誤解を
恐れずに言うならば、アチラは日常に閉じ込められ疲れた人々が収容されて
いるように見え(笑)、こちらはそこから解き放たれ別世界へ向かう選ばれ
し者・・・・・そんなような。無論普段はアチラ側から、その別世界へ誘う
乗り物へ羨望の眼差しを向けているわけであるが。

 ロングレールの味気無さを惜しみつつ、それでも時々聞こえる汽笛の音に
沁みつつ、川崎を過ぎ、鶴見川を渡ったあたりで、3号車へ引き返す。途中
検札とすれ違うことも無かったから、「コンコン、車掌です」は無かった模
様。しかし前の車両を覗いてみても、これがいない。ハテハテ・・・・・
「チャンランランランチャンランラン(略)まもなく、横浜に到着します」
・・・・・あ、ナルホド。他の事で忙しいのである。



 横浜を出て、車内放送が終わったところで、生録を止め、ようやく個室に
寛ぎ・・・・・いやいや散らかす前にまずは、室内を撮影。悲しい性である。
そしてやっとこさ腰を下ろし、早速横になってみる・・・・・くぁぁぁぁぁ、
たまらん。ああ、こうやっとあと・・・・・終着まで17時間あまり、しか
し確実に進む、カウントダウン・・・・・楽しむつもりがもう、若干サザエ
さん症候群(苦笑)。

 検札も済んで、さて駅弁を・・・・・とその前に撮影(苦笑)。外は既に
暗闇、車窓を楽しみながというわけにはいかないが、テーブルが高いので駅
弁を膝に乗せ、引き籠り感(?)共々味わいながら。

 天井が高い。ロフト風の上段にも惹かれたが、床が平らでオーソドックス
な下段の方が、ゆったりしているのだろうか。廊下の天井裏のスペースもちゃ
んと残ってて、その気になれば荷物が置ける。ふと、オリジナルの開放B寝
台車の、どこをどう変えたのか気になって観察してみる。単に上下を仕切っ
て、背中合わせの上り向きの座席を撤去して上段の階段スペースに充てただ
けかと思いきやさにあらづ、廊下側のオリジナルの窓ピッチと見比べれば、
個室の方が若干詰まっている。定員が文字通り半減するのを、少しでも補お
うということなのか。

 列車は熱海を出る。ふと思いついて丹那トンネル通過を生録。三島で止め
て、ぼんやりするうちに沼津。その沼津の発車で、ブー・・・・・あ、ここ
ブザー鳴らすのかぁ。不覚。

 灯りを消して、ぼんやり外を眺める。それだけ。「”何もしない”をする」
という言い回しがあるけれど、そんな過ごし方を、満喫・・・・・ばかりし
ていられないのもまた哀しい性で、最後の車内放送が、いつなのか気になる。
名古屋が22:47発か・・・・・この辺だろか?

 と。

 チャンランランランチャンランラン・・・・・それは唐突に始まった。
20:00を回ったところだったか、次の浜松にはまだ30分程あり、その
案内ではない。もうお休みのお客様もいらっしゃる云々ということで、放送
の終了と翌朝の案内が続く。ナルホド東京を出てからもう2時間、普段の生
活であればまだまだ寝るには早かろうが、他にすることもなければ、もう寝
るしかない・・・。

 鉄的にも大方のイベントが終わったことであるし、でわでわこちらも、床
に就くとしようか。



(続く)