***** 2008年9月23日 *****
(独り言)


 本日もまた日の出より営業・・・。

 宿をチェックアウトして、荷物をロッカーへ放り込み、新幹線の改札へ
・・・・・ちょっと足を延ばして、門司で「はやぶさ・富士」を出迎えよう
かと。考えてみると「富士」を九州内で見たことがなかったので。先に発車
してしまう「はやぶさ」からでは、一昨日も「その後」を見ることは叶わな
かった。

 改札を抜けホームへ上がる前に、土産物コーナーをチェック。お、さよな
ら0系チョロQが、出てるんですな。鉄道モノのチョロQも、かつての「チョ
ロQタウン」系の新交通システム風味な足回りなのから、オリジナルのクル
マ系の延長と言える単行モノ、果てはプラレールかと見紛うような(やや誇
張)嵩張るのまで色々あって、どうもこの統一感の無さが個人的に少々引っ
かかってたりするのだが・・・・・はさておき、その嵩張るヤツと単行モノ
の、さよならバージョンが発売中。前に出てたのと箱だけ違うのかなどと言っ
てはいけない。(ぉ

 今買ってしまうとそれこそ嵩張るので、あ・と・で(はあと)、と忘れな
いようにだけして、ホームへ上がる。久々に100系に乗ろうかということ
で「こだま634号」。始発のハズだがなかなか来ない・・・・・って、博
多南直通かこれ。入ってきた列車には既に乗客が。

 4両編成の、100系・・・・・かつての1/4の長さ、南武線より短い。
オールMだからてっきり全部「グランドひかり」のなれの果てと思っていた
が、流石に先頭車が足らず、首を挿げ替えたのもあるらしい。ともかく乗り
込んで、空いてるのを幸い、ボックスにして陣取る。前に100系に乗った
のは・・・・・まだ東海道にいた頃だったか。やはり食堂車の記憶が忘れら
れづ。友人と駄弁りながら、或いはランチを取りながらの関ヶ原越え・・・・・
あれは犬山橋から梅小路へ移動した時だったか。思えば食堂車というものの、
あれが最後の体験となった。今のところ。



 遠くに若戸大橋が見えてきたりして、小倉着。また100系乗る機会は、
あるんだろか・・・・・在来線へ乗り換える前にまた土産物チェックすると、
おっとこちらには、さよなら0系のバウムクーヘン、色々考えますな(笑)。
巻き寿司の如く棒状のバウムクーヘンが、3両編成の0系を模した紙箱に収
まる。長さが50cm程ありそうで、中身を片付けたにしろ空き箱がどうに
も持て余しそうだったので、見送り(苦笑)。

 門司には早めに着いてみたものの、ギャラリーはゼロ(笑)。いや、怪し
げな人が1人?・・・・・ともかく、まだまだお祭り騒ぎになる時期には早
いようで、とりあえずはホームでかしわうどんを啜り、関門トンネルのスロー
プを行き来する列車など、ウォームアップ方々撮ってみたり。

 ときに、EH500がバリバリやって来るのだが・・・・・てっきり東北〜
北海道方面が専門かと思いきや、こんなところでも活躍しているのですな。
まさかずーっと直通なんて?? いやそれはさすがに・・・。おっ、今度は
EHの重連単機が関門トンネルへ入って行く・・・・・うう、ソソる。



 8:39、1列車「はやぶさ・富士」が、トンネルのスロープを登って来
る。それを超望遠で捉え・・・・・HMの無い先頭は、EF81 410。
んん? なんか見覚えがあるような・・・・・ああ、一昨日乗った時牽いて
もらったカマでわないか。関門限定運用なんだろか・・・・・よく分からん
が。

 最後尾を撮って、どうせ先頭は見えない(のは一昨日見ている)ので悠々
と前へ来ると、既にED76に代わって・・・・・んん? 66号機ってこ
れもまた一昨日の「はやぶさ」牽引機でわないか。なんだかタイムスリップ
したようでこの2日間の記憶を全部チャラにされるような危機感すら覚えた
が(やや誇張)、いやいや雨は降ってないし、たしかに違う日だ。乗らなく
て大丈夫だ。

 編成は一昨日と前後入れ替わっていて、一昨日ウハウハと乗っていた「は
やぶさ」が、今日は「富士」を務めている。上りも「はやぶさ」が前になる
から、こっちがこっちで・・・・・おお、たしかに。そういえば殿のテール
マークは常に「富士」なのか、今更ながら。

 間もなく「はやぶさ」が発車する。一昨日は慌てて駆け込んだが、今日は
よゆーで送り出すことが出来る。ちょいと「富士」にお邪魔して、窓にカメ
ラ持った人が犇めいたまま(笑)離れて行く「はやぶさ」を、ぱちり。

 お次は「富士」への機関車連結。こちらはEF76の、69号機。そこに
は久しぶりに見る、山型HM。機関車の前はギャラリーで賑わっていたが、
皆さん乗客なので、ベルが鳴れば列車へ戻らねばならない。こちらは見送る
側なので、皆さんが気の済むまで待ってから、おもむろにぱちり。

 やがてベルが鳴り、「富士」が滑り出す。ゴト、ゴト・・・・・最後に最
後尾を流し撮り。これが九州での「1列車」の見納め、か。いやいやブルト
レの見納めでもあり。



 小倉へ戻り、本日のもうひとつの目玉、0系と再会。昭和の後半を引っ張
るように走ってきて、いつしかこの国を見守るような存在になっていた0系。
いよいよ山陽新幹線からも姿を消すというここに来て、オリジナル塗装に戻
り・・・・・鼻先まで真っ白けなのは青梅にいるアレ共々個人的には頂けな
いがそれはさておき・・・・・まずは「こだま638号」、続けて同629
号を、ホームでぱちり。

 小倉城の見物でもしようかと、歩いても変わらないのだがモノレールに、
ちょっとだけ乗ってみる・・・・・今は初乗りが¥100だったり。で、折
り返しの到着を待っていると、右側通行で現れた。隣の駅から遠方渡りとい
うか単線並列というか、なのだなここわ。

 駅へ戻りがてら、常磐橋の伊能忠敬測量200年記念碑をぱちり・・・・・
なんだかパラパラ降ってきたな。

 さて。

 で、博多への返しに、「こだま639号」・・・・・恐らくこれが最後の、
0系乗車。僅か20分の道程だが、「東海道新幹線」を退く前に、東京〜新
大阪をわざわざ「こだま」で乗り通したり、グリーン車に乗ってみたり、新
幹線電話から音響カプラー介してメール送信を試みたり(馬鹿)・・・・・
と、個人的にはそこで区切りを付けたつもりでいたから、今日の乗車は、最
後のカーテンコール、みたいなものか。座席もオリジナルじゃないみたいだ
し。

 それに、あの椰子の繊維(なの?)の入った、ショワショワ音のする転換
クロスで東京〜博多間を乗り通した・・・・・しかも何故か「青いひかり」
の方で!・・・・・体験に優るものは、無いであろうし(笑)。そういえば
国鉄最後の日に博多〜東京と乗り通した時は、新型座席だったろうか。

 「こだま639号」が到着、折角なのでその入線から生録。マスコミの扱
いからして結構ブームになってるのかと思いきや、ホームで撮る人こそいて
も、車内はガランガラン。ともかくボックスにして陣取る。

 ブゥゥゥゥゥゥゥ・・・・・クーラーが。床下のカムの音どころか、走行
音そのものまで霞んでしまいそうな勢い。これもまた縁、リアリズムという
ものかと開き直って、あの給電区間を跨る時の瞬停・・・、

 ブゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥウッ!、ブゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ・・・・・

・・・に望みを繋ぐ(笑)。今にして思えば、東京〜新横浜あたりの、カッ
カカッカカッカカッカ・・・・・とやたらジョイント音がハッキリした区間
で、録っておくんだった。



 そういえば、4年前に台風を直前横断してこちらを訪れた時にも、やはり
小倉までを往復して「九州鉄道記念館」など訪ねたのだったが、その復路で
博多へ向かう時に乗ったのも、0系だった。特に狙ってたわけでもなかった
が、これが最後かもなあ、とぼんやり考えていた。

 あの時のお目当ては、実は福岡空港を発着するYS−11。何かにつけて、
互いに引き合いに出される、0系とYS−11。併せてひとつの存在である
かのように見なされることすらある両者は、共に東京オリンピックを前に生
まれ、その後の運命は互いに大分違っていたものの、新世紀の到来を見届け
るようにして、それぞれ舞台を去る・・・・・プロペラ機の代名詞にすらなっ
ていたYS−11は、国内での旅客機としては一昨年に、そして、かつては
他の何物でもなくただ「新幹線電車」とだけ呼ばれていたこの0系も、間も
なく。「○○といえばこのカタチ」・・・・・そういう存在がまた、消えて
行く。

 チャンチャラランチャンチャンチャララン・・・・・「いい日旅立ち」で
はないのをなんだか懐かしく聞いていると、博多到着を告げる車内放送。こ
の列車はこのまま、博多南線へ直通。そちらへまで付き合う余裕は無かった
が、博多では少し、暇乞いくらいの時間はある。

 博多着。降りて早速、その団子鼻とともに、記撮。最後の乗車はR68編
成、22−7007。2000番台までしか分からんのだが、アレか、前に
「ウエストひかり」になってたアレ?・・・・・よく知らないけど。

 博多南へ発つのを流し撮りで送り出し、暫し余韻に浸りつつ、博多延伸以
来恐らくそうは変わっていないだろう構内を見渡す。あの日も、そうそうあ
の日も、そして国鉄最後の日も・・・・・在来線のある向こうの方では、九
州新幹線の工事が進んでいる。ここもまた、変わる。



 例のチョロQは構内でしか買えない風なのでこれを求め、天神へ。

 ニモカ、というのが出てるんですな。西鉄のICカード。カワウソのイラ
ストが描いてある・・・・・ペンギンにカモノハシにイルカにロボットにヒ
ヨコに、ええとあと何がいたっけな。開業100周年の記念ニモカ、という
のもあったが、描かれてる電車が200形だったら、こっちにしたかもしれ
ないがぁ・・・。

 早速、ピッ、と入って、なんだか「らしくない」3000形の急行に乗る。
最新鋭のようで、新快速風味な転換クロスでもって、快速走行で流れる車窓
を楽しむ。段々人家が減って来て、田んぼだらけになっきたところで宮の陣。
ここで甘木線に乗り換える。

 遠い遠い昔、どこからだったかもう分らないけれど、多分200形に甘木
まで乗った記憶があるのだが、それと大して変わっていないかもしれない風
景の中を、VVVFの7000形が走って行く。パンタを振りかざした先頭
車がたまらん・・・・・その顔立ちは、どことなく関西の血が入ってる感じ
がしないでもない気がしたが、どうだろな。洗車の足場かというような細ー
い島式に、点字ブロックが1本だけ真ん中を通っていたりなホームは、昔の
ままなんだろか。

 甘木着。そういやここで最晩年200形を撮った気が。もっと周囲の視界
が開けていたような・・・・・帰ったら写真を探してみるか。小ぢんまりと
独特の味わいの駅舎をぱちり、傘要らずと思ってたところへの雨であまり歩
き回る気にもなれず、甘木鉄道の駅へ。

 国鉄時代の記憶は全く無いが、恐らくその面影を残しまくりなのであろう
こちらの甘木駅。元は取れないがその分は記念のつもりで、甘木鉄道の1日
乗車券を求めようとするも、窓口が閉まっており・・・・・そもそも、甘木
駅でしか買えないというのもどういう料簡だと思っていたが、わざわざ逆サ
イから回り込んできたというのに、まさか今日は売りませんなんてことはを
ゐをゐ・・・・・事務所へ回って、あのお、と訊いてみると、ちょっと時間
がかかりつつ買うことはできたが、どうなんかなあ。市電やバスみたく、列
車内で売ればいいのにサ。

 発車待ちの列車は、燃料高騰の折ということもあってかエンジンもエアコ
ンも止まった状態で、とてもこんなムシムシの陽気の中で待つ気にもなれず、
駅の一角の「まちの駅」で、色々見るフリしつつ暫し涼み・・・・・ときに
この「まちの駅」って何ですの? なんだか類似品ぽい語感なんだけど(笑)、
国交省のアレとは違うのよね。そういや国交省ったらいつの間にか「海の駅」
までこしらえてて・・・・・道の駅よろしく本当に船で寄れる(!)ところ
まであったりして(驚)。お次は空の駅ですかな?

 そうこうするうちに発車時刻になり、まずは太刀洗まで。ここで旧駅舎を
利用した大刀洗平和記念館を見学、博多湾より引き上げられたという九七戦
の物語に触れ・・・・・地下にまで展示スペースがあり、なにかと思えばこ
れ、かつての駅の地下道である由。



 小郡からまた西鉄に乗って、天神。ソラリアプラザで「にしてつの100
年展」というのがやっていて。主に写真パネルや模型や、そして神様仏様稲
尾様(笑)。あ、今度NHK「その時」でやるんだ。

 ソラリアをぶらぶらして、おっ、ギンギラ太陽’s「天神開拓史 2008」
のポスターを目撃。そうそうギンギラといえば、また東京「地方公演」があ
る。これまで「翼をくださいっ!! さらばYS−11」で2度、東京「地
方公演」があったが、今度の演目は「BORN TO RUN さよなら初代
0系新幹線」・・・・・まさにその、引退の日を挟んでの上演が予定されて
いる。楽しみなのだ。

 博多で荷物拾って、福岡空港。東京では売ってない「大ひよ子」と博多ぶ
らぶらと二○加せんぺい買って、諸共預けて・・・・・そういえば脚立を預
けない搭乗なんて、何年ぶりだ・・・・・ロイヤルで夕食にして、3タミの
ヒコーキの写真展観て、羽田行最終JAL348便の機中の人となる。

 乗る時ちらりと見えた機体に柔道の山下の顔がデカデカとあった飛行機は、
RW16即ち南向きに、福岡の街を脱ぎ捨てるように駆け上がる・・・・・
「はやぶさ」に乗っておこうか・・・・・まずそう思い立った。切実なもの
があったかというと、多分それ程でもなく、しかし今を逃せばもうその機会
は得られそうもないように思われたし、後々思い返せる「ブルトレの記憶」
を、今一度身体に沁み込ませておきたい・・・・・そういう気分が、あるに
はあった。

 とりあえずその「はやぶさ」を軸に、他は元々オマケである。どうしたも
のかと思い巡らせるうちに、そうだあれも、これも、と段々肉付けされて、
こんなコトになった。傍目にどうだか知ったことではないが、まあ、分相応
に楽しめたように思う。暫くまた動けないかな・・・。

 ブルートレイン・・・・・その響きがノスタルジーを含むそれではなく、
輝かしくあった記憶と共に。



(終)