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1919 sun3965 CUB     93/11/14 21:51 またまたまた碓氷峠                   119



 またですよ、碓氷峠。昨日行ってきました。

 そうそう、雨の中をです。

 調布で連れを拾い、関越を飛ばして、横川に着いたのは6:40頃。おおおおお
おおおお。「おぎのや」だって、閉まっています。

 さて、まずは丸山。

 雨は止んでいて、まだ青っぽい空気の中をやってくる上り列車を狙います。少々
靄もかかっていて、いい雰囲気。

 そして、例の煉瓦積の廃虚(変電所跡)の所まで進んだら、脇の小屋(これも廃
虚)に、テント張っている人がいたぞお。

 ええええええええええええええええ?

 なんだかなー。買い出しにでも行ったか、人の気配は無し。

 ここでしばらく廃虚と列車を撮り、物資補給のために一旦横川まで戻ります。

 引き上げ線で待機するロクサンを築堤の下から撮っていると、土地の人らしい
おじさんに話しかけてきました。丸山や碓氷橋にも行くのかとか、熊の平のトン
ネルの上からがいいとか、色々。

 横川には、旧国鉄の関係者やその家族が多く住んでいると聞いていますが、こ
の人もそうだったのでしょうか。横軽に誇りを持っているように感じられました。

 横川を出て最初のカーブで花(もしやこれも、丸山のそれのように誰かの仕業?)
を入れながら撮ったあと、再び丸山。あ、さっきのテントは撤収されていました。

 昼近くになっていたので、釜飯を開けることにします。

 銀箱に座ってが一番だよね等と言いながらパクついていると、遠くからあのブロ
ワー音が・・・・・。

 !!!!!!!

 いきなりロクサンとロクニの3重連です。慌ててカメラをひっつかんで構えまし
たが、ちょっと駄目っぽかったかな?

 おいおいおいおいおいおいおい。聞いてないぞ。今回はダイヤグラム持参だった
のですが、そんなスジは見当たりません。因みにこの信越線ダイヤグラムはさるス
ジから頂戴したものなのですが、2分目だったりするからかさばるかさばる。これ
を巻物のようにして読むんですよ。クルマの後部座席にこれが転がっていたりなん
かすると、「いかにも」ですねえ・・・・・。んで臨時列車では、それ用にスジを
引くこともあるようですが、それだったのでしょうか?

 「まあいいか、臨時はハナから期待していないんだし、見られただけラッキーだ
 よな・・・・ロクニは下関のを(古い!)何枚か撮ったしな」

 しかし、丸山って、色んな撮り方が出来るものだから、一日中楽しめますね。廃
虚もあるから、「鉄」以外でも楽しめる。今度は、もっと色々連れてこようかな?
ラケットとシャトルも持って行こう。(ぉぃ)

 実は今回の秘かな企てに、「4重連を撮ってやる!」というのがあったんですよ。
13:30頃に丸山付近を通過する上りのスジです。前回突然やってきて慌てた、
あれです。

 果たして、その時間になると遠くからブロワー音。来た来た。すると、反対側か
らも走行音が。

 げげげ! カブるか?

 私のポジションからでは、手前に下り線が入っているのです。うーむ、どしよ。
はやる気持ちを抑えながら下り列車を見送り、上り線にロクサンの姿を探します。

 しかし、どこにもいない・・・・・・。

 そしてさらにしばらくして、ようやくそれは現れたのでした。もんっっっっの凄
く遅く走っていたんですよ。

 んが、2重連回送・・・・。

 きっとさっきのスジに2両充ててしまったんでしょうね。残念。でもま、軽井沢
方のジャンパ栓だらけの顔が撮れたから、いっかな?

 その後碓氷橋へ行き、帰りにそのすぐ横川寄りのところの、旧アプト線のトンネ
ルへ行きます。これは以前も行ったところなのですが、今度の「連れ」(彼もちょ
っとトワイライターなのだった)は初めてなのです。

 道路からちょっと入ると、トンネルとトンネルの合間に来ます。その横川寄りの
トンネルの方は反対側まで抜けられて、その先の道路をくぐるところまで行けるの
です(ひょっとしたら丸山まで出たりして)。そして軽井沢寄りの方は塞がってい
たのですが、しかし今回は開いているではないですか。取り敢えずそちらを抜ける
と、また次のトンネルが口を開けています。今度はカーブになっていて、どこまで
トンネルが続いているのか分からず、先は闇。距離的には、これを抜ければ碓氷橋
に出られそうです。

 私達二人は少しだけ入ってみたのですが、背筋に寒いものを覚えてすぐに退散し
てしまいました。晴れた日の真昼でしたら反対側からの光も助けてくれたのでしょ
うが、この時は霧雨の降る夕刻でしたから。そしてなんだか分からないけど「出て
来られなくなりそう」な感覚に襲われたのです。「人の気配の気配」もあったよう
な(ぞぞぞぞ)・・・・。

 私達は「ロマン」などというキレイ事でこれらの「遺産」に接したつもりになっ
ていたのですが、ここが出来た時代背景や、ここで命を落とした人達の多いこと
(特に熊の平の地滑りはひどかったらしい)を考えると、そんなものじゃあないな、
と。

 そもそもここの電化が遅れたのは、当時の軍部の反対よるものだったといいます。
送電施設が叩かれたら全線不通になってしまうからだ、というのです。そのおかげ
でトンネル内で機関士が煙にまかれたり、そうならないようにとトンネル入口に幕
をかける(そうすることで機関車の煙が機関車自身にまとわりつかないようにする)
役の人が、トンネルの負圧で幕もろとも飛ばされて大怪我をしたり。そんな時代に
出来た路線ですから、強制的にここの工事に従事させられた人もいたかもしれませ
ん。丹那トンネル等はそうだったと聞きます。勿論、危険を伴う工事です・・・・。

 なんか、「ロマン」の名に於いて、汚してはいけない領域に土足で入り込むよう
なマネをしているのではないか? そんな自己嫌悪さえ覚えてしまったんです。

 避暑やスキーで賑わう軽井沢への道の、その目的地の直前にこんな場所がある・
・・・。私達の快適な行楽は、多くの犠牲の上に成り立っているとも言えます。な
んか、それだけでも知っておくべきなんじゃないかなあ。


                           CUB