***** 1998年7月22日 0:40:18 *****
[T:20276] "Yoko-Karu" on Magazines



 こんにちは、深町です。


 「旅と鉄道」最新号の「廃線跡をゆく」という小特集に碓氷峠の現在の
姿が紹介されていることは、先日の「碓氷メール」で触れましたけれど、
鉄道雑誌発売日を迎えて、書店へ言ってみれば・・・・・・。

 まず「鉄道ジャーナル」誌、特集は「山を越える鉄道」。これだけで買
ってしまう私なのですが、セノハチ越えや三国越えにウハウハしたところ
で、やはりここでも碓氷峠の話・・・。

 「旅と鉄道」のライターさんは、ここではカメラマンとして登場してい
ますが、両誌兼ねての取材かという邪推は横に置いといて、この区間の廃
止によって失われたもの、得られたもの、そのバランス、そもそもの廃止
の意味、様々なものをここで問うています。

 何かこう、じわじわと来ますね・・・。でも。



 私などはこの区間の廃止による切実な危機感など無い立場なわけで、情
緒的な側面からの感情論にも似たものや、ノスタルジックな湿っぽい話に
は何を今更というクールな目を向けてたりして、都会人の身勝手な論理と、
それに矛盾する同情には、偽善に近いものすら感じていたりするわけで。

 この鉄道の廃止を問うのならば、ダムに沈んだ村のことや、木が切り尽
くされた山のことや、ゴミだらけになった島のことや、放射能に脅かされ
ている人達のことや、あらゆることに共通する、現代の「日本人」そのも
のがもっと問われるべきではないのか、と考えてしまったりするわけで。

 一連の引き金とも言える、長野オリンピックを巡るイロイロについても、
考察されて然るべきではないのか・・・・・? あのオリンピックは結局、
日本に、長野に、何をもたらしたのか? 結局誰が得をしたのか?

#最初から見えてたけど。

 横軽だけが特別なのか? 横軽へ行き着く前に、解決すべき問題が山ほ
どあるのではないか?・・・・・いっそ鉄道を好きな立場として、マニア
のエゴを並べてみた方が、余程素直じゃないかしら、とも思ってみたりし
て。

 ・・・・・うーん、なんか小難しいこと書いてスミマセン。つい。



 「鉄道ファン」誌に目を転ずると、読者からの横軽のレポートが。一頃
あまりにも賑やかだっただけに、今があまりにも静かすぎる峠の模様が紹
介されています。丸山付近の錆びたレールに1/150の「重単」を乗せ
て写真を撮ったりするあたり、なんとも言えぬ虚しさと、ほんの少しの温
もりを感じるようで・・・・・・・はあぁ。(-o-)

 距離や時間や財布の都合で、なかなか「その後の横軽」に触れる機会を
持てない方も多いと思いますが、今月はなかなかに。実際そこへ行って、
誌面で感じたのと同じように感じるかは、判りませんけれど・・・。



 さてさて私は「日録20世紀」なる週刊誌を購読していたりなんかする
のですが、今週は1912年、大正元年。「明治天皇崩御!」と表紙にあ
ったります。

 さてこの中には「『現場』を歩く」という連載があるのですが、今週は
なななんと「横川」。新幹線で軽井沢へ行き「峠越えの実感など、ない」、
バスで横川へ降りて「ここの風物詩のでもあった弁当売りの姿は、ない」
と、「何か足りない峠」を紹介しています。

 国有鉄道初の電化鉄道がこの碓氷峠の鉄道であったことはよく知られる
ところですが、輸入機関車を参考に大宮工場で製造された(民間のメーカ
ーはどこもやりたがらなかったとか)10020(ED40)は初の国産
電機であり、日本の鉄道技術の黎明期の進歩は、碓氷峠と密接だったと言
えそうです。そしてアプトの廃止/粘着運転への切り替えは、東海道新幹
線開業の前年、国鉄の絶頂期でした・・・。



 偶然なのか、雑誌で「横軽」を紹介されているのを次々と観てしまった
わけですが、そのどれもが、「横川鉄道文化むら」への期待で結ばれてい
ます。

 これから「創られて行く」碓氷峠、なわけですね・・・・・・。



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     深町 忠利 > ふかまちただとし
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