***** 1998年9月30日 23:24:14 ***** [T:22783] Usui Mail 1998/9/30... こんにちは、深町です。 今日出かけたわけではないんですけど、そんなサブジェクトにしてしまい ました。(^^;; ここんとこなんだーかんだで毎週のように碓氷詣で。9/13にざんげ岩 (横川を見下ろす俯瞰ポイント)へ行って([T:22132] )、翌週9/19に は沿線のサンランドゴルフ場の裏手にある「国際ます釣りセンター」なると ころで、峠仲間とBBQ・・・・・ここの人達も、聞けば元は鉄道関係者や 家族だったとのこと。つくづくここは、鉄道の町なんですねぇ・・・。 ここではマスが放流されてて釣りが出来るのですが、私、迷い込んだらし き野生のヤマメを釣ってしまいましたよ。ふふふん〈ちょいと自慢〉。でも 本人はコトの大きさを解っていなくて、周囲にすげーすげーと言われて、あ ーすげーのかーと思ってたような具合で・・・。 #恥ずかしながら、例えば鯵は開いていないとそれと認識出来ないんです・・・。 これって、ブルトレ撮りに行ったらEF200が牽いて来ちゃったような ものなんでしょーか? はともかく、塩焼きで食べたらマスより美味しかったです。(^-^;; 元々釣りの経験無しの私、味を覚えてしまいましたわ・・・。丸山や眼鏡 橋の辺りでも渓流釣りは出来るそうで、鉄が殺到する遥か前の丸山では、良 いポイントを押さえるべくクルマでマルヨする釣り人も、いたそうで〈笑)。 碓氷の先輩の話では、「え、釣りじゃないんですか?」「あれ、撮影じゃな いんですか?」と互いに苦笑したこともある、とか・・・。 でで、さらに翌週、また碓氷へ。[T:22748] でいしわたりさんに先越され てしまいましたが〈笑〉、「碓氷鉄道文化むら」で保存される車両達が、ぼ つぼつやってきていますね。5番線に、軽井沢方からたしかEF53 2、DD51 1、 EF59 1、EF30 20、EF70 1001、EF63 1、EF60 501 の順で繋がっています。 1エンド2エンドが揃っているのは、コダワリか? この地に所縁のあるの はロクサンだけですけど、これはこれでなかなかに壮観。これならざんげ岩 からも、バッチリですねい〈笑〉。バルブも出来るぞ(爆)。 今週に入ってから、また仲間が増えたようですね・・・。 仔細に見ていくと、私はEF59の知識が無いのですが、トレードマーク (?)のゼブラカラーは、2エンド側になるんですねい。んで例の密着自連 は1エンド側。そういう向きだったんですかぁ・・・。 先日EF81の赤2号の色調をめぐる議論〈笑〉がありましたけれど、こ こにいるEF70、聊かローズっぽい気が・・・・・・・喩えて言うなら、 若干「ソニーマイクロトレインのED75」風味 といいますか・・・。(^^;;;; 狭い話でスミマセン。(--;;; DD51、塗装は奇麗なのに何故だかライトケースが錆びたままで来てま す・・・うーむ。 1番ホームでは、児童画展と写真展が開かれていました。写真展は、知る 人ぞ知る川名哲氏のでっかいパネル。かつてRMで「峠の四季帳」という連 載をされていた方です。あの連載に感化されてここへ訪れるようになった私、 その圧倒的な量感のあるパネルを前に、碓氷への憧れを募らせた頃をしばし 思い起こしておりました・・・。 児童画展の方は、地元の小学生なのですがいやいやこれがなかなかで。(^^;; みょーにキマった超望遠な構図や、どっかで見たよーな構図や、みょーに具 体的なナンバーのロクサンや・・・・・・いやいや余計な詮索はさておき、 これが小学生かという力強い茶ガマの絵を見付けて、唸ってしまいましたよ 私ゃ・・・・。茶ガマ青ガマ入り乱れての横軽絵画の数々の他に、いきなし アジな黄色い保線車両の絵があったり、これは観ていて面白いです。勿論も う少しノーマルな(?)新幹線などの絵もあったりするのですが、そうそう、 電車の横っ腹に「しR」と入っている絵がありまして、これは[jrs]な人に はタマラナイのでわ?(笑〉 機会ありましたら、是非ともご覧くださいませ。案内役(?)のバイトら しい女の子も暇そうでしたし・・・。(^^;;;;; 駅前の「おぎのや」で、「電気機関車切手帳」を発見。その名の通り電気 機関車の切手を集めたものなのですが、どっかで見たようなと思ったらこれ、 ‘90年に出ていたものなんですね・・・。10000(EC40)、EF 58、ED40(10020)、EH10、EF57、ED70、EF55、 ED61、EF53、EF30というそうそうたるもの。長野地区限定との ことで、何故「おぎのや」で扱っているのだろうと思いつつ、即決。(^^; 松井田町役場には「碓氷峠鉄道文化むら準備室」というのがあって、覗い てみるとED42 1のレプリカのナンバープレートがあったりして、でまぁ 色々資料など頂けるのですが、「ボランティア募集」のチラシを発見。 「碓氷峠鉄道文化むらの各種業務の補助や管理作業など」とあり、案内や 説明、展示品や構内の整備、等が主な活動内容のようです。 こ、これは・・・・・フラグ立っちゃいましたよ! さらに読み進むと、 「応募資格 町内在住の健康な人」 ハイ、消えたぁ・・・。(ToT;;; しかし松井田町の人口って・・・・・・きっと、余所の人間にもそのうち 門戸は開かれるのでは、と勝手に期待することにしますわ・・・。 軽井沢へ行って、古月堂という喫茶店で一服。壁中に切符などが張り巡ら されているこの店の、「ジャンボ鬼押出し」だのといったパフェのネーミン グがなかなかアジなのですが、今回は新作というものを注文。 んが出てきたのは殆どかき氷というシロモノでして・・・・・すっかり秋 の陽気の夕暮れの軽井沢、短パンTシャツでコレを食すのは、聊か涼し過ぎ ました。(^^;;;; もう、1年になるんですねぇ。数えてみたら、なんだかんだでこの1年間 に、26回訪れてました・・・・・・2週に1度? なーにやってんだか。 横軽依存症は、全く回復の兆し無し・・・。 峠仲間とは、「身体鈍っちゃったよぉ」が半ば合言葉のようになってしま いました。えっちらおっちら撮りに行っていた日々も、今は昔。自分で撮っ た写真を見てさえ、「よくやってんなぁ」と他人事のように思える始末・・・ ・・・このままじゃ、駄目ですな。(-o-;; 思い起こせば昨年の同じ日の夜、私は「ざんげ岩」の上から最後の「あさ ま37号」を見送っていました。つい先日のようでもあり、最早遠い昔の出 来事のようでも、あり・・・・・。 あの日が決定的な境目で、私には「それ以前」と「それ以後」の区別しか ありません。命日だの一周忌だのといった感覚とは異質のもので、ただただ、 連綿たる時の流れを、そこに感じているだけ・・・。 「それ以後」の最初の1年。峠の麓の町は、生まれ変わるべく今「さなぎ」 のような時期を経験しています。私は私で、碓氷峠を軸に色々な人と出会う 機会がありました・・・。 今も尚、汽笛の余韻残る碓氷峠。しかし前へ、前へ・・・・・「それ以後」 の歴史が、日々刻まれ、「それ以後」の横軽が、今創られています。 ***** 深町 忠利 > ふかまちただとし E-Mail > cub@t3.rim.or.jp URL > http://www.t3.rim.or.jp/~cub/