***** 1999年5月24日 ***** (独り言) 丸山に展示されている車両達が、何者かによって辱めを受けたという。 昨日丸山のコスモスの花壇の手入れに出かけた、横川鉄道感謝の会の副会長 さんから、第一報を受けた。憤っているのが判った。インターネット上でもぼ ちぼち情報が流れ出しはじめた。 話を総合すると、ロクサンの貫通扉と「あさま」の乗務員扉が壊され、侵入 された由。ロクサンの貫通扉はまるまる無くなっているという。ドアを焼き切 るなど、かなり派手な手口らしい。 事態は既にモラルが云々という次元ではなく、「犯人さん、出てらっしゃい!」 的な間抜けな台詞など、吐く気も無い。ただ、これは碓氷を取り巻く、偽らざ る現実なのだろう。目を逸らそうとも、それは変わらない。 以前、この「無防備な」丸山の展示に関して、私は「試されている」と書いた。 [T:25782] [Mo]Usui Mail 1999/2/21〜 cub> そんなこんなで山降りて、今日は早目に引き上げることにしました。既 cub> に、「文化むら」の車両を撮ろうと乱入している人達が出て来ているよう cub> ですねぇ。ちょっとの我慢くらいしましょうや。(-o-) cub> cub> 丸山の車両も、なんだか我々が「試されている」ような気が、します・・・ cub> ・・・・万一惨めな姿をさらすようなことにでもなれば、それもまた、直 cub> 視しなくてはならない現実なのかなと。 cub> cub> そういう意味ではあの一帯、壮大な実験のような気もしてきます。鉄道 cub> 廃止直前のあの喧騒の意味だとか、なんかそんなのを明らかにしてしまう cub> ような・・・・・ちょっと恐いけれど。 そして2/15の搬入から3ヶ月あまり、ここにひとつの「回答」が、提示 されたわけだ。 憤りを感じる一方、自分の中のどこかで「ああやっぱり」といった感覚があ ることも、承知している。 現場である丸山変電所付近は、積極的にコトを起そうとする者に対して、殆 ど無防備だった。全国的に有名である半面、そこには線路と変電所跡と田畑が あるくらいで、夜は全く人気(ひとけ)が無い。そんな所で、果たして性善説 が通用するのか?・・・・・これまで、公園などで惨めな姿を晒す保存車両達 を見てきた者にとって、丸山だけが特別に安全である、という理由は、どこに も見当たらなかった。 結局、こういうことになった。 「ソレミタコトカ」と論うのは簡単。だがそれに終始しては、ただの野次馬 でしかない。 さて、具体的な手がかりが無い以上、安易に「犯人像」を形作ってしまうの は聊か危険だと思う。マスコミの凝り固まった論調にも、慎重に臨みたい。 部品欲しさのエゴイストの仕業とするのが「尤もらしい」のは解る。 一方、自分は興味無くとも売って小遣い稼ぎにするつもりの奴というのも、 考えられる。尤も、それを買う者の存在が前提だから、やはり似たようなもの か。 或いは、滅多な事を言うものではないだろうが、何らかの理由で、松井田町 の事業の妨害を企てる者・・・。 さらに考えて行くと、我々鉄道マニアの評判を落とさんがための工作、とい うパターンも思いつく。少々無理がありそうな気もするが、今回のマスコミの 論調を見れば、少なくとも濡れ衣を着せるのは容易だと判る。 いずれにせよ、我々にとって「敵」であることには、違いない。 前兆は、あったと言える。丸山のロクサンは既にメーカーズ・プレートが被 害に遭っていた。聞けば、溶接でなくパテで周囲を固めていたというのだから、 聊かお粗末な自衛だった。「文化むら」内の盗難もあったらしい。 思い起こせば、横軽の鉄道の廃止前から、「壊れて行く」感じはあった。線 路際のトラブルや業務への支障は、目に余るものがあった。それを見ていなが ら、予算の都合もあったのだろうが、「文化むら」をはじめとする施設は、聊 か性善説に寄り過ぎていたのではないか・・・。 それに応えられる世の中ではなかったのだ。 軽井沢にいるロクサン2号機、車体ギリギリに柵で囲まれ、聊か評判が悪い。 しかし心無い者への対抗手段としては有効であったらしく、勿論人気(ひとけ) のある場所ということもあろうが、これまでどうにか無事でいるようだ。 最早、対抗するしか無いのではないのか? 「おぎのや資料館」も、最近監視カメラが置かれた。昨年のGW頃に開館し てから、監視カメラなど無くともちゃんとやって来られた。訪れる人の良心を、 信じていられた。 ところが今年の春あたりからなのだろうか、状況は変わった。展示品が被害 に遭った。険悪な空気が漂い始めた・・・・・・人が多く訪れるようになると いうことは、こういうことなのか? 丸山の車両達、ひょっとしたら、彼らはこの世に残るべきでは無かったのだ ろうか? 彼らにとって、この世は厳しすぎたのか? 雁字搦めにしてくれても良い。どこかへ仕舞い込んでしまっても良い。いっ そ仲間の元へ送り出してもらっても良い。それが次善の策であるなら、どんな に見栄えが悪かろうが、どんなに寂しい結末であろうが、構わない。それがこ の世の、必然であるならば。 そして、何故そうしなければならなかったのか、戒めて欲しい。 −終−