***** 2000年12月24日 *****
(独り言)



 昨夜メールを投げたあと、丸山へ、上信越道ライトアップの撮影に行く。
昼間上から見た工事が行われているわけだが、看板を見ると、途中から車両
の進入は禁じられるも、歩行者はOKのようだ。夜闇に白く輝く構造物だけ
が浮かび上がる様を目の当たりにするのは、聊か不気味でおっかないのだけ
ど、かつては夜中の丸山も平気だったじゃないか、と自ら言い聞かせる。

 撮影を始めて気付いたのだが、雨がぽつぽつ降ってきている。レンズは上
を仰ぐから、これは聊か都合が悪い。ハンカチで拭き拭き、バルブ撮影。水
滴が悪さしてそうだけど、まあ致し方なしか。風邪をひいてもつまらん。

 寝場所を見つけて、久しぶりに車内で寝る。前席を畳んで後席に斜めに寝
る。独自開発の愛車での睡眠方。寝袋に入ると意外と寒くなく、エンジンは
かけっぱなしにしてヒーターをと思っていたのだが、切ることにする。なに
せ平らではないので何度か目が覚めたが、心地良く朝を迎えた。クルマから
出て一伸びする時、熱い日々から変わらぬ妙な充実感なのだな。



 朝の光線のうちに、眼鏡橋へクルマを走らせる。駐車場で支度をしている
と、良いアングルを知らないかと訊ねてくる人あり。丁度国道からよじ登る
崖へ行こうと考えていたのでそのことを話すと、同行しても良いかという。
数分の簡単な所なのでお招きしたが、先方にはそれでもちょっと意外な道程
であったらしい。写真を始めたばかりとのこと。新鮮なことばかりで楽しそ
うで、こっちも新鮮な気分になる。眼鏡橋の光線状態について雑談など。

 軽井沢へ上がり、しなの鉄道のホームに降りる。EF63 2、10000、
それとモーターカーの3並び。とりあえず写真に収める。花火大会のロケハ
ンも兼ねたが、昨年よりどうも難しいかもしれないな・・・。

 また峠を下り、丸山に寄る。上り線の、線路を被うコンクリートに見えた
ものは、砂利だった。黒く見えたものはその下に敷くシート。元の線路に戻
そうと思えばすぐ出来そうな構造をしているようだ。砂利のままなのか、舗
装が施されるのかは不明ながら、「ウォーキングトレイル」といったかな、
坂本まで通じるのだろうが、この道の完成は近いのだろうか。来世紀、歩い
てみるとしよう。徒歩の峠越えも久しくやってない。



 横川に着く。「懐かしのあさま」を迎えるのだが、今日はホームでそうす
ることにした。ただ、昨日は「おぎのや」の立ち売りが出なかったとのこと
なので、どうしたものかなぁ、とやや迷う。今更登っても間に合わないけど、
今日は風があって、ざんげ岩からでも抜けが良さそうだ。

 やがてイモ虫4両編成の「あさま」が到着。思ったほどの人手でもなく、
混乱のようなものも見受けられない。立ち売りは到着の3番線ではなく、1
番線の改札前で行われていた。いつもここにいるから、今回の「あさま」向
けの演出というわけでは、なさそうだ。それでもバックに「あさま」が入る
ので、パチリ。



 おっかけ組と乗車組の友人と合流、また軽井沢へ上がる。今度は旧軽井沢
駅記念館に入ってみる。車両展示のホームへも自由に出入りできるようにな
り、係の人にもどうぞどうぞと勧められた。冬の低い光線では陰りがちなが
ら、日に照らされる3両。

 ことにロクサン2号機は最終日に片道だけの最後の旅でここへ来、それを
見たのは廃止になった翌日だったか。その後しばらく音沙汰も無く、ただた
だ時の移ろいに身を任せていた、2号機。最初の冬、すっかり冷たくなった
身体に雪化粧をしていたのを思い出す。向こうをE2系「あさま」が、すま
して行き来しているように、見えた・・・・・一体どうなるのかと外野的に
は不安が続いたが、3度目の氷祭りを迎えた時には、今の場所に来ていた。

 各車両とも化粧直しがなされてて、ことに10000形のそれが目を引く。
それまでがあんまりだったというのもあるが、ようやく、安住の地を得たと
いったところか。前にいた場所は本格的に物置になったようだが。それぞれ
の車両を、思いのままに写真に切り出す。いずれ、もっとのんびりと対話し
てみたいと思う。

 そういえばED42 2はどうなるのだろう? 歴代機関車がここに並べ
ば、これは良い具合にまとまると思うのだが。ともあれ横川と軽井沢、切れ
ることのない峠の縁、か・・・。



 また峠を下って、「懐かしのあさま」の返しをどうしようかと思案する。
妙義の山々のシルエットをバックにと思うも、やはり今日は抜けが良過ぎて、
今度は逆光気味では日差しが強過ぎるという有様・・・・・昨日と逆で行動
すれば良かったのにと、しかし後の祭。

 結局、磯部〜安中の田圃の直線に落ち着く。こんな定番だというのに、他
に鉄は無し。やはり熊谷〜横川で4両編成というのがいけなかったか、すっ
かり総スカン食らった感あり。数少ない撮影者である我々だったが、いよい
よ通過という頃には雲に日差しが遮られてて真っ暗。遠景は日が当たってて、
どう纏めろって言うのだ、と悪態をつく。ほとほと、今回の撮影は辛い。と
もあれ傍らを過ぎ、遠く赤城山の方へ向かって行く「あさま」を見送る。終
着はあの上野ではないけれど、恐らく今後ありそうもない最後の「あさま」
の姿である・・・。



 20世紀の終わりに、その内容の程はともかくとして、あの「あさま」が
走った。聞けばこの使用車両は長野へ帰るなりお役御免だそうだ。北陸新幹
線が延びれば「信州リレー」の存在意義も無くなる。転用された車両の走る
「あずさ」も、新型車への置き換えが近い。じわじわと、「あさまの記憶」
が薄れて行く・・・。

 そんな折、たった4両で横川まで顔を出した「あさま」がいたことは、ひ
とつのささやかなエピソードとして、記憶に留めておこうと思う。



(終)