***** 2002年10月13日 ***** (独り言) あれは10/8のことだったか、NHK−TVの朝の情報番組の中の 短い中継コーナーで、踏切でマイクを持って喋る人。あれっ、とよく見 ればこれ、第16中山道踏切である。「アプトの道」の紹介、そして 「文化むら」・・・・・と、旧上り線でホイッスルを鳴らすロクサン。 画面の左上を見ると8時を少し回ったところ。このために誰か早出した のかな・・・。(^^;;; リポーター氏は「では私も歩いてみようと思い ます!」かなんか言い残して、丸山の方へ歩き出し、中継終わり。その 直後くるっと引き返して来る様が、見えるような気もしつつ(笑)。 別の証言(笑)を聞くところによれば、これの前、6:40過ぎ頃に も同じような中継があって、さすがにそちらでは、ロクサンはまだ動い ていなかったらしい・・・。 さて。 前々日から色々バタバタしていたものだから、聊かへろへろ。そんな 塩梅で、前夜に準備しようにも思考停止状態、シカーモ今はもう大して 持って行くでもない機材がこれまた、いつもの「片付けられない症候群」 による埋没から発掘せねばならぬという作業が伴い、そんな諸々でこれ が捗らづ。さーらーにその傍らでTVからは「タービュランス」なんつー JALを勝手に塗り替えたようなヒコーキがCGでどーせ何でもアリだ ろ飛行したてたりな映画が垂れ流され、ご都合主義なストーリーに辟易 しながらも見てしまう性を呪いつつも、どうにか収まったのは0時頃。 ヤレヤレ。 それで、2時半過ぎ起き。(=_=) うぐぐ。 冴えない頭でぐだぐだ残りの支度をして、3時半頃出発。カンナナ・ ネリマ・デパーチャーを経て関越に乗る。カフェインで身体を支えてい る為ちょこちょこSAでトイレ(苦笑)。 いつもの松井田妙義ICを過ぎ、横川SAでまたトイレ。白み行く空 は今日の日本晴れを予感させ、久しぶりにクルマで訪れる日の幸先の良 さを暗示するようでもあり・・・などと思い込み100%。 今回ちょっと思うところがあり、碓氷軽井沢ICから入る。 30年前に「あさま山荘事件」というものがあった。大変な事件であっ たと言う話だけはよく聞く。しかし当時の背景もよく知らない世代故に、 時折TVで流される、鉄球と放水の映像のイメージくらいしか、無かっ たのである。横軽に通うようになって、「そういえば近いのかな」くら いには思っていたが、積極的に調べたでもなく、軽井沢の別荘地と聞い てなんとなく、離山の方だとかを連想していたような具合。 初めて丁須へ登ったのは‘96年のこと。その帰りは篭沢から国民宿 舎の方へ降りた。あの途中から逸れた所に連合赤軍のアジトがあったと 知ったのは、その少し後のことになる。そして裏妙義を越え山中軽井沢 へ至ったというのだから、せいぜい丁須までしか知らない身ながら、か なりハードであることは容易に想像がつく。しかも冬の話である。 最近になって、そうとも知らずに現場の程近くを幾度も通り過ぎてい たことを、知った。そんなもののようである。 それは別荘地へ至る道の角にあった。「治安の礎」。犠牲を伴いなが ら事件に当たった人々の、顕彰の碑である。別荘地内の現場を避け、こ こに設けたという。横には、あの現場の様子のややデフォルメしたレリー フが。向こうを望めば、その現場を包む山々が、朝日に輝く。 そこで繰り広げられた死闘を想い・・・・・ふと、なんだか自分が、 ひどく場違いに思えた。この場違い感は物凄く重要なことのように、思 えた・・・・・一方的に想う、ある種の傲慢を自覚したの、カモ。いか んいかん。解ったつもりになることは、慎まねばならぬ。何事もそうで はないか・・・・・なんだかかえって複雑なモノを抱えたような気もし つつ、そんなことを感じだだけでも、有意義だったかもしれぬ・・・。 軽井沢を後に、バイパスから横川へ降りる。旧道も復旧したらしいけ ど、近い方から行くだけのこと。それにまだまだ空いている。 ざんげ岩への登山道入口の駐車場に、クルマを入れる。先客あり・・・ ・・・クルマ1台に、テント2張(笑)。なんだ? 彼らを起こさぬよ うにしながら支度を始め、どうやら整ったところで、いざ、ざんげ岩。 4月の悪夢が蘇る・・・・・今日はひっくり返っても介抱してくれる人 など、いそうも無い・・・・・とか言いながら、1時間くらいかけるつ もりで登れば大丈夫だろう、と余裕を持ったつもりが、着いてみれば 30分。あれれ。 まあ、そんなもんらしい。今日も寝不足なれど、前回のように駅から 登山口まで走って来たわけじゃ無し、着くなり撮影で息止めてたわけじゃ 無し。やれやれ・・・・・まだ行けそうかな。 まだ朝靄が残るものの、天気は上々。「文化むら」を見下ろせば、 表へ引っ張り出されているED42。国鉄色に戻ったクハ489はとい うと・・・ああ、庫の陰だということを、すっかり忘れており(苦笑)。 丸山を望めば、復元なった変電所跡の屋根がキラリ。相変わらず光って るな・・・。 17mmの撮れっきりコニカ「ワイワイワイド」で自分撮りしつつ (笑)しばらく寛いだところで、下山。そのまま丸山へ向かう。今年は 花壇の手入れも再開、コスモスが丁度良い時期。変電所はすっかり足場 も無くなり、キレイになって佇む。廃墟しか知らぬ目にやや違和感を覚 える姿は、落成当時あたりの考証によるものか。反りのある軒にちょっ と和風の香り。ハッキリ言ってこの煉瓦建築から浮き上がっている。そ のあたりにまた「明治」というものが見えてくる気がするような・・・・・ 建築にはまるで明るくないけれど。シャッターになっていた正面中央の 開口部も、これまたなんとなく和風な引き戸に見える。積み直された煉 瓦のアーチとの、妙、など。 にしても、屋根や樋の白さ、これは・・・・・あとで染料で染めるの かな。それとも落成時はこうだったのか・・・・・ふと、中学の修学旅 行で見た、薬師寺の妙に派手だった西塔なんて思い起こしてみたり。東 塔は渋いが、そういえばその落成時の姿なんて知らないんじゃん、とい うコトに気付いたものであった。 旧道から軽井沢へ。対面通行の箇所があるものの、こちらから行ける ようになったのは有難い。まず軽井沢の駅を覗く。 いや、今日は189系の特急「あさま」が来るのである。軽井沢はそ の終点である。何かそういう出迎えムードは無いものかとコンコースを ウロウロするも、地元の「軽井沢まつり」か何かの露天が出ているだけ。 しなの鉄道・・・関連グッズなーんも無し。JR東日本・・・こちら もなーんも無し。まあ、しな鉄にしてみれば、心中複雑なモノがあるよ うな気もするし、一方JRは当の新幹線駅でなんか微妙。カンケー無い ってことなのか。今回の企画は長野支社のものなのだとは思うけど・・・。 しな鉄で、チョロQもどきが出ていたので、所望。チョロQ、ではな い。足回りはチョロQの自動車のソレに近い。ボディは・・・・・うー ん。(^^;;; まあ、気分は出てる、かな・・・・・複数で連結出来るよ うになっている。ふむ。 JRの方で、E2系のライトアップした絵柄のオレカが。カッコイイ。 ¥3Kが引っかかるが、これは良いなと窓口に並ぶも、慢性的混雑・・・ ・・・もうすぐ「あさま」が来てしまうし、もう付き合いきれづ。 矢ケ崎へ。「あさま」の入線を超望遠で狙おうかという魂胆である。 しかし1000mmでも怪しい距離なので、他に来る鉄などおらづ。来 なくて正解である。お節介なまでの好天に陽炎がユラユラ。シカーモ旧 3番のホームに入れば真正面なのだが、生憎普通電車が居座る。旧4番 入線確定。旧4番では、軽井沢駅に取って返して、保存機ロクサン2号 とからめることも適わづ。フツーにホームで撮るのも今更シャクである。 やがて「あさま」到着。ヤケクソでカシャカシャ。一息ついて、駅で 買った釜めしを・・・久しぶりに、矢ケ崎で食べたかったのである。そ こいらへんに腰掛けていると、次々と、ワケ分らんで袋小路へ入り込ん で引き返す人達が。相変わらずだな、看板の字読めないんかな。 こいつの返しは、離山にしようと決めていた。思えば横軽廃止後初め てではないか。えっちらおっちら、穏やかな坂道を登り、お立ち台に着 く。リュックを降ろすとぷーんと爺^Hオジサンのような香りが漂い・・・・・ え、ま、まさか・・・・・動揺。とうとう、とうとう焼きが回っちまっ たのか??、ちうかいくらなんでも早えだろよおい・・・・・不治の病 の宣告に近い・・・・・カメラを出すのも後回しに焦りまくりでリュッ クや衣服や周囲を調べると、どうやら岩に生えてる苔か何かの臭いらし い。やれやれ、人騒がせな。 ほっ。 肝心な眺めはというと・・・・・うーむ、俯瞰ですよーでオシマイな 感じ。さて189系「あさま」はどこか・・・・・見えぬ。さっきは側 線にいるようだったが、もうホームに入ってしまったのか・・・。 と。 E2系「あさま」が軽井沢着。目で追っていくと・・・・・ああっ! 中軽寄りに引き上げてる。シカーモ今、E2系と並んだじゃん。 逃した。(--;;; やがてホームに入って行く189系・・・・・チャンスは絶たれた。 駄目だな、今日は駄目だ。やがて発車。撮るには撮るも、どうも調子が 乗らず。こんな日もあるさ・・・。 離山を降り、表通りを避けて林の中を抜け、旧道に出て下る。さっき はまだ光線が回り込んでいなかったので、再び丸山。ここで鉄仲間と合 流。彼は車中泊で昨日からここにいるという。そして明日までいるとい う(笑)。久々にやってみたくなるな・・・。 2人して丸山でしみじみ。「アプトの道」脇にアプト時代のき電線が 残っているのを教わる。今頃知りましたわい。今回彼はどこぞで落とし てきた碓氷的に濃いぃ資料を持参。丸山変電所建物について、電化当時 の古い写真を繰ると、をを、見事に今回の復元そっくりのがある。ナル ホド。蓄電池棟に煙突が並んでいないのは寂しいが、考証の上そうなの であれば、納得。 横川へ出た頃には、上野から来ていた「あさま」が帰ってしまった後 だった。今回長野口重視ではあったけれど、一目見ても良かったナ。毎 度微妙に仕様が変わってるし・・・。 ここで地元の峠仲間とも合流。踏切横から移動するという郵便局のこ と、丸山のこと、地元ネタを色々聞く。ふむふむ。 横川駅でオレカのチェック。注目の「SL三兄弟」、とうとうバラ売 りになってしまった(笑)。D51だけ売り切れ、あぷと君とミニSL は、まだまだ絶賛在庫中。「信州」のが出ていたので、それだけ所望・・・ ・・・って、工場内の165系の写真ってだけなんだけど。うーみゅ。 3人して「文化むら」入園。丁度ED42や体験運転のロクサンが、 西日ギラリの頃合。思わずパチパチ。やっぱり、ヨンニもこうやって時々 表に出してもらうと、上げたパンタも、うーんと伸びでもしているかの ように見える。特急色のクハ189は、既に思いっきり陰ってる。元々 庫の陰だけれど、紫外線的にはこっちの方が良かったり・・・? 運転 台に入る。まだまだ大らかだった、そして子供の特権をまだ保有してい た(笑)昔、上野駅で入れてもらったことがあったけれど、今にしても こうやって入る時、あの日のときめきが蘇るもので。「横軽」スイッチ など見つけて、しみじみ。 やがて閉園、おぎのやドライブインでお茶。一方の入口がコンビニの ような看板になり。24時間営業にはなっていたけれど。お土産コーナー で、チョロQもどき(またもどきなのである)のバスが。金属製の車体 はシールでおぎのや仕様に(笑)。うう、買うしかあるまい・・・・・ 顔は何故だか非常に209系似。はて。W杯の棚がまだあって、FIFA 非公認(笑)サッカーボール付「釜めし君」が、とうとうこちらに合流(笑)。 パッケージの色合いも似てるし、大丈夫か・・・・・今更煩くも無いか。 夕飯でも、と安中まで出てとある焼肉屋さんへ。これがまた昔からあ る感じの店で、なんというか、ホッピーが無いのが不思議(笑)。カウ ンターにご機嫌なおじさん達、その端の傾いた所の席は、さる常連さん の指定席という。もう、座った座敷の横で、洗濯機回ってるし(笑)。 いいねいいね。 ちと食い過ぎたカナ、と腹をさすりながら横川で自分のクルマに乗り 換えて、んじゃあ、と失礼する。高速は藤岡の手前から渋滞しているよ うで、どうしたもんかと走り出すも、甘楽でもう軽く眠気を覚えクルマ を止める。思えば昨夜大して寝ていなかったのである。そのまま2時半 頃まで落ちる。再起動後すっかり空いた道を家まで走り、またしばし落 ちる。このまま東京タワーの階段を昇りに行かねばならない(そういう 予定だったのである)が、なあに、ざんげ岩だのに比べれば、楽チンも いいところである。 (終) 補:その東京タワーの前に鶯谷へ。「あさま」と思い込んでたら165 系が現れ・・・・・「文化むら」号だったとはすっかり忘れており。 上野駅で「あさま」のオレカ所望。もう何枚目だか(苦笑)。