***** 2002年10月24日 ***** (独り言) 書店で「RM LIBRARY 碓氷峠の一世紀(下)」を所望。こ こに結ばれた104年の運転史、振り返るに、撮影に通った日々は、こ の最後の5年。この2冊の薄い冊子の、ほんの何ページかだけでしかな い。己の薄っぺらさを見ているような気も。 ふと、科学の読み物だかで見た、地球の歴史を思い起こす。この星が 誕生して現在までを1年に置き換えたヤツ。春に生まれた生物はその後 様々な挑戦を繰り返し、冬の訪れの頃には多様性を発揮する。大晦日の 午後にようやく登場した猿人は、紅白歌合戦を観ながら原人へと進化し、 ゆく年くる年の中で文明が生まれ、そして最後の1秒を切ってから、激 動の20世紀が始まりと終わりがある・・・・・アレである。最後の5 年というとここでは単純に時間の比率で行けば恐竜くらいからのようだ けど、その前があまりにも長い。 そういえば碓氷越えの鉄道の営みも、この暦の最後の1秒の瞬きの中 にある・・・・・なんだか己の存在まで虚しくなるな。深くは考えまい。 ともあれ、104年のうちの己の5年を考える時、そこまで長らく積 み重ねられてきたものの、一番上をさらっと撫でているに過ぎないのか、 などと・・・。 そこに綴られた104年の営み。活き々々と営む鉄道の姿が、既にそ こに無いことと併せて、これが切ない。そこに生きていた人々がいて、 その様子を切り取った人がいた。そして残された記録が、今こうして目 の前にあり、時代の断片を、営みの断片を、こうして知ることが出来る。 語り部。 廃止がいよいよ目の前に迫った頃、時折、それを意識することがあっ た。まさか己を特別な存在と思ったわけではなく、この時代に居合わせ たために、宿題を課せられた、そんな意識。いずれ、この時代に見聞き したモノ、コトを、それを知らぬ世代に、何らかの形で伝えることにな るのだろうなと。果たして、何が伝えられるだろう。 「碓氷峠の一世紀」のある写真。アプト線を横目に、よく知る場所の 今も面影のよく残る風景を、例のEF55やらを従えて、真新しいロク サン試作機が行く。電池室の蓋が見当たらないなー、というのはさてお き、その牧歌的でさえある写真は、輝かしい未来を予感させたシーンと して、そこにある。アプト式への未練もきっとあったに違いないけれど、 やがて迎える新時代を目前に、撮影者はどのような気持ちでシャッター を切ったのか。その新時代の先に訪れる幕切れのことなど、誰も夢想だ にしていなかったこの時代に。 廃止の1年近く前から、並行(迂回?)する北陸新幹線のE2系が試 運転を始めた。これもまた特急列車の目線で見れば「新線切り替え」み たいなものではあるけれど、しかしアプト廃止の時とは、今回随分と事 情が違った・・・・・輝かしい未来?・・・・・とほほとしか言いよう が無かったような。いずれ、この時代を振り返る時に、きっと矢ケ崎で E2系とロクサンの並んだ写真なんかも掲げられるのだろうけれど、果 たしてどのようなキャプションが、そこに付けられるのだろう・・・。 ふと思うのである。語り部となってしまった者にとっての、その後の 世代との温度差を。事実、私は生きた国鉄蒸機を知らない。だからか、 蒸機に対してどこか、冷めたところがある。蒸機に賭けた先輩方には、 そんな私がどう見えるだろう・・・・・そういう温度差が各世代間にあ るハズだけれど、振り返れば、国鉄さえも知らない世代が、後から後か ら押し寄せているのである・・・・・ともすれば昔話に閉じこもりがち な自分が、既にここにいたりするのだが(汗)。 まあ、肩肘張るこた無い。しかし記憶を留め、記録に残すことは、きっ と何か有意義であるに違いない、そう信じることにして・・・。 あの碓氷線の廃止から、先月末で5年を迎えた。初めて沿線で撮影な どしてから数えると、10年。10年になってしまったのである。10 年食ってしまったのである(汗)。今やその半分が廃止後の時間であり、 そしてこの先、廃止後の時間の方ばかりが、長くなっていく。最初の5 年の思い出がそれに圧されていくような、そんな寂しさもあったりなこ の頃・・・。かつて程、足を運ぶことも無くなってしまったし・・・・・ 尤も比べる元が尋常ではなかったのだけど。 横川に呆然と立ち尽くした日から、5年・・・・・月並みながら、長 かったようであり、あっという間だったようであり・・・・・並行在来 線廃止という前代未聞の事態への動揺・・・・・色々な立場や考え方と かあるようだけど・・・・・或いは地域の人達の生活も変わっただろう し、ともかく横川は「さなぎ」のような時期(「ざんげ岩定点観測」の 項参照☆)を経て「碓氷峠鉄道文化むら」の誕生があって、丸山などで 心無い者の嫌な事件もあったけれども、坂本には「くつろぎの里」、信 越線を軸とした町おこし事業が、目下進行中。 見えた断片を繋ぎ合わせても、理解の程には限りがあろう。けれども 確かに、前を見据え動いている人々が、いる。熱い想いの人々が、いる。 考えてみれば、まだまだ、タカダカ5年でしかない・・・・・未来を向 けば、そういうことではないかと。 その未来像の選択肢は色々あって、今後どれがどう選び取られて行く のか外野の身には詳しく判らないし、ひょっとしたらまだ誰にもはっき りしていないのかもしれないけれど・・・・・まあ、ホレ、外野からア レコレ言うのは気楽だけれど、一方で当事者は、事業に相応のリスクを 背負っているのである。そこを弁えるなら、それなりの見方なり関わり 方なり、あるのではなかろか・・・・・「言霊」ばかりアテにせず。 5年前の秋、廃止直前の喧騒に戸惑い(それを面白がったことも無かっ たとは言わぬが)、或いは少し引いた視点で眺め、この現象の本質とい うか正体というか、そんなモノをぼんやり考えていた。廃止が過まちだ からこそ集まるのだとアジる向きもあれば、無目的なお祭り心理でしか ないとする冷やかな観測もあったけれど、結局アレは「何」だったのよ、 みたいなモノ、そのへん、一括りに出来るモンじゃ無いし、簡単に片付 けられるモンでも無い・・・・・というか、そのうち色々見えてくるだ ろう、と考えた。あれから5年・・・さて、どうだったろ実際のトコロ。 ともあれ、世紀が明けて、碓氷は化けそうな予感。それも楽しみな予 感。旧下り本線で、坂本までトロッコ列車(案)を走らせるという。既 に復元なった丸山変電所跡の今後も気になる。まだまだ変わる・・・・・ 廃止前の時間についてもそうだったけれど、リアルタイムでこの時代に 居合わせていることもこれきっと、縁に違いなく、ならばずっと見届け てやろう、そんな風に思ったりするのである。先は長い。 ところで「碓氷メール大全」。自己愛全開で(予防線)臆面も無く駄 文を上げまくっている。そんなものでもそれなりに、量だけはあるから (苦笑)一見全体で何やら体をなしている風。ふむ。憚りながら、そこ にひとつの人格じみたモンが浮き上がってる気がしないでも無く・・・・・ どんな人格だよ。 最初の碓氷訪問が抜けているものの、それでもこの9年半ほどの間に は、その都度リアルタイムな話題の他に、その時々の心境の揺らぎ等々、 色々と滲み出ているような。あとで作ろうとしても、きっと出来ない。 そこがリアリズムというもの・・・・・としておいちゃう。 話が今と少々ズレているコトはあるかも知れぬ。いやあってもおかし くない。状況が変わってる場合もあるし、とうに済んだ話もあれば、後 知恵付いて見え方が変わることもあるのは、当たり前である。開き直り と言えばそれまでながら、ただ、それぞれの「あの頃」があって今があ るのであり、断絶したものではない。こんななりとはいえ一応、自己同 一性ってヤツの下にはある・・・ハズ。 しかし、なんですな、読み返すに、我ながらなーにやってんだか、と つくづく・・・さすがに。そんなこんなで、10年。10年になってし まったのである。10年食ってしまったのである(汗)・・・・・って、 もうやめよう(沈)。 まあ、そんな諸々を踏まえつつ、まだ続く・・・。 (終)