***** 2003年5月5日 ***** (独り言) ここのところ、しなの鉄道が違うんである。債務超過に陥っているという 台所事情が報道されたのは、2001年の暮近い頃のこと。やっぱ厳しかっ たかぁ、となりそうなところ、そこへあのHISから新社長が招かれ、立て 直しが図られ・・・・・はてさてどうなるのかと思っていたら、その後僅か の間に、なんと黒字の見通しという快挙。事業のスリム化の一方で、駅にテ ナントを入れるなどの新展開・・・・・逆にいうと、何故に今までそういう アイデアを実践してこなんだか?、いや正直な話。 外野から見てて勝手にそう思うだけなのだろうけれど、失礼ながら開業当 初どことなーく、だってしょうがないじゃん、というトホホな空気が、あっ たような。ただただ、細々と続けるのかと・・・新幹線の代償という、ある 種の諦めというか、なんか被害者っぽいカンジが・・・・・ところがどうで あろう、今や違うんである。「攻め」に出ている感じなんである。開業当時 とは県知事も代わって、JRや国相手に「並行在来線」の恣意的な切り分け (篠ノ井〜長野間温存)について問う等の援護射撃・・・・・やはり、変わ るべくして変わったのか。しなやか鉄道なのか。 そんなこの頃にあって、軽井沢で「釜めし」立ち売り復活。なんでも「お ぎのや」から一式借りてきて、しな鉄社員がホームや列車内で釜めしの立ち 売りをする由。昨年の秋「特急あさま」が乗り入れた時でさえ、殆ど他人事 モードだったしな鉄がである・・・・・ふむ、これは見ておかねばなるまい。 ホリデーパス+熊谷〜横川乗り越しという面倒も、いつからだっけか。スー パーホリデーパスが恋しい・・・・・風の噂では、ホリデーパスも東京モノ レールだかりんかい線だかも対応させて値上げらしいとか。今でさえギリギ リの割安、いよいよ普通に切符を買うしかないように、なりそうな・・・。 快速碓氷号でとも考えたのだけれど、騒が^H^H聊か賑やかだったことを思 い出し、少し早い電車に乗る。高崎で乗り継いで横川着。ん、4番線のレー ルが例の「あさま」編成ギリギリまで剥がされてる・・・・・10時のバス まで少々間があったが、先月訪れた時の、EF65Fを外から超望遠で引き 付けた写真がどうにも駄目駄目なので、撮り直したかった。 EF65 520。RM誌の「トワイライトゾーン」で、高崎でトホホな 姿を晒している写真が紹介されていたのはつい最近だったハズ。その直後に キレイになって横川へやってきたのだから、驚くというものである。今思う にアレは伏線だったのか・・・?? 読み返してみんと。 FはEF60 501と繋がれている。互いの色身の違いは著しく、両者の 間に横たわる、4年余りの歳月を感じさせるに余りある。先月ざんげ岩から 見た時は、屋根上なんか尚更で・・・。さてFの正面から見ると、見ように よってはかつてのF重連に見えなくも無く。園内では引きが取れずイマイチ なので、外から超望遠でぐいっとやるのである・・・・・くぅぅ、いいねい いね。前に倉賀野でも似たようなの撮ったろうって? 良いんだよ好きなん だから。 そろそろバスの時間。幸い最前列が空いてたのでそこに納まる。もし旧道 に入ったらここから眼鏡橋を・・・との目論見もあったのだが、地獄の渋滞 の時分には少々まだ早い。運転手氏が携帯電話でどこかへ問い合わせている。 プリンス通りの混み具合でルートを決めるらしかったが、旧道は嫌だと言っ てる(笑)。今日も無理か。 やがて発車。結局バスはバイパスへと向かった。この運転手氏、なかなか 饒舌なヒトで、走りながらガイドよろしく色々喋る。沿線の花の咲き頃、沿 線に因んだエピソードに、時々軽口を叩き(笑)・・・・・多分、評判の人 なんだと思うけれど、何度か乗った中でこの人に当たったのは、初めてのよ うな気も。バイパスを過ぎる頃、あさま山荘事件について触れ「治安の礎」 のことなど・・・プロX見たな? プリンス通りは既に渋滞が始まっているとのことで、交差点でそちらへ曲 がらず直進、どこへ行くのかと思っていると、別荘地の林に入り込んだ。渋 滞を迂回するらしい。以前であれば、交差点へ出る前に矢ケ崎山の麓の裏道 へ入っていたものだったけれど、今はこっちなのか。運転士氏「お客様の中 にはここに別荘をお持ちの方もいらしゃるかもしれませんが、しばらくオー ナー気分をお楽しみください」と。車内に笑いが起こる。やがて新幹線とし な鉄をオーバークロスして、国道へ出る。 軽井沢着。バスを後にして駅へと向かう。丁度しな鉄の電車が出ようかと いうところ、早速写真に撮るべと勇んで階段を降りて行くと、「復活」の看 板とおぎのやの幟、ワゴンがあって、しな鉄の法被の人。例の「ありがとう ございましたー!」をやるのかと見守っていると、彼らがよそ見してるうち に列車は行ってしまった。 うーむ。 まあ、まだチャンスはあるな・・・・・釜めしを一つ所望、ベンチに腰掛 けて食す。ああ、軽井沢のホームでなんて、えらく久しぶりではなかろうか? 目に入るのは塀の向うで行き交う新幹線・・・溜息。 その後、列車の出入りとともにいくらか撮らせて貰ったりするも、どうも 本職の「おぎのや」の人達のようには、これが絵にならづ・・・・・だーめ だよ突っ立ってちゃ(笑)。かまーめーし、ってやんなきゃ。お辞儀しなきゃ。 「復活」もなかなか、一朝一夕というわけには、いかないようで・・・・・ ひとまず次の機会に期待か。おぎのやさん、指導してあげて(笑)。 旧軽井沢駅舎記念館に入ってみる。こちらは変わらず、か・・・。ロクサ ン2号機、歳月に晒されて、カサカサ・・・。 再びしな鉄ホームへ。一部の列車内でも立ち売りをするというので、ちょっ と乗ってみようかと。しかし時間の都合で信濃追分までの往復・・・・・こ れっぽっちじゃ厳しいか(苦笑)。ところで善光寺御開帳に因んで列車にヘッ ドマークが掲げられてたり。牛のイラスト。なるほど牛に引かれて・・・・・ ってそれ、ホルスタインでわ? なんか違うと思うぞ。 で、信濃追分まで行って、また戻る。立ち売りしてないじゃん・・・っか しーな・・・って終点間際じゃ致し方なしか。にしても売り子氏はいずこ? 信濃追分の手売りの切符が昔の回数券の最後の大きい1枚みたいな味のある ヤツだったので、軽井沢で記念に貰う。 でまたバスへ。これが混んでる。やべぇな、積み残しにされそうだな、と 気を揉んでいると、応援でもう1台やってきた。やれやれ。早速また最前列 に陣取る。今度はどうだ。「あさま」も着いたのか、乗客は後から後からやっ て来る。とうとう2台とも補助席まで埋まってしまい、立ち席が。立ってて も同じ料金なのか、と訊ねるお客がいたり。ちうか立ってる人で視界を塞が ってしまい・・・・・バイパス経由なら諦めもつくか。 「そのへんテキトーに掴まってくださいね」とアバウトな調子のその声は、 上って来る時の運転手氏。彼のお喋りと共に、バスは走り出す。今度はその ままプリンス通りからバイパスへ向かう。今は軽井沢というと、旧軽ではな く南口のアウトレットモールの方が人が集まってる由。ついこの間まで、こ のへんなーんも無かったんだけど・・・・・しかし何もここまで来て売れ残 り品漁ってるってのもなーとも思うが・・・・・人それぞれか。再び「治安 の礎」の話。「突入せよ!」は観ていないと・・・やっぱプロXだな。 バスは順調に走り、横川着。GWとあって、なかなかの賑わい。早速「文 化むら」の中へ・・・・・ときに、開園5周年とのことで色々催しがあった ようなのだけれど、たーしか開園は1999年4月、だったハズ・・・・・ 造ってるところから定点観測してたんだから、これは間違いの無いトコロ。 んで今年って2003年・・・はて? はてはてはて?? 色々解釈を考えてみるも、思いっきし「開園」5周年って言っちゃってる し・・・・・誰も気付かなかったん?>関係各位 来年もシレっと「5周 年」ってやっちゃってたりして(笑)。10周年には軌道修正かな。しっか りとお願いいたしまする。 #揶揄するものではないぞよ。 それはさておき、賑わいを見せる「文化むら」。年々色々とバージョン・ アップを繰り返し・・・・・と、資料館入口んとこに、記念メダルが。あの 名前刻めるヤツ。ED42の列車が刻まれている。うーむいつの間に・・・・・ これ、看過出来ない性なんである。その昔は青函連絡船の中でも、20世紀 の終わりには最後の営業日の交通科学博物館と梅小路で打ちまくり、一昨年 は吉岡海底駅でキメた(馬鹿)。そのようなわけで、売店で古写真など求め たついでに両替してもらい、刻印の小銭を用意する。 何故か軽井沢駅舎記念館のまである。当の記念館ではそんなモノ売ってな かったのだけれど・・・・・故あってのことなのであろう。今日も行った事 であるし、こちらも所望。刻印機は最新のタイプ。ガッチャンガッチャンと 景気の良い音は立てずに、カタ、カタ、と淡々と字を刻む。エレガントであ る。あのダイヤル式のヤツなんて懐かしいけど、もう無いのかな・・・。 中をさらりと回りつつ、やはり足はEF65Fへ向く。今はただただ佇む だけのFを眺めながら、これの駆けた時代を、想う・・・・・近頃、静態保 存車を眺めながら空想を巡らせるのが、妙に好きなんである。先日は佐久間 レールパーク、つい昨日も、川崎市電を眺めていたところであった。車両の 保存そのものや、その在り様については色々な見方もあるのだろうけれど、 その存在そのものをして語りかけてくる、圧倒的とも言えるリアリティは、 誰しも認めるところと思う。その経歴の記憶を宿した実物に接し、その記憶 へ想いを馳せる時、脈絡の無い隣の車両や頓珍漢なHM(ぉ なんてのは、 もうどうでも良いのである・・・。そら、写真だって撮りもするし、そうい う方で色々希望も無いではないけれど、「想う」ことの上では、どこまでも 自由がある。逆に言うと、想うことをしないというのは、不自由なことなの かも、知れぬ。 寡黙な名優達の昔語りに、耳を傾ける・・・・・そんな場所がここにも出 来て、早4年・・・。尤もこの場所自体、峠の語り部なのであった。 (終)