***** 2004年1月24日 ***** (独り言) 今週は朝練よろしく出勤前鉄(東横線ではない)などしていたものだから、 寝起きがちと辛かった。乗ろうと思っていたスジは諦め、萎える気分をどう にか支えつつ、のろのろと結局、まだ日の出前ではあるものの1時間近く遅 れての出立。南武線に乗ると、雪の付いた貨物列車が尻手短絡線から現れて こちらへ寄ってきた。北の方は大雪と聞く。今朝はこちらも冷え込んでいた が、予報では今日の松井田町、日がそこそこ高くなるまで氷点下らしい・・・ ・・・横川だの坂本だのはそのまた奥である。 上野で高崎線の電車に乗り込む。すぐにうつらうつらするも、暖房の効き が弱く脚が冷えて幾度も起こされ。膝を閉じて腿を摩ってる様というのも、 ちとカッコ悪い。 そうこうするうち熊谷着。ここで「Maxたにがわ433号」にスイッチ。 ホリデーパスから横川まで乗り越しがてら、プラス¥840ナリで横川到着 が1時間稼げる。しかも溜まりに溜まったオレンジカードをここで使いまく り・・・・・ようやく、2001年の東京モーターショーのZの絵柄まで来 た(汗)。さてホームへ入ってきたE4系の列車が満員。通常はよゆーで座 れそうな列車なのだが、スキーシーズン真っ只中。少々浮きつつも、まあ、 高崎まで15分程度である。デッキで寄りかかって本など読むうちに、ほら 高崎着。 いつものように信越線に乗り継ぎ、やがて妙義の山々がくっきりと見えだ す。ドピーカン。くぅぅ、俯瞰日和である。ベルビア日和である。それで私 は毎日が横軽日和(照)。山歩きには持って来いだったが、今日は色々と巡 りたい所がある。 横川に着いて、早速オレカ物色。使っても使ってもなかなか減らない道理 である・・・と、駅員氏に「ます釣りセンター」の場所を訊ねる人あり。を をを、そういやいつぞや行った行った。ビギナーズラックで釣れた野生の山 女が、美味かったぁ・・・・・じゅるる。 秋に丁須でコーヒーを淹れたのに味をしめ、今回もざんげ岩で啜ろうとコ ンロだのをゴロゴロと背負ってきたのだったが、横川駅前の水道で水を汲も うと思ったらこれが、蛇口を捻れどちょろりとも出て来やしない。凍結して るのか止めてるのか。しゃあない、麻苧の滝とも思ったけれど手堅く、ドラ イブインで汲むとするか・・・。 さすがにこんな寒い時期のまだ10時やそこらでは駅周辺も人気(ひとけ) が無く、「文化むら」の大きい方の駐車場も空っぽ。4番線に佇むロクサン と「あさま」、引きが取れるので折角だからと、また増えてるカメラの碓氷 デビュー方々、久しぶりにアレコレと撮ってみる。真横からのパノラマとい うのも、やってなかったような気がするし・・・・・忘れているだけのよう な気もしつつ。 かなり今更ながら、さっき入線の時に気付いたのだけれど、水垢のダラダ ラ垂れた様は不憫ながら、特にダラダラしている所をよく見ると、殆ど開閉 可能な窓であること。ああ、そういう風に水が垂れるのかと妙な発見。 ・・・いつかまた、綺麗に化粧直ししてもらえるだろか。 おぎのやドライブインは建物の外側が真っ白な幕で覆われ。まさか信仰上 の理由じゃなく(ぉ 外装の改装中であるらしい。さすがにこれでは商売に ならないからかどーんと大きく赤い字で「24H 営業中」と。ともかく入っ てまずは土産物チェック。釜飯の蓋に絵を描いた作品集の冊子を見かけるも、 今日はザックの中でヨレヨレにしてしまいそうなので見送り。忘れちゃいけ ないと水を汲んで、ざんげ岩でお昼に釜飯でもと思うも、玄米弁当が目に止 まったのでこちらを所望。玄米弁当から始まる2004年である。 国道からでなく信越線跡に沿いながら「文化むら」の横を通りかかると、 体験運転が・・・ん、重連じゃん。さらにヨの連結・・・・・体験運転を重 ねてそれなりの資格を得た人でなければ許されないメニューでわないか。見 れば身を乗り出して後方を睨む人、ベテランの風格。腕には「本務機関士」 の腕章・・・・・うおぉ。ここまで登りつめた人は、数える程しかいないハ ズ。 そのロクサンと並んで進みながら、第16中山道踏切跡。郵便局跡の土地 はきれいに整地されているようだったが、踏切の立体交差化工事は未着手の 様子。背後の山へ登っていく道のところでなにやら工事をしているのが気に かかったが、多分別件なのだと思う・・・・・で立体交差の工事、どういう スケジュールになっているのだろ・・・・・いずれ変わってしまう風景であ る筈の踏切を、あらためてぱちり。 登山口から、いざ、ざんげ岩へ。ここのところの冷え込みのためか、麻苧 の滝は見事な凍りっぷり。まだまだ成長しそうな予感もありつつ、これはめっ けものと、ぱちり。全国的には思いっきし無名かもしれぬこの滝、それ故の ひっそりとした佇まいがまたまたよろしく。独りきりでしばし、滝と対峙す る贅沢。 最初の鎖場のちょろちょろ水の流れるあたりも凍っていて、鎖場を上がっ た正面の岩壁も、着々と氷壁が成長している様子。もう少しするとアイスク ライマーがやって来るに違いない。2番目の鎖場の上では岩のえぐれた所に、 ツララ。人の腕より太く下まで繋がっているのまである。こいつで呑みてえ なとか舌なめずりしつつ先へ進み、あとはいつもの通りでざんげ岩着。ちょっ と時間かかったかな。 軍手やら上着やらをそこいらに脱ぎ捨て、ザックをごそごそ、早速コンロ やらを取り出して、水を火にかける。その間にまずは玄米弁当を・・・。 俯瞰日和でベルビア日和で毎日が横軽日和なところへ遠景までよくヌケて、 遠く高崎のあたりまで見渡せる。眼下へ転ずれば、重連のロクサンが定位置 へ戻って、さっきの人じゃないだろうけど、体験運転の人が降りてくるとこ ろだった。その横を「あぷとくん」がぐわしゃぼぐわしゃぼと走り過ぎる。 広さもあって来場者は疎らに見えたけれど、この好天気とあれば、かえって ゆっくり眺めるには良い日に違いない。 おやと思ったのは、10月の時と比べて展示車両達がなんとなく綺麗に見 えたこと。EF60も、後から来たEF65Fとの色味のちぐはぐさも無く なったように見える。前回と光線の具合が違うのか、それともやはり手入れ がなされたのか・・・・・屋根の辺りに境目が見えるから、やっぱり手入れ をしたのだと思う。維持に取り組む方々に、高い所からで申し訳ないが心の 内で頭を垂れる。 玄米弁当の後、やってみたら美味しかったじゃないけれど(古)、そろそ ろ湯も沸いたところで、コーヒーを・・・・・ずずっ、ふはぁ。 これよ。これなのよ。 丸山の方を見ると、変電所跡の前で何やら工事をやっている風。それも線 路の中で。これは何かが動いている・・・! トロッコ列車に備えた工事だ ろうか? しかし横川は何も動きが無いし、遠く望む坂本も、重機がいたり するようには見えない。うーむ、なんだろな、なんだろね。 しばらくぱちぱち写真を撮ったりなどして、撤収。丸山へ行って現場を間 近に見なくてはならぬ。ときに前回の山歩きで靴を買い換えようと思ったの だったが、その後靴を買った。本命ではないのだがハイカットの靴は脱いだ り履いたりがかったるいからと、どちらかというと旅行や街歩き用で。深さ 7cmまでは水を通さないというのがウリなのだったが、蒸れるという副作 用を知ったのは履き始めてから後のことであった。そら長靴と同じ理屈だわ な・・・・・夏が来るまでに何か考えねば。で、そんな靴で登って来たのだっ たが、下りでちと爪先が痛い。早いとこ本命買お。 登山口を出て吊橋を渡ったところでクルマの人に呼び止められ。「麻苧の 滝凍ってた?」・・・そういえば戻る途中三脚持ってウロウロする人も見か けたし、地元をはじめ、楽しみにしている人は結構いるのだろうな。 床屋さんの所から丸山への道に入る。郵便局のカーブを曲がり切った、横 軽廃止直前の頃駐車場になってたあたりへ来ると、新しく看板が。 「旧丸山変電所跡駅土木工事」 ををっ? オイ見たか!? 「駅」とあるぞ「駅」と! 「〜駅跡」ではない。「〜跡駅」である。駅造ってんだよ駅を・・・・・ 工期は昨年11月から、今年の3/15までであるらしい。ちうことは随分 と進んでいるのでわ、なかろか。 「アプトの道」の方をずんずん進む。どうでもいいが予報が外れたのかた だ風が無いからなのか、重ね着の1枚を脱ぐもちと暑い。あふあふ。 変電所跡前まで来ると、「アプトの道」は看板に阻まれ、変電所建物の側 へ工事現場を巻くように誘導される。奇しくも有刺鉄線の内側へ入れてしまっ た格好だが、工事現場の方を覗き込むと、カーブに差し掛かり上下線が離れ 始めようかというところに、今まさに島式(?)にホームを造っている最中。 ホームの下の垂直の壁にあたる部分のコンクリート部材を並べているところ である。これをぐるりと立て並べて、中に土など詰めるのかは知らないけれ ど、上に蓋をすればホームの出来上がりである。ぱっと見で、20〜30m くらいの有効長だろうか。もうちょっとあったりするかな。 勾配はこの辺りで25‰くらいから40‰くらいへ変わるのではなかった か。トロッコ列車の停止と引き出しは、これくらいじゃ問題無いのだろう (あったら大変だ)。そしてカーブを曲がり切っていよいよ、65‰(だっ たかな下り新線のこのへん)へ入って行く・・・。 上下線の間には木が植えられており。この木何の木と見分けがつかないの が情けないが、脳内では勝手に桜が咲いてる・・・・・トロッコから花見酒 というのも、どうかの。 変電所跡の前のコスモス畑に戻って、思わずかつてのお立ち台に立つ。ホー ムがあのへんまでだから・・・・・駅舎も出来るのかなどのへんかな・・・・・ ってもうロケハンかよ。 再び「アプトの道」を進み、おっ、上り線から狙う霧積川橋梁なんて現役 時代撮れなかったじゃん、などとウハウハしつつ・・・・・そういや、変電 所前までの「アプトの道」、トロッコの通る下り線と近過ぎないかえ?・・・ ・・・以前イベントで走らせた折には旗持った係が人払いをしてたけど、今 度はそうもいくまいに・・・・・やっぱ金網になってしまうのか・・・・・ 何か良い知恵無かりんこ。 ともあれ、ざんげ岩に刎石山、丁須にそれから五輪岩・・・・・坂本まで に限っても、以前と変わらず俯瞰ポイントは待っている。あの日あの時のよ うに、そして新しい時代の・・・・・まだ見ぬその姿を、思い描いてみたり ・・・・・走ってるモンが違うだけと言われようとも、撮ってやるぞぉ。 坂本までやって来たが、やはり工事をしているのは見たところ「旧丸山変 電所跡駅」くらいのよう。もうすぐ年度も変わるわけだけれど、今年度分の、 丸山ということなんだろか。年度変わりでまた、動き出すのかな・・・・・ 今度の4月で「文化むら」は満5周年。これに合わせるというスケジュール は、ちょっと無さげかいくらなんでも。 思うに、地元や事業の関係者やその周囲の人々は、このトロッコ列車構想 を当たり前のように知っているのかもしれないけれど、遠く外野からではど うもよく見えないんである。自分で調べろというのは「知る」側の話だが、 一方で「知ってもらう」側としてはどうなのかと。事業母体、或いはそれと 近い位置にいるハズの松井田町や、碓氷峠交流記念財団から、いわば「当事 者」としてのPRが、もっとあっても良いように思うのだけど・・・・・折 角自前のWebページも持っていながら、こりゃ勿体無い。 まだまだそれには時期が早過ぎるというコトなのか・・・・・知れば知っ たで気持ちが動く人々も、少なからずいると思うんだがぁ。以前ウヤ情誌で 「〜文化むらニュース」というコーナーがあったけれど、ちびちびとでも進 捗を紹介するだけで、良いPRになると思うんだがぁ。見た方はガンバレと 応援したくなるかもしんないじゃん。訪れたくなるかもしんないじゃん・・・。 はさておき、懸案の「第16中山道踏切」の立体交差化はじめ、素人目に も工数的にすぐに本格開業という感じではなさそうなので、気長に成り行き を見守りたいと思ふ。「ざんげ岩定点観測」もそろそろ再開かの・・・。 坂本を後に、「アプトの道」から「玉屋」の前の国道へ上がって、C=9 から旧中仙道へ。久しぶりに刎石の「覗き」へ行こうと思って。そういえば 最後に「覗き」へ来たのはいつのことだっけか・・・・・1999の年、1 の月・・・・・丁度5年前だったらしい。今回は横軽廃止後2度目。ホント、 ご無沙汰だったんだな・・・。 ああこんな道だったよなと、しばらく尾根を登って行く。尾根を進みなが ら左側からは国道の音が、右側からはかつて、時折ブロワー音が聞こえてき たものであった。ふと立ち止まり、耳を澄ます・・・・・聞こえる筈も無い。 筈など無いのだが、気配だけがまだそこに残っているようで、かつて林を透 かした向こうに思い描いた姿を、今また思い描くのである。そのうち・・・・・ ほぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・・・そこを通ったような気が。 病気だな。 しみじみしてばかりもいられぬ。日は大分傾いてきていて、西の山々の陰 が伸びるより早く、「覗き」へ辿り着かねばならない。しかし・・・・・こ んなに歩いたっけ?? はぁ、はぁ・・・あふあふ。 さすがにこのへんは日も当たらず、足元は雪。けれど今日の靴は防水、余 裕である。ようやく、馬頭観音、上り地蔵、下り地蔵・・・・・やれやれこ の先だ。ぐーっと登って右へ曲がり・・・ 出た。 はあ、やれやれ、覗き到着。上着やらを脱ぎ捨てて、カメラを取り出す。 坂本はまだ陽が当たっている。よしよし、ぱちり。ロクサン22号に、丸山 変電所・・・・・そういや丸山も改修後初めてか。線路を辿った先には上信 越道、そして「文化むら」が見える。右上へ転ずればざんげ岩、御岳東稜、 表妙義と重なり、その向こうは、埼玉の県境の山だろか。午後も回って霞み がちとはいえ、やー、今日はヌケが良い。 そこそこぱちぱちやったところで、もう少し先へ行ってみることにする。 5年前、ここでやはりぱちぱちやっていたら、この先で工事の作業をしてい たらしきおじさんに、東屋が出来たと教えられたのである。その時は日脚に 追われて行かなかったのだけれど、今日こそは行ってみようかと。 弘法の井戸を過ぎ、四軒茶屋を過ぎた、刎石の頂上に近そうなあたりに、 それはあった。大昔、関所があったという。中へ入るとノートが。通りかかっ た人達が思い思いに書き綴っているようだった。さてと、ここで休憩がてら コンロと水を出し・・・・・ずずっ、ふはあ。 来た道を戻ると、覗きから見る坂本には、もう山の陰がかかっていた。山 を降りて、ロクサン22号の間近に寄る。主には会えづ。暮れ行く中に佇む 22号を、独りしばし眺める。向かいのコテージで今夜泊まるらしい人達が、 BBQしながら怪訝そうにこちらを見ていたような気がしたが、それよか私 もBBQしたい・・・・・今世紀まだじゃなかったか? もしや。 再び「アプトの道」を辿って、降りる。丸山では今日の作業が終わったら しく撤収中のようだった。西の空に、三日月が付いて来る。ざんげ岩の稜線 とからめて、ちょっと無理があったがぱちり。 あー、結局「文化むら」に立ち寄る時間も無く、1号トンネルの方へも行 きそびれてしまった。またあらためて・・・・・17:23の列車で高崎へ。 高崎で始発の列車に乗り継ぐ。よせばいいのにまた地雷原へ立ち寄れば、 GMの107系に触雷・・・・・うー。 107系、実のところ最初は大嫌いだったのである。「何も考えないで造っ ちゃいましたー」と評して憚らない私なのだったが、そのうち単に国鉄への ノスタルジーに凝り固まってたような気がしてきた。その塗色も好みの分か れるところだろうが、なんだーかんだー言って、峠への足として利用するう ち、情が移ってしまったのであった。このへんは「げろぱく」489系白山 色も一緒カモ。 未だ謎なことに、横軽対策車の107系100番台、峠を越えた実績は、 あるんだろか・・・・・試験くらいはやってないのかな。ついでに、M車が 軽井沢方というのも、横軽対策のセオリーを外しているのである。ひょっと したらある時点で方転したのカモなれど、その妙ぉ〜なポジションが今更な がらに、魅かれる(笑)。とりあえず、先頭はTNカプラーだし、ウチのロ クサンにエスコートさせてみよか。 年末にはしなの^H^H^HマイクロエースのED42で自爆、10月も禁断の ED40で自爆。そろそろ「はまかいじ」もやってくる・・・・・あああ、 どうよオレ。 (終) 補:その後「文化むら」ファンクラブ会報「とうげ」が到着。2005年4 月の開業を目指し、「文化むら」園内でも既に「駅舎」が着工の由・・・ ・・・そういや安全第一の旗が・・・あれか! 「とうげ」では今後逐 次レポートされるとのこと。(2004.1.30)