***** 2004年3月14日 21:37:20 *****
[T:43644] Usui Mail 2004/3/13



 こんにちは、深町です。


 昨日(3/13)、世の賑わいに背を向けて・・・というわけでもないの
ですが(笑)、横川へ行ってきました。

 ちょっとセコい話から・・・・・かつて「スーパーホリデーパス」という
のがあって、横川まで行くのに手頃な切符として重宝していたのですが、こ
れが廃止になってから久しく・・・・・18きっぷが無い時は「ホリデーパ
ス」で足らない熊谷〜横川間を精算、という方法を採っておる私です。

#最近「ホリデーパス」も値上げしてしまったので、殆どトントン。

 さらにセコいことに、現金で乗り越すより溜まったオレカを使ったれ(そ
ういえば「ホリデーパス」もオレカで)、というわけで、熊谷で途中下車、
さて切符を買うかと自販機へ向い、ふと目に止まったオレカ販売機。

    「本庄早稲田駅開業記念スイカ」

 うー。3/13より発売、とあり・・・・・あ、今日だった。(ぉぃ

 見てしまったものは仕方が無い・・・触雷。(--; こうしてまた、使って
も使っても以下略・・・。



 さて。

 横川駅着。「碓氷峠鉄道文化むら」の方を見ますと、なーんかチラっと青
とクリームのモンが見えてます。

 ???

 近寄って見ますと、なんとロクサン24号機! 茶色でしたよねえ・・・・・
えーと・・・・・24号機が茶色となって最後の全検出場したのは、横軽廃
止の年、‘97年春のことでした。因みに最後に全検出場したEF63は、
25号機。24号機はそのすぐ前。

 しかしいつ青に・・・・・1月末はまだ茶色・・・・・ともあれ、7年ぶ
りに、元の色に戻ったのですね。

 7年、か・・・・・あー。じっと手を見る。

#茶色のうちにもっと撮っておくんだった。(ぉ

 ナンバーの文字部分も綺麗に磨き出されているのですが、現役時代と微妙
に、趣が違うような気も? ナンバープレートを止めるビスも色が塗られて
いないあたり等々、ぱっと見、妙な新鮮味がありますねい。「換算 11.0」、
「SN」なんて表記を見て、そういや全検表記はどうなっているのだろう、
と気になるも、外から見えるのは公式側、表記のある非公式側2エンドが確
認出来づ(この日結局「文化むら」に立ち寄る時間無く)。うーむ気になる
気になる。

 動態保存のもう1両、25号機は?・・・・・これが見当たらづ。はてさ
てと見て回りますと、横川駅旧5番線(ロクサン2両と「あさま」編成が置
いてある線の隣)に怪しい(失敬)テントのようなモンが。隙間をちらと覗
いてみれば、いましたいました、25号機。物干し竿のようなアンテナは既
に外され、何やら作業中。細かい部品を外しているところでしょか・・・?

 25号機も、青に戻るんですかねえ・・・・・ぢつわ「後塗り茶ガマ」に
はちと冷めてた私なのでしたが、いざ青に戻されるかもしれないとなると、
それはそれで今度は、やっぱり1両は茶のままで、などと思ってしまう気紛
れ。(^^;

 いや、100余年の横軽の、最後の日々を彩った茶ガマ。これも碓氷の記
憶に、違いなく・・・・・既にそれは、好みなどを超えたところにあり・・・
・・・前に別件でも書いた話ですが、後塗り茶ガマにも「物語」の記憶が。

 庫の中には同じように「後塗り茶ガマ」となった18号機もいますが・・・
・・・うーん、動態保存機で、青と茶1両ずつに、なりませんかねえ・・・。
いつ出て来るのかは判りませんが、お色直しなった25号機の再登場を、楽
しみにしていましょう。どっちか賭けます?(ぉ



 「おぎのやドライブイン」で今年初めての釜めしを食してから、横川を見
下ろす「ざんげ岩」へと向かい・・・・・丸山へ至るカーブの、旧第16中
山道踏切跡・・・・・郵便局の跡地には重機が。「地縄」というのですか、
ピンク色のロープのようなものが間隔を置いて2本、地面にぴーんと張られ、
信越線跡の線路を渡り、法面を下って国道側まで達しています。恐らくここ
を掘り下げるなどして道路(=アンダーパス)になるのでしょう。こちらも
いよいよ変わりそうです。

 えっちらおっちら、ざんげ岩へ登ったところで、いつものように呆けてい
ますと・・・・・ん、んん?、ぬおおお! さっき見たロクサン24号機が、
走ってます(そりゃ走りもするだろう)。くぅぅぅ、自走する青いロクサン
を見るのは、横軽廃止直後の構内入換以来では、あるまいか・・・。

 6年半、か・・・・・あー。じっと手を見る。

 下山して丸山へ。例の「旧丸山変電所跡駅」は工事が続いており、有効長
はやはり20m程であろうかというホームは、最後の舗装の前に点字ブロッ
クを並べているところのようでした。ホームより長いんじゃないかという立
派な車椅子のスロープもあって、バリアフリーもバッチリのようです。もう
仕上げに近いように見えたのですが、このまま屋根無しで完成、なんでしょ
かねい。

 さらに先の坂本はまだ特に変わったところは無いようでしたが、ちょっと
目が離せなくなってきましヨ・・・・・って前にも書きましたか。



 オマケ。

 宣伝モードですが、目に見えて動き始めたところで、横川観察記「ざんげ
岩定点観測」とゆうものの、更新を再開いたしました・・・・・4年ぶり(汗)。

   ・A HREF="http://www.t3.rim.or.jp/~cub/report/zange/">http://www.t3.rim.or.jp/~cub/report/zange/

 よろしかったらどうぞ。(_ _) 最早チンプンカンプン、カモですが・・・。



  *****
     深町 忠利 > ふかまちただとし
        E-Mail > cub@t3.rim.or.jp
           URL > http://www.t3.rim.or.jp/~cub/



オマケ:

 ざんげ岩から見ると、24号機も結構行ったり来たりしていたので、では
走るところを間近に、と丸山へ向かう前に第16中山道踏切でしばらく粘っ
てみるも、これがぷっつりと来なくなり。体験運転の予約が入ってなかった
んだろか・・・。

 坂本で22号機をちょっと眺めてから、「峠の湯」の横のテラスで一息。
さっきまでマフラーに手袋だったのだが、日が高くなるにつれぽかぽかと、
既に暑くて暑くてかなわづ。コートを脱ぎシャツ一枚。ふう。

 さてと、今度こそは霧積へ通ずる道へ入り、上り1号トンネル付近まで見
ておこうと、思ったのである。こちら側へ来るのはえらく久しぶりかも知れ
ず・・・・・「玉屋」の角から入って行くと、「おぎのや」の立て看板が柵
か何かにリサイクルされており。「文化むら」開園時のものまであり・・・・・
ああ、あったあった、そういや見かけなくなったなぁ、とぱちり。以前、こ
こは社長の自宅であると聞たことがある。線路側には「おぎのや」の看板の
釜めしの絵が並び、それが列車からもよく見えて、商売熱心ぶりを発揮して
いたのだが、横軽の廃止後、最早誰に見せるでもないそれは、間もなく片付
けられてしまった。寂しさも無いではなかったが、そこにはむしろ、廃止後
への前向きな意思を見る気がした・・・・・数年後、社長が不慮の事故で亡
くなるという不幸もありつつ、「おぎのや」の歴史は、これからも刻まれ続
ける・・・。

 変わらぬ上下線のガードを潜り、左折。本当に久方ぶりであったことも手
伝ってか、あまりにも変わらぬ風景に、不意に込み上げるものあり。近頃何
かとフワついている私を、お帰りなさい、と迎えてくれたようだった。ここ
で過ごした日々が蘇る。まだ見ぬ列車を思い浮かべながら、待ち続けた日々。
今もこうして、来る当ての無い列車を待つうちに、「あの頃」のピュアな気
持ちへ、還って行けそうな気がした。

 思えば、横川〜坂本はすっかり整備されていて、「あの頃」の風情のまま
にこうして傍で佇める場所は、結構限られる。今更ながらにこの、半ば忘れ
られたような地味な場所が、愛しく思え・・・・・もしトロッコ列車が先へ
伸びることになれば、ここも「今」だけとなるやもしれぬ。

 たしかこの辺りでこう撮ったな、「66.7」の勾配標はここいらへんだっ
たか・・・・・などと記憶を辿りつつ、先へ進む。やがて上り1号トンネル
出口。最後に降りて行くロクサンを、ここで見送った。横川の喧騒を他所に
ここばかりは今日のように静かで、早くもオリオン座の現れた空に、いつま
でもブロワー音が木霊していた・・・。

 あまりにもしみじみばかりしていたので、横川へ戻る頃には「文化むら」
も終わってしまい、今日も入りそびれ。こちらはまたあらためて、訪れねば
なるまい。25号機の様子も気になる。



 帰りにいつもの地雷原で、107系100番台前期型と「はまかいじ」で
自爆。今度はED41も出るらしい・・・・・あんだそりゃ。


(終)