***** 2004年5月29日 ***** (独り言) どうも目が離せない横川。梅雨入り前にせめてもう1度くらいは、ざんげ 岩から眺めておきたかった。先週は空模様が怪しく結局諦めてしまい、今週 こそはと予報を見ていると、とりあえず雨は避けられそう。うまくすると日 差しにも恵まれそうだ。よーし。 プラレールはさておき、色々ゴタゴタやってるうちに結局徹夜になってし まい・・・。相変わらずセコセコと、「ホリデーパス」の熊谷乗り継ぎを実 践しているのだが、現金精算でなくオレカやイオカを使うべく熊谷で一旦降 りるとなると、運転間隔の都合もあってそれなりのロスを伴う。今日のよう に徹夜明けとなると余程に、高崎まで通しで寝て行きたいトコロ。全く馬鹿 馬鹿しい真似をしているものだと自分でも思うのだが、スーパーホリデーパ スを奪われて、これは意地なのである。 南武線は嫌がらせかというちんたら走りをかましてくれて、川崎で1分の 乗り継ぎ時間があるハズが、駅へのアプローチの間にその乗り継ぐ相手の京 浜東北線が追い抜いて行き、先にホームに止まってドアを開いていた。南武 線の運転士の時計が遅れてたんじゃないかと訝りつつともかく階段をダッシュ するも、結局京浜東北線を取り逃がす。クソッ、あと10秒もあればなんと かなったんだが・・・・・ちぃ、出鼻からケチが付いちまった。 仕方が無い、次は・・・・・東海道の上りが早そうか。東京でスイッチし て滑り込めればしめたもの。しかし先行する京浜東北線の姿を捉えはしたも のの、とてもじゃないが乗換不可。すぐに来た山手線で焦れながら上野へ・・・ ・・・時計を見る。ををっ、イケそうか? ともかくダッシュ、ギリギリセー フ! ひゅー。軌道修正成功。あとは熊谷でうまいこと起きてれば良い・・・ ・・・そんな具合で熊谷で切符を買い直し、高崎で乗り継いで、予定通りの 横川着。やれやれ。 ときに駅に着く前の「碓氷ドライブイン」のところ、コンビニになってお り。横軽廃止の少し前には既に畳んでいたような気がするけれど、そういえ ば以前、あの「ポピュラス」のお城のような建物を取り壊しているところを 見た気が・・・・・書き留めておくのを忘れたようで、それが何時頃のこと だったかは、判らづ。この1年の間とは思う。またひとつ、横軽現役時代の 馴染みの風景が、消えてしまった・・・。 なんだか無性になめこ汁が欲しくなったので、おぎのやドライブインで釜 めし共々腹ごしらえ。例のキティちゃんはというと、ファスナーマスコット を見ないような・・・・・たまたまか? なんとなく、前回買わなかった根 付が気になったので所望。キティちゃん本体は同じなのだけれど。「ネコ対 決」の隣のドラえもんの方は、動き無しの模様。 さて・・・・・信越線沿いに歩いて、第16中山道踏切跡までやって来る と、郵便局跡側で道路を掘り返してる。水道工事の由。踏切の反対側も、部 分的にアスファルト舗装が剥がされて砂利になっていたりしているけれど、 こちらは既に終わった方なのか? 踏切の下り側のすぐ横で、1mくらいの 幅にバラストが掘られて、上下線ともレールがその上で浮いてる。これまた 何だろね・・・。肝心の立体交差の工事は、これの後になりそうな気配。 一方、関所寄りの、小根山森林公園の方へ向かう道が分岐するあたりも何 やら工事が・・・・・これは前から認めていたのだったが、家か何かを撤去 したか、そんな一時の工事だと思っていたら、まだ続いてる。どうやら道幅 を広げるか、曲げるかするらしい。たしかに、郵便局側から来ると結構狭く てきついヘアピンで、何を隠そう横軽最終日に、曲がり切れると思った我が 愛車のフロントスポイラーをガリッ、とやっちまった悲しい場所だったりす る。その石垣諸共既に無く、ここでも、横軽現役時代の馴染みの風景が、消 えてしまった・・・・・信越線を潜ってからここの分岐まで、まとめて整備 するのかしらん。森林公園へもどうぞ、って。 「アプトの道」へは踏切からそのまま入れなくなっていて、一旦、理容イ ワサキ(笑)の前まで行ってから入る、かつて皆が歩いたルートへ迂回。そ ういえばこの道も、たしか前回気付いたのだったか、綺麗に舗装されており。 深い轍に腹を擦りそうで、同乗者を降ろしてソロリソロリと通行したのも、 今は昔。 丸山の直線に入った所で、「アプトの道」に戻る。雲は切れて、太陽がジ リジリと照り付けてくる。暑い。「夏服」装備で出かけるのは今年では初め てだったが、いつもならGWあたりからそうするのに、天候不良だったりで なかなか「衣替え」の機会無く、つまり今年の暑さにまだ慣れていない身体 に、これはちときつい。うー。 暑い上にむぅ、と臭うのはバラストを固定する樹脂のそれだった。あらた めて塗ったというか、まいたというか、かけたというか、したらしい。濡れ たようなバラストを指でつついてみる気にもならなかったが、ひょっとした らまだ生乾きだったのかな・・・・・人が訪れればそれだけ傷みもするだろ うし、維持も大変。旧丸山変電所跡駅(仮称?)は出来上がったままの状態 で、特に変化は無し、か・・・・・その先の上下線の間に植わっている木は、 桜ではなかったらしい。表示の看板が立っていたが、その中に桜の名は無く。 その代わり目に付いたのは紅葉。さすがあの歌の本場だけのことはあり、な らば紅葉を見ながら、呑むとしましょうかね。 汗ダラダラ垂らしながら、坂本。こちらの駅はまだまだの様子。発掘調査 の跡も、掘りっ放しのままに見える。ふぅーむ、こちらも目が離せづ。「峠 の湯」の軒先で、しばらく身体を冷ます・・・・・あー、寝不足のせいだ、 きっと。 来た道を降りて、ざんげ岩へ。寝不足の割にはまあ登れた方か。しかし上 に着く頃には、すっかり日は陰ってしまい。うー、しょうがねえな・・・・・ とりあえずベルビアの発色に期待することにして、郵便局跡周辺を中心に、 ぱちぱち。 すぐに用件が済んでしまったので、ぼーっと眺めて過ごす。そういえば、 ここで昼寝ってのも、長いことやってないよな・・・・・今世紀に入ってか らでさえ、まだじゃなかろうか? うーん、のんびり過ごしたい。 引き上げ線にいた「あぷとくん」が推進で駅に入り、そしてしゅぽしゅぽ と走り出した。それをぼーっと眺める。 さて、そろそろ降りようか。今日はまだ行く所がある。 信越線から高崎で乗換えて、倉賀野で降りた。聞く所によると、長らく高 崎機関区にいたロクサン14号機が、結構前にこちらへ移って来ている由。 長いこと留め置いていたから、動かすのも大変だったんじゃなかろうか。 高機にいる頃、夜に見に寄った記憶はあるのだけれど、昼間は列車の中か ら見たくらい。そのうち、そのうち・・・・・とズルズルやっているうちに、 機を逸してしまった。まったく、そういう経験をいくらもしていながら、学 習というものが出来ない人間なのだな。 以前、EF65Fが留置されているのを見に来たことがあったから、その 時はクルマだったが場所は判っていた。国道へ出て歩くこと暫し、をを、い たいた。 って、またEF65Fがいる。流石に前に見たのとは違うと思うけれど、 切り抜き文字を剥がされた跡は、524号機と読めた。隣には目玉焼き改造 のEF60・・・・・これまた剥がされた跡が、13号機と読める気がする のだが・・・・ん、クイル式?? さてさて、ロクサンは・・・・・そのEF60の後ろに、いた。横に回り こんで金網越しに眺めると、その校倉造フィルターと、電池室蓋を備えた個 性的な側面、そして僅かに、2エンド側の顔が見える。あの物干し竿のよう なアンテナ付の顔に馴染んだ目には、それを備える前に退いた14号機の横 顔には、すっぴん美人のような風情が窺える・・・。 うーん、顔をよく見たい。 さらに回り込んで、金網越しの隙間から、1エンドのほぼ真正面が見えた。 ちょっと距離が・・・・・400mmで隣のEF65と並びでも、少し空く くらい。 もう少し先に踏切があったので、そこからはどうかとさらに進むと、やっ ぱり、かなり遠い。かなり遠いながらも、ヤードのタンク車を手前に入れた りなんぞして、ぱちぱちと。ふぅーむ。テレコンかましたりなんぞして、手 ブレ補正が有り難い。 振り返ると、構内に重機やら大型トラックやらがいて、何やら作業してい る様子だった。そういえば近くに止まっていた大型トラックには、どう見て もDE10あたりのキャブと思しきモノが載っていて、ここで1両、生涯を 終えたところであることを暗示していた。 これまでにも、ここから旅立った車両はいくつもあったらしい。以前、 EF65Fを見に来た頃も、見る見るその数が減って行き、或いは顔ぶれが 変わっていった・・・・・そして、EF63 14。この2次形トップナン バー、そして青ガマ落成のトップ・・・・・実のところ、1号機共々、この 個体の現役時代を知らない。小学校の時分にひょっとしたら見たかもしれな いけれど、少なくとも撮りに来るようになったのは、彼らの退いた後だった。 1号機はイベントで接することもあったけれど、14号機は本当に、縁が無 かっ・・・・・いや、ゴハチ・ブーム真っ最中の1984年、浜松区での 「きかんしゃ大集合」イベントで撮ってるみたいだなどうも(笑)。とする とまだ車籍があった、頃? ともあれ、今ここへ来たことの意味するところは・・・・・何故に今なの か・・・・・本当のところは判らぬがせめて、刻み付けておきたい。 (終) 補:その後、識者によると倉賀野のEF60は2次車16号機の由。