***** 2005年10月16日 *****
(独り言)



 いよいよ閉館が近くなってきて、思い出と折り合いをつけるような気持ち
で、近頃足が向いてしまう交通博物館。今月は鉄道の日に因んで、映画もま
た濃いぃのを上映する様子。尤も普段から濃いぃのだけど・・・・・碓氷峠
のこれがまた大正時代の映像などがあるという。むぅぅぅ。

 撮り鉄モードな「白山」とぶつかって少しばかり悩んでいたのだが、結局
横川行きは日帰りにして、交通博物館を訪ねることに。よくよく見ると結構
凄そうな内容だったし。

 いつも「なかよし」のHMを掲げている修学旅行電車。今日は「ひので」
に換えてあり。運転台を見せてくれるとのことで、なにげに先週も訪れて味
わいのあるイラストのクリアファイルを頂いていたのだけれど、今更ながら
これ、レプリカであったと知る。部品は本物らしいけど・・・・・考えてみ
れば、今ならともかくこれが出来た当時、現役バリバリで廃車など発生して
いなかったハズで・・・・・交通科学博物館の「こだま」もうそうなのかし
らん? EF58も、たしか158号だったと思うが、当の158号が現役
の頃に既にあったのだから、大分怪しげ。

#この「なかよし」、以前はもっと車体が長くて座席もそこそこあったハズ、
#と係のお兄さんに訊ねれば「昔ぁ〜し」だって(寂)。



 はさておき、映画である。今や名画座のような味わいのホールでは、1階
の模型運転が終わったのかガヤガヤと家族連れが入って来る中、ぽつん、ぽ
つんとシブいお客が先に良い席を取っていたりするあたりがまた、ここらし
い風景なのだったが、考えてみれば今ここにいる子供達の多くはもう、生ま
れた時には既に長野新幹線が走ってんじゃんか・・・・・じっと手を見る。

 まずは1921年即ち大正時代に撮影されたという、碓氷線の様子。殆ど
最古の映像であるらしい。NHKの「映像の世紀」のようなノリになってき
たが、さすがに蒸機時代なんぞは無かったか。ルミエールの発明から四半世
紀、明治のうちには既に日本国内のあちこちが撮影されていたように思うけ
れど、こちらまで撮ろうという人はいなかったのか・・・。

 サイレントなので学芸員の方が解説をしてくださる。最初に現れるは横川
の火力発電所。煙突の向こうに五輪岩。山はそうそう変わるものでもなかろ
うが、今に通じるものを見出すと、そこに連綿たる営みを感じられて、しみ
じみするもので。

 続いて出たぁ、丸山変電所。もう現役バリバリ。

 横川の3番に到着する列車。途中で切り離して前の方が行ってしまい、入
れ替わりに10000形が連結される。減車かと思えばさっきの前の方が戻っ
てきて、10000形を挟み込んだ。ナルホド。たしか引き通して総括制御
をしていたのではなかったかと思ったが、そういうものは見当たらづ。とき
にこの10000形、どうもあのライトグレーではなく、黒っぽく見えたの
だけれど、はてさて茶色に塗り変わったのはいつ頃だっけか。いやいや黒色
時代なんか無かったろうか・・・・・ウチにある1/150の茶色は既にパ
ンタ化されていたが、そういや名前もEC40になっちゃってるし・・・・・
映像で見るそれはまだ、ポール式の様子。大正じゃまだポールだろうが、色
の方が気になる。

 連結器はまだバッファ付のそれ。あとで調べてみるとこの数年後に、あの
自連への一斉交換がなされている。ふーむナルホド。

 ホームには駅弁の売り子らしき人。もしや「おぎのや」? 熊ノ平でもホー
ムで出迎える人があり、これまた「玉屋」?? しかしこの熊ノ平での交換
風景、互いの列車が可愛らしくて、ふと西武園の「おとぎ電車」の交換風景
の記憶と重なり・・・こっちも古いね(汗)。この当時は勿論、大幹線であ
り純然たる輸送機関なのだけれど、現代人・・・いや80余年後の未来人の
目には、車両達は愛嬌があり、またそののんびりとした時間の流れ方は、観
光鉄道のような趣。「シェルパくん」もそのうち、こんな風に交換してたり
して。

 他に眼鏡橋は勿論、僅か8分の間の濃いぃ映像の波状攻撃に、いやはや、
お腹いっぱい。



 続いてはこれまた1921年撮影という、箱根越えのマレー。なんでも現
存する唯一の映像であるらしい。酒匂川の橋梁と思われると解説された映像、
どうも見覚えがあった。多分、SSE「あさぎり」を撮りに行った場所じゃ
なかろうか。あの時、かつて複線だったことを物語る橋脚にトワイラ気分で
ウハウハしてた気がするが、それがアレだったかと思うと、またまた連綿た
る営みに沁みる。

 以上2本は,何かストーリーを展開していく、というよりも、映像記録集、
或いは映像の標本といった趣のもの。数カット、或いは1カットだけで、こ
れはどこそこの様子、次はどこそこの様子、と、淡々と続いていくのである。
ある意味動画でありながらスライドショーに近い。

 しかし、家族ビデオはさておき趣味で乗物なんぞを撮る人の記録って、結
構こんな風だったりするんじゃなかろか。普段はボケーっとしててもプロの
手になる映像作品がTV画面から溢れてくるので、見る目はそれなりに肥え
ていても、いざ自分で作るとなるとそのギャップに愕然となったり、構成か
ら何から面倒になって、結局1カット集になったりして・・・・・そんなわ
けで、意図してのものか手法が確立していなかったのか知らないが、この淡々
とした構成、個人的には妙な親近感(笑)。



 そして3本目、その名も「碓氷峠」、1963年、軽井沢町による作品で、
新線開業を記念してのものか。そういえば軽井沢駅舎記念館に、当時の新線
開業を告げるポスターがあって、そこには当時の期待と歓迎の程が伺えて・・・
・・・長野新幹線開業前後の当地の空気から想像してみたが、どんなもんだ
ろう。

 カラーが褪せていて殆ど赤茶のモノトーンと化していたが、植物にうっす
ら緑が残っているのを見るに、これも今の技術ならどうにか、などと思いつ
つ、先の2本のモノクロ映像の、その確かな耐久性に感嘆してみたり。

 はともかく、やはりこの、ED42の連なった列車が眼鏡橋を渡る堂々た
る様は、圧巻。現地で見上げてその様を想像しては鳥肌を立てていたものだ
が、それに生で接していた人達には、少しばかり嫉妬を覚える。かつて国道
が潜っていた中尾川橋の映像も、たまらん。

 熊ノ平では、トンネルポータルの上を登って行く人の姿が。撮り鉄かとい
えばさにあらず、ハイカーらしい。熊ノ平から中山道へ至る道があると聞い
たことはあったが、ナルホドああいう風に行くのか・・・・・そういえばあ
のへんから撮ったと思しき写真を見たことがあるような。



 碓氷峠の歴史を紐解きつつ、そして新線開業、80系電車が発車して行く
・・・・・全体的なトーンとしては、アプト式を惜しむというより、古より
の歴史の延長に来る、新たな時代への期待に溢れている。町の観光PR映画
なのだろうから、前向きなのである。そしてその34年後、軽井沢はまた新
しい鉄道に、沸くことになる・・・・・周囲の環境も色々と変わりつつある
ようだけれど、その20世紀末あたりをいずれ振り返る時、さて何を想うだ
ろう。

 淡々とした記録映像にも、演出の凝らされた作品にも、その時代々々の気
分のようなものが封入されていて、これがまた、をかしからずや。なにせリ
アルタイムの「生きた」ものであるから、後々にこれをどうにかしようとし
ても、なかなか難しい。記録とは、そんなものと思う。

 クラシック音楽などでは近年、著作権や著作隣接権まで切れている「往年
の名演」が安価にパッケージ販売されていたりする。こういう貴重な映像作
品にも、そういった道があるのではないかと、思えてくる。モノクロ作品は
保存状態も割と良いので、ここのホールでビデオに収めてDVDを手焼き、
という方法だって無いではない(笑)わけで、なんかこう、安価に分かち合
うというのは有意義と思うが、どうだろう。リスク分散にもなるし・・・。



(終)