***** 2005年10月29日 ***** (独り言) 丸山変電所の内部が一般公開される由。かつてはボロボロの廃墟然として いた・・・・・その頃の方が馴染み深い向きも多いと思うが・・・・・今世 紀に入ってそれが綺麗に整備されて以来、一般に公開されるのは初めてでは なかろうか? 地元向け等ではあったかもしれないけれど、聞く限りではそ んな気がする。なんでも10/20は「近代化遺産の日」なのだそうで、そ れに因んで全国のあちこちで、こういった公開が行われるのだという。ナル ホド。 #10/28(金)〜11/6(日)。 例によってホリデーパス熊谷乗り継ぎ、例によって出掛けにアレはどこだ とバタバタして遅れてしまったものだから、例によって熊谷〜高崎を新幹線 でリカバリ・・・・・まあ特定料金だからまだいいのだけど・・・・・で、 ともかく横川を目指す。信越線の車内はソレと思しき客だらけかと思えばさ にあらづ、聊か拍子抜け。変電所前には行列が出来ているのでわなかろか?、 入場制限されるのでわなかろか?、などと強迫的妄想を伴いつつ、毎度のこ とながら勝手に盛り上がっているのだったが、世間的にはあまりそういうも のでもないらしく、我ながらここいらへんについては、ちとヘンなヒトなの カモ。 横川駅前も、特にいつもと変わらぬ静かな風情、そう慌てることもなかっ たか、と呟きつつ、思惑あって1000からの公開の、その始めから入って おきたいということもあり、ともかく「文化むら」を横目に「アプトの道」 を行く・・・・・丸山の直線をテクテクと進んでいると、背後から追いすが るような人あり。その気配になんだなんだと内心少々ビビりつつ振り返ると、 この方、今日の変電所公開の関係者の方で、「現場」へ向かっているところ へ私の後姿が別の関係者に見えたらしい。 少しばかり早かったようで、役場の人やらのメンバーが集まるまで暫しの 間。1000を過ぎると具合が悪いなと内心気を揉みつつ待っていると、さっ きの人に飴玉を勧められ(笑)。その場にいる数名の、私以外は全て関係者。 お客さん、お客さん、と呼ばれるのがムズ痒かったが、しかし一人だけか、 とあらためて拍子抜け。尤も今日だけというものでもなし、一日何時間も公 開するのだし、フツーに考えれば慌てて早くから詰める道理も無い。 1000、いよいよ御開帳〜。 まずは蓄電池棟に通された。外観はすっかり綺麗になっていて、さて中は どうなのかと思っていたら、特に変わったところもないようで、殆どあの廃 墟然とした頃の面影のまま。修復後の窓は曇りガラスになっていたから、中 を窺うこともままならなかった。辺りをぐるりと見回し、こみ上げる懐かし さに包まれて、大きく深呼吸する。 なんだか暗い気がしたのは、屋根が塞がったためだ(笑)。いやいやそれ だけでなく、どうも何かが違うと思えば、壁の一部が剥がされて、煉瓦が丸 見え。解説員氏(先程飴玉をくれた方)によると、煉瓦積みの構造が見える ように、修復の際に敢えてそうしたのだという・・・・・全体的に作業が終 わっていないように見えるのだけれど・・・・・補強の鉄骨が内壁の上の方 をぐるりと巡っているのも目に止まった。修復工事の前に、錆止め塗装のま ま壁をサンドするように組まれていたのとは全く別モノで、そっと添えるよ うに、目立たずに、しかししっかりと、この建物を支えている。足元は配線 ケーブルを通したという溝もそのままに、殆ど手が入っていないようで、上 ばかり見て歩いては危なっかしい。 おっと、1000を回って、今何分だ? 新幹線まで使って急いで来たのには、訳がある。窓越しに「シェルパくん」 を撮りたいのだった。まあ「昔の名前で出ています」みたいなモンかと言わ れてしまってはミもフタも無いが(ぉ・・・・・かつて、その時代々々名優 がこの「フレーム」を過ぎって行った。その連綿たる営みが遂に途切れる日 を想った頃、そして断絶の先に現れた「シェルパくん」・・・・・この「フ レーム」を通して、その時の流れを形に残しておきたかった。要するに定点 撮影のソレなのだが。「文化むら」1000発の初便に拘ったのは、光線の 具合もあったが、より多くチャンスを設けたかった部分も大。 そのようなわけで意気込み満々、カメラも最近のお気楽EOSではなくモー ドラ装着バリバリ仕様のNewF−1とキメて来たのだったがしかーし! 蓄電池棟は曇りガラス・・・・・あああ。来るまですっかり忘れとったわい。 ならばと、隣の機械棟へ急ぐ。幸いこちらは透明ガラスなのだ。ところが こちらに来ると「まるやま」駅のホームが手前に入る・・・。 と。 ディーゼルの音が聞こえてきた。もう迷っている場合ではない。ここと場 所を決めて、フレームインする「シェルパくん」を、ぱちり・・・・・って 目の前で止まってしまったので慌てることもなかった。うーむむ。しかし、 どうもこう、撮り難い。空ばかり入って「シェルパくん」が窓の「フレーム」 下の方に沈殿して見えるのである。なんでかな、なんでだろ・・・・・と思 いあぐねてハタと気付く。今回の復元と共に、窓の裾の方がガラスでなく鎧 戸になってしまったものだから、それでうまい具合に見えないのだった・・・ ・・・そおかあ。すると脚立で高さ稼ぐしかないのかな・・・・・あの中で はちと気が引けるけど。 ともかく「まるやま」の駅名標などからめつつ。 「シェルパくん」の乗客が中へ入って来て、うわー、てな具合に見回して る。けれどすぐにホームの方から発車の声がかかり、慌しく「シェルパくん」 へ戻って行く・・・・・またあとで寄ればいいじゃん、そんな気軽さが、こ こにはあるような気も。帰りは「アプトの道」を下るも良し、「シェルパく ん」を「まるやま」で降りてしまうも良し。ここまで来れば、横川まではす ぐなのだから。 1回戦が終わったところで、あらためて中を見回す。機械棟の方には、今 回の工事前まで使われていた、窓のサッシや蓄電池棟の排気塔に、屋根上の 飾り等々が並べ置かれており。復元改装中に外されたところなどを見かけて いたが、いやいやお懐かしい。一見して数は足らないようだけれど、いくら かここに残されているのは嬉しい。 復元されてあらためて知ったような次第だが、この建物も使われるうちに 改装などを経て、オリジナルから大分変わっていたようだった。しかしそれ は連綿たる営みの上でのことで、個人的にはそれはそれで意味のある姿だと 思っている。大井工場(新しい名前覚えられづ)だったか山手電車区(同) だったか、やはり赤煉瓦の建物が東海道線から見えるけれど、アルミサッシ の白く光る窓の、その無造作加減にかえって「生きた」建築としての生々し さを覚えるのである。尤も保存対象としての文化財となると無論、別の話に なるのだけれど・・・・・ともかくこれらの部品達も、この変電所の歴史の 中に確かに生きていたモノ達であり、そこは尊重したい。 その後「シェルパくん」がらみも2回戦、3回戦と続く。運転区間の中間 にあるものだから、上り下りとほぼ等間隔にやって来る。しつこく窓越しか ら、或いは外から、その都度ぱちり。 その合間に、と言ってはナンだが、展示されている古い写真や資料を交え て、解説員の方々に色々お話を伺えた。中に年配の方もいらして、聞けばか つてここで働いていた由。展示されている古い写真の中の、変電所の前での 集合写真を指して、これがオレと仰せ・・・・・おっ、確かに面影がありま すねえ。しかし、まさに語り部・・・ゾクゾク。 その写真の窓のサッシは、今復元されているものと違う。というより、最 近まで使っていた蓄電池棟のものと同じに見えた。つまり蓄電池棟の前での 写真ということになるのだが、当人は「機械棟」と呼ぶので暫し話がこんが らがる・・・・・どうやらこういうことらしい、横川の発電所ではなく東電 から電気を買うように切り替わった後、蓄電池棟を改造して新たな変電設備 に充てたため、この写真の頃には「機械棟」と呼ばれていたと。うーむ深い。 すると元々の機械棟はどうなったのか? 切替直前の頃の蓄電池は?・・・・・ 話を聞き違ったのかもしれないけど、ここいらへんは宿題で調べるとして。 なんだか社会科見学みたいになってきたぞ。 気になる窓のサッシの変化についても質問。復元されているのは上下に鎧 戸を持つもの、この間まで着いていたそれは全面ガラス、そこに寝かせてあ る現物を指しながら、ほらあっちのと違うんですよ、などと訊いてみたが確 かなところは判らづ。「機械室」になってからのものかと踏んでいるのだが どうだろう。これも宿題かぁ。 これまでしみじみそこに佇むことはすれ、ロクに書物で調べたりしていな かったものだから、折角の貴重な機会を活かしきれない部分があったのは、 誠に残念。そんな無学の上に、しょうもない質問を発するヤカラに対して、 解説員の皆さんは親切だった。煉瓦積みの話も濃いぃ内容を伴って、わざわ ざ外へ連れ出してアーチのバリエーションまで見せてくれた。特に裏手の・・・ ・・・なんと呼んだかな・・・・・いわゆるアーチ型ではなく真っ直ぐな縁 を構成するアーチ、扇から長方形を切り出したように、放射状の継ぎ目が四 角形の中に押し込められているのだが、これはこの箇所だけだそうな。濃いぃ。 アーチといえば眼鏡橋のそれの、完成後程なくして施された補強の話も飛び 出したが、未だにあの、既存のアーチの内側に詰め込んでいくイメージがイ マイチ出来づ・・・。 古い写真の中に、高圧線のそれがあり。横川発電所から引いていたものだ そうだけれど、ちょっと待て、トンネルの前ではないかその写真・・・・・ 横川から丸山までトンネルなど無い。よくよく聞けば、矢ケ崎変電所へも、 横川から引いていた由。え! なんとなく、向こうは向こうで都合している のだろうと思っていたら大間違い、当時の電力事情からすると、おいそれと 都合のつくものではないのであった。そもそも横川に発電所を築く必要があっ たのだから・・・・・また無知を晒したか。 いやはや、なんとも濃厚な時間を過ごした。解説員の方々も、色々都合を つけてのボランティアなのだと思うけれど、その役回りを心から楽しんでい るようで、何よりもこの碓氷線の近代化遺産に対する愛着と誇りが感じられ て、接する方はそのお裾分けを貰うような気分になる。 そろそろ横川へ戻ることにして、お礼を言って変電所を後にする。そうそ う、復元工事後の変電所跡内部の公開は、やはり今回が初めてとのことだっ た。紅葉にはまだ早いものの今日は眼鏡橋まで歩くかと思っていたのだった が、すっかり長居してしまったのでキャンセル・・・・・さっき高圧線の残 骸があるよと聞いた地点には、ナルホドそれと思しきものがあって、これかぁ、 と、ぱちり。 そういえば、ビール。いやあの建物をビアホールにといった勝手な希望を、 鉄道の廃止前から時々口にしているのだったが、あの中へ入れるチャンスに、 缶ビール持参しちゃおかなー、と・・・・・その企みをすっかり忘れていた が、あの人達に接した今、止めて良かったような気も。でも、でもぉ・・・・・ 諦めきれづ。(ぉぃ ときに。「シェルパくん」のHMの、色が変わっているのである。先日の 「白山」の時はまだだったと思うが、夏にお目見えした時のものとは、恐ら くレイアウトは同じながら、ぽっぽさんの背景の色が違う。その暖色系の色 味からして、秋用なんだろか? (終)