***** 2006年01月09日 ***** (独り言) 年末に訪ねることが叶わなかったまま、年も明けてその初めての訪問。こ の冬はまたやたらと寒く、ウォームビズなんて言葉も世間から忘れ去られる ほどだったがそれはさておき、そんな折にあって今回は、夜明け前から出か けてやろうかと、聊か気張ってみたりして。 んが。 寝坊しちまったのである。で本日仕切り直し。 さて、スーパーホリデーパスの廃止後、18きっぷが無い時はこれまでホ リデーパス+熊谷乗り越し作戦を採ってきたが、山手線内発着ならフツーに 買った方が安いことに今更ながら気が付いた。差は¥100くらいだけど・・・ ・・・シカーモこれなら、熊谷より先でも途中下車出来る! 幸い山手線ま で目下ロハ状態なので、ホリパ的寄り道回り道を企てるのでない限り、こっ ちの方が断然おトク、なのだ。たーだ窓口で買わねばならづ、急に思い立っ てしかも早朝の出立となると、なかなか難しい。それで昨日発つつもりで一 昨日のうちに買っていたのだが、やれやれ2日間有効に救われた。 うつらうつらと高崎線に揺られ、早速途中下車可の恩恵に与り倉賀野で降 りる。半年振りに14号機に会おうかと。この時期の日出の遅さから、うま くすれば朝の赤い光に照らされて、といった光景に期待していたのだが、無 理してでももう1本前にすべきだったか・・・・・上り「ながら」接続コー スで(汗)。しかしいつもの場所までやってくると、やはりというか順光側 正面で見えるは貨物色のEF65。これなら仕方なしかと逆サイへ回り込む。 こちらには相変わらずの一つ目EF60が手前におり、傍らには特急色の EF65 539。とうとうこっちへ来たか・・・。 駅へ戻って高崎で乗り継ぎ、横川着。4番線の方を見やると、様子が変。 軽井沢方のロクサンの姿無く、続く189系電車も順序が変わっており・・・ ・・・そもそも丸ごと、5番線へ移っている。シカーモ、その傍らには重機 がいて、何やら周囲を片付け始めている。 もしや?? ここで暫く様子を見るテもあったが、ざんげ岩へ急ぐ。ざんげ岩は元々今 日登るつもりだったのだが、大事なことはここから見守るという、妙な習慣 があったりもする・・・。 「文化むら」の横を抜けて行くと、その奥・・・・・丸山方の引込線に、 2両のロクサン11、12号、それに189系の2両が。横川駅構内から姿 を消していた車両は、こちらへ来ていたのだ。どうやら「選ばれし4両」と いうことらしい・・・・・傍らに体験運転のロクサンがやって来た。ロクサ ン同士の、久方振りに見る賑わい。 それにしてもこの「選ばれし4両」・・・・・廃止前後の頃、碓氷橋に置 いておくのはどうか、見える分だけなら4両もあれば、などと言って回って た気がするが、流石にそれはないか・・・・・「文化むら」内での展示が、 妥当なところだろうか。ロクサンはなにげに、体験運転のローテーションに 入れたりなんてことは!? 11号は御召機だし・・・・・数は多い方が部 品の融通も・・・・・ん、1次形はインチ螺子だったよーな。 あ、189系はもしや、体験運転の連結用!? それはあり得る!! うーむこりゃ大変だ、と勝手にワクワクしつつ登山口へ。 すっかり凍結した麻苧の滝で、アイスクライミングに挑む人達を少し眺め たりしてから、えっちら、おっちら、このところの食べ癖つきまくりを呪い つつ、重い身体をざんげ岩まで押し上げる。へろへろ・・・。 さて、横川駅の189系はどうしてる。 既に1両が、屋根や側板まで剥がされていた。重機がさらに、露わになっ た車内を啄ばむ・・・・・なんだか鳥葬が頭を過ぎったが、いや本物は見た ことも無いけれど、かつての特急電車が、徐々に鉄の塊へと還っていくとこ ろなのだった。 彼らがここへやって来たのは、‘98年の秋だったろうか。勿論ここから も見ていたが、どうするのかと思っていたらその翌年早々、ロクサン共々丸 山に据えられた。大事件だった。そしてかつてのままの雄姿をして、或いは 新たな、丸山の風景となった。 その筈だった。 しかし世に潜む悪意が、それを成した人々の想いを、踏み躙った。焼き切 られ、剥ぎ取られ、辱められた車両達。その痛々しい姿と共に、横川へと降 りてしまうことになる。丸山に据えられてから、およそ半年の間の事だった。 思えば、丸山を見た最後の「あさま」でもある。 世紀を越え、流れる歳月の中、恐らく訪れる殆どの人達はその経緯も知ら なかったろうが、長らく横川駅の「顔」のようになってそこに居続けた。た だ、行方の定まらぬままに朽ち行く様は、横軽の記憶が褪せるのに重なるよ うで、なんとも忍びないものがあった。 そして今日、仲間達のもとへと、発つ。 しばらくすると作業は止まり、解体業者のそれと思しきクルマが走り去っ た。時計を見れば12時、なるほど昼休み。これで暫くは動き無し、待とう かどうしようかと迷ったが、この間に横川駅へ戻ることにして、下山。今日 は軽井沢まで足を伸ばそうかと考えていたが、もう、あの車両達を見届けて やる日と、決めた。 タカが機械の解体と解かってはいても、そばで見るとやはり、痛々しい。 入場券を買って駅の跨線橋より見下ろす。辛うじて配給電車のような形を留 めていたが、午後の作業が始まって、あれよあれよと言う間に台枠と台車だ けになってしまった。Nゲージなら下からパッチンと嵌める、あのカタチ。 ときに、車体断面からガラス綿と思しき断熱材が覗くのを見て思い出した のだが、そういえば国鉄型ってば、いつ頃までアスベスト使ってたんだっけ か? なんか埃吸っちゃってんだケド・・・。20年位前にあれだけ騒がれ て、もう決着してたと思ってたのが、なんでここに来てまたとか思ってたり もしつつ余談。 台枠だけになり、「あさま」の面影を全く失い「それ」と呼ぶしかなくなっ た「それ」は、最早されるがままに、ぐにゃぐにゃと捩れ波打つだけだった。 やがてその台枠も、それこそNゲージのそれをニッパーで喰い切るように、 分割されて、ぽいっ、と傍らへ摘み出された。こうして1両の車両がこの世 から消えてなくなり、代わりに屑鉄の山が築かれていく。 1両を見届けたところで、おぎのやドライブインで昼食。玄米弁当になめ こ汁。食後にグッズなどをチェックしていて、ふと「峠の釜あいす」が、い つの間にか「峠の釜めし」そっくりの上紙になっていることに気付く。例の 茶ガマ青ガマとあったうちの、茶ガマの方だけ。まんま縮小スケールの趣。 記憶が確かならば「峠の釜あいす」、‘97年春先の登場だったか。おぎ のやの名こそ入っていないがこれは、堂々おぎのや公認だわな、などと言っ ていた覚えがあるが、いつの間にやら、或いは最早今更の話なのかもしれな いけれど、ちゃーんとおぎのやの名まで入って、すっかりそっくりさんに・・・ ・・・いやいや、最早ホンモノ。製造元は相変わらずな仕様の青ガマと同じ。 ふむ。 見てしまったものは仕方が無い・・・・・茶ガマ所望。玄米弁当より消費 税分だけちょっと高かったり。うーむデザートの方が嵩んだが・・・・・物 凄い高級アイスなんじゃんか・・・。 アイス入りの袋を提げて駅へ戻ると、もう2両目が、屋根に穴を開けられ て、揺さぶられていた。ぶちっ、ぶちっ、と毛抜きで毛でも抜くように、重 機がベンチレータを引っぺがしていく。 そろそろ日も陰ってきたので、帰りの切符を求めて駅の中へ。跨線橋から、 またホームから、作業を見守る。関係者と思しき人の話では、だいたい2両/日 くらいのペースだろうとの由。通常の解体作業では全部ゴミとして扱ってし まうから、もし要るものがあれば云々なんてやりとりも、聞こえたような聞 こえなかったような。ひょっとして「文化むら」の展示品候補でもあるのか、 それともそのうちどこかで、部品が出回るのカモ・・・・・ならばせめて忘 れ形見にと思うが、そうそう大層なシロモノまでは手が出ないか。ともあれ、 そうすれば欠片だけでも誰かに託され、この世に残る。 座席もこれまた、ひとつひとつ、ぶちっ、ぶちっ、と千切られて、2両目 も見る見る刻まれていく。「電車」が、「鉄屑」へと変わり果てる・・・・・ 重機が揺さぶり、翻弄される車体、バネ類に支えられたその弾力的な動きに、 獣が獲物の死骸を弄ぶような生々しさ覚えて、思わず戦慄する。 次に来る時には、もう彼らはいないだろう。隣の「くつろぎ」も、後を追 うのかもしれない・・・・・新天地を得た者もあったが、「あさま」の多く の仲間が、大宮あたりの工場でその生涯を閉じた。同じ運命を辿るのであれ ば、所縁深いこの地で、ざんげ岩を見上げながら去るというのも、或いはせ めての気休めとなったか・・・・・断末魔の刹那、あの釜めし売りの声を聞 いたろうか、そんなことをふと想ったりしつつ、横川を後にした。 そもそも昨日寝坊していなければ、今日の解体に立ち会うことは無かった。 全くの偶然、これも何かの引き合わせか・・・・・と少し思ってみたりもす るのだったが、これまでの横軽での日々の中でも時々、そんなことはあった。 またまた途中下車の恩恵に与り、改装後初めて高崎駅の改札の外をぶらりと 回って、大盤振る舞いで湘南新宿のグリーン車で大崎へ。明日きついし・・・ ・・・2階席でよゆーかまして高崎線を南下、丁度日没近くの発車で、秩父 あたりの向こうへ没する火球を、しばらく眺めて過ごす。あの「あさま」達 の、ここを駆けた日々の記憶の中にも、こんな風景があったに違いない。 (終)