***** 2006年10月29日 *****
(独り言)



 横軽の廃止から間もなく丸9年、来年で10年だよぉと遠い目になってい
た9月中旬、その目がテンになるようなニュースが。

 「鉄道の日」に合わせて、軽井沢までデモ走行する・・・!?

 これまでにも旧信越線跡の保守がらみで乗り入れることはあったものの、
今度のはその意味するところが、違う。そして廃止10年にあたる来年秋に、
本格運転に入るべく準備を進めているとゆー。機関車も新造するとゆー。

 えっ、まじぇ? まじぇ!?

 思い起こせば今を去ること5年前、2001年の鉄道の日。ヨ8000に
お客を乗せて、丸山まで往復するというイベントが実施されたのだった。後
から見ればそれは、後に(2005年)登場した「シェルパくん」の、先駆
けであったと言える。

 をを、アレですか? またあんな感じですか?

 これまで少しずつ実績を積み重ね、その先へ、その先へ、と目指してきた
「文化むら」、いよいよ打って出るかぁ! 私の周辺でも、色めき立った。
暫くご無沙汰の面々が同窓会の様相を呈し、馴染みの撮影ポイントは木が伸
びているんじゃないかとか、BBQ出来る場所は無いだろかとか、しょーも
ない心配を始める始末。

 んが。

 それも束の間、後を追うように安中市サイドの慎重論が報道され、あらら
らと言っていたら9月の末、この計画の当面延期が発表された。うーむ外野
からでは詳しいことまでは窺えないが、松井田町が安中市に合併されて、何
かと勝手が違うのだろうか・・・。



 そんなことなどありつつ、さて。

 近代化遺産の全国一斉公開。今年もそろそろあるんじゃなかったっけかー
と思い、丸山変電所の情報をカチカチ探してみるも、どうも要領を得づ。そ
もそも昨年はたしか、松井田町のホームページで知ったような気がするのだ
が、安中市松井田支所と名の変わった同じページに告知は見当たらづ。「文
化むら」や、碓氷峠交流記念財団や、安中市にも、出ていないようなのだ。

 今年は無しか?

 訝りつつ、日本ナショナルトラストを覗いてみる。いやはや、方々で同時
多発的に色んなコトやるんですなあ。近代化遺産の日(10/20)を軸に
展開しているので、掛け持ちは殆ど無理でしょおこれわ・・・・・って昨年
も思った気がするが、で、肝心の群馬県はというと・・・・・丸山変電所の
公開、ちゃーんと入ってますがな。

 削除漏れ、てこたないよね?

 公開する当事者が誰なのかすらよく知らないでいたのだが、安中市や、碓
氷峠交流記念財団だって、縁が無いわけじゃあるまいに。少なくとも旧松井
田町はこの建物や碓氷旧線一連の国指定重要文化財については管理する当事
者でわなかったか。安中市になったからといって変わらぬハズで、そもそも
安中市のホームページを開けば、眼鏡橋の写真がトップにでーんと出るくら
いなのだから、忘れたわけじゃあ、あるめえ。

 こちらがトロくて見つけ損ねてるだけなんだろか?・・・・・ともかく、
心細いが日本ナショナルトラストの情報を拠り所に、出かけることにした。
電話で訊いても良かったんだが・・・・・空振りしたらしたで、まあ、ドラ
イブのつもりで。



 昨日は昨日で千葉県までヒコーキ見に行ったりなどしていたせいか、思いっ
きし寝坊してしまった。萎える気分にウダウダしつつも、まあ午後だけでも
良いじゃんか、それより行かないで後悔する方が嫌でわないか、と己を言い
聞かせ、ノソノソと出動。

 曇りに晴れ間も覗く陽気ながら、行楽渋滞の起こりそうな時間帯はとうに
過ぎていて、スイスイと松井田妙義ICを抜け、横川に到着。早速カメラと
脚立を持って、「アプトの道」を行く。秋も大分深まったハズだが、歩くと
ちょっと暑い。丸山変電所跡までやって来ると扉が開いており、公開中であ
る旨、ちゃーんと立て看板も出てる。おーし。

 そろそろ「シェルパくん」が降りて来る頃合だったので、まずは奥の機械
棟に直行、案内係の方に快く了解を頂き、脚立を立て・・・・・昨年、窓越
しに「シェルパくん」を撮ろうとして、どうしても高さが足りなかったのだ。
脚立まで持ち込むのはなんとなく、少々はしたない気がしないでもなかった
のだが、やはり、遺しておきたいという気持ちが優った。無論、対象への敬
意を払った上で。

 昨年と同じ場所から、ほんの何十cmかそこら視点の高さが変わったこと
による絶大な違いにウハウハしつつ・・・・・午後の光線では窓ガラスの汚
れが目立つことが判明したが・・・・・「シェルパくん」を1本撮ったとこ
ろで、あらためて内部を見回す。昨年と特に変わりは無いような・・・・・
全く手は入れてないそうだから当たり前だが・・・・・蓄電池棟と機械棟の
間は、向かい合った軒から軒ではなく、蓄電池棟側は裏側の入口へ迂回する
ようにルートが変わっていた。蓄電池棟内は、線路側の入口と裏手を真っ直
ぐ突っ切る。たしかに昨年、キョロキョロよそ見してたらあの配線の溝に落っ
こちかねないわなと思った記憶があり、そこいらへん、色々とフィードバッ
クがなされているのカモ。誰か怪我でもすれば大変だし。

 案内係の人達は、面識があるわけではないがなんとなく昨年見覚えのある
ような顔ぶれ。外の立て看板には教育委員会とあったので、その関係者或い
は、地元有志の方々かもしれない。変電所前の集合写真を指差して、これが
オレだよと昨年言っていたOBの方は、今年も同じ事を言ってたのですぐ判っ
た(笑)。



 気がかりなことを訊いてみる。今年は告知が無かったようですが・・・・・
安中市への合併直後とあって、色々人が代わったりしているそうで、想像す
るに細かな所まで手が回らないとか、そんな部分もあったのかもしれない。
まあこのへんは、来年には立て直しているだろう多分。

 しかし、なんとも勿体無い話でわないか。折角公開しているのに、たまた
ま通りかかった人しか知らないなんて。尤も逆に濃いぃ人は自分で調べて来
るだろうが・・・・・とりあえずここにも1人いますがぁ・・・・・どれ程
見込めるかはさておき、ミスミス機会損失しているテは無い。

 それは奥ゆかしさ、なのかもしれなかったが・・・・・以前よりなんとな
く感じてたことに、碓氷にある施設や団体が個別にぽつん、ぽつん、と情報
を発してるより、もっと互いに連携出来ないもんだろか・・・・・例えば今
日公開している丸山変電所、目の前を「シェルパくん」が通ってれば「文化
むら」にも絡むハナシと言え、勿論安中市や他の諸々にも・・・・・よく言
われる相乗効果ってヤツの類だけれど、要するにお互いに「そっちもヨロシ
ク」みたいな。

 素朴な動機で盛り立てようという空気や、一体感のようなもの・・・・・
提供される情報そのものより意外と結構、受け手の印象に残ったりすると思
うのだけど・・・・・ネットならタダみたいなもので、元手をかけずとも、
まだ色々出来そうな。

 とかなんとか、外野からは簡単そうに考えちゃってたり・・・。



 煉瓦の積み方を解説した積み木のような模型(昨年は無かったような?)
に唸ったりしつつ、今回修復なった変電所跡の今後について訊いてみると、
当面は現状維持のみで、活用については未定である由。徒歩と「シェルパく
ん」しかここまで来る手段が無いとなると、集客を前提としたものは難しい
かもしれないけれど・・・・・以前より個人的希望の、是非ビアホールを、
とはちょっと言い出しにくかった(笑)。でも時々何かのイベントに利用す
るとか、そういうのはどうなんだろ、どうなんかな。

 次の「シェルパくん」が登って来た。窓越しに外の賑わいをぱちりぱちり
と収め、さらに登って行くのを見送り、今度は花壇から・・・・・もうコス
モスは終わってたけれど・・・・・お馴染みのアングルでそのまた返しを、
ぱちり。傍へ移動して発車を流しでぱちり。

 西の空は、まあまあ晴れてるな。ということはだよ・・・おし、行くか。

 次の最後の往復の返し、その時分には大分光線も良くなっているハズ。山
にかかりそうで際どい感じもあったが・・・・・国道から折れて、上信越道
の下を碓氷川の岸まで入る。思えば「シェルパくん」の初日以来ではないか
ここへ入るのは。あの時も西日狙いなのだったが、幸い晴れはしたものの春
分直後の太陽はまだ少々、高いのだった。秋が狙い目だよなー、と思ったき
り、昨年は実践しそびれてた。

 で、少し弱々しい光線にヤキモキしつつ待つこと暫し、ガラガラガラガラ
・・・・・降りてきた「シェルパくん」。光線は・・・光線は・・・、

 と。

 ふぁーっ・・・・・目の前が急に、彩を放ち始めた。ぬをを、西日! 舞
台演出のように立ち上がる光線に鳥肌立たせながら、いいか、落ち着け、落
ち着け・・・・・ぱちり。車体をギラギラ輝かせて、里へ降りて行く「シェ
ルパくん」。うー、ギラリまでは予測しておらなんだ。アップで狙えば良かっ
た・・・。



 寝坊したお陰でバタバタ忙しなく、「文化むら」に寄るのは諦め・・・うー。
ウハウハと旧道登って、軽井沢偵察。矢ケ崎で夕日見て、またウハウハと下っ
て、蒼く沈み行く碓氷湖畔でクルマの写真撮ってみたりして、おぎのや寄っ
て、カインズホーム寄って、またウーロン茶箱買いして、バイク用のオイル
がウチの近所より安かったので買い溜めして、高崎へ出る。

 いつもの書店で地元本チェック。

 「ぐんまの駅から登る山歩き」。あさを社というと群馬の郷土本のイメー
ジがある出版社だが、何冊かあるうちの吾妻線と信越線編を手に取る。横川
駅から小根山森林公園へ、横川駅から丁須の頭へ、横川駅からメガネ橋へ、
横川駅から山急山へ・・・・・と続いているのがなんとも。このへんは結構
お馴染みの場所だったりして、パラパラと拾い読みしつつ、コースガイドに
心当たりを重ねて追体験モード。丁須の頭編では横軽廃止後の閑散とした横
川駅の様子や、もう通じていない地名を冠した「信越線」の名への疑問が綴
られていたり。島伝いに同じ番号が細切れに続く国道だとかあったなそうい
えば・・・。

 なんだか家に帰るともう1冊ありそうな気もしたが(汗)所望。

 もひとつは上毛新聞社の「グラフぐんま」10月号。B4級のグラフ雑誌。
図書館あたりで見かけたアサヒグラフみたいな感じだろうかこれは。でその
地域密着型の諸々の記事の続いた後ろの方に、どーん。

 「軽井沢まで夢乗せて 安中市・碓氷峠のトロッコ列車」

 見開きに霧積川を渡る「シェルパくん」、2年目に入ったトロッコ列車と
「文化むら」の話題。締めくくりにこうあった。

  ”碓氷峠の復活を望む地元民や鉄道ファンの声を受け、同財団は9月
   11日、観光を目的とした「特定目的鉄道」の事業許可申請を決定。
   軽井沢までの11.2キロを延伸し、来年10月の運行開始を目指す。
   (中略)碓氷峠を、レトロな列車が行き交う日は近い。”

・・・その後のニュースに接した後では、ちょっと切ない。



(終)


付:さらにその後の報道によると、「文化むら」サイドと安中市サイドとの
  間ですれ違いがあったのか、一時は復活構想そのものの白紙まで報じら
  れたが、それは回避された模様。旧線の遺構を観光に活かすという点に
  ついて互いに共通しているのであれば、知恵を出し合う余地は、十分あ
  ると言えるだろうし、引き続き成り行きを見守りたい。(11/30)