***** 2007年6月30日-7月1日 ***** (独り言) ホタルの季節。 シーズンIIIを迎えたシェルパくんと、ホタル・・・・・一昨年は丸山変電 所の前で迎え、昨年はざんげ岩に登って蛭に吸われまくり・・・・・これが ホントのヒルクライム・・・・・さーて、今年はどうしよう。 今年もやって来た「ホタルの里まつり」。合わせて走る夜行「シェルパく ん」の発表されたダイヤを見ると、今年はまた昨年からのフィードバックが あったようで、最後の1往復が減って、信越線に接続出来るうちに最終便、 となった。「シェルパくんの最終便=信越線の最終便」なら電車のお客には 間違いが無い。多分、そういうコトなのだと思う。 はさておき、さーて、今年はどうしよう・・・・・である。予報では晴れ 間すらありそうな話。時期柄とはいえ雨がらみが続いていたところで、今年 こそは降られずに撮れるかもしれない・・・。 圏央道が中央道まで繋がったというので、乗り潰しではないがちと、走っ てみたくなった。しかし毎度の深夜早朝割引適用を考えるに、距離が嵩むの で藤岡でもう、100kmを超えてしまう。シカーモ、0600までに新座 まで行っておけば良かったものが、こちらでは八王子・・・・・厳しいね、 どうも。しかしま、わざわざなコトでもしない限り機会無さげなこのルート、 いっぺん行けば納得なんだよ、そうそう。 「朝まで生テレビ」横目に例によってウダウダと支度に手間取りつつ、未 聴CDなど放り込んで、既に白みどころではない明るさの中を出発。久しぶ りの中央道、石川PAに差し掛かる頃には、ここで小休止程度の余裕があっ た・・・・・圏央道にはSA/PAが無いんかい・・・・・と、ここで関越・ 上信越道の社会実験とやらのチラシを見つける。曰く、日曜の上りの指定 IC間の利用で、2000〜2200の間に入るか出るかすれば、100km 超でも半額! 指定ICにはしっかり、練馬も松井田妙義も入ってる・・・・・ うぅぅぅ、つくづく、これが10年前だったなら。よし帰りはコレだな。 早朝のせいもあってか暫し前後にクルマの姿無く心細かったりしつつ、走っ て走って懐かしの(笑)鶴ヶ島JCT。そのまま高坂SAに飛び込んで、朝 食にありつくうちに眠気に襲われ仮眠グスーン。そろそろ出るかとまた走り 出し、嵐山でこれまた仮眠グスーン。大丈夫かね今日は。 本庄児玉で降りて、倉賀野のヤードなどチラ見しつつ、へろへろの身体を 押してビックに寄り、ついでにタワレコ物色・・・・・そうそう虫除けスプ レーも買っておかねば。駅のマツキヨでスイカが使えた。 多分今回はここでしか寄れないと思うので、いつもの郷土本チェックの書 店へ・・・・・あれっ、何か様子がおかしい。移転する隣の新しい建物は、 殆ど完成に見えてまだ営業はしていない様子。といって元々の建物も、中で 明かりが灯り人の気配はするが、入り口は閉まっており・・・・・丁度今、 どちらも休業中というタイミングだったらしい。残念。張り紙を見ると、おっ と元の店舗はバイク用品店になる由。ほお。ウチの近くにもあるので間に合っ てはいるのだが、本のついでで覗いてみるのも良さげ。 特に変わり映えのしない安中榛名を覗きつつ、カインズホームで日用品の 買い物・・・・・これは既に習慣と言えたが、地元で行く暇も無かったので。 目当ての激安ウーロン茶が品切れで残念。 先日小河内ダムを見てからダム付いてという程でもないが、そういえばちゃ んと見たことなかったなと、妙義湖の中木ダムに寄る。下流の正面から見ら れるのが嬉しいが、見上げながら水面があっこいらへんなんだよなー、など と考え出すともう、お尻がムズムズしてくる。ついでに久々の霧積ダム。坂 本ダムは、今日はいいや・・・・・その足で峠を越えて、矢ケ崎チェック。 ここは先日から変わってない様子だったが、どんな風に変貌するのやら。 そろそろ本題。 霧積川を渡るシェルパくん。今回はこれを狙ってみることにした。幸い雨 には降られないで済みそうだし・・・・・雨でも構わないようなのは後回し でいい・・・・・昨年のざんげ岩も一応形にはなったし、蛭もイヤだし(苦)、 次行こう次、というわけで今年は、霧積川を攻める。今年の夜行の始発は 「ぶんかむら」発で1800、日没は1905頃だからこれは早過ぎる。 1900発の2往復目の返しあたりが、狙い目か。 長靴に履き替え、最低限の機材を背に、片手に三脚(ベルボン・マーク7)、 もう片手にライトを持って、いざ・・・・・足元がぬかるんでいる上に草木 も生い茂り、春に来た時とは聊か勝手が違ったが、どうにか現着。雨続きで 水量はそこそこあり・・・・・こんな時間には無いと思うが、サイレンが鳴っ たら上へ逃げねば。ともあれ適当な岩の上に、三脚を。プレート使って今日 は何年ぶりかの「御神輿」やるぞ。 と。 ぽつ、ぽつ、ぽつぽつ、ぱらぱらぱら・・・・・げ、なんーで今更、それ もカメラ出した途端に降りだすのよ(泣)。カメラ達をストーンバッグの下 で雨宿りさせ、自分は逃げ場も無いので濡れるに任せる。とほほ。そろそろ かという頃には落ち着いて、しかも僅かに追い風、レンズに水滴が付く心配 は少なげ。 イソイソと再セッティングし、片方のデジカメをポラ代わりに、露出を決 める。光線は刻々と変わっていく・・・・・やがて2往復目の「シェルパく ん」が登ってきた。この空模様だから、思ったよりは沈んだ光線状態。その 蒼く沈み行く情景を過ぎる影と、そこに四角く切り抜かれた窓灯りとを、ぱ ちり。んー、どうか。 すかさずデジカメの画像をチェック。んー、まあまあ的だがフレームに写 り込んだ空が、まだ明る過ぎるかな。やはり本命は、これの返しか。 待つこと暫し、橋の上の空間が、うっすら明るくなり、やがて「シェルパ くん」が現れた。 あれっ? えっ!? あ゛あ゛っ! セルフタイマーになってやがった(泣)。暗闇で操作するうちに、うっか りボタンを触ったらしい。あああ・・・。 ここで終わるつもりだったが、こうなれば意地である。次まで待ってやろ うじゃねーかい・・・・・しかし今のが降りて折り返し時間が15分、また 戻ってくるまでというと、40分くらいありますがな。辺りはすっかり暗く なり、ライトを消すと木々のシルエットが薄らぼんやりと見える程度。川の 流れの音に聴覚も奪われ、そんなところに独り・・・・・怖いよお。 と。 林の間に、何か光った。視神経の悪戯かと思ったが、あ、また光った。そ うするうちにあちこち光りだして・・・・・あ、ホタルか。ナルホド、ホタ ルの里、なのであるここは。川の水面に映ったりして、なんとも綺麗ではな いか。怖さも忘れて暫し、それを眺める。 ようやく、最終便の3往復目がやって来たが、やはりもう、暗過ぎて写真 的には厳しく。ここまで暗くなると水面が窓明かりを返すのがよく見えるの だが、如何せん、感度を上げまくってもシャッター速度を稼げず、もう光の 帯にしか見えづ。むう。 やれやれ、帰るか。 ライトの光には生い茂った草木が見えるばかりで、河岸を踏み外しそうな 恐怖に駆られながら、耳を澄ましてその距離感を読みつつ、どうにか勝手の 分かる場所まで出た。クルマに戻りやれやれと長靴を脱いで、最後の返しが 45分も止まっているのでその発車を狙うことにして、峠の湯へ。 少しまだ間があるので、ホタルの里まつりの会場へ寄って、楽しみにして たマスの塩焼きを食す。そして最終便を流して、本日のメニュー終了。 暑いという程ではないながら、少々蒸すので寝場所は軽井沢にするか・・・ ・・・これも避暑と言えば避暑なのか・・・・・バイパスの昔料金所やらが あった休憩所に、クルマを止める。前席を前に倒して後席で斜め寝。このス タイルで寝るのも久しぶりだな。 翌朝。 眠い。徹夜明けに続いての車中泊、それに無理もきかなくなってきている 昨今(悲)、眠い。暫く動けずにいるうちに、時計は0900を回っていた。 ノロノロと荷物やら座席やらを元に戻し、身体が起きてくるのを待つ。 久しぶりに「治安の礎」を見て、軽井沢駅偵察。玄米弁当があれば食べた かったのだが・・・・・ふとチラシが目に止まる。南口のアウトレットモー ルの一角にバンダイのナントカミュージアムってのがいつの間にかあるらし く、そこで鉄道模型展がある由。どれどれ・・・・・あんだもう終わってん じゃんか。 コンビニで食料を調達、東部小学校のED42の前で朝食・・・・・とい うよりもうブランチか。旧道を降りて、昼間の「シェルパくん」も撮ってお くかとパノラマカメラで、がらしゃこん!、と一振り。 と。 そばをハイカーの一団が通りかかり、またまた聞き覚えのある説明の声、 見覚えのある顔。あ、どおもお。 工事中のおぎのやドライブインと、仮設の販売所を撮りがてら給油してい ると、なんだか懐かしい年式の、綺麗に手入れのされたバイクを弄ってるア ンちゃん。よくよく見るとそのお仲間と思しき一団がいて、ナルホドこれは 見事な旧車會な皆さんで。ちと湘爆風味入りつつ、縁石に並んで座って釜め し食べてる図というのが、なんとも。 今日は久々にざんげ岩登ろうか、5ヶ月ぶりになるのかな、と見上げてい ると入電、先程の碓氷線インストラクター氏より眼鏡橋へのお誘い。久しぶ りに眼鏡橋の上に上がって、暫しダベリング・・・・・元々この地にゆかり のある方で、この仕事(ボランティア)を、本当に楽しんでらっしゃるのが 伝わってくる。軽井沢方のトンネルの入口に最近打たれた杭を指差してニッ コリ、今度熊ノ平まで遊歩道伸ばすんですよ・・・・・ををを! ざんげ岩は、また今度でいいか・・・・・そういえば世界遺産の話が出て いたけれど、絹糸は横浜へ運んだのではないのか、こっち(碓氷)は方角が 違うでしょお、むしろこっちは石油の輸送じゃなかったの・・・・・外野か らではどうも、富岡製糸場と碓氷線とセットというのが、ピンと来ないでい たのだが、どうやらこういうことらしかった・・・・・富岡製糸場は絹糸生 産の近代化をリードする位置にあったが、それに続く近代的な製糸場という のが長野県側に多く出来、そのため碓氷線を通じて繭を運び上げ、生糸を降 ろしてくる、ということになった由。ロクに文献も読んでない無知を晒した 格好だが、ナルホド聞いてみないと解らない話も、あるもので。碓氷線の輸 送力がネックとなり、横川で足止め食ううちに繭が羽化してしまうことも、 あったとか無かったとか。 見てってくださいよと勧められ、久しぶりにトンネルを2つばかり散策し て、また身体が辛くなってきたので碓氷湖で仮眠グスーン・・・・・あ、文 化むら入りそびれた。 さて、また本題。これだけは逃すわけにはいかない。 出来ることなら、昨夜の一晩だけで終わらせたかったのだが、あの体たら くでは延長戦に持ち込むしかあるまい。水溜りに泳ぐ蛇にビビりつつ昨夜と 同じ道を進み、今度は帰り道がハッキリ判るように、通り道の草を踏みまくっ た。 同じ場所に三脚を据え、また「御神輿」でカメラを据え、フレーム決め。 と。 ぽつ、ぽつ、ぽつぽつ、ぱらぱらぱら・・・・・げ、なんーでまた、それ もカメラ出した途端に降りだすのよ(泣)。カメラ達をストーンバッグの下 で雨宿りさせ、自分は逃げ場も無いので濡れるに任せる・・・・・丸一日分 の記憶が全部嘘で、実は全然時間が経ってなかったんじゃなかろか、とさえ 思えてくるような同じ展開。とほほ、晴れ間も出るようなハナシじゃなかっ たんかい・・・・・まあこれが、碓氷ウェザー、か。 さていよいよ、昨日失敗した2往復目。雨は止んだがなんか昨日より暗い な雲が厚いのかな・・・・・デジならではの試し撮りをしつつ、いよいよ現 れた「シェルパくん」を、ぱちり。そして返しも、ぱちり。んー、どうか。 暗くなっておっかないので長居は無用。即撤収。今度は帰り道がよく分か る。そんなで油断して河岸から落ちてもつまらんので用心しつつ・・・・・ クルマまで戻って、昨日と同じく、峠の湯へ。3往復目の到着を迎えたのだっ たが、なんとここで、感度がISO1600ではなく800になっていたこ とに、気付く。道理で暗い暗いと思ったわけで、流す光跡も、この半分で済 んだハズ、だったのだ・・・・・あああ。現着時に、1往復目の返しが来た のでISO800で撮って、そのまま戻すの忘れてたのだった。うう、不覚。 来年もリターンマッチだろか・・・。 ホタルの里まつりの会場へ。食べ物関係は大方、店じまいに入っていた・・・ ・・・ぐぅぅ。 気を取り直し、「とうげのゆ」駅で佇む「シェルパくん」をぱちり。そう いえば待合スペースには屋根が出来ている。一昨年は何も無くどこからか引っ 張ってきた仮設の電灯と、「シェルパくん」の機関車の屋根にあるサーチラ イトが頼りだった。昨年はこの日限定の天幕が張られていた。そして今年、 ますます駅としての体裁が、整ってきた感。 最後の発車を、本線合流付近で見送る。短いホイッスルに続いて、ゆっく り、ゆっくりと動き出す「シェルパくん」。ライトがやがて本線の架線、バ ラスト、そしてレールを照らしだし、分岐のポイントが浮かび上がる。列車 は本線へ歩み出し、そして麓へと、向かう。 3年目の夜行シェルパくん。ざっと見た感じではあるけれど、窓越しに窺 える限りながら、利用客も増えてきたように見えた。最初は殆ど空車に近い ことすらあったのが、段々浸透してきた、ということなのかもしれない。中 には信越線からの利用者だったり、これに乗ること自体が目的に入っていた り、そういうこともあるのかもしれない。ふと思うに、そのうちこれとはま た別に、納涼列車みたいなのを始めたりとか、あるんじゃないかしらん。 (終) 付: この際なので、過去に発表されたダイヤも併せて引用しつつ、この3シー ズンの変遷を振り返ってみたい。関連事項に触れておくと、日没は1905 頃、ホタルの見頃はそれよりもう少し後。信越線の上り最終の横川発が、ダ イ改を経つつも概ね、2140頃。 #ぶ:ぶんかむら と:とうげのゆ ぶ と −2005年− 1900─┐ 横川の駐車場からの輸送を趣旨としていたためか、信 ┌┘1930 越線との接続を意識したダイヤではなさそうで、案内 2000└┐ も無かったように思う。3往復目の返しが早いのは、 ┌┘2030 一見終電接続のように見えないではないが、恐らく僅 2100└┐ か数分での、あの距離の乗換えが現実的であったかは ┌┘2120 疑問・・・ともあれ、これが「夜行シェルパくん」の 2140└┐ 第一歩なのであった。 ─┘2200 ぶ と −2006年− 1830─┐1850 信越線の接続が案内されていた。まだ明るいうちから 1920┌┘1900 走り始め、まずは「峠の湯」でごゆっくり、といった 1930└┐1950 意図もあったかもしれない。着時刻も記され、丸山を 2020┌┘2000 通過する分早着であることが窺えた。3往復目の返し 2030└┐2050 で信越線の終電に接続。2往復目の返しで降りても結 2120┌┘2100 局終電まで待つことになるのは、ローカル線の哀しさ 2130└┐2150 か・・・。 2220─┘2200 ぶ と −2007年− 1800─┐1815 また時間が繰り上がった。所要時間は5分短縮・・・ 1845┌┘1830 というより、前年の実際がこれくらいだった。最後の 1900└┐1915 1往復を止めたのは実績を反映してか? 信越線利用 1945┌┘1930 者にしてみるとあっても無くても実質は同じで、むし 2000└┐2015 ろシェルパくんの最終がそのまま信越線のそれと対応 2115─┘2100 付けされたことで、乗り間違える恐れが無くなった。 今年で11回目を迎える「ホタルの里まつり」、今度こんなの始めます、 てな話を聞いたのは、碓氷線の廃止がいよいよ迫る中のことだった。当初は 「峠の湯」も「くつろぎの里」も勿論まだ無く、その辺りはフツーに、ただ 田圃が広がっているだけだった。 以下、外野から見て勝手な想像を交えつつ。 2つの施設も出来て、毎年盛り立てていくうちに、来場者は増え、実際、 駐車場の問題はあったのかもしれない。役場のバスくらいは出してたカモな がら、公共交通無いし。そんな折「シェルパくん」が登場、恐らくPRと将 来への布石としての実績作りも兼ねて、横川の駐車場とのピストン輸送を買っ て出た・・・のだと思う。 そのような経緯から、恐らく横川駅の方即ち信越線利用者までは、最初は 考慮に入っていなかった・・・・・実際、終電に接続出来ず横川で途方に暮 れるお客もいたような・・・・・一方で見方を変えれば、それまではクルマ や徒歩など自前の足で行くしかなかったハズなので、「シェルパくん」がこ こでは事実上公共交通の役割を帯びて、クルマ以外に対する、来場の新たな 動機付けともなった、と言えそうでもある。 ニーズを裏付けるかのように、2年目は信越線との接続に配慮を見せた。 そして3年目の今年、信越線との接続を煮詰め(?)つつ、一方で4往復目 を廃した。2年目までフォローしていた、この4往復目は、返しの横川着が 信越線の終電の後でもあり、純粋に横川の駐車場への(横川付近の住民も?) 送迎のための便だったが、実際にはあまり、利用が無かったのかもしれない。 たしか運休した日もあったように思う。最初の年が雨だったので、2年目ま で様子を見てみたのか・・・・・でもま、3往復目でも会場発が2100、 早過ぎるということもなさげ。峠の湯も店じまいする時間のようだし。 毎年、時期が時期でもあるのだが、「シェルパくん」が加わってからは、 生憎の空模様のせいもあって、会場の駐車場もピークがそんなに厳しくなかっ たのだろうか? 一方、会場の駐車場の状況に関わらず、最初から「シェル パくん」に乗るつもりの来場客が現れたとも考えられ、駐車の分散を促した とも・・・・・あ、会場にクルマ置いて横川へ往復するテもあるな。実際の ところは分からないけれど、そういえば乗客にアンケート取ったり、してた んだろか? 試行を重ねてきた、3年目のダイヤ。夕方の会場への輸送も、暗くなって からの高崎方面へも、信越線との接続はまずまず。また最後の1往復の45 分折り返しというのがなかなかミソで、早く降りたところで信越線の接続も 無し、20〜30分のチラ見程度なら、この1往復でも可能だったりする・・・ ・・・ともあれ、外野的には大分最適化された印象で、信越線のダイ改など の影響が無ければ、来年以降もこれで定着しそうな気がする。始発が1時間 も繰り上がったのには、ホタルの見頃までは「峠の湯」や模擬店でごゆっく り、という意図もあったろうし、そこにはクルマ客なら会場基点で「シェル パくん」で1往復、という選択肢も入って来る。盛況となれば所要時間短縮 の余裕で1時間に1往復半くらい・・・・・それはちと、厳しいか。 (終)