***** 2007年9月30日 *****
(独り言)



 あの日から、10年を迎える。

 年忌のような感覚を持ち込むのは正直、どうも馴染まないのだが、あの日
に始まった「その後」の時間も、早いもので10年を刻む。10年といえば
「一昔」であり、地球が10周公転する間に流れる時間は、個人の持ち得る
時間の中にあっては、相応の重みを伴う。ひとつの節目として振り返るだけ
の、長さではある。

 10年目のその日は、幸い週末となった。あの日以来第16中山道踏切の
傍らでは、9/30には毎年、工事や事故での犠牲者への慰霊祭が執り行わ
れている。7年ほど前にお邪魔したことがあったが、鉄道の廃止という、祝
い事でもないこの日に10周年記念イベントなどあるハズも無く、節目の日
にあっては、この慰霊祭があるのみである。

 ときに。

 1週間くらい前あたりからどうも左肩が痛く、肩こりする方ではないが多
分肩こりだろうと思っていたら首筋も痛みだし、今度は寝違えたカナと思っ
ているうちに、怪しげなブツブツは出てくるわ、ピーンと神経を走る痛みで
夜中に起こされるわ。たまりかねて診てもらえば、帯状疱疹、てヤツらしい。

 何も今発症するこたねーじゃんか。

 週末までにはなんとかしたいがぁ・・・・・ヤキモキしつつ耐え忍び、ど
うやらなんとか、なってきた様子。この調子ならざんげ岩くらい行けるかぁ?
・・・・・などとすぐ考えだすお調子者であったが。



 9/29。予定通り(!)車中泊まですることにしたのは楽観的過ぎたか
もしれないが、通院がらみで昼近くの出立。友人が今日はロクサンを転がす
ということで、それを冷やかす時間はありそうで・・・・・ところが、どう
せETCの割引も利かない時間帯、新座通過時刻も気にすることないのでケ
チって向かった環八は、ギチギチのド渋滞。迂闊であった。ようやく関越に
乗って三芳SAに入る頃には、電車で行ってりゃもう高崎には着いてそうな
頃合。ううぅ。

 その三芳SAで昼メシ。さて薬を飲まなきゃね・・・、

 無い。

 薬忘れた。まあ、ちょっと位サボっても大丈夫かな・・・・・と思ううち
に、心なしか左肩が疼きだし・・・・・あ、生殺しで耐性持ったりしたら
(本件もそういうモノなのかは知らないが)厄介だぞ、明日どうなるか分か
らんぞ、運転して帰るのも儘ならなくなったら・・・・・んー、ん゛ー・・・
・・・川越で勇気のキックターン(泣)。出直したところで、もう着く頃に
は日が暮れてそうだし、せいぜい、高崎市内のいつもの書店で郷土本漁りす
るのがやっと。しかも生憎の雨模様・・・・・ちゃんと布団で寝て、明日出
直そう。



 不毛な100km旅行から明けて9/30。

 ガソリン入れ直して(苦笑)未明の街を走り抜け、深夜早朝割引で富岡を
降り、いつものようにシタミチを進んで、松井田妙義ICの入口の前を過ぎ、
R18へ出る。

 碓氷ドライブイン跡のセーブオンより手前だったろうか。R18で片側交
互通行になっているところが。下り線側が塞がれていて、傍らを過ぎながら
どれどれと覗き込むと・・・・・うへ、ごっそりえぐられてる。3週前にモ
ロにこっち来た、台風9号の爪痕だろうか。峠の旧道は大丈夫かな・・・。

 リニューアルなった、おぎのやドライブインはまだ開店前。とりあえず駅
前に行ってみる。

    ”登 山 注 意!
     台風により登山道が大変荒れています。
     登山を自粛して下さい。

        松井田警察署
        安中市役所”

 え・・・。

 空模様はグズグズし続けていたが、10年目のこの日だからこそと、チャ
ンスあればざんげ岩、というオプションがずっと念頭にあったのだが、わざ
わざこんな看板を立てているということは・・・・・ざんげ岩より先なら、
心当たりアリアリな沢だとかが、確かにあるが。ざんげ岩までならどうだろ
か。



 登山口にも同じ看板があるのをチェックしつつ、碓氷橋へ。眼鏡橋を潜っ
て先へ進み、木々の間に見える新線の橋を見上げる。かつて新緑の頃に撮っ
た場所から見上げる橋は、すっかり伸びた枝に遮られて、時の向うに掠れ行
く記憶の風景のようにも、見えた。10年を経ても未だ、自信に満ちたよう
にそこに架かっている。列車が来ないことは重々承知だが、ここで待ってみ
ようか、ふとそんな気になる。列車の姿を想いながら待つだけなら、今も昔
も変わらない。

 苔生したコンクリートに刻まれた「1962−12」の文字が目に止まる。
廃止の前からこうだったのだろうが、時の移ろいにしみじみしつつ、これを
ぱちり。

 眼鏡橋に上がると、こんな天気の日の朝だから他には誰もおらず、聞こえ
るのは増水した碓氷川の流れと、時折通りかかるクルマだけ。独りぽつねん
と佇み、物思いに耽ってみたり。そんな自分に少々酔いつつ(ぉ・・・・・
あの日から10年先に、今いる。あの日に、今の例えば「文化むら」や、ア
プトの道や、合併された松井田町や、その他諸々について、どれほど見通し
ていただろうか。あの頃、楽観、或いは悲観視されていた、様々な物事・・・
・・・それらを思い起こしつつ、そしてさらに続く、次の10年先のまだ見
ぬ日へ、想いを馳せる。そこにはどんな姿があって、その10年前、20年
前を、どのように振り返るのだろう。

 霧に霞む新線を、ぱちり。



 最初、10年前と同じ行程を辿ってみようかと考えていた。それに照らす
と朝はまずざんげ岩、次に坂本城址に行って眼鏡橋狙い、丸山や横川駅をウ
ロついて、関所食堂で夕食(笑)、夜にまたざんげ岩・・・・・それも叶わ
ぬ空模様の今日だったが、これはこれで、良かったかもしれない。

 熊ノ平。トンネル越しに見る、あの日の「10年後」の世界。人恋しげに
も見える風景には、近く「アプトの道」が延びて来る。「次の10年」の舞
台のひとつとなる。かつてここに駅があった頃、横川方のトンネルの上を越
し旧中山道へ至る山道があったらしい。これも歩けたらと思うのだけど、ど
うかな。

 矢ケ崎。再開発の話はどのように進んでいるのか、単線分の土地確保とい
う話は・・・・・ここも、次の10年の間に劇的に変わるハズで、目が離せ
ない。埋められた踏切、途切れたレール、向うを新幹線が過ぎって行く・・・
・・・って、相変わらずここに迷い込んでくるクルマが絶えませんな。しか
もカーナビ覗き込みながら突入して来るとわ一体(呆)。

 軽井沢駅、さすがにこちらは10周年モード。新幹線の方では旗が下がり、
しな鉄でも記念の品が。記念切符は明日(10/1)発売とのことで残念。
オリジナル切手と、チョロQみたいなの付ボールペンを所望。

 中軽井沢のカインズホームでウーロン茶他いつもの買い物。ガラガラとカー
トを押していると、入電。今横川ですよー、と峠仲間の一人。こういう日に
は呼ばれずとも勝手に来る人達が、集まりつつあるらしい。



 昼メシでもと、おぎのやドライブインで落ち合った。改装前に「雰囲気も
新たに生まれ変わります」と謳っていたおぎのやドライブインだったが、あ
らあらあらあら、外観からは想像もつかないが、中はホントに雰囲気変わっ
ちゃいましたがな。

 食べ物以外の土産物や玩具類は大分整理されたようで、そういえば「おぎ
のや」提灯も見当たらないが・・・・・土産物コーナーだった辺りにはコー
ヒーやらスイーツやらの店が出来て、イマドキのフードコート然とした雰囲
気。こりゃ化けたわ。リフォームされた柱の1本を見て思う、欽ちゃんのサ
クラカラー24のステッカーは、この下にまだあるだろか・・・。

 やっぱり駅前の方が落ち着くかなー、と移動。とにかく今日は、釜めしを
食べることだけは既定なのである。日付入りのかけ紙が欲しいので(笑)。
駅前でまた1人峠仲間を発見、一緒に近況など駄弁りつつ昼食。おっと薬も。



 そろそろ14:00近くになっていた。慰霊祭が始まる。雨は時折止むの
だったが、ざんげ岩は諦めた。クルマへ取って返し、カメラを携えて第16
中山道踏切跡へ向かう・・・・・あ、横川郵便局の看板がJPになってら・・・
・・・体験運転仕業に入っていないロクサンが本線ギリギリまで出て、汽笛
の準備をしている。参列者の間を遠慮しつつすり抜けて、小根山へ行く坂か
ら、記録させていただくことにする。ここにも峠仲間の先客が。

 14:00。汽笛長声。黙祷。

 神主さんが祝詞を上げ、粛々と慰霊祭は進められる。その傍らを14:00
発の「シェルパくん」が、いつものように一旦停止し、また走りだして「と
うげのゆ」へ向かう。乗客の大半は恐らく目の前の光景に驚いたに違いない
が、案内放送で特別に説明が加えられたかもしれない。



 慰霊祭が終わり、1人がこれからロクサンの体験運転だと言って「文化む
ら」へ向かった。残った面々で、それを撮り鉄(笑)することにする。

 慰霊祭の片付けをしている横で、早速踏切跡の柵に陣取る。ををVだVだ
と言いながら思い思いのポジションを取っていると、何をトチ狂ったか1人
が脚立を出して来た。「この方が気分出るでしょ(笑)」。

 そこ入るなぁ、頭下げろぉ、ピーピーピー、などと言いながら(べつに相
手はいないので念の為)盛り上がっていると、やがてカーブしたレールが光っ
た。来るぞ。ロクサンの顔が出る。DL牽引の「アプトくん」とすれ違う。
かしゃかしゃかしゃ! おーし、V!

 よしっ、こいつの返しだぁ、と一斉に次の場所取りに駆け出す(馬鹿)。
五輪岩とからめてぇ、と言ってると見る見る雲に消えてしまった。残念。気
転を利かせた者は線路端のコスモスへ走った。そんなのを2往復ばかり繰り
返した。

 「10年ぶりに碓氷にお立ち台復活ですねぇ」

 「いや、我々は語り部としてこれを語り継がねばならんのですよ」

 大いに満足する一同(なんだかな)。

 そういやこんなヤカラがいましたな、てな話に花が咲く。

 丸山に三脚が立ててあり、何月何日のナニナニを撮るので絶対動かすなと
紙に書いてあったとか。

 そんなものは当然蹴倒されてたとか。

 線路を歩く人がいて、お立ち台から「列車来てるぞー!」と注意され、横
へ退避すると「そこは(構図に)入るから駄目ー!」と言われてたとか。

 ○○から俯瞰で撮るのでここで撮るな、と図入りで書いてあった貼紙とか
・・・・・これは「碓氷峠のたった今」で晒しちゃってましたがぁ。
 
 ま、個々の善し悪しはさておき。



 「文化むら」へ入って、10年目の最後の運用を終えた峠仲間を労う。な
んでも、9/30の予約は結構後まで空いていて、拍子抜けした由。こんな
日に何故と一同。一方10/1は平日にもかかわらず早く埋まっていたらし
い。ふーむ。

 夕闇迫る丸山を歩いた。シェルパくんが夜走る日にここ来ると綺麗ですよぉ、
などと共感を求めたりしつつ、あそこはどうなった、ここはこうなってる、
と、歩いても止まっても、峠の話は尽きない。峠を巡っては、廃止の後に知
り合った人もいれば、数えるほどすら会ったことがない人もいたが、ちょっ
とした小ネタからして、打てば響く「共通語」を持っていることに、あらた
めて気付かされることが少なくない。互いに知り合う前から、それぞれが、
それぞれにこの地に接していて、そこで体得してきた「言語」であるのかも、
しれない。以前「伝説」として語られる碓氷峠とのある種の温度差のような
ものについて触れたが、逆に、初対面でも通じ合える何かしらというもの、
これはその温度差を共有する部分でもあるのかも、しれない。

 この丸山で、だったか、列車の気配を感じたことがあるという。ぼう、と
明るくなったのだという。別の時には、それまで吹いていた風とは別の向き
からブロワーの排気のような温い風を感じたという・・・・・ん? ハテハ
テそれ、どっかで読まなかったカナ・・・・・って、どうやらソレそのもの
らしかった(驚)。



 夜が更けて行く。明日は月曜だというのに、なんとなく帰りそびれていた。
そろそろ「あさま37号」の時間ですね、あの長い長い汽笛は沁みたなぁ、
ざんげ岩にライトが点いてるの見ましたよ、それオレかもしれんですわ、そ
ういやニュースステーションで久米宏が中継見て「こんなのどうでもいい」
とかヌカシてましたっけねぇ、あーあったあったそんなの・・・・・。

 そうこうするうち、あの最後の単回が降りてくる頃合となり・・・・・。

 ぽぉーーっ!

 山間をホイッスルが、渡った気がした。


(終)