***** 2009年4月18日 ***** (独り言) 早いもので、「碓氷峠鉄道文化むら」がオープン10周年を迎える。加 速度的な時の経ち方にオロオロするばかりの昨今・・・。 これまでの、「文化むら」とその周辺の動きを振り返ると・・・、 1997. 9頃 「横川鉄道文化むら(仮称)」構想発表 ※当初1998.10暫定オープン予定 1997. 9.30 横軽廃止・横川運転区廃止 1997.10. 2 EF63疎開始まる 1997.10. 4 横川運転区お別れ会 1998. 2. 4 展示用のEF63の帰還始まる 1998.春頃 「文化むら」予定地発掘調査 「くつろぎの郷」着工(?) 1998. 5頃 「おぎのや資料館」オープン 1998.夏頃 「文化むら」着工 1998. 9頃 「碓氷峠鉄道文化むら」に名称決定 展示車両が横川駅に到着し始める 1998.10頃 「あぷとくん」車両到着 展示用189系「あさま」編成到着 1998.12.23 横川駅立ち売り復活(RSEC企画列車) ※以降徐々に恒例化 1999. 1頃 EF63 22坂本へ 1999. 2.15 EF63 11&12+189系「あさま」編成丸山へ 1999. 2頃 「文化むら」屋外展示スペースへの車両搬入開始 1999. 4頃 「あぷとくん」およびEF63動態保存機試運転開始 1999. 4.18 「碓氷峠鉄道文化むら」「くつろぎの郷」オープン 1999. 5頃 丸山の「あさま」編成損壊・盗難事件発生 1999. 9頃 丸山の「あさま」編成横川4番線に降ろされる 1999.11頃 お座敷「くつろぎ」編成横川到着 2000. 1頃 「くつろぎ」他「文化むら」内へ搬入 2000.春頃 旧丸山変電所仮補強工事開始、「峠の湯」着工 2000. 4頃 D51 96「文化むら」へ 2000.12.23 4両編成の「あさま」運転(以降類似列車が続く) 2001.春頃 旧丸山変電所復元工事開始 2001. 4頃 「アプトの道」完成、「峠の湯」オープン 2001.10.14 鉄道の日企画・車掌車に乗客を乗せ丸山まで往復 ※「シェルパくん」への伏線? 2002.夏頃 旧丸山変電所復元工事完了 2002.11. 5 横川郵便局移転 2003. 4頃 「文化むら」5周年企画(何故か1年前倒し?) 2003.秋頃 旧横川郵便局建物取り壊し 2003.11頃 「シェルパくん」(旧信越本線下り線活用)施設着工 2003.11.30 「文化むら」入場者100万人 2004. 7頃 「プラキッズ」釜めし売りバージョン登場(限定品) 2005. 2頃 「シェルパくん」車両搬入 2005. 3.22 「シェルパくん」完成記念式典・招待列車運行 2005. 3.26 「シェルパくん」一般運行開始 2005. 7. 2 「ホタルの里まつり」送迎の夜行シェルパくん運行開始 ※毎年恒例化 2005.10.28 「近代化遺産全国一斉公開」の一環で丸山変電所跡公開 ※毎年恒例化 2006. 1. 9 横川駅構内留置の189系電車、2両を残し現地解体 ※EF63 11&12は動態保存化 2006. 8頃 廃止10周年をターゲットに横軽間復活宣言 ※その後立ち消え・・・ 2007. 7.20 おぎのやドライブイン、リニューアル 2009. 3.26 横川SA上り線(おぎのや)リニューアル 2009. 4.18 「文化むら」10周年 ・・・ふう。外野の個人的な記録から起こしたので、内容的なムラや事実 誤認等、色々変なところもあるかもしれないが、とりあえづ。 0600前に新座料金所をパスし関越を行く・・・・・例の「どこまで もセンエン」のアレなのか、この時間帯にしてまだスキーシーズンだっけ かという交通量。 ついこの間、地球環境云々カンヌンでガソリン税続行とかなんとか言っ てなかったっけかー、環境の心配はもう良いんだー、と忘れかけてた話を 思い起こしつつ、関越の場合東松山以遠が「どこまでもセンエン」で、東 松山までは別料金・・・・・とはいえ深夜早朝割引の適用があるから、松 井田妙義までトータルで、ほぼ半額になる。これまでのように100km になる手前の富岡で降りる必要もないし、まあ一応、メリットは享受出来 る・・・・・尤も、財源考えれば単にコレ、どうせなら享受する側に回っ た方がマシくらいな話のようなんだが。 グダグダ言ううちに松井田妙義IC、まずは横川駅を偵察。 そういえばスイカが使えるようになったのだな横川。待合室を見回すと、 小冊子「小さな旅」の、「文化むら」10周年特別版(?)が。早速これ を頂戴。 とりあえず、丸山まで散歩・・・・・「文化むら」では「あぷとくん」 のアーチ橋に「ありがとう開園10周年」の横断幕が掲げられ、「シェル パくん」乗り場の前にはテントと椅子と、今日の記念式典の準備が進めら れている。 敷地の横を過ぎて行くと、ヤードに引き上げているロクサンの11号機 が妙ぉーに、メカシ込んでいて。所々銀が差されて、御召風なのである・・・ ・・・どうもGWになんちゃって御召な飾り付けをするらしい、という噂 は小耳に挟んだ。これを見ればどうやら本当らしいのだが、たーだ、「文 化むら」サイド他から、表立った発表がなされた様子が無いのだなこれが。 さてさて・・・。 変電所前までやって来ると、コスモスの花壇が耕された様子。今年も始 まったんですなあ。 節目の日にはざんげ岩・・・・・あの最後の「あさま37号」も、この 「文化むら」オープンも、そして「シェルパくん」出発式も、ざんげ岩か ら見届けた。というわけで今日もまた、ざんげ岩に行かねばなるまい・・・。 まずは「おぎのや」ドライブインに寄って、釜めしを調達・・・・・久 しぶりに上で食べたくなったのだな。で、何か変だと思えばこれ、掛け紙 の色が違う!? よくよく見れば、善光寺御開帳記念バージョン。前回は こんなの作ってたっけかな・・・・・たーしか軽井沢駅で立ち売り復活、 というのはその時やってた気がするけれど。 登山口にクルマを入れ、さて身支度を・・・・・今回何をトチ狂ったか、 ペンタックス645を持って来てしまった。超広角35mmから望遠の 300mmまで、レンズ5本セット・・・・・久々で掃除しなければなら なかったが。さらにEOSのボディ2台にズームが3本、レンジファイン ダー機にコンデジに、さっきの釜めし・・・・・分量的には、まあ、かつ ては当たり前に背負っていた範疇ではある・・・・・PCは無いか今日は。 しかし月日は流れ、今日ではもうこれ、大いなる挑戦と言えた(苦笑)。 えっちら、おっちら、寝不足ではあったが用心して摂生してたのが奏功 か、汗ポタポタになりながらも意外と体は前へ進み、35分程でざんげ岩 へ運び上げる。おーし今なお現役!・・・・・いっ、腰が・・・。 予報では晴れると聞いていたが、見下ろす横川は生憎まだ霞んでいた。 とにかくまずは、リュックを開けてお店を広げ・・・・・と、そこへ「快 速碓氷号」が到着。国鉄色の183/9系。こちとらカメラの設定が間違っ てたりしててもう、大パニック(苦笑)。 そしてドンドコドンドコ太鼓の音が聞こえ、続いて式典と思しき空気・・・ ・・・どうも「あぷとくん」のアーチ橋を背に進められているようで、ざ んげ岩からでは思いっきり死角(泣)。参列者はテントの下・・・・・こ れも定めかと、ともかくそれだけでも、ぱちり。 暫くすると、ポォーッ、ポォーッ、と汽笛がやたらに聞こえ、まだ式典 続いてるのかと思いきや、ロクサン1号機の汽笛吹鳴企画が始まったよう で。コンプレッサーを繋いだのか、今日は汽笛を鳴らさせてくれる。見る と1号機の横には行列が出来てる。 ここらで先程の釜めしを取り出し、一息つく。はあ・・・・・久しぶり だなこういうのは。折角なので、どっかで見たような釜めしの写真を(笑)。 眼下より声が聞こえる。EF80のすぐ横の特設ステージで、自らをお 姉さんと呼ぶお姉さん(笑)が前説らしき事を始めていて・・・、 「じゃあせーのっ、じーふぁいぶぅー!」 おっ! 「超速戦士 G−FIVE」。戦隊じゃなくて戦士・・・・・というか、 ゴレンジャー以来連綿たる「戦隊モノ」のひとつかとぼんやり思ってたら、 群馬限定のローカル戦隊だったとは知らなんだ。似てるが「ゴーゴーファ イブ」とは違う・・・・・ん、そういやゴーゴーファイブじゃなかったっ けかな、なーんか鉄ネタ絡みだったのは・・・・・それでいっぺんオンエ アを見たんだ(笑)。アクアラインを列車(?)がドカドカ走ってたよな、 なんか。 悪役が出てきて暫く観客をいじったところで・・・・・お約束のお子様 拉致は無し・・・・・G−FIVEが登場、鉄道文化むらでボクと握手! と相成る。今日は3人だけの減車編成らしい。 入電アリ。今日は友人にお願い事をしてたのだ。「文化むら」10周年 の記念切手。これ買ってから登ったのでは間に合わないと思い、確保をお 願いしてた次第・・・・・やあどうもどうも見えますかあ?、などと挨拶 を交わし、聞けばこれから買いに行くという・・・・・え、とその温度差 に不安を抱えているとまた入電、売り切れてましたぁ・・・・・あったり めーだろざーけんなボケカスと思い付く限りの罵詈雑言を浴びせ(←かな り脚色為念)、暫くするとまた入電、一旦売り切れた後にまだ在庫があっ たそうで買えましたぁ・・・・・天晴よくやった! 今度は思い付く限り の礼を述べ、とりあえずは、落着。しかし勘違いの売り切れ(?)ってな んだ?? それで諦めた人は気の毒だな・・・。 眼下ではロクサンが丸山方へ引き上げていき、仲間を2両連れて戻って きた。本日の目玉の一つ、ロクサン三重連。「シェルパくん」が昼休みに 入る間を利用して、空いた線路をゆっくりと、2往復ばかり。中程のカー ブで暫く止めていたのは、撮影用か。傍らを「あぷとくん」が過ぎていく。 カメラを取っ換え引っ換えこれをぱちりぱちりと撮り、2両をまた解放 したのを潮に散らかした機材を片付けて、ざんげ岩を後にする。今日の滞 在はおよそ3時間。長い方だったと思うが、それでもちょっと忙しなかっ たか・・・・・もっとなんでもない日に、かつてのように昼寝でもしてみ たいものだが。 「文化むら」の駐車場は殆ど満車で、奥の方が空きますよと案内係に言 われて進んでみると目の前で出るクルマがあって、ラッキーとそこへ収ま る。久方ぶりの峠仲間の面々と「文化むら」をぶらりぶらり。 丁度今は、資料館でEF65Pヘッドマーク展、なるものがあるのだな。 先日の九州ブルトレ終焉とかけてのものか、タイミング的にはそうなのだ ろうけど、見慣れたやや枯れたそれとは仕上げも違う、どこかプラ風味の ピカピカのHM達。よく団体の企画列車で用意される、或いはかつて現役 時代のロクサンに稀に掲げられたりしていた「白山」や「あさま」や「そ よかぜ」等と、同じ出所なのかもしれない。 「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「富士」・・・・・と東京駅を発つ 順に並べられたHMと、懐かしい写真を前に、話は尽きづ。 売店では、このヘッドマーク展の下敷きが。ほお。他には「シェルパく ん」にED42に、「文化むら」の車両達の缶バッジがお目見え、久々の オリジナルグッズに、下敷き共々所望。今日の日付の記念メダルも忘れな い(笑)。 奥をぶらり。ロクサンの汽笛がポーポー鳴ってて、午後の部の最中らし い。傍らには大きな発電機が据えられて、ブンブン唸ってる。いやコンプ レッサーも一体なのかなこれ・・・・・削岩機なんかに使うようなあんな 感じ。ロクサン1号機も古いから、空気だけ送り込んだ方が現実的で。 特設ステージでは「G−FIVE」の午後の部が。傍らでオリジナルグッ ズを売っていて、自主制作風味なCDやDVD、ワッペンに、ちっこいフィ ギュア付の携帯ストラップ。ほお・・・・・じゃあここは地元で、ミョウ ギイエローのストラップを・・・・・ああ、イエローは女子なんだな。黄 色というとどーしても、カレーバクバク食ってるイメージが(笑)。 駅前で駄弁り、坂本の22号機の前でまた駄弁り・・・・・そういえば 10年前、前夜祭と称してここでBBQやったんだよな。あれ以来BBQ やってない気がする・・・・・洗わないまま箱を開けてない気がする(汗)。 そうこうするうち日が暮れて。 横川SAの上り線側にある、おぎのやがリニューアルしたそうで、なん と、キハ58を持ち込んで据えられているという。こりゃ是非見たいもの だと思うのだったが、その為に碓氷軽井沢ICまで登らにゃならんのか・・・ ・・・と、聞けば地元の人なんて結構、通用口から利用しているらしい(笑)。 勝手にスマートICにするのは流石にマズイだろうが、おぎのや的にはウェ ルカムなのだな・・・・・そういうことならと、寄ってみることにする。 遊んで帰る人でごった返す中、あー、あったわあったわ。ダルマにされ たキハ58の先頭部分が、でん! 碓氷なら当然キハ57だが、ダルマな ら多分変わりは無い。急行「志賀」のサボが入ってたりする。よくよく観 察すると運転室扉付近までが実物で、別に造った客室が継いである。コン コン叩いて確かめた(笑)。廃車の出物を譲り受けたそうだが、運ぶのは 小さい方が良いもんな・・・・・乗降扉は省略されて、運転室扉がその代 わり。本来のデッキが無く、事実上ここがデッキ。透明アクリル越しに運 転席が覗ける。 客室にはボックスシート、その中央にテーブルがあって、オリジナルの シートピッチだと窮屈そうな気もしたが、ああでも、800番台なんかは テーブルあったんだっけか・・・・・窓の形に違和感を覚えたが、ディテー ルについては識者の見解を伺いたいトコロ。 で、その横はホームに見立てられ、柱にホーローの駅名票まであったり なわけだが、ここまで来るともう、たまには売り子に立ってもらうとか、 ボックスから窓越しで買えるとか、やってくれぬものか(笑)。 (終)