***** 2012年11月4日 ***** (独り言) つい2、3週前の「タモリ倶楽部」が廃道の話で、そこへ碓氷の「御巡 幸道路」が紹介されてて。可哀相にADの人が嫌々連れて行かれたといっ た風情で、峠から中山道を下り、見覚えのある放置バスなどが映ったりし つつ、いよいよ「御巡幸道路」へ入って行く・・・・・崩落だのなんだの とありつつ、最後にはミニミニのあたりの国道へ出てた。ヒルにも食われ まくりだったAD氏の、もう二度と来るものか的なコメントで終了。あれ 血ぃ止まんねえぞ・・・。 碓氷に通い始めた・・・・・というよりまだまだ2度目の訪問時だった か、雨煙る中碓氷橋を渡る列車を俯瞰気味に撮ったことがあった・・・・・ って「碓氷メール大全」の一番最初のヤツだその話・・・・・が、あの時、 そうとも知らずそこを少し歩いてたのだな。 国土地理院の地形図で、新線の碓氷橋を潜ったあたりで碓氷川を渡り、 そこから九十九折に登って中山道へ至る道があるらしいことは判っていた。 当時、ポスターなどで定番の「眼鏡橋入りカット」のポイントなどまだ知 らず手探り状態なのだったが、因みに巡光側はその前日、思い描いていた ものとは大分違うものの、国道からちょいと登れる場所を見つけていて、 その後ちょっとした賑わいになることもあったり。 で、碓氷川を渡るところは木の橋の跡があったような気もするが、岩か ら岩で渡ることが出来た。そこから藪をかき分けて登るのだが、後から思 えば崩れてるところもあって廃道同然、結局、眼鏡橋は見えぬままに、ま まよと切ったのが、先の「雨煙る中」云々の写真・・・・・そういや「写 真アルバム」に収録してましたわコレ。 その後碓氷での出会いを通じて、念願の「眼鏡橋入りカット」はどうに か収めることが出来た。知る人ぞ知る「座頭転がし」へは刎石山を越えて 来るよりも近そうなので碓氷橋からのルートを取ったこともあって、たし かに、妙に広い道だなー、なんでここだけ、と思った記憶はあって。御巡 幸道路というもの自体の存在を知ったのは多分その後のこと。 中山道も久々に踏破してみたいもので・・・・・横軽廃止前に1度歩い たきりなのだなこれが。峠に近い所のバスは「タモリ倶楽部」で健在ぶり が確認されたが、そういやずっと横川寄りで進退窮まって乗り捨てられて たらしき乗用車は、最近・・・・・それも今年・・・・・片付けられたそ うな。 さて今年も近代化遺産な季節、8年目の丸山変電所跡の公開なのである。 内容的にそうそう変わるものでもないけれど、毎年皆勤賞みたいな実績(?) が積まれてくると、最早続けるというより止められない的な。 天気も良いので・・・・・季節柄渋滞もありそうだし・・・・・バイク で関越、松井田妙義で降りてそのまま眼鏡橋へ直行。日が高くなる前の光 線で押さえておこうかと・・・・・とはいえまだ葉は色付いておらづ。残 暑が長かったから遅いとの話ではあったが。 それでもあーだこーだと撮って、そのまま旧道を登って、別荘地抜けて 峠の見晴し台へ。足元の木が伸びて見え難いのだけど切ったりはしないの かなこれ・・・・・富士山の方角が示されていたが、稜線の向うなのか霞 んでるのか、見えづ。 久しぶりに熊野神社/熊野皇大神社にお参りなど。ここまで来れば紅葉 も色付いてはいたが、鳥居の影をバックに良い具合に透けてる葉っぱは惜 しくもまだ青く・・・。御守などを所望していると、小さな男の子共々着 飾った家族連れが登って来て、宮司さんが祝詞を上げ始め・・・・・あー、 七五三だ。 向かいの「しげのや」を覘く。先の「タモリ倶楽部」で出発前に力餅を 食べていた茶屋である。どれどれと思ったが丸山の都合上そろそろ降りた 方が良さげな頃合、グッズの物色に留めるのだったが、そのひとつ「碓氷 峠 歴史と観光」、その昔熊野皇大神社の宮司さんが自費出版したガイド ブックで、歴史や地理、個々の史跡の謂れなどが綴られている。今あるの は復刻版であるそうで、内容の旧さは敢えてそのままにしてある由、復刻 後も版は重ねられ今あるのは第6版、1997年8月・・・・・鉄道の最 後の賑わいのさ中、か。 もう一品は、峠に立つ数字歌碑をあしらった手拭い。 八万三千八 三六九三三四七 一八二 四五十三二四六 百四億四六 ・・・読めねえ。 いよいよ本題の丸山変電所、来た道を戻って旧道を降りるのだったが、 よりによって団体のバスが前にいて、すれ違いで止まったりといったノロ ノロぶりに、こりゃシェルパくんの始発には間に合わないかもと、やや焦 れつつ半ば諦めつつ、しかし旧道を降りるからには眼鏡橋に寄るハズ、果 たしてバスは駐車場に入って行き、やっとスムーズに流れてどうにかこう にか峠の湯まで降り、そこからはアプトの道を歩いて丸山変電所に現着し たのは、丁度始発のシェルパくんが入って来るところだった。 シェルパくん、来シーズン新型機関車導入らしいので、その牽引機の自 称(しつこい)DB20との取り合わせも今シーズン限り、個人的には今 日が、見納めとなりそうで。 シェルパくんの返しを見送った後、変電所建物内を一巡り。そうそう変 わり映えのするものではないものの、こうして時々覘き、中で佇んで深呼 吸などしてみると、この文化財と時間を共有しているような気分に、浸れ るといいますか・・・・・外ではまだコスモスが、僅かに残っていて。 またまた旧道を登る。今朝寄った時にはまだ全然だったが、日が高くな るともう、眼鏡橋の手前あたりで盛大に路肩駐車、今日は客レの3重連で も来るのかいな、と遠い記憶に想いを馳せつつ、軽井沢をスルーして中軽 でR146へ折れ、流石にクルマが多い中こちらは良い具合に色付いてる 紅葉のトンネルを楽しみつつ、北軽井沢へ。 最近「カルメン故郷へ帰る」の安〜いDVDを買って観たのだなこれが。 その舞台が北軽井沢なのだが、横軽通いも20年になるというに、その初 期には廃線ブームもあったというに、草軽は新軽井沢駅跡を嗅ぎ回ったく らい・・・・・あとは町役場にあった頃のデキとか・・・・・で、殆どノー マークだったとゆー。R146も何度も通りながら、鬼押し出しへは寄る ものの、更には県道54号へ入りながらすぐ傍を思いっきりスルーとゆー、 それもこれも、遺構は殆ど残ってないと何故か思い込んでたりなアレで。 でま今日こそはと、北軽井沢駅跡を訪問。木で造られたデキのモニュメ ントが良い塩梅なのだったが、その駅舎の佇まいに、映画の中の活き活き としていた風景を、重ねてみたり。シーズン終了ということなのか、観光 案内所が閉まっていてそこの展示が見られなかった。 しみじみしたところで、この天候ならDB20のシェルパくんの、ギラ リの見納めが叶うカモ、とまた横川に戻ろうかと、しかしあの混み具合か らしてもう軽井沢や碓氷峠は通りたくないので、前はただスルーしてしまっ た県道54号から、二度上峠、地蔵峠とぐるーっと回り込む。をを、フツー にツーリングしてるぞ。 時間があったので遅めの昼食でもとコンビニ寄って、丸山の直線の碓氷 川の逆サイ、上信越道の下の場所へ到着。よーし西の空はまだ晴れてるな ・・・・・てかここ、暫く来ないうちにすんげー草木がボーボーなんです けど・・・。 その時を待っていると、夫婦のハイカーらしき2人が国道の方から降り てきて。普段誰も来るような場所じゃないのだが、ムシャムシャ食ってる ところをバッチリ見られた格好でそれはさておき、横川へショートカット するつもりでいた・・・・・全然ショートカットにならないけど・・・・・ らしく、川は渡れるかと訊かれた。いやあ、国道に戻った方がいいですよ。 んなこともありつつ、さてギラリは前にも撮るには撮っていたのだが、 今回はDB20をアップで狙おうか、てか橋脚の影が入ってしまい寄って 切り取るしかないのだったが、ともあれ、やって来てギラリを、ぱちり。 その返しも、ぱちり。さらば、DB20オリジナル編成の、シェルパくん。 今日はまだ寄ってなかったおぎのやドライブインを覘く。ご当地キュー ピーの新作・・・・・釜めしから飛び出してるバージョン・・・・・があっ てどうしたもんかと逡巡しつつ、トイレを借りるとその入口付近の貼紙、 釜めし料金改定のお知らせ。ありゃ。10/1から¥1Kナリ、なのだっ た。そうか前に来た時買っておけば、¥900最終日だったのか・・・。 思い起こせば横軽廃止の年の、5月頃だったろうか、¥900になった のは。それまでは¥800で、千円札で¥200のお釣りを貰うと、その 横で¥200のなめこ汁を売っているという、なかなか巧いシステム(笑) なのだった・・・・・当時それをフルコースと呼んでいた・・・・・が、 廃止目前で外野的に先行きを案じていたようなところで、値上げ止むなし か、と受け止めた記憶がある。 それはそうと、掛け紙の値段部分の印刷変わってるのでわ?(ぉ しょうがない。(ぉ さっき食べたばかりでしょ、というのはこの際言いっこなしである。早 速1つ所望し、ついでになめこ汁も注文。弁当コーナーで注文すると引換 の札くれるのか・・・・・この札自体を¥200で買うヤカラがいたりし て(笑)。 はさておき、紐を解き、掛け紙を・・・・・ん? んん? 値段が印刷 されてない。ああ、切替期用に用意したものなのかなこれわ。まあそれな らそれでレアかもしれづ、また日をあらためて、¥1Kバージョンの掛け 紙の釜めしを、求めるとしますかな。 (終)