***** 2013年3月2日 ***** (独り言) テイチクから「66.7‰碓氷峠 〜急勾配に挑むEF63〜」なるBD が発売されてて。昔ぁ〜しVHSで出ていたもので、運転士の仕事を紹介 する「峠のシェルパを支える男達」編と、要検と試運転の様子を纏めた 「メカニック」編をまとめて収録。 VHSでの初出は1991年。私が撮影目的で初訪問するのがその翌年、 そこからお熱を上げることになるのだったが、そんな中であれこれ買い漁っ た中に、このビデオもあった。テイチクによると「ジェイアール東日本企 画保管庫から奇跡的に発見されたマスターテープより」云々と、どこぞの 大指揮者のレコードみたいな話になってて、いきなしBD化、しかもBD のみとはまた大きく出たというかなんというか、オーバークウォリティー かと思わないでもなかったが、オーバーサンプリング的な緻密さや安定感 を、ちょっと期待するとして。 無論、速攻即決。 久しぶりに見てみると、「男達」編は研修ビデオのような風情を醸しつ つ、全体的に絵作りはどちらかというと地味目ながら、しかしよーく見る と、見るところ見てるなーといったところや、何台もカメラを使ってのカッ ト割やライティングなど結構手間をかけているのが見て取れたりと。最後 は客車時代の下り「能登」の、ロクニとの掛け合いで魅せてくれる。「メ カニック」編も検査の様子をドキュメンタリーとして追って、3重連での 試運転の様子がシブい。 廃止間際には他からも色々と出て、粗製乱造とまでは言わないにしろ、 そんな中にあってこの2本は、地に足付いた安定感、と言っていいかもし れづ・・・・・ああでも、最終日を追ったトミックスのビデオ、あれだけ は再販をお願いしたく・・・・・ここだけの話、あれは泣いた。 昨年11月の、丸山変電所公開以来の訪問。その間にも色々とあったよ うで、まず昨年暮の12/18、「シェルパくん」の新しい機関車がに横 川へやって来た由。今年春からのシーズンに間に合わせるスケジュールだ ろうから、一通り調整も終え試運転を経て、今は習熟運転の真っ最中やも しれづ。 一方軽井沢のしなの鉄道では169系がGWを前に終焉を迎えるそうで、 先頭車だけでも「文化むら」で遺せぬものかと思うのだったが、さて団体 企画で「白山」が軽井沢へやって来るとかで、それらが並ぶとか並ばない とかいう話のようで。 動機になりそうなところで、そのへん、絡めてみよか。 関越は練馬に入る前から混みだし、新座0600の目安はギリギリクリ アしたものの、これは季節柄出遅れたか・・・・・とはいえ、板乗っけて るクルマは殆ど見当たらづ、先行きイヤーな予感・・・・・案の定所沢で 事故っててここを過ぎれば流れたものの、その先でも詰まったり空いたり、 見込みより1時間程の遅れで松井田妙義。 おぎのやドライブインにクルマを入れると、なんだか中が暗い。っかしー なーと中を窺おうとして目に止まる、「0900−1800」の営業時間。 え、前来た時もそうだったっけ? 30分くらいあるので「文化むら」を偵察。入口正面では「シェルパく ん」の新型機関車が早速お出迎え。EC40を思わせる先頭形状に、後に 続く長いデッキ(?)と配給電車にも似たスタイルがなかなか独特なのだっ たが、公募によるデコラティブなカラーリング共々、最早EC40がどう のこうのではないか、これは・・・。 「文化むら」脇の道をてくてく進むと、奥のヤードに初代「シェルパく ん」牽引機DB20の姿が。そういえば、ともう1両いた青い方のモーター カーは・・・・・ん、姿が見えない。 横川駅は特に変わった様子も無いようだったが、旧4番ホームに「碓氷 峠鉄道施設」の世界遺産登録を目指す幟が。 碓氷峠鉄道施設 世界遺産 登録へ 鉄道遺産群を愛する会 富岡製糸場と併せての申請で世界遺産へ挑んでいた時期があって、以前 ・・・・・3年余り前か・・・・・この幟があちこちに立てられていたの を記憶する。その後世界遺産への挑戦は富岡製糸場とその周辺に絞り込ま れ、碓氷峠関連は切り離された格好になってしまい、幟も姿を消していた ように思ったが、ここに残ってたか・・・・・いやいやそれにしては年月 の割に褪せてるようでも無く、すると単独であらためて?・・・・・いず れにせよ、諦めてはいない、と。 おぎのやドライブインで釜めしとなめこ汁の朝食。さてその釜めしの掛 け紙に、新たに「1000円」と入ったものを期待していたのだが、あれ れ入ってないか・・・・・うーむ昨年11月の時には、値上げの過渡期用 で無印を用意したのかと思っていたが、さらに4ヶ月経って未だ無印とい うことは、もうこのままなのカモ・・・・・¥900時代は15年続いた が、¥1K時代は果たして・・・・・ちゃんと書いてないとここで落ち着 かないような気がしてしまう。(ぉ 箸が割箸ではない、丸い竹箸に変わった。前回そうだったような気もし つつ、一応これも記しとこ。 グッズ関係をチェック。手許にあったかどうか確認忘れたまま、見送っ てた釜めしキューピーを確保。ぐんまちゃんのダルマもなんとなく・・・。 旧道から軽井沢へ。駅前の駐車場に駐めると、「白山」のツアー客なの かソレと思しき一団が上からぞろぞろ降りてきてた。どこへ向うのかよく 見ないままに上へ上がると、しなの鉄道の出札窓口にもちょっとした列が 出来てる。最近の記念切符でもと思ったが、それぞれ思い思いに買ってる 人を観察していると、掲示は出ていなかったが硬券の急行券が¥300ナ リ、であるらしい。下りと上りと。 「白山」に気を取られてしなの鉄道の臨時急行まで注意が回らず、てっ きり「白山」と湘南色を並ばせるだけなのかと思い込んでたのが我ながら お目出度いが、今日は「信州」が走るのだとかで。 急行「信州」・・・。 初めて碓氷を越えたその帰りに乗ったのが、「信州4号」だった。「無 効」印とバツ印の指定席急行券がまだ手許にある、ハズ。 あれは小学生の時分、町内会の旅行会か何かで軽井沢へ行った時で、往 路は「あさま」だったかどうだったか、とにかくボンネット特急・・・・・ 下り寄りはボンネットじゃなかった気も・・・・・で、途中駅で機関車が 行き交うのを見た記憶がある。当時横軽についてどれ程知識があったかは もう分からないが、補機を繋ぐということは認識していたろうか。「アプ トシキ」なる耳慣れない言葉を発する友達が、「+」と入ってるATS地 上子を指差して、あそこで機関車の充電してるんだぜ、などと吹いてたの が何故か記憶に残っているのだが、頭上の架線との整合性をツッコむ程の 知恵は、こちらにはなかった。 #今から思えばそれ、ハイトラムあたりの先駆けじゃんか(笑)。 白糸の滝と鬼押し出ししか覚えてないが、その復路で「信州4号」に乗っ た。先のソイツと何故かずっとデッキで駄弁ってた記憶があって、流れか ら機関車の連結やらを見たハズ・・・・・だが記憶が曖昧である。ともあ れ自宅の最寄り駅まで帰ってきて、これ貰えるんだぜ、みたいな知恵がソ イツにはあって、ならばと精算窓口で申し出た。あの頃はまだ切符の回収 に煩くなく・・・・・というより無効の手間を面倒臭がらず?・・・・・ 親が同伴だったこともあってか、無効印とバツ印付で、くれた。 思えば、それが最初の乗車記念切符である。 そんな「信州」との縁を思い起こしつつ、今169系が来てるようなの で、下りの急行券・・・・・上りは良いんですかと訊かれたが・・・・・ と入場券買ってホームへ降りる。丁度169系が側線へ入換えてるところ で、これが落ち着くまでパチリパチリと。 クルマへ戻るべく駅の下へ降りると、すんげー行列が出来てて。部品や グッズの即売会のようで、そういえば出札窓口で、今日はグッズは下で売 るとか言ってたっけか。並べば相当時間を取られそうなので、とりあえず スルー。 矢ヶ崎から、撮れやしまいかと算段してたのである。廃止になる前、憩 うロクサン達をここから狙ったもので・・・・・というわけで来てみれば、 あららー側線の169系の顔が架線柱にかかりまくり。ボーボーの草もア レだし・・・・・やがて「白山」が到着、これもビミョーだなおい。 関係無い1番線だけクリアーに見えてるのが、これまたなんとも・・・・・ そういえば昔撮った場所は、踏切渡り切った向う側だったでわないか。今 はそこを新幹線が走ってる。うーむむむ。 そのうちゾロゾロと人が線路を渡るのが見え、「信州」「白山」並びの 撮影会が始まった様子。それらを撮るだけ撮って・・・・・とやっている と声をかけられ。地元の人らしく、何が来るのかという質問にどう答えた ものやら。コクテツノカクカクシカジカと端折りつつ答えると、SLじゃ ないんだなーんだ・・・・・世間の認識はそんなもの。 「白山」が動き出したところで切り上げて、再び軽井沢駅へ。団体客が 引いた後で即売会は閑古鳥状態、独りきりという気恥かしさを堪えつつ見 て回ると、長野電鉄等々と合同のようで、しな鉄的にはヘッドマークやサ ボのレプリカ、ブリキの電車がまだあって、半年前気合入れて軽井沢へ買 いに寄ったのは、何だったのか(苦笑)・・・・・京急の催しなんかでも 見かけたよなあ。記念弁当というのは流石に終わっていて、そんな中で何 か買おうと、「信州」のキーホルダーなど。 バイパスから下って、お次はざんげ岩。8ヶ月ぶり。 不摂生が不安だったが、いざ登山道に差し掛かると、最初からツルッツ ルに凍結してやがる。これがまた嫌がらせのように、通り道だけ雪が残っ てて踏み固まったり雨が降ったりでそうなったようで、うーむアイゼン忘 れた・・・・・足場が無いでもないので、様子を見ながら進んで、駄目そ うなら引き返すか。 廃止後の最初の春先に、2番目の鎖場の下で雪に阻まれ諦めたことがあ る。岩のケコミが雪やら氷やらで塞がっててどうにもならなかった・・・・・ 流石にあのレベルではないものの、通り道だけ凍結してる・・・・・要は 水の通り道でもあるのだろうけど・・・・・ものだから、常にどこかに掴 まってなければならず全身を使うことになり、こりゃ明日あたりあちこち 来るぞ・・・。 なんだかんだで、45分程でざんげ岩着。やれやれ。 とにかく荷物を下ろして一息つくと、タイフォンのような音が聞こえた。 駅に電車来てないし、アプトくんのDLの音とも違うナ・・・・・と思っ ていると、やややっ、「シェルパくん」が試運転してるでわないか! 動かなきゃ動かないで上から撮って終わり、と思っていたところへ、半 ば不意打ちの格好だったが、カメラとレンズを引っ張り出し、まずは追い かけるので精一杯。「文化むら」を過ぎ、オーバークロスを渡り、カーブ を経て丸山の直線へと入る。やがて「まるやま」で停車。暫くするとまた 戻ってきた。 今度こそ「文化むら」内を走る様子をしっかり、と待ち構えていると、 オーバークロスで停止。また丸山の方へ戻って行く・・・・・あららら。 再び「まるやま」まで達した後、どうするかと思ったらその先を登り始め た。 ををを、まさに復活! この先は木々や建物の向うに隠れて、僅かに隙間を横切るのが見えるの み。丸山変電所前のカーブの先も、「とうげのゆ」の出入りも、いつ横切 のやらと待ち続け、注意を逸らした隙にそこにいたりと、もうこれはちょっ としたストレスで・・・・・あれだ、「スターリングラード」のケーニッ ヒ少佐、凄えよな。(ぉぃ 降りて来たと思えばまたオーバークロスで折り返し、いつこっちまで降 りてくるか判らない・・・・・閉園までには確実だろうが・・・・・中、 風ビュービューで寒いったらありゃしないので、ここらで退散。 凍結だらけの登山道をまたビビりながら降り、やれやれ出口まで辿り着 い・・・・・スッテーン!・・・・・家に帰るまでが遠足です(痛)。 今年は大河ドラマがらみで安中も名乗りを上げてて、新島襄がこちらの 所縁であったとは恥ずかしながら認識してなかったのが、「上毛かるた」 にもちゃーんと、あったのだなこれが。「平和の使徒 新島襄」。 #関係ないが関孝和もあるんだったか・・・・・最近「天地明察」がアレ #だったけれども。 なんだかんだで見てしまう大河ドラマ、幕末で安中藩といえば、アレだ ろお、と僅かに期待しないでもなかったが、本人は江戸詰めの藩士の出、 国許に帰るでもないまま、安政年間あっさり終了。 そういえば安中には新島学園、てのがある。調べると学校自体は新島襄 自身が開いたというわけではないものの、その精神を受け継ぐ想いが込め られた校名らしい。ともあれこのあたりでは知られた進学校だそうで、横 軽廃止の前後には、軽井沢方面からの通学者がクローズアップされていた。 バスに転換されれば通学の所要時間は伸び、特に冬季の運行には不安があ るとか、連続するカーブに揺られて云々と、廃止の「陰」の部分として報 じられていたように記憶する。たしか父兄が廃止阻止の訴訟を起こしてた ような・・・。 彼らが卒業するまでは、廃止前の運賃との差額を、自治体とJR(後者 は記憶が定かでないが)が補償するという話もあったな・・・・・廃止後 に入学する世代の生徒は、その前提を承知の上での通学ということになる が、鉄道の廃止によって進学の選択肢としてどれ程「遠く」なったかは、 定かでない・・・・・と思ったら新島学園自身が下仁田方面と軽井沢方面 にスクールバス仕立ててた。をを。 諸々思い起こしつつ、R18を安中へ向かう・・・・・碓氷川の向うの 山で、この強風で盛大に黄褐色の煙が上がってんですがあ・・・・・あれ きっと、アレだろお・・・・・グシュグシュ。 久しぶりに碓氷郡役場跡に立ち寄る。大河がらみでパネル展やってて、 臨時駐車場まで設けられていたが、役場跡の駐車場には他にクルマなし。 大河ドラマで前面に出てくるのはこれから、テレビ画面の外ではどんな展 開が待ってますやら。 高崎のいつもの書店で寄って毎度の郷土本漁り・・・。 「ガイドマップ『上毛かるた』ゆかりの地文化めぐり」。 3年ほど前に「『上毛かるた』で見つける群馬のすがた」という本が出 ており、A4で¥380ナリだったが、今回はA5で¥280ナリ。どち らも群馬県の発行、やはり社会科の教材になっているのだろうか? 題材が題材だけに内容的に被りまくりは避けられないところだろうが、 売り場には両方が並んで平積みされていて、新装版とかそういうわけでも なし。札のひとつひとつの解説に加え、所縁の地を地図入りで紹介してい る・・・・・なんだ今度のは結構濃厚じゃんか。むしろ県外の人間には、 取っ掛かりを得やすい内容で助かる。 関越乗って、帰りは渋滞に遭うこともなくSAで夕飯を食し・・・・・ さて今年は完全復活の「シェルパくん」、例年であれば彼岸の頃にはシー ズン開始と思ったが、肝心の「文化むら」からは未だアナウンスが出てい ない様子・・・・・これに限らずもうちょっと発信してもいいと思うのだ けど(惜)。 思い起こせば8年前、「シェルパくん」が出発式を行ったのは3/22 だったが、そのあたりの日程で今度の復活のセレモニーはあるのか?・・・ ・・・さてどうしよう。 8年前の登場の時は、ざんげ岩や刎石山から始まり、久々五輪岩やらに も登って、廃止前のおさらいをするように、この新たな主役を迎えた。役 者が変わったところでこりゃまた、一巡りすることに、なりそうな・・・・・ 五輪岩はあの時以来、久々に行ってみたい気がしないでもないが・・・。 そしていつか「とうげのゆ」の先へ延びた時・・・・・その時身体は付い てくるだろか(苦笑)。 (終)