***** 2015年2月1日 *****
(独り言)


 「碓氷峠歴史文化遺産研究会」。

 その名が飛び込んで来たのは、1週間程前だったろうか。読売新聞のサ
イトに出ていた。その更に数日前に上毛新聞サイトに出ていたようなのだ
が、全文は紙面のみのようで読むこと叶わづ・・・・・その後毎日、産経
と続いた。

 報じられた大まかなところでは、碓氷関連で活動なり研究なりをしてい
る主体として、地域の有志グループや、「文化むら」も運営する碓氷峠交
流記念財団、教育委員会、研究者等々が、それぞれに並行してきたという
現状から一歩進めて、互いをより結び付ける仕組みとしてNPOを立ち上
げ、活動や発信力の充実を図る・・・・・といったような。



 たしかに、その主体にいくつか心当たりはあるものの、その存在や活動、
出版物など、地元紙で取り上げられたり、地元の書店の郷土本コーナーで
目にすることこそあれ、それらが「域内」に留まっていた感はある。或い
は「域外」から関心あればアクセス出来たかというと、必ずしも十分では
なかった・・・・。

 「域外」から知る取っ掛かりは、このご時勢、まずはネットからとなる。
今回接したニュースのように、報道機関を通じたそれであれば目にする確
率は比較的高く、関心の高いキーワードを予め登録して、ニュースがあれ
ば通知してもらう方法もある・・・・・というか今回知ったのは、まさに
ソレ。

 逆に言うと、報道にも乗らず、巡回先にも出て来ない情報は、ほぼ入っ
て来ない。能動的に関連ワードからの検索でも引っ掛からないとなると、
「域外」からすればこれはもう、存在しないに等しい・・・・・ある意味
ら「事象の地平面」の向う的な(笑)。

 そこにあるのに、「ない」・・・・・何から何まで全世界へ向けて発す
ることもなかろうが、潜在する「縁」が、これまで潜在するままにされて
きた感は、確かにあって・・・。

 これまでにも触れて来たが例えば、毎年11月、「近代化遺産全国一斉
公開事業」の一環で、丸山変電所建物の内部が公開される。ボランティア
の方々が来訪者を迎え入れる活動をしている。しかし「域外」にいては、
まずその催し自体を知る機会が殆ど無い。鉄道雑誌や、近いところで安中
市や「文化むら」サイドから告知が出る様子もなく(出ないものと見切っ
てしまったので昨年一昨年がどうだったかは判らないが)、公開されるこ
と自体を知っていても、全近(全国近代化遺産活用連絡協議会)サイトの
情報に当たらないことには、日程ひとつ判らない・・・・・しかもそれは、
そこに出ていると知っていることが大前提。ある年などは全近サイトの掲
載から漏れてて、安中市の教育委員会に直接尋ねなければならなかった・・・。

 整理すると、まず丸山変電所が公開されること自体を知っていて、そろ
そろまたあの時期だナという心当たりがあり、全近サイトと、そこに日程
情報があることを知っていることが、関心から見学まで結び付ける大前提
となる・・・・・なかなかのハードルなのですよ。

 そんな次第なので、折角公開しても、「域外」からはこのハードルを乗
り越えて来るようなある程度コアな層や、或いはこれに合わせたツアー、
あとは当日たまたま「アプトの道」を通りかかった人くらいにしか、見て
もらえないことになってしまう・・・・・大勢押しかけられても困るだろ
うが、知ってれば行ったのにという潜在需要(たとえそれが少数であろう
と)を考えると、勿体無い。

 新しいNPOでは、そのコーディネートや情報発信・・・・・「域外」
視点としてはまず、そのあたりが気になるトコロ。



 さて。

 その発足の記念講演があるというので、出掛けてみることにした。現地
は半年以上のご無沙汰である・・・。

 一昨日に雪が降って、電車にすべきかとも迷ったが、ライブカメラ等々
で情報をかき集めると雪も残ってなさそうではあったので、クルマで行く
ことにした。昨年末の車検以来、遠出らしきことも無かったので、この際
にというのもある。

 予報を見ると朝から晴れていそうで、むむ、これは・・・・・ちと思う
ところあり、3時起き(眠)。

 関越から上信越といつもの感じで走って来て、いつもの感じで松井田妙
義で降りて、いつもの感じでR18に入る。雪は道路脇に所々見えないこ
ともなかったが、路面はドライ、これなら全く問題無い。横川を過ぎ、坂
本の集落を過ぎ、いざ峠道へ差し掛かると、いきなりアイスバーンのお出
まし(汗)。日が射さないのでそこそこ残雪。

 クルマを眼鏡橋の駐車場へ入れる。降りるとキンキンに冷えるかと思え
ば、ほぼ無風で案外平気。息も白くない。眼鏡橋の背後の尾根が赤く染まっ
てる。急がねば。

 靴を履き換え、カメラを引っ張り出して橋の方へ戻る。国道の傍の崖の
上のお立ち台から、朝日に染まる眼鏡橋を撮ろうという魂胆なのだが、予
報通りしっかり晴れてくれて、3時起きも報われるというもの。雪の残る
斜面をえっちら、おっちらと這い上って、お立ち台に着いた頃には、橋に
まで光が回っていた。

 んが、歳月というものは人間の都合などお構いなしなわけで、木の枝が
結構伸びてきてて、どうしても「窓」にかかる。振り返ると7年ちょっと
前の紅葉の季節に、同じようにここで撮ったことがあったが、明らかに伸
びており・・・・・だがこのデジタル時代、ライブビューサマサマである。
銀塩機にベルビア突っ込んでも来たけれど、こっちは仕方が無いな・・・・・
やがて夜明けの赤い光線からただの順光に変わってきたので、ここらで切
り上げる。橋の傍まで寄って、煉瓦の肌を覆う枯れ枝のシルエットなど、
ぱちり。



 寄り道しつつ横川まで降りる。今日はざんげ岩にも登ろうかと思ってい
たが、枯れ木を透かした山肌に白いモンがチラチラ覗くのを見て、止めた。

 代わりにというのもナンだが久しぶりに、丸山まで歩いてみる。ピーカ
ンの空の下でカッキーンと硬質な冬の光。変電所周辺の日陰には残雪があっ
て、昨日あたり先客が歩き回っていたようだが、ぱちり、ぱちり・・・・・
戻っておぎのやドライブインでほぼ昼食のブランチ。

 前に訪ねた時は、紙容器の釜めしは1100以降の販売と聞いて、今日
こそはと訊いてみれば、夏季限定・・・・・えー。仕方が無いのでフツー
の釜めしに、なめこ汁。限定の釜めし「冬」は、値段見て今日はパス・・・。

 店内をウロウロすると、釜めしの根付が目に止まり、家にあるカモと思
いつつ所望。紙容器をそのまま流用した「峠のお茶かき」なるものがあっ
て、抹茶ときな粉。ナルホドこういう展開もアリか。



 まだ少し早い気がしたが、松井田町役場・・・・・だった安中市役所松
井田支所へ。ここの大会議室が「碓氷峠歴史文化遺産研究会」設立総会と、
記念講演の会場となる。

 各社の報道では、1400からとも1500からとも書かれていて、諸々
突き合わせるとどうやら、1400から総会があり、その後1500から
記念講演という段取りらしかった。マスコミはちゃーんと要点を押さえて
くれないと・・・・・総会は部外者が出席する筋合ではないが、その場で
入会出来るような話もあるようだったので、この際入ってしまおうか。

 ちらっと覘くとまだ準備でバタバタしてるようだったので、暫く頃合を
見計らってから、受付へ・・・・・不確かな報道のこと話してる(笑)。
入会希望の旨を伝えると、よくぞ、とかなりウェルカムな感じで用紙を下
さり、これ書いて会費を納めると、封筒を手渡された。今日の総会の議題
関係の資料と、記念講演の資料、「文化むら」のお馴染みの滑り止めの焼
き砂のお守り、手作り感満点の「碓氷峠の馬子歌」のCDに、同じく鉄道
映像のDVD・・・・・そして「時空を超えて、語り継ぎます−碓氷峠。」
というカラーのチラシ・・・・・というより、A4のポスターと言うべき
か。眼鏡橋の写真の中央に縦書きでそのコピーの入るこの構図に既視感
・・・・・あ、いすみ鉄道の「ここには、『なにもない』があります」が
こんなだったカナ。

 なんとも盛り沢山で、どこかの株主総会のお土産のようダナとウハウハ
していると、私の名を呼ぶ声が・・・・・「横川鉄道感謝の会」のK氏だ。
以前にも触れたことがあったが、「感謝」とは「官舎」と掛けてある。現
在「文化むら」になっている西半分にかつて国鉄の官舎があり、そこで育っ
た人達を中心とする集まりなのだった。横軽廃止間際の頃、訪れる人達に
思い出のアンケートを集めていた人達がいたのを、ご記憶の向きもあるか
もしれない。その後色々地域で活動されてたがここでは割愛する。

 彼に引っ張られるようにして大会議室へ。50人程集まっているらしい
が、殆どが地元の顔馴染み同士だったりするようで、正直なトコロ若干の
アウェー感(汗)。そんな中でK氏に救われる思いである。

 総会が始まった。地元の偉いさんのゲストの挨拶から始まって、司会の
選任(事実上の信任)、理事の選任(同)、定款、と諸々が承認されてい
く。定款も目的や活動内容から始まって、合併や解散の手続き、宗教や政
治や反社会勢力と関らない等々、当り前と言えば当り前ながら、NPO法
人のけじめとはこういうことか、と再認識させられる事項が続く。こうい
うのは素人ではなかなか思い至らないであろう部分もあって、準備会には
心得のある方が関わっている気配。或いはどこかに雛型があるのだろうか。

 会員は正会員と、賛助会員とあって。入ってから知った(汗)。正会員
はそれぞれ分科会のような委員会に所属して云々ということで・・・・・
幽霊部員でいるわけには、いかんかコレ。(ぉぃ



 JAXAこと宇宙航空研究開発機構は、あれもこれもと要素を盛り込ん
だ結果、このような長い名前になったそうだが、「碓氷峠歴史文化遺産研
究会」・・・・・これも長いといえば、長い。その為かこれとは別に通称
が用意されている。

 曰く「碓氷峠浪漫倶楽部」。

 なんだか大人の休日倶楽部っぽい気がしないでもないが、なんでもここ
にある「浪漫」は、アプト式発明者、カール・ローマン・アプトの名にも
引っ掛けてある由。

 そこか? そこなのか?? なかなか高度・・・。

 ならば大井川浪漫倶楽部もアリか。(ぉぃ

 このNPO法人設立、随分前から準備していたのだろうかと思いきや、
この半年くらいの間にパパッと進んだらしい。尤も、その必要性について
は関係者間でずっと共通認識にあったそうで、言わばきっかけを待ってた
ようなところか。

 総会が終わり、休憩の後続いて記念講演。総会の途中で峠仲間のM氏も
入って来てた。ぶらぶら写真撮ってるだけの私と違って、峠に纏わる資料
を漁りまくってる同氏だが、当然ながら入会である。記念講演だけ聴きに
来る人達が20名程いるとかで、足らない椅子を出してきて・・・・・こ
れが会員の初仕事か。

 記念講演は鉄道総研の小野田滋氏による「碓氷峠の鉄道史と煉瓦構造物
群」。ブラタモリあたりでも登場された、知る人ぞ知る方だが、当研究会
の設立にあたって顧問に入られた由。皆さんには釈迦に説法でしょうが、
というような謙遜ぽい言葉を氏は挟んでいたが、内容的には「碓氷峠概論」
第1回講義、といったようなところで。



 当面の活動としては、NPO法人設立の手続きがあり、Webサイトの
立ち上げなどの環境整備があって、会員個々に関わって来る事柄は追って、
といったスケジュール感だろうか。行事の動員もあるかもしれない。手持
ちのネタで何か提供出来るものでもあればとも思うが、お呼びではないナ・・・。

 懇親会があるとのことだったが、全然認識に無かったので今回は遠慮さ
せて頂き、K氏に挨拶して会場を後にする。その後はM氏とおぎのやドラ
イブインで、近況など暫しダベリング、閉店で追い出されて解散。いつも
の流れで高崎へ郷土本漁りに寄り、収穫なしで帰宅。オチはなし。

 正直距離のハンデは感じてるのだが、さてさてどうなりますか・・・。



(終)