***** 2016年10月30日 ***** (独り言) 10/26付上毛新聞Web版。 > 「避線跡」観光名所に 碓氷峠の鉄道遺構 安中市教委 おお。 「避線」とは、下り坂を止まれなくなった列車を突っ込ませる線路で、 碓氷バイパスにもある「緊急避難所」と同様と思えばいい。記事によると、 避線跡が残っているのは全国でここくらいらしく、既に国指定の重文であ る、碓氷旧線の遺構への追加を目指している由。 避線跡の存在自体は昔から知っていたが、何分杉の山林に転用されてい て、そうと知ってれば判るかもしれないが、一目で判る程明らかな風では なかったから、何の確証もなく、大体そのへんにある、くらいの認識なの だった。 後に、変電所跡の横川寄りの小さな梅林から、サンランドゴルフ場(後 にヴィレッジナントカ)の縁をかすめて小根山方面へ登って行く、東山道 云々の小道が整備され、歩いてみると途中、ここが避線跡ですよといった 木標が建てられていて、小道と交わる地形にその面影を見たような気がし たのは、覚えている。 さて、近代化遺産全国一斉公開の季節がまた巡ってきたわけだが、例に よって安中市、やる気無し・・・・・取り纏めている「全国近代化遺産活 用連絡協議会」のホームページにも今年のスケジュールが載らず、「文化 むら」や安中市のホームページにも、ない。ネット上で手掛かりが掴めな いならば、何年か前のように直接安中市に電話で訊くしかないが・・・・・ と、 「広報あんなか」。 市内の世帯の郵便受けに差し込まれているであろう、行政の広報パンフ。 市のホームページから落とせるそのPDF版の、10月の行事予定カレン ダーに、やっっっと発見。 でかしたぞオレ(疲)。 てか殆どもう、来てもらう気ないだろ(呆)。 安中市ホームページには、公開の始まる前日になって、「おしらせ」で 掲載されたようだった。「文化むら」はというと、どうやらスルーの構え のようである。連携する気配なし。 避線跡を観光名所に、と言ってる横で、こんなですよ・・・。 さてそれとは別に「碓氷峠浪漫倶楽部」から、避線跡と、丸山変電所跡 の現地説明会を開く、との報せがあった。実はココが最も確かで早かった のだが、前述の通り、避線跡はチラッと木標で見た程度であったから、解っ てる人に教わりながら見学出来るのは、良い機会。 電車で寝て行こうかと思っていたが、どうも朝から晴れそうである。眼 鏡橋付近の紅葉が、まだピークには早そうながら、ぼちぼち進んでる様子 で、昨年思い立った時は遅過ぎたし、一度綺麗に撮っておくかという気に なって、クルマで出ることにする。毎度の感じで高速乗って、そのまま碓 氷湖へ直行。湖畔の東屋で誰かテント張って寝てるな。 峠に近付くと雲が増えて、日が差したり陰ったり、やや微妙なところで はあったが、支度をして坂本ダムを渡っ・・・・・すぐそこで、サルがこっ ち見て声上げてる(汗)。見たところ群の殿のようで、こっちが行こうと する方へ、本体がいるらしく・・・・・やれやれ。間合いを取りながら、 どうにか坂本城址への尾根に、取り付く。 ひいこら登って、およそ1年ぶりのお立ち台。「窓」は変わらず開いて るが、肝心の紅葉は、やはりまだ早い。そこそこ色は付いてるが・・・・・ 今になってふと気付いたが、眼鏡橋の手前の木が大分伸びてきて、アーチ が隠れそうだな。 最後の紅葉の季節から、20年、か・・・。 お次はざんげ岩へ。不摂生と寝不足でやや辛いが、ひんやりした空気が 心地良い。下の方で人の気配がして、追い付かれてなるものかと妙な見栄 を張りつつ、到着。 また動画を撮ろうと思って。 前回、ジオラマモードの1/20微速度撮影で、チョコマカと模型チッ クに撮っていたが、「シェルパくん」と同時刻発車のハズの「アプトくん」 にフライングされ(笑)、納得出来ないので撮り直したいなと。 というわけで、10:00の同時発車に向けて早速三脚(テーブルポッ ド並の小さいヤツ)を据え、構図を決め、またフライングされては敵わな いので、9:55あたりから録画開始。アプトくんも、シェルパくんも、 体験運転のロクサンも、ミニSLも、それぞれまずまずなタイミングで動 いてくれた。よしよし。 直ぐ後を登って来たおじさんは、話の加減からすると、高崎あたりかど うか、概ね地元の人らしい。なので裏妙義も勝手知ったる山のようで、足 元を指差して「この岩も大きい地震が来たらゴロンと落ちるぞ」などと脅 かす。続いて別の人が登って来て、ヘルメットにカラビナをジャラジャラ と、聞けば登山ガイドをやっていて、下見だったか取材だったかで来たと いうのだが、先に来た方の勝手知ったるおじさん、そんな大袈裟などこで 使うんだ邪魔なだけだと、随分な言いようである(笑)。 そんな2人が先へ行くのをそれぞれ見送ったところで、突如スマホのア ラーム音が。なんだなんだと見てみれば、エリアメールの緊急速報、「避 難」「市内で大きな地震」の文字が目に入り、さっきのおじさんのゴロン 云々と合わさって一瞬、岩の先にいて生きた心地がしなかったが、よくよ く見れば訓練メール。 ったく。まあ緊急地震速報の音ではなかったし・・・。 ホッとしていると、107系がやってきた。これもそろそろ葬式鉄かと、 ぱちり。散々撮ってるけど。 一方、スチームアップしていた「アプトくん」のSLが庫から出てきて、 DLと入れ替える。勿論これもジオラマモードで録画。 横川駅に今度は、115系がやってきた。これももう葬式鉄だったかな。 そうこうするうちに、11:00の同時発車。これを撮って、下山。 おぎのやドライブインで昼飯でも・・・・・と、「峠の牛めし」?? ポスターで見たそれは、釜めしと同じ器ながら色が違う、SLの黒とも違 う、単色でなくちょっとゴージャス感漂う塗りのものだったので、そこに 惹かれて注文してみれば、フツーの釜。なんだよ畜生・・・・・尤も持ち 帰れそうな雰囲気でもなかったが。 さてさて、本日の本当の本題。 支度をしてイソイソと丸山へ・・・・・「文化むら」には昼休み中のシェ ルパくんが佇んでいたが、その機関車の前には、種蒔いたのか放っててこ うなったのか、コスモスが咲いていて。盛りは過ぎていたが、ぼやかした りなんかして、ぱちり。 横へ回り込むと、トロッコの先頭に「あさま」の丸ヘッドマークが付い ており。これはロクサンに付けてたものか。で正面の中央にソレがあって、 なんか違和感がと思えば、そうだそこにはライトがあったのだ。やや時間 がかかったが「のっぺらぼう」な印象は、ソレだった。「シェルパくん」 のヘッドマークはいつもの位置に付いてて、丸いのが2つ、段違いに並ん だ格好。 ぱちりぱちりとやりながら、丸山変電所前までやってきた。こちらのコ スモスはもう大分終わってる感じで、追いかけてくる午後一のシェルパく んと絡めるには無理があった。さてどこで収めたものか、と思案した挙句、 変電所を過ぎた勾配の直線でフツーに、撮る。 そんなコトをやってるうちに、本日の現地説明会の時間。出欠を取る風 でもなく、なんとなく集まってきた人達の中に見覚えのある顔を見て、こ の集まりだろうと・・・・・資料はそこの紙を貰えばいいのかな。 今回の講師の先生が、挨拶もそこそこに説明を始めてくださる。碓氷の 他には板谷など、避線を設けていた線区はいくつか存在していたものの、 痕跡を遺しているのは、恐らくここが唯一で、非常に珍しいという。 また、避線の廃止にはブレーキ性能の向上が背景にあった、とする、先 生曰く「理系」的な見立てに対し、「文系」のアプローチで文献などを研 究されているとのことで、そこで浮かび上がってきたのは、運用面での問 題だったらしい。また避線の写っている写真というのは殆どないらしく、 「阿武止氏式機関車」から引用した1枚が、唯一かもしれないという程の 話のようである。 その写真は丸山変電所前の軽井沢寄り、カーブを曲がって66.7‰の 勾配へさしかかろうかというあたり。アプト旧線が後の上下新線の間にあっ たことをすっかり忘れていたが(汗)、なので今残る線路とは全く合わな い位置関係ながら、そこにポイントが写っていて、枕木も見えない粗末な 線路が、変電所建物側へ分岐している、それが避線だという。 変電所前の小さなヤードはあったかもしれないが、本線はかつて単線だっ たから、1本の本線からこの避線が分岐しているだけだった。ポイントは 通常避線側へ開いておき、下り列車に対してはそのまま本線へ切り替えて 通し、上り列車の場合は、一時停止をさせ、それを確認した後、本線へ切 り替える手順だったという・・・・・安全に降りて来てるのか暴走してる のか、列車無線も無い時代にどうやって区別するのかと思ったら、なるほ ど、そのテがあった。 やがて、横川〜丸山間が複線化されるが、先の写真はこの時代のものと いう。横川方から順に、下り線の安全側線への分岐、上下線の合流、その 先に避線の合流、の順になる。 そもそも丸山までの複線化が輸送力増強(逼迫)によるものだから、上 下の切り替えの手間が加わる上、上り列車の一時停止の扱いも増え、その 煩雑さと効率性が問題視され、横川〜丸山複線化の数年後には、避線は廃 止されていたと見られるという。これが「文系」アプローチでの積み上げ で、一方で避線の廃止にあたっては技術的な検討は行われたであろうから、 設置から廃止の間の、前述の「ブレーキ性能の向上」も、裏付けになって くるのだろうか。 一通り説明が終わり、では歩いてみましょう、ということで参加者の皆 でゾロゾロと、避線跡を辿る・・・・・集団トワイラである。これまで漠 然と、ここいらへんかなと思っていたのが、確かな方の案内を得て、よう やっと確信になる。 変電所跡の横川方の花壇の横を過ぎ、すぐ山側へ逸れ、梅林の裏手へ入 る。築堤風の地形が一度途切れ、小さな溝を越えるあたりで、本当にここ なのかと判りにくくなるが、カルバートくらいはあったのではないかとい う。間もなく、いつか見た木標、「碓氷線横川熊の平間の避線跡」と縦書 きのそれが見え、東山道云々の小道と交わる。 避線の廃止後、土地は直ぐに売却され、今は杉の山林・・・・・春じゃ なくてよかった・・・・・の一部だが、ルート上の木々には目印が付けら れ、足元には真新しい基準点の白い杭が続いていて、最近調査が行われた そう。判りにくいが一部石垣が残ってる箇所などもあって、整備して行く にあたっては、重要な遺構になりそうである。 坂は徐々に急になって、小さな尾根へ上がり切るようにしたところで、 終わった。200‰という、本線の最大勾配の3倍の勾配は、大体このあ たりのことを、言ってるのだろうか。百分率で20%、あそこの道路がた しかそれくらいだったから・・・・・フムフム。 来た道を戻って、変電所建物の煉瓦の積み方、殊に3通り使われている アーチの積み方などのお話を聞いて、お開き。どうもありがとうございま した。 時計を見れば、シェルパくんの今日最後の往復の、その下りがやって来 る頃合。ならばと早足で横川へ向かって切通しを抜け、ざんげ岩をバック にヘッドマーク付の正面を、ぱちり。西日が確かなようなので、クルマへ 戻って上信越道ハープ橋下の霧積川越しに回り込んで、返しのギラリをぱ ちり。 夕飯にはまだちょっと早かったが、おぎのやドライブインに戻って、釜 めしを食す・・・・・さっき、ピンクリボンの掛け紙を見てしまったのだ から、仕方がない。多分今年で3年目くらいではないかと思ったが、初ゲッ トの掛け紙である。 毎度の高崎の書店に郷土本チェックに立ち寄ると、ブラタモリの、軽井 沢編の入ってる書籍が出ており。おっとこれがあったか。 変電所跡の一般公開の告知はさっぱりだったが、来週末には、またライ トアップとシェルパくんの夜汽車があるのだそうで、「文化むら」ではそ ちらだけバッチリ告知してる。2ヶ月前の初めての時のフィードバックも 期待出来そうだし、夜汽車もこれまで雨が多く、降られずに撮りたいとい うのもあり・・・・・これは行かねばなるまいか。2週連続など、かつて は珍しいことではなかったが、さて何年ぶりだか。 (終)