***** 2017年9月15日-18日 *****
(独り言)


 ダブルヘッダーで写真展は続く。

 城南工房Photoworks#8 碓氷線20年回顧展「遠き日の鮮やかなる記憶」。

 今度はご当地、松井田(安中市)。

 石井尚顕、井田定男、岡田竜史、十川忠行、宮崎敬、森尻弘之、
米屋こうじ、若林賢治(五十音順・敬称略)・・・・・主催の岡田氏の一
本釣りによる、錚々たる顔ぶれ。彼が「レジェンド」と呼ぶそこへ、混ぜ
てもらう栄誉に浴する(汗)。

 年代の幅はあれど、20年も経れば皆それなりの歳であり、私から見てご
無沙汰な方はいても初対面はなく、とびきり尋常ではない(笑)お二方を
交えつつ「同窓」な居心地の良さは、あろうか。

 具体的な話は半年ほど前から動き出して、現地で候補地を下見しては、
あーでもないこーでもないと、ワイワイやった。条件はいいが予約システ
ムがリスキーだ、ロケーションはこの上ないがおよそ写真展示に向いてな
いし空調すらないぞ、クルマ必須は難アリ、まあまあ落としどころだろう
が色々と不安が・・・・・などと彷徨った果てに、松井田文化会館のギャ
ラリーに落ち着いた。

 てかそもそも真っ先に候補に挙がりそうなものだが・・・・・横軽間に
拘って、一つ隣の西松井田は眼中になかった? お−い。



 それはさておき、段取り七分とか八分とか言うけれど、岡田氏の手馴れ
た進行に、我々は乗っかるだけで良かった。さあどうしましょう、などと
いう停滞などなく、ここまで決めますあとはよろしく、と示された条件に
沿って、それぞれで自分の構成を組み立てる。至ってスマート。

 搬入のその当日を迎えるまで、個々の出品内容について事前の情報交換
や調整なども、一切なかった。この顔ぶれではそれぞれ「この人といえば
アレ」のようなものもありそうなもので、互いに「アノ人はああ来るカナ」
などと読み合うような部分も、あったに違いないが(笑)、面白いもので
揃ってみれば見事に九人九様、いい塩梅に響き合ってる。

 伝説の(笑)真冬の御岳東稜泊り込みのカットを、久々に生で見て感嘆
したかと思えば、空撮来るかと思っていたらこれまで見たことないような
モノを繰り出され底無しの懐に呆気に取られたり、自称「メラメラ担当」
(笑)の迫力のメラメラが・・・・・と、参加しながら言うのもナンだが、
濃厚な写真展である。

 しかも、定番写真、殊に編成写真が一つもない(笑)・・・・・いや1点
だけあったが、その当人曰く「きっと誰も入れないだろうから」と意図し
ていたようで、ちょっと違う。

 私はといえば、「回顧展」と銘打っていることもあり、先週のシェルパ
くんとは完全に棲み分けて、ロクサン現役時代を。残念ながら隠し球を放
るほどの余裕はなく、過去にどこかへ出したものに終始したが、スケール
感よりディテールの球拾いのような方向で。地元開催ということも意識し
て、安政遠足名物の踏切の足止めのスナップなどを、交えてみる・・・。

 そして余韻と共に最後をきっちり締める岡田氏。看板に偽りなし・・・・・
には違いないが、皆最終日と誤解するぞ、そのタイトル(笑)。



 ところで今回、岡田氏から、情宣用写真に拙作が指名された。例の丸山
の窓のヤツ。昔 RM誌の表紙になった、自分の中では記念碑的な写真ではあ
るが、ただ過去の栄光にしがみ付く(笑)ようなのもなーと、今回の出品
からは外すつもりでいた。だがキャッチーではあるだろうし、折角ご指名
頂いたことだしと、お受けすることに・・・・・後日、たまたま頼み易かっ
たからでしょと訊くと、どうも私の与り知らぬところで因縁があったらし
く、表紙から22年を経て、その新事実に触れる(驚)。

 ともかくその写真を素に、岡田氏の手になる”20年前の「あの夏」へ・・・”
とコピーを頂いたポスターが作られ、ウェルカムボードに加工されたもの
が、イーゼルで据えられた・・・・・見慣れた写真もこの体裁で改めて見
ると、アーチを伴う縦長の窓は教会のそれにも似て、窓際に生える雑草の
塊はブーケのよう。窓の向こうのロクサンとあさまは、なんだかキスして
いるように見え・・・・・なんでしょうなこの、ブライダル感は(笑)。

 文化祭モードでワイワイと設営作業を終え、外へ出ると夕焼けに浅間山
と、妙義の峰々のシルエット。皆一斉にカメラを取り出す(笑)。



 いよいよ開催。平日の初日 9/15 は地元の方にお任せして、9/16 から
入った。まずは横川へ行って、「文化むら」を覗けば、シェルパくんの前
にはコスモスが咲き乱れており・・・・・今年は早いのかな。おぎのや本
店には写真展のポスター、ありがたや。まずは腹ごしらえに定食でもとド
ライブインへ入ると、鳥もも弁当が。ああこれ珍しいかもと所望。

 で、松井田文化会館へ。今日は朝から仕切る役なので、オープン少し前
に到着、さて支度をと入って行くと、既にオープンしてる!? 聞けば、
我々の設定している時刻に関わらず、オープンスペースなので建物を開け
るのと同時に、照明から点けてしまった由。

 聞いてないよーと思ったが、既にお客さん入ってるし(汗)。しかも落
ちたパネルを直してくれたとのことで恐縮。

 昨日はひっつき虫で貼ったパネルが朝バタバタ落ちていたそうだが、補
強の甲斐あって、大部分は無事だった。その後は落ち着いた様子。

 ビッグネームが連なっているためか、どこかのついででなく、わざわざ
ここまでお越しの方が、いらっしゃる(汗)。先週の表参道の写真展のお
客さんも見えた。一方、地元の方も用のついでで結構覗いてくださって、
懐かしい懐かしいと、仰る。それだけでも、ここでやる意義があったと思
う。



 翌 9/17、SLが来るので、近くの築堤で撮ってから・・・・・返しがピー
トップじゃねえか・・・・・会場入り。今日は三遊亭好楽、林家三平両師
匠の寄席があり、隣の大ホールが心なしか忙しない。昼を過ぎると、その
ついでのお客さんで、こちらの会場も賑わう。皆さん地元だから、また懐
かしい懐かしいを連発なさる。

 寄席が始まってこちらの会場も落ち着いた頃、”写庵”氏がお越し。写
真展のメンバーには、コミケでこんな人がいましてねという話はしていた
のだが、ご本人、写真集は全部「文化むら」に預けている由で、見せるこ
と叶わず。そろそろピートップの返しが来るぞ、と私は近くで踏切鉄すべ
く中座、その間に”写庵”氏は帰られた様子。

 戻って来ると、大ホール入口前で売られていた笑点グッズのお菓子が(笑)。

 無事この日も終わり、今日は高崎へ繰り出すことに。先週からこちらを
窺ってる様子だった台風18号は、今夜関東近辺を駆け抜ける予報だったが、
皆地元かここに泊まるか、最悪帰れなくもなさそうだということで、こち
らでもワイワイと・・・・・何故か横軽そっちのけでネコ談義になってる
し(困)。飛び入りのお客さんが、20年ぶりですよー「横軽日和。」展以
来ですよー、とのことで恐縮。



 9/18、最終日。台風一過。一時はどうなるかと気を揉んだ台風だったが、
まことにご都合主義的に通り過ぎてくれた。東京では結構な強風が吹いて
いたようだが、より中心に近かった筈の高崎では殆どそよ風。そんなもの
なのか。

 今日は午前中ちょっと失礼して、北軽井沢へ回った。北軽井沢駅舎で開
かれている写真展、「草軽高原を往く-北軽井沢・草軽電鉄の時代-」が目
当て。直行コースの二度上峠は、路面に木の枝など散らばってそうな予感
がしたので、八ツ場ダムの方から回って行く。

 予習して行かなかったのが悔やまれるが、単に列車を撮ったのではない、
写真の中に生きる往時の日常が、キューンと切ない。パネルを一周見て回
り、一頻り揺さぶられた後の、心地よい余韻に浸る。会場には、「お宅に
写真が残ってませんか?」と呼びかける掲示があった。また草軽電鉄のジ
オラマ模型の展示もあり、ただ精巧であることよりも、ほのぼのとした空
気感を醸すような作風がまた、味わい深く・・・・・おっ、無蓋車に乗る
高峰秀子発見(笑)。

 向いの観光案内所では、復刻の硬券を売ってた。日付の打刻と入鋏もさ
せてくれる・・・・・う、日付が曲がった。

 メッセンジャー受信。「お客さん来てますよ!」。マジっすか(汗)。

 軽井沢のノロノロを過ぎ、碓氷旧道に入ると、ロータス・エラン(初代)
と思しき、シブいライトウェイトのオープンが前を走っていた。キビキビ
とコーナーを抜けて行く様は見てるだけで心地よく、それに肖るように付
いて行くだけで、なんとも楽しいダウンヒル。詰まっていなかったのは珍
しい。

 会場へ着くと、先週一緒に写真展やったうちの2人が、お待ちかねで。
これは随分待たせてしまったようだけど(汗)、峠仲間と色々話してた様
子で、そう退屈もしてはいなかったよう・・・・・と思う。



 これから「文化むら」のイベントへ行こうかと、算段しているらしかっ
た。今日は知る人ぞ知るバーニア600氏と、スーパーベルズの野月氏との
トークイベントがある。こちらも台風に気を揉んだに違いないが、見事に
晴れてまずはメデタシ。

 バーニア600氏はその名・・・・・ロクサンとロクニとの発車シーケンス(?)
の無線交信の中で、限流値調整器の設定で、「バーニア600」即ちバーニア
制御における限流値を 600A に設定する歓呼がなされる・・・・・から判
るように、碓氷にどっぷりハマっているクチであることは明白なのだが、
果たしてベルズで碓氷ネタはあったか・・・・・それはさておき、ともか
くイベントがある。

 今年の碓氷峠鉄道文化むらは、ちょっと違う。

 これまで開園何年という記念は設けたことがあったが、廃止起算で何年
という節目を表したことはなく・・・・・むしろスルーしてた、と言って
良い。今年でさえ春頃には「何もやらない」と伝わっていたのだ。

 ところが、である。

 ここに来て急に、Facebook 公式でも「横川〜軽井沢間が廃線になって
20年」と発し始めた。9/30 のシェルパくん夜汽車企画を発表、今日のトー
クイベントに、さらに 20年前の 9/30 の思い出の作文の募集。

 思えば昨年から、シェルパくんの「夜汽車」企画を「ホタルの里まつり」
の日以外にも拡大したり、さらには丸山変電所をライトアップするなど、
新しい取り組みが見られ、惜しむらくは自前の発信手段を持ちながら告知
不足な感が否めない点だったが、ようやく「使えるモノは使う」発想になっ
てきた・・・・・ように外野からは見える。資金面で「サポーターズ制度」
を設けたことと併せて、何か今、変わりつつあるのかもしれない。

 はさておき、そのバーニア600氏が、イベント終了後に駆けつけてくれた。

 今回の写真展が鉄道誌のネット告知に掲載されてすぐの頃、その反響を
探ろうと検索して最初に確認したのが、バーニア600氏の行く気満々のツイー
トだった。コミケにも参加する(しかも人気サークルの証しである壁際!)
ようで、同日でウチのブースからも近かったので会場で DM をお渡しした
りして、アノ人が来るぞー来るぞーと囁いていたのであるぢつわ(笑)。

 聞けば、20年前当時は中学生だった由。仮に東京近郊からとすると、趣
味的に通えたかどうかギリギリな世代。さらに10年遡る国鉄民営化は、物
心付くかどうかの頃・・・・・彼の碓氷峠や”國鉄”へのアツい眼差しも
また、先に書いた「歴史上の存在とフィクションが等価な”聖地巡礼”説」
・・・・・尤も彼自身「聖地」にする側でもあるのだが・・・・・を補強
するような気が、しないでもない。



 最後にビッグなお客さんを迎え、とうとうクローズの時刻を迎えた。

 搬入日から数えて5日間、会場側のルール上これ以上長くは設定できなかっ
たのだが、その会場側の言うことには、盛況と呼べる入りだったという。
メンバーも揃ったところで記念写真。片付けに入りながら、それぞれ名残
惜しさを口にする。またやりたいね、次は「四半世紀」の区切りがあるね、
いっそ「文化むら」の方で「毎年9月は碓氷峠懐かし月間」とでも銘打っ
て、恒例イベントにしてくれないか、などと。

 そして「同窓会」は終わった。

 しかし真面目な話文化むらさん、「毎年9月は碓氷峠懐かし月間」、ど
うです? アプトの廃止も9月ですし。



(終)