***** 2017年9月30日-10月1日 *****
(独り言)


 さらに写真展は続く。

 城南工房Photoworks#9「碓氷峠あの頃」。

 城南工房Photoworks#8 碓氷線20年回顧展「遠き日の鮮やかなる記憶」の、
スピンオフ企画ということで・・・・・今度はご当地もご当地、横川。

 「文化むら」傍の「碓日のお宿 東京屋」の食堂をお借りした。東京屋
旅館は、街道の旅籠の末裔であるのかは判らないが、かつては旧中山道の
側に面していて、峠仲間には定宿のようにしている人もいた。北陸新幹線
の工事関係者が泊まっていたというような話も聞く。横軽廃止後、「文化
むら」も含めこの一帯が大きく様変わりしたが、旧中山道とR18を結ぶ県道
を新たに通すのにあたり、東京屋も今の場所へ移転し、現在に至る。

 参加メンバーは松井田文化会館の前回と同じ。

 これには経緯があって、前回の会場を物色中に、東京屋さんもあたった
ものの要件と合わず見送ることになったが、あそこでやりたい、という根
強い声が残り、20年目の日は丁度土日だし、松井田文化会館とは別立てで、
泊まって語り明かそうということになった。

 こちらの方が、メンバー間の「同窓会」の色合いが濃い。

 ならば、すぐさま予約状況を、うまくすれば貸切になるかも、と女将さ
んに訊くと、既に2人入っているという。

 2人・・・・・心当たりがある(笑)。これは事実上の貸切だナ。



 言い出しっぺの名を借りて「米屋こうじプロデュース」とする手もあっ
たろうが(笑)、実際に進めることになる城南工房の名義で、半月の間に
異例の、連続開催。

 当日。細かいことは当日決めるから、出品だけ決めて1000集合、とのこ
と。20年目の 9/30は、一度くらいざんげ岩に登っておきたいナーという
思いがあったのだが、スケジュール的にはどうも、朝のうちしか時間が無
さそうだ。

 ・・・是非に及ばづ。

 実のところ、東京屋の前に並んだみんなを、ざんげ岩から記撮、という
企みもちょっとあったのだったが、この状況では結構我侭感ありそうなの
で、また今度・・・・・って次がある前提か。(ぉ

 ざんげ岩往復してから1000に東京屋にいる為には・・・・・と逆算する
と、結構きついモノがあったが、選択肢がないのでは致し方ない。関越上
信越と走って、0730頃に登山口駐車場着。えっちらおっちらと登って、
0815頃にざんげ岩。寝不足な割には楽な方だったが、残念普通列車が丁度
出て行ったところだ。

 特に目当てがあるでもなく、ただ「その20年先の横川」を撮りたかった。
もしや 115系や 107系が来るかも?、と淡い期待も無いではなかったが、
そう世の中甘くはない。「文化むら」では今日の催しの支度が進んでいて、
既に重連で軽井沢方にヨ8000と繋いでいるロクサンが、ちょっとだけ本線
を進んだところを、ぱちり。ついでに記念に FB に上げて。

 ウダウダしてるうちに 0900を回り、そろそろ下りないと遅刻するゾと
撤収。クルマに戻っていざ、東京屋へ・・・。

 とその前に。

 今日は「碓氷峠アプト式鉄道建設殉職者 碓氷路交通殉難者 慰霊祭」
が執り行われる。横軽廃止のその日か、その前年からだったか、毎年 9/30
に営まれる。アプト式廃止も 9/30 だったが偶然か・・・・・はさておき、
その日に居合わせるなら、参列はせずともせめて、見届けておきたい。

 しかし時刻が判らない。これまでには 1400 の年があったのは手元の記
録に残っているが、今年も 1400 だという保証は全くない。

 第16中山道踏切付近の招魂碑前の会場傍を通りかかると、天幕が張られ、
丁度準備している最中だった。設営の業者さんのようだったので、進行ま
では知らないかもなとダメモトで、何時からですかと訊いてみると、1100
だと思う、とちと頼りない返答だったが、ここは信じるしかなかろう。見
たところそれより早くはなさそうだし、もっと遅かったら出直せばいいだ
けのこと。



 「文化むら」の前では人だかり。今日のロクサンは20年前のさよならHM
を掲げていて、そのためらしかった・・・・・日頃展示しているどれかを、
掲げると言っていたけれど、むしろ他に何があるのかと。1000 までには
まだ時間あるナ、ひとまずこれをパチリ。

 と、あれっ、”写庵”氏じゃないの。今日運転するそうな。

 東京屋に行くと幹事の岡田氏がお待ちかね・・・・・というか彼しかい
ない。他のメンバーは次に着く電車で来るだろうという。それからおもむ
ろにスマホ見て、ざんげ岩にいたんですか?、ええまあハイ、さらっと言
うか(笑)・・・・・みたいなやりとりがあって。いやソレ普通でしたか
ら、あの頃は・・・・・まだ出来なくもないオレに乾杯。

 そこそこメンバーも揃ったところで、設営開始。食堂のテーブルを動か
して、それぞれ自分の写真を置く。大体形になりかけたところで、おーっ
とそろそろ慰霊祭だ。ちょっと外します〜。

 会場には地元の人が既に詰め掛けていて、神主さんも支度を整えた様子。
「文化むら」のロクサンも、運転室の窓を開けてスタンバイ。

 1100。ロクサンの汽笛長声と共に、一同黙祷・・・。

 続いて神主さんが祝詞を上げ、大幣を振る・・・・・そこへ 1100発の
シェルパくんが通りかかり・・・・・以前撮ったものが古いので撮り直し
をしたかったが、晴れの、しかも逆光気味の光線が仇となり、あちらは飛
ぶやらこちらは潰れるやら(沈)。せめて曇るか午後だったら・・・。



 慰霊祭は続くがこのあたりで失礼して、続いてやって来た体験運転の重
連のロクサンを、ぱちり。今日はヘッドマークばかりでなく、2エンドには
ジャンパ類も取り付けてあって、凛々しくまさに仕事の顔。

 東京屋へ戻ると、昼からだったのを前倒しでオープンした由。最初はち
らりほらりだったお客さんも、メンバーの知り合いらしいグループが入り、
そこへなんだなんだと続く人もあり、狭い中ワイワイといった密度になる。

 ここで突然のトークショー。メンバーが揃ってるので、とのことで。順々
に紹介されて、アノ人朝集合前にシレッとアノ山登っててなどと弄られ。

 流石は喋る仕事もこなす岡田氏、話を拾いながら流れるような進行。
CRAZY.I 氏の「ネコとロクサン」シリーズ・・・・・コノ人あれだけの作
品残した上に一体何やってたんだ(笑)・・・・・でゲラゲラと盛り上が
る。宿のご主人が、外の目立つ所でやんなさいと物販用のテーブルを出し
てくれてたのだが、お陰で話に加われずちと寂しい思いをする。

 トークショーは一旦お開きとなって、お客さんも引いたところで、物販
のテーブルを中へ入れた。もう村八分はイヤだ(泣)。

 視線を感じてそちらを向くと、閲覧用に置いてた拙著「横軽日和。」の
後ろの方を開いて、こちらをチラチラ見るご婦人2人。アノ人かしらね、
きっとそうよ、ってそんな風である。

 ああ、20年前のオレと見比べないで・・・。><

 有り難くもお買い上げ。(_ _) 20年後の顔ですハイなどと言いつつ。

 一段落したところで、駅前に釜めしを食べに行く。単にお腹が空いたか
らではない。やはりこの日の日付の入った掛け紙は、外せない。おっと香
の物のケースもだな。

 知人友人、前回や前々回の写真展のお客さんともお話をしつつ、写真展
もいよいよ終了。1日限りの、前倒しオープンとはいえそれでも 4時間半〜
5時間程のミニ写真展。点数もスペースもささやかだったけれど、とても
満たされた、心地好い余韻に浸る。



 会場を片付け、地元の知人とあれこれ話す。慰霊祭のこと、うすいの歴
史を残す会のこと、碓氷峠浪漫倶楽部のこと、文化むらのこと、それらの
シナジーや”域外”への情報発信のこと・・・・・皆が皆上毛新聞読んで
るわけじゃないんですよホント(笑)。

 食事の前に風呂。外で駄弁っている間に皆済ましたようだったが、洗っ
たり浸かったりな間、外からブロワー音やら、ノッチ試験の音やら・・・・・
自然、烏の行水となる。

 部屋へ戻ると、閉園した文化むらで、ロクサンがスタンバっている。今
日は夜汽車シェルパくんの団体ツアーがあり、汽笛でその見送りをする由。
往路はまだあまり暗くない時分なので、撮ることは考えてなかったが、そ
れでも尾灯が映える程度には暗くなっていて、窓からひとまずぱちり。そ
のうちシェルパくんは出発。

 夕食の時間となり、宿泊メンバー・・・・・泊まれば自動参加・・・・・
と夕食だけ参加のメンバーとで、あれこれ歓談。コース料理が美味し。

 食後のコーヒーなど頂きながら、お、そろそろシェルパくんが帰ってく
るところだナ。



 立体交差の辺りを上から、と思い歩き出すと米屋氏が付いて来て、同じ
場所でコノ人に並ばれるのはやり難いナーと思いつつ(笑)、しかし昼間
考えていた感じではどうも芳しくないので、第16中山道踏切跡のその場所
の柵に張り付いて、ヤードのロクサン絡めて、後追いでなんとか・・・・・
光跡を狙うには三脚が要るが、取りに行く余裕はなさそうだ。米屋氏は何
か閃いた様子で、別のポジションを取る。ここで差が付くんだよなー・・・。

 先客がいて、文化むら関係者と思しき方だったが、車内からよく見える
ように、後ろ向きにヘッドライトを点けて来るらしい・・・・・えー。こ
れはもう、駄目かもしれない・・・。

 いよいよシェルパくんが来た。駄目だ! 眩しい! カーブの向こうへ
消えて、ヤードのロクサンだけ光が回るところを待ったが、どうだろ。見
送りながら、「ありがとーシェルパくーん!」「俺の青春ー!」などと、
ワケわかんねーぞもう。

 やれやれと撤収、東京屋へ戻りながら、月が出てますねーと見上げると、
ざんげ岩の先で何かチラチラ光ってる。

 誰かいるのか。

 どこの物好きだ(笑)。

 郵便局の辺りまで戻ると、シャルパくんから降りた人達も加わってか、
結構な数の人が思い思いに、未だ火の入った状態のロクサンを撮っていて、
それに加わる。ざんげ岩の光には皆気付いているようで、知った顔には
「あれっ、下にいた!」などと言われる始末・・・・・だーかーらー。

#後に判明したところでは、どうも20年前の「最終あさま37号ざんげ岩俯
#瞰見送り」をトレースの挙に出た人物がいた模様(笑)。あの時ざんげ
#岩にいたのは、私ともう1人だけだったが、それをどこかで見聞きしての
#ことと思われる・・・・・わざわざやるかソレ。

 横川着の115系電車が来るというので、駅へ・・・・・こちらでも結構人
がいて、うわーポジション争いするんかこれ、と思っていたら、どうもこ
ちらはこちらで、「最終あさま37号お見送り」ごっこをしてたようで・・・
・・・流行ってんのかコレ。まあ心当たりはないではないんだが。

 その心当たりである。東京屋に先に予約していた 2人、熊ノ平で最終単
機回送を見送るという。どいつもこいつもこうなってくるとオカルトじみ
てるが(笑)、折角なのでこれにお付き合い。熊ノ平で最後の汽笛を聞い
た・・・・・気がしないでもない。(ぉ



 皆もう若くないので(笑)夜通し語り明かすこともなく、大人しく就寝。

 で翌朝。

 あらっ、ざんげ岩にまたいるな。三脚据えてるようだ・・・・・昨夜の
人が泊まってたのだろか(呆)。道に慣れてないなら賢明だが・・・。

 朝食の後、話の流れで、昨日飾った写真はどうぞ差し上げますとなって、
客室の並ぶ廊下にかけまくる・・・・・次回があっても、もうこれは出せ
ない(笑)。ではそろそろと暇乞いをしていると、この 20年、毎年 9/30
に泊まっている御仁に、女将さんから皆勤賞が贈られる・・・・・たしか
に余程のことだわなあ。

 さてどーしよっかー、というわけで、何人かでひとまず「文化むら」へ
入った。資料館の展示を前に話が止まらない。オマエラ散々来たろうにま
だ話すことあるのかと、呆れる。そんな調子だから園内を一周するだけで、
たっぷり 2〜3時間かかったのでは、なかろうか。

 その途中、丁度体験運転のロクサンが動いたので、昔の宿舎道踏切のちょ
い先あたりのカーブで、思い思いに撮る・・・・・ここが空き地だった頃
に、帰ったような心地。

 そのロクサンが返してくる方が順光なので待ち構えていると、なんと背
後からあぷとくんが迫ってくる。被るなー被るなー・・・・・って邪魔者
扱いされる SL も珍しい(笑)。



 お次に揃って軽井沢まで旧道をヒルクライム。矢ケ崎踏切でこの変わり
果てようにしみじみして、解散・・・・・までがまた長い。

 日は既に傾きつつあったが、毎度の軽井沢偵察。しな鉄側の工事が進ん
でいて、1番は既に頭端化、ウッドデッキの足場のようなものが組まれて
いる。リニューアルオープンまで、1ヶ月弱。

 久しぶりに碓氷軽井沢ICから上信越道に乗って峠を下り、下りながら、
あっちから撮ったナ、こっちから撮ったナと。横川SAで一息入れ、シルエッ
トの五輪岩をぱちり。関越は事故渋滞のようで、マトモに突っ込むのもなー
と松井田妙義ICで降りてしまい、さっきよりはましかと藤岡ICでまた乗っ
て、休み休みで練馬へ・・・・・帰り着いたところで車内で寝落ち。情け
ないやら、それもまた楽しいやら。



(終)