***** 2018年4月22日 *****
(独り言)


 「碓氷峠浪漫倶楽部」こと「碓氷峠歴史文化遺産研究会」、同好の人に
紹介したくとも、最近ホームページの更新が滞ってる様子で、これではむ
しろ見せない方がと、やや残念な昨今なのだったが、今度の総会と講演は
都合のバッティングもなく、ならばと久々に参加することにした。

 ただまあ、そこだけピンポイントでというのもやや勿体無い気がしたの
で、前乗りである。半年ぶりの八ッ場ダムに始まり北軽・・・・・桜が見
頃で浅間山もまだまだ雪が・・・・・から軽井沢入り。



 まずは矢ヶ崎。軽井沢町が、鉄道トンネル跡を避難施設に活用すること
で安中市と合意されていたが、そのトンネル入口周辺の草木が刈られてい
るそうで、それの関連ではないかと、思われた。

 トンネルの上の国道の休憩スペースにクルマを入れ、そこから線路への
法面を見ると、ナルホドその一角が、腐海の如く生い茂っていた草木も綺
麗サッパリ刈られ、いくつか切り株も見えている。見るからに単なる草刈
りではない。線路へ降りる道が出来そうな気配アリアリである。

 とその一方で、開けた視界に、あれっ・・・・・線路はやけに綺麗でわ
ないか。刈った跡すら伺えず、それは上下線とも同様。遠く軽井沢方向を
臨むと、先の方では生い茂っている様子で、安中市による線路の除草作業
が、最近行われていないかのような話を耳にしていたが、やってはいたの
か、どうなのか・・・・・これまでが、視界を遮られていたもので。

 次に見た矢ヶ崎踏切跡は、相変わらずボーボー。

 天気も良いので、久々に離山に登る・・・・・これまで幾度かそこから
俯瞰撮影をしたが、9年前の冬の花火を撮って以来と、思われる。麓に車
を止め、えっちらおっちら登って、しな鉄の 115系を、E/W7系を、ぱちり。
115系はしな鉄色の他に、ろくもん、かぼちゃ、山スカ、そしてコカコー
ラ。E/W7系は、それ自体が初めて。線路が東西方向、離山は線路の北側に
位置するので、夏場の夕方でないと光線が回ってくれないことは百も承知
だったが、まあそこはそれ。その後は旧道ダウンヒルで峠の湯入って終了。



 明けて今日。

 「浪漫倶楽部」は午後からなので、朝っぱらからまずド鉄。「文化むら」
がこの春で「20年」・・・・・何故か「目」と言わない・・・・・とのこ
とで、ロクサンやシェルパくんにヘッドマークが付いてる。「20周年」は
丁度1年先だから、1年かけて盛り上げようという、ことなのか。10月にセ
レモニーを行う由で、その丁度中程でありまた、鉄道の日月間であり。

 余談ながら「文化むら」関連のフォトコンも、あるのね。挑んでみたい
ところありつつも、入賞すると権利関係お召上げの由が、明記されている
のが厳しい。一昨年にあった旧線遺構をテーマとしたものと、募集要項な
どほぼそっくりな様子なのだが、その時にも書いたが応募するからには渾
身の 1枚を出したいところヤマヤマながら、それがうっかり入賞してしま
えば、自分の手から離れてしまう・・・・・ジレンマである。

 はさておき、開園前の「文化むら」で控えるシェルパくんの機関車に付
いたヘッドマークを、まずはぱちり。次いで体験運転のロクサン12号機の
それも・・・・・また丁度良い場所に楓が植わってて、枝に分け入ろうに
も葉の裏にびっしりアブラムシ・・・・・うー。

 傍らの麻苧茶屋が丁度開けているところだった。ちょっとまだ早いです
よねと訊くとどうぞどうぞとのことなので、お言葉に甘えて「碓氷関所史
料展示室」を見学。先月限りで閉館した「碓氷関所史料館」が、こちらへ
移って来たものだが、スペースが広くなって、パネル展示も前はなかった
気がするし、内容は充実しているのではないかという印象。ん、浅田次郎
の「一路」の色紙がないな。

 他を見回すと、ん、ネコの絵葉書、ここで売ってたか! 安中出身とい
う岡部哲郎氏のイラスト、新島襄旧宅の桜、磯部温泉祭りの花火、めがね
橋の紅葉、秋間梅林の梅と安中の四季がほのぼのと描かれたもの。昨年秋
に発売されたようなのだが、これがまた、おぎのやにも峠の湯にも横川SA
上下にも置いておらず、一体どこに行けば、と途方に暮れていたのである
・・・・・半年を経てようやくゲット。



 そうこうするうち、体験運転のロクサンが動き始めたので、ヘッドマー
ク付のシェルパくん客車と重なる瞬間をぱちり、速攻立体交差へ走って、
五輪岩バックでぱちり。続けてシェルパくんもそこでぱちり。ふう。

 さて。

 こう天気が良くては仕方がない・・・・・今年初めてのざんげ岩。特に
これといった話もなく登り切って、上からヘッドマーク付のロクサンとシェ
ルパくんを、ぱちり。小っこいけど。そして「20年目」の文化むら全景を、
ぱちり。



 ようやっと、今回訪問の本題、「碓氷峠浪漫倶楽部」の総会。

 始まる前に、分厚い冊子を積んでる一角が目に止まる。これは何ですか
と訊ねれば、著者・編者である平田一夫氏がカクカクシカジカで特別に頒
布の由。

   写真集「碓氷峠の旧鉄道施設」(1995)
   「明治の新聞切り抜き帖 毎日新聞(群馬編)」(1996)
   「上毛新聞切り抜き帖 1881-1947」(1998)

 写真集はリアルタイムの古いもので、例えば丸山変電所など、今花壇に
なっている辺りに新たな設備が出来て、軽井沢方の機械棟が先に用途廃止
されて廃墟状態というのが、生々しい。切り抜き帖の方は、どういう基準
で纏めたのか、内容は鉄道に限られず、打ち直したのか明治期なのに新字
体の記事があるなど、やや不明なところもあるものの、丸山の避線の役割
などをリアルタイムに解説されているなど、こちらもまた生々しい。

 というわけで是非もなく触雷。いずれも内容もヘヴィーなら、物理的に
もヘヴィー。クルマで来てヨカッタ。

 会が始まり、活動報告に予算の承認・・・・・丸山の避線に加えて、熊
ノ平から中尾川橋までの旧線施設も、重文追加に向けて動いている由。最
初に旧線施設が指定されたのはもう四半世紀前のことになるが、近代化遺
産として初のケースだったように記憶するが、旧丸山変電所建物は後に追
加指定だったと、今頃再認識・・・・・リアルタイムにニュースに接して
た筈だが、いつの間にか同時指定と思い込んでた。

 中尾川橋もあれだな、昔の国道のように、アーチの下も潜れるようにな
ると良さげ・・・・・国道を付け替えて新線を通しているので、往時の国
道のままとはいかないだろうが。あとアーチに微かに残る、ゼブラ塗り。
下を国道が潜っていた名残だが、生々しい営みの跡としては、むしろ遺し
て欲しいトコロで・・・・・竣工当時ばかりが正解ではないと思うのだが。

 総会が一通り終わって、次に信州大名誉教授・小西純一氏による講演、
「信濃の重要な玄関口碓氷峠〜中山道と信越線」。主に生糸などの長野か
らの「出口」の視点から、中山道ルートの東西幹線計画の挫折と、あとは
お馴染みの、碓氷線の最初のルート案から新線切替時のルート再検討、北
陸新幹線へという流れ。中央東線開通後、輸送需要はそちらへ流れなかっ
たのかという質問・・・・・たしかにそれはぼんやり思ってた・・・・・
に、軽井沢の開発による旅客需要の伸びが、それを補って余りあった由。
ナルホド。



 同席してた峠仲間の M氏と駄弁りながら車転がして、安中市街に差し掛
かったところで、おおそうだと寄り道。その名も「パーミル」という模型
店が、最近安中駅近くに出来たとウワサになっていたので。66.7‰の勾配
標を象ったマーク、よく見ると手前側がレベルのようで、そんな場所とい
えば・・・・・熊ノ平の軽井沢方か?

 聞くところによれば、プロのモデラーさんが開いた店だそうで、品揃え
といえばペーパーキットが中心らしく、腕に覚え皆無なこちらとしては手
の出しようもないのだったが、ともかく覘くだけ覘いてみようかと。

 店舗とはいっても、ほぼ工房。作業を生で見学してみたい気もする。濃
いぃぃ品揃えに感嘆しつつ、隣の貸しレイアウトへ向かうと、店の主が出
てきた。生憎走らせる模型も用意してなかったし、車両のレンタルはやっ
てないとのことで、お話を伺いながら、見学させて頂く・・・・・と、コー
スとは別に眼鏡橋の部分だけのモジュールが置かれていて、そこへ丁度、
西日が射し込んでる。入射角こそ違っていたが、その当りようといえば、
丁度晩秋の朝の、185系上りが通る頃を思わせ。はぁぁぁ。

 さて看板の勾配標は、果たして熊ノ平下り方のものなのか・・・・・こ
れがうっかり訊きそびれ。



(終)