***** 2018年10月14日 ***** (独り言) お盆シーズンにシルエイティのイベントをかましたおぎのや。この調子 ではまたやるのではと踏んでいたら果たしてホントに、9/24 に再びかま してきた。今度は限定掛け紙とクルマの展示のみならず、「リアル真子」 こと塚本奈々美サンも呼んで、あの限定掛け紙のイラストの構図を、まん ま再現するという。 そう来るか(笑)。 前回ざんげ岩から俯瞰した際に、国道側へ向けたシルエイティの顔が、 おぎのやの工場に蹴られてしまったのだったが、あの構図というと今度は 逆向き、同じ蹴られるのでも、尻尾ならまだマシか・・・。 リベンジである(馬鹿)。 電車で横川に着いて、まずは現物の傍へと行ってみると、掛け紙の構図 という割には、例のリスの看板に近過ぎて、バランスが・・・・・パース も考えて欲しかった(笑)。それはさておき、止め位置をよーく観察する と、前回より微妙に、国道より線路側に寄っている・・・・・果たして、 ざんげ岩へ登るとバッチリ、蹴られず見えた。そのままざんげ岩・・・・・ 正確にはちょっと手前・・・・・で、塚本奈々美サンがイラストと同じ衣 装を纏って登場、ポーズをキメる、記念写真に応じる、サインする・・・・・ そんなイベントの様子を俯瞰で見物。 下りてドライブインに寄ったところで、帰るところのご本人がチラッと 見えた・・・・・キレイダナー。おぎのやは、例の復活看板をモチーフと した、ステッカーやらマグカップやらとグッズを展開していて、相変わら ずの商売上手。 などありつつ。 「廃線跡ウォーク」・・・・・なん、だと?? 近頃色々と仕掛けてくる、安中市観光機構のツアー企画。無論、アプト の道のことではない。新線の廃線跡を歩く、という廃止後初の企画。つま り、公然と廃線跡を歩ける・・・・・これを好機到来と呼ばずしてなんと 呼ぶ。 21年。 廃止直後から、そのニーズはあったに違いないのだが、その具現化まで、 21年・・・・・そもそも地元側にその発想自体がなかった可能性があり、 そこに気付き、価値を見出し、機運が高まり実行に移るまでに、21年かかっ たと言うべきか。 これに向け、改めて廃線跡の除草を行う様子が、FB あたりで公開され ていた。かつては「文化むら」がシェルパくんの機関車を使って、定期的 に除草作業がなされていたと記憶するが、久しく絶えていたらしい。人間 の営みなど儚いもので、手を緩めればあっという間に自然が盛り返す。碓 氷新線も然りで、トンネルは大丈夫としても、明かり区間での開墾のよう な除草作業が、伝えられていた。 参加者募集開始と同時に、速攻で申し込んだのは言うまでもない。 というわけで、当日を迎えたのだったが、横川で受付開始が 7:45、出発 が 8:20 ・・・・・客層をどう想定していたのか、東京から新幹線の始発 使っても間に合わない(笑)。磯部温泉あたりで泊まって行ってネ、とい うコトなのか、そもそも地元密着企画なのか。幸い私は 4時台から動いて いる電車にアクセス出来電車日帰りが可能だったが、グンマー基準ではク ルマ移動が前提なのかもしれない。 ともあれ、いつになく濃いぃ気配漂う電車で横川に着いて、麻苧茶屋の 会場へ向かうと、既に結構な人。100名募集のところ、90名以上の応募が あったらしい。トレッキング、或いはケービングかという装いの人やら、 国鉄コスプレの人やら。そんな横を、重連のロクサンがゆっくり往来して ウォームアップ中。 早速受付の手続きをしていると、肩をつつかれた。 地元の顔馴染みの人だ。ここではどこぞのアカウント名から、A氏とし ておこう。国鉄マンの家の生まれで、横軽廃止前後から、峠の歴史を研究 したり、思い出の声を集めたり、花を植え、木を植えといった活動を行っ ている。文化むらの敷地を指差して「あそこに住んでた」と言われては、 こちとらグウの音も出ない(笑)。 今回イベント告知は拡散したものの、特に誰と申し合わせるでもなく、 行けば知った顔が誰かいるだろう、くらいに考えていたが、A氏もそんな つもりだったらしい。ならばと、3つに分かれたグループの、同じ組に入 ることにする。アプトの道でボランティアガイドも務めているA氏と一緒 なら、何かと心強い。 やがて、開会式。怪我のないよう気を付けてそれでは行くぞーっおーっ、 くらいのモノかと思えば、代わる代わる年配の方のスピーチが続く・・・・・ なんだか町内運動会の様相を呈してきたが、主催者的にも色々気遣いがあ るのだろう。 お次はラジオ体操第一。何年ぶりでも身体が覚えてるこの体操、皆当た り前のようにこなしているのだが、たしか参加者に外国人いなかったか(笑)。 そんなこんなで、いよい出発。本題の廃線跡散策は熊ノ平から、そこま ではお馴染み「アプトの道」なので、軽く足慣らしに流せばよい。丸山変 電所跡まで来ると、ボランティアガイドの人が待ち構えていた。A氏を見 て、やりにくいと言った(笑)。変電所の歴史のこと、建物の復原のこと、 避線のこと、といった話が続いたが、蓄電池棟の窓が磨りガラスの理由は、 初めて聞いたかもしれない。蓄電池から発する硫酸の霧が光化学反応で云々 ・・・・・らしいが哀しいかなよく解らづ。 近代化遺産全国一斉公開の告知も、すればいいのに・・・・・そういえ ば今年もそろそろだが、いつだ。建物に貼り出しておくだけで、じゃあ今 度はこの日に来ようか、とでもなるだろうに。 この先は勾配も本番、先頭は一心不乱に進んでるようで、霧積川橋梁の 煉瓦の遺構など顧みられもしない様子で、ココ見ろよ〜と A氏と苦笑。列 も伸びだして、子供連れなど置き去りにされかけてるが、大丈夫かこの先。 峠の湯の前で小休止。先頭の引率の人に訊くと、後から参加者に煽られ てる由(笑)。列が伸びても殿の人がフォローしてくれるとはいえ、しか し何を急いでるんだその人達は。 先へ進む。トンネル内の照明、その腰より低いヤツが、第3軌条をイメー ジしていたとは、今になって知った。高速道路でもこういう感じの照明が あるから奇異な印象もなく、煉瓦の壁の保護だろうか位に思ってたが、そ ういう意味があったのか・・・・・ここ出来てから何年になる。かれこれ 20年近いか? さて 68‰はどの辺でしたっけね。旧線も廃止以来長年放置されたまま で、遊歩道化にあたっては現状のまま整地したようなところがあって、路 面自体が結構うねっているから、ここが 68‰か、ここが 68‰ かと、き りがない(笑)。資料と突き合せながらでないと、難しいな・・・。 アプトの道開通以来、気になっていた箇所があった。 碓氷湖の手前だったか、道がクランクしているのだ。隘路のすれ違い場 所のような雰囲気なのだが、線路としては有り得ないクランクぶり。ハテ 何故こんなカタチになっているのか、水捌けの問題とか障害物でもあった のかと不思議に思っていたものだったが、A氏がそれを知っていた。往時 をイメージできるようにと、ここに短くアプト式の線路を敷こうとしたら しい。 これは初耳。 ところが、丸山に静態保存されたロクサンと「あさま」編成の損壊・窃 盗事件が発生、これはやられるぞと、取り止めになった由・・・・・尤も な話である。感じが掴めるだけで良ければ、盗る気も失せるようなあから さまなレプリカで、良いような気がする(笑)。 眼鏡橋でも小休止。そういえば「風立ちぬ」って観ました? と A氏に 問えば、アーチの数ガー、機関車の色ガーはいいとして、橋の上り方に見 えてた抗門は、ありゃ反対側の第6トンネルのものだとのツッコミ。流石。 群馬テレビが取材に来てた。そういえば東京新聞が来ているとも聞いた。 群馬テレビ、映んねー。 お次はシャフトだのがある第6トンネルから始まる。何番目か忘れたが(汗)、 A氏によれば、やる気のない雑なトンネルというのがあって、ナルホド煉瓦 の刻印が平気で表に出ている。坑門も殺風景だ・・・・・これまで見てき たものでは、石の装飾が立派だったり、東京駅丸の内駅舎で有名な「覆輪 目地」が施されていたり、気合入れまくりのトンネルもあったのだが、想 像するに、煉瓦造りの普及期にあって、このオーバークォリティーとも言 える仕上げっぷりからして、施工業者の PR の場でもあったに違いなく、 然るにこの雑なトンネルは、その気が全く無かったのか、それどころでな い事情でもあったのか。 そういえば江戸城の石垣も、担当した藩によって出来映えが随分違って いたりして、そういう技量差なり温度差なりが、ここにも出ているのだろ う恐らく。 熊ノ平で休憩と昼食。釜飯が出た。掛け紙はピンクリボン仕様。 さらに、玉屋の力餅が! こっちは別途販売。 かつてここ熊ノ平で店を構え、行き交う列車の乗客に力餅を供していた 玉屋。由緒正しさにおいては、玉屋を置いて他にない。 ここからが本番である。 レンタルのヘルメットを被り、いざ往かん、下り新線。 上り線を見やれば、見事なまでの草ボーボー。ああだったのを、ここま で綺麗にしたのか・・・。 随分と綺麗に除草されているので、レールが錆びていることに注目しな ければ、フツーの線路にも見える・・・・・いや、電線泥にかっぱらわれ た跡が、痛々しい。それと丸太と有刺鉄線でトンネルに築かれていたバリ ケード、今回取り除いたのか前から壊れていたのか、朽ちて抗門の端に寄 り掛かっていた。 左手には時折チラチラと国道が見え、C のいくつだ、撮ったのは 116 だっ たか、などと言いつつ進んで行くと、やがて中尾川橋梁に出た。今年重文 に追加された旧線の橋が、すぐ横に架かっている。この辺りも整備するの か、昔の国道のようにアーチの下を潜れたらいいな、などとこれを眺めつ つ、おおそうだ、アレやるの忘れてたわい。 公然たる、線路なう(笑)。 さらに進んで、いくつかのトンネルを歩いている時である。 鉄労ブッツブセ 施労粉砕 ・・・と縦書きで退避スペースの壁に書いてあった。内容的には昨日今日 のものでなく、国鉄内部のオトナの事情の、名残であろうか。 更にいくつかトンネルを過ぎ、いよいよ、最後の下り第18トンネル。 入ってすぐ、県境を示す標識のようなものがあった。勾配はそのまま続 くが、この真上あたりに、国道のサミットがある筈だ。 更に進むと、前方で何やら色とりどりの光が見える。近付くと、壁面の ライトアップだった。どこかの鍾乳洞でこんなの、やってた気がするが、 さっきから聞こえていたエンジンのような音も、これの電源と判った。線 路が二筋の光となって真っ直ぐ伸び、その間を流れる水がキラキラと、そ して鮮やかに彩られたアーチの続く先には、軽井沢の空の光が射している・・・。 なんだこの召され感は。 というか、ここ凝るところなのか(笑)。 そんな心遣いに浸りつつ、この光のアーチを過ぎると、代わって鉄骨の アーチが現われた。 これだ。 丁度この真上を、北陸新幹線の碓氷峠トンネルが覆い被さっているハズ なのだ。それに先立って、ここに補強を入れたという。どこかでその工事 記録に接したことがある。松井田の図書館だったか、神保町の濃いぃ書店 だったか・・・。 上を列車が通れば聞こえる・・・・・ハズ。ハズだが、最終組にも呑み 込まれ殆どビリ、横川へ戻るバスの時間も近いしで、そうゆっくりもして いられない。 トンネルの出口はすぐそこ。下り列車が、第1閉塞進行〜、軽井沢4番〜、 ロクニノッチオフ〜、などとやっていた辺りだ。この第18トンネル内で、 ロクサンのモーター音が徐々に下がり、クロスオーバーしてブロワー音が 唸りを上げ、峠を極める。あとは火照った身体を冷ましながら、残りの僅 かな路を流す。 ふいに脳内でその音が甦り、ぞわーっ。まさにここなのであり。 とうとう、最後のトンネルを出る。線路は更に上って、縦曲線を交えな がら右へ曲がり、矢ヶ崎踏切の方へ消えて行く。 残念ながら、今日歩けるのは、サミット手前のここまで。この寸止め感 に、若干モヤモヤが残ったが(笑)、まあしょうがない。 下り線を離れ、上り線を横切り、切通しの上へ上がると、「トンネル避 難路」という縦看板があった。 あ、例の避難シェルターか。 あれは昨年のことだったか、新線跡のトンネルを避難シェルターとして 活用する話が、軽井沢町と安中市とで交わされていた。半年ばかり前にこ の辺りを観察した時には、草が綺麗に刈られ、切り株もいくつか見えてい たのだったが、夏の間に元に戻り始めていたのだった。 その時見ていたのは上り線。今また草ボーボー。逃げ込もうにもちと、 難儀そうだ。 一方下り線は、今回イベントのために除草した由。それにわざわざ遠い 方へ駆け込まんだろうから、上り線、ボーボーで良いんか。 当初言われたミサイルの脅威も、一応は遠ざかったかのように見える昨 今、当初の熱も冷めつつあるのだろうか。非常時の為には、いつでも入れ るようにしないとね、じゃあ遊歩道にしませんか、もっと、もっと、あら ら熊ノ平まで来ちゃったよ、という展開を期待していたのだが。 帰りのバスは、チャーターではなく、通常の路線バスの増車であるらし く、普通に運賃がかかった。それはともかく久々に乗る横軽バスで、A氏 と車窓をあーだこーだ言いながら横川まで過ごす。 横軽間で線路を歩く、それ以上でもそれ以下でもない。しかし列車の通 らぬ赤いレールの上には、参加者各々で何らかを乗せていたことと思う。 かつて列車が踏み締めた路を、2本の足で踏み締めながら、その路に宿る 記憶に、思いを馳せる・・・・・歩くだけの一日だったが、それは濃厚な 時間だった。 今回とは別に、今度は熊ノ平より上り方の、新線の跡を歩く企画が用意 されている。小出しにしやがって通しで歩かせろや、とぶーたれながらも、 まあその、なんだ、しょうがねえな。(ぉ (終)